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東北新幹線で上京、現担ぎの駅弁は「牛飯」を食べながら羽田国際空港へと向かう。羽田は国内線が主流であるため、モノレールはそこそこの混み具合。チェックインを終えたが、少し早く到着したせいか、ターミナルは閑散、搭乗を待つ。ここから4時間程で、香港国際空港に到着となる。日本で言えば、中部国際や関西空港のように、海に浮かぶ島がチェクラポック国際空港。かつて,街のど真ん中にあった啓徳空港とは、随分と変わってしまった。到着すればバスで香港
北海道、釧路到着から一夜明けて、国際患者搬送の準備のため病院へと向かう。患者さんの容態は安定、ここから長い帰郷の旅が始まる、転院の引き継ぎも入念に行われた。病院から釧路空港までは陸路で1時間程、羽田までの機内ではストレッチャーを使用する。釧路空港を上がれば、眼下には列島がしっかり見える。2時間程の国内フライトで羽田空港に到着。羽田国際空港では、ターミナル移動のため、患者さんはリクライニングの車いすへと移乗、ターミナル3に到着すれば、次
医療用チャーター機での海外医療搬送のため患者さんと共に羽田国際空港へ。梅雨開けが中々宣言されない列島、長い夏になるのか?猛暑は相変わらずである。高気圧のせいで、移動中も見通しの良い景色が広がる。羽田国際空港も晴天、ここが高気圧の中心かと思う程、滑走路には陽炎がゆれ、靄がかかったようにさえ見える。今回の機体はLifeFlightAustraliaの、BombardierChallenger604、大陸間では良く使用される、大型の機体であ
国際患者搬送では、夜間飛行に限らずフライト時間が長ければ、日の出と日の入りを天空から見る事が出来る。今回も、太平洋に顔を出してくる太陽を拝顔、患者さんの帰郷を迎えてくれた。晴天のホノルル、定刻の到着で患者さんは降機、ターミナルを移動して地元の介護タクシーに乗車、御家族と共に病院へと向かった。ベットからベットまで10時間程の行程を無事に終え、病院に引き継ぎ、海外患者搬送は完了した。さすがにとんぼ返りは行かずホノルル宿泊、ホテルチェックイ
2024年もあと僅か、歳晩、一年の締めくくりに霞ヶ関へと向かう、車窓から見える福島・吾妻小富士も冬化粧。二十年近く続いている恒例の行事であるが、各省庁への様々な報告の他、多くの在日公館にも足を運んだ。言うまでもなく健康が一番、出来れば、私たちのサービスは利用しない方が良い。それでも、異国の地で病床に臥し「万策尽き果て」、帰国のお手伝いをする事は少なくない。在京の各公館にお伺いするのは、私たちの一年間の活動を査定して頂き、翌年の仕事に生かす事が最も
那覇空港を出発し東京・羽田まで2時間半の移動、東京から最終目的地、中国・上海までの移動とほぼ変わらない、国内のフライト時間。道中機内で、患者さんの御家族は、患者さんの容態が気になるようで、何度も声を掛けられていた。那覇同様、こちらも晴天の羽田国際空港、国内線ターミナルから国際線ターミナルに移動して、しばらく待機、午後の遅い上海浦東行きの便で、再び海を越え、国境を越える。3時間後、今年、随分お伺いした浦東空港、既に待機していた中国支店の救急車
雪の舞い散る東北から、平均気温20℃を越える沖縄へ向かう。気温が一桁の東北から沖縄、再び一桁の海外に移動するとなれば、寒暖差で体が心配になる。那覇に到着後、まずは病院へ向かい、翌日の海外患者搬送に向けてのカンファレンス、全ての段取りを終えれば、さっと食事をとり出発に向けて早めの就寝。沖縄の病院出発は早朝、空港までの陸路移動は、「沖縄フィール」さんにお願いをして那覇空港へ、まずは、ここから東京羽田までのフライト、再び長い旅が始まる。http:
国際患者搬送を行う私達は、何度となくロシア・シベリア上空を飛行して、患者さんを搬送してきた。眼下に見えた永久凍土は、まるで水墨画の様、夜間飛行で天空に見える月は、手に届くくらいの近さで、月光に映し出された機体は幻想的であった。今回の戦争でしばらくはロシア上空は飛行できなくなり、時間をかけて中央アジア経由のヨーロッパ往復になりそうである。先日まで成田空港に飛来していたAEROFLOTの機体も、これからは見る事が出来なくなるだろう。意に反して異国の
令和3年も本日で締めくくりの日を迎える事となりました。昨年に引き続き、新型コロナウイルス感染症で始まり、終わった年でありましたが、1年間、大事なく過ごせました事は、多くの患者様、御家族様、関係各機関の皆様の御理解と御支援の賜物と、心より感謝申し上げます。意に反して異国の地で倒れ病床に臥した時、意識の有無にかかわらず、人は途方に暮れ絶望の淵に追いやられます。このことは、ただでさえ尋常な事ではないのに、世界的なコロナ禍で国を跨ぎ、帰郷する事は決して容易ではありま
新型コロナウイルス・オミクロン株の世界的な蔓延拡大防止のため、日本が本日11月30日午前0時から、事実上の鎖国体制、世界的な入国制限を決定した。政府が水際対策を発表する数時間前、成田第2ターミナルのはずれのスポットに、医療用チャーター機VH-RIOの白い機体が滑り込んできた。私達は通称Medic77と言われる航空救急部隊と何度か仕事をしているが、航空機マニアの中では所属詳細不明の機体となっている。別に隠す事でもないが、この飛行機は台北のskyvisiona
みちのくから深夜出発、漆黒の中東北道を成田へと向かう。時雨模様の天候は夜が明けると共に、陽が射し早朝の成田国際空港に到着。患者さんは無事に帰国便に搭乗する事が出来た、コロナの蔓延が落ちつき、これから年末にかけて帰国を待っていた、多くの外国人、邦人の帰国移動が本格化する。http://lieben-ems.co.jp
通常の航空機を利用しての国際間患者搬送が、ようやく始まってきた。それでも各国の隔離拘束期間を考えれば、中々一気通貫の搬送とは行かず、単件ごとに大使館領事部と話し合い、移送方法を決定しなければならない。今回は中国支店から、外交部を通じての共助搬送、私達はみちのくから成田空港まで移送、各種検査後、中国部隊への引き継ぎ搬送。ここしばらく羽田への移送任務が多かったが、成田国際空港国際線も、コロナが落ちついたこの時期であってもガラガラ、出発口で大陸部隊に無事引き継ぎを完了
日本時間午前1時、通称ロシア・シベリアの「シベリアの首都」、ノヴォシビルスクを飛び立った医療用チャータージェット、ユーロップスターEMB-135BJは、中国ハルピン上空から、北朝鮮を迂回しウラジオストックから日本海に入ってきた。ユーロ圏からの患者さんを迎えるべく、深夜の東北道から暁の首都高に抜け、24時間開港している羽田APに向け一気に走りぬけていく、いつもの海保エリアからの進入、時折激しく降っていた氷雨は小降になっていた。http://lieben-ems.c
現在のコロナ禍、日本だけではなく世界と言う視点で考えれば、パンデミックと言う他なく世界各国が自国を守るため、水際対策に躍起になっている。そんな中でも海外で病に伏したり、ケガをされる方は少なくはなく、多くの邦人が帰国を望んでおられる。日本に帰国してからの、渡航後の隔離(自主隔離含)はもちろん入国そのものが出来ない国、入国が出来たとしても、現地での様々な制約・活動制限の中、邦人救出救援を行う事は容易ではない。結果どうしてもAirAmbulanceに頼りがちであるが
ちょっとばかり羽田に早く着いたので、国際線ターミナル江戸小路を散策し現場には、、ちょうど良い時間。ターミナル前からエスコートで、海保・羽田救難隊前を通り、チャーター機到着スポットへ、到着機は、このところ連続で、一緒に仕事をしている、TCのRedstarAviation、機体はTC-RSA出発地は中央アジア。韓国・仁川で給油したにも関わらず、珍しくontimeでの飛来、入管・検疫で40分程待機、pickupが完了すれば直ちに病院へと向かう。http://
天候が気になったが、台風一過。晴天の空、日本時間7時にアキノス空港を上がった機体は、IAI1124Westwind(H4-ZYH)、コロナ禍が始まりかけた昨年の3月にも、一緒に仕事を行った部隊である。太平洋からの朝陽を眺めながら、羽田空港までのお出迎え、首都高を抜けてエンターランプを目指す。http://lieben-ems.co.jp
昨日から日本を覆っている「黄砂」、発生は中国のタクラマカン砂漠やゴビ砂漠からの砂、というよりは土壌や微粒子が、遠路風で運ばれ韓国や日本に飛来しているようである。今日もおてんとう様が出ているのに曇り空、視界も芳しくはない。今から数年前、私達は新疆ウイグル自治区からの、国際患者移送に携わっていた。北京からウルムチ、アクス地区へ山向こうはキルギス。日本から24時間かかっての長旅はアメリカよりも、アフリカよりも遠かった。移動中の機上から眼下に見えるのは、まさに「黄
コロナ禍になってから、海外への渡航も難しく海外からの帰国も中々困難な状況となった、いくつかの国から海外の移送チームにescortされ帰国する案件も、医療用チャーター機で帰国する案件も、新型が蔓延する以前とは大きく様変わりした。それでも何とか国境を越えて帰郷したいという依頼は後を絶たない、今回は多くのハードルを越えて久しぶりに、国境を越えた海外患者移送を御紹介したい。まずは福岡から下関に向かい、長距離の患者移送に備えることとなる。http://lieben-ems.
ベトナムハノイで給油したTC-RSCは、中国内陸部を飛び上海から、東シナ海経由で国内へ、羽田には2時間遅れで34Lからの着陸。いつも通り第3ターミナル近くのスポットに入った、ここからimmigration・custom、移乗後は検体採取とバタバタ忙しくなる、フルPPEの私達が患者さんと言葉を交わし、ようやく出発、ここまでくればもう故郷である。http://lieben-ems.co.jp
海外からの帰国患者さんのお迎えで羽田へ給油だけで5回を々総飛行時間は20時間、今海外が如何に遠方なのかが理解できる。機体はトルコのLearjet45、羽田には初飛来である。かつてはトルコ保健省に所属していたが、現在は航空機として第2の人生を送っている機体、2時間遅れの到着時間は、チャーター機では想定内だが、薄暮の羽田はなぜか物寂しかった。http://lieben-ems.co.jp
中国天津から飛んできたチャーター機は、30分程の遅れで福岡空港に到着した。お互いを信じないわけではないが、PCR検査結果がマイナスであっても、防護ガウンを着た検疫官が飛行機へと向かい、私達も同様の防護体制を取る。今年になり医療用チャーター機でも到着してから降機まで、手続きと検査で、随分と時間がかかるようになった、中国チームとのrunwayでの申し送り、引き継ぎを行い空港を後にする。http://lieben-ems.co.jp
年末になり再び九州へ、中国支店からの依頼で、福岡空港へ患者さんを迎えに行く。恐らく今年最後の国際移送、どんよりと曇った仙台か九州へ飛ぶ。http://lieben-ems.co.jp
西高東低の気圧が空気を清々しくしてくれからか?初冬の朝は気持ちが良い。朝焼けの中をひたすら南下、常磐から北関東、稲敷を抜け利根川付近は、写真の通りの幻想的な光景、これも今の季節ならではの自然の産物。行政機関からの要請で、早朝、成田国際空港へと走る、空港PSのエスコートで普段は進入する事のない、地下通路へと滑り込み、複数の行政機関に引き継ぎ、任務完了。気温が上がりポカポカした?成田のフードコートでカツ丼を戴き、再びみちのくへリターンする。http://l
12時00分がontime到着のチャーター機は、11時30分の段階で竹島の東方コールサインは「medic77」、珍しく機体番号と異なるニックネーム。これは「遅れるな」と思ったら、ジェット気流の性だろうか45分後には、成田APPにコンタクト、clearanceを求めてきた、茨城大洗方向から一気に高度を下げ着陸体制。30分遅れで滑走路に進入、降りてからチャータースポットまでの距離が長い。機体はシンガポールだがクルーは台湾、到着地は日本、まさに多国籍軍だが、コロナ禍で
新型コロナの関係で、海外から海外への患者さんの移動はままならないが、それでも海を渡らなければならない患者さん少なくはない。今はコマーシャルエアラインよりも、医療用チャーター機での帰国が多く、各国のアシスタンス会社と連携してね帰国支援を行っている。久しぶりの成田国際空港、医師・看護師・救命士での出迎え、そもそも24時間前にフライトが決まったこの事案、まさに医療用チャーター機の真骨頂かも知れない。大動脈瘤の患者さんは呼吸器も装着している、午前11時の空港入り、出
ANAが大変だ!!と言われてる昨今だが、実際に乗ってみれば、hospitalityのクオリティは全く変わっていない。たとえ少ない搭乗客でも1人1人へのサービスは、満席時のそれと変わらなかった。機内食も同様、たぶん少ない食数なのだろうが、内容に変わりはなかった。コロナ禍は健康や心身に影響を及ぼすだけではなく、経済にも甚大なダメージを与えている。焼石に水かも知れないが、必ずトンネルは抜けるはずである、どうか、ここ一番踏ん張って戴きたい。http://lieben-
悲しいかな数人しか搭乗客のいないANA便、普段なら朝一番の便で帰国するのだが、減便で午後の出発、乾燥した巨大都市を後にした。中国がというそもそも論はさておき、人類と新型コロナウイルスは、いつ終わるとも知れない戦争の真っ只中、各国が鎖国を解除すれば、現在、弱毒型が広がっているアジアにも、変異した強毒タイプが入ってくるとも限らない。中国の水際対策は尋常ではなかった、実際に鎖国下にある海外の都市に行かなければ、危機感は伝わらないと思う。長い異国での24時間を終え、
巨大な北京空港に隣接する、隔離ホテルから空港へ向かうが、ご覧の通り誰もいない、案内もPPE着装の職員が座っているだけ、あっち行けこっち行けと言われたわりには、すんなり出国手続き完了、完全に厄介払い、ゲートロビーにも数人の搭乗客。国を守るとは、こう言う事なのであり、ここまで徹底しないといけないのか?http://lieben-ems.co.jp
病院での引き継ぎが終われば、せかされるように空港近くのホテルへ移動、残念ながら当局の職員が張り付き、ホテルの外観等、撮影は御法度、ようやく撮れたのは、ノックと共に部屋の前に置かれた、中国では珍しい冷たい弁当(中国では暖かくなければ弁当とは言わない)部屋の中にいるとポンと部屋の前に置いていかれるタイプ。後はひたすら待機、ホテルなのにwihiも不安定、電波もロックダウンか、部屋の外には出れず、他のスタッフとも連絡はつかない。このまま就寝、朝を待つ、翌日の北京空港は、かつ
中国側にしてみれば、どんなにPCR検査結果を持参していても、自らの国の方式で目の前で白黒がつかなければ、それは全て「黒」。隔離用救急車でスタッフの移動中も、、北朝鮮ではないが、常に中国側関係者が帯同し、日本から向かった医師・看護師・救命士に目を光らせる。えっと思うかも知れないが、自国を害敵から守る、鎖国するとはそういうもの、これは中国に限った事ではなく、出入国が可能な世界各国は大同小異の水際対策を行っている。現在の日本でも海外からの帰国後、制限区域から移動する