ブログ記事511件
#追悼、#ジェリー・オーツ(重要事項につき、内容を精査して再掲)ジェリー・オーツがなくなった。最近、メッセンジャーを使って連絡しても返事がなくて、予感はありました。心から御冥福をお祈りします。ジェリー・オーツとはメッセンジャーでつながることができて、いろいろなプロレス昔話をさせていただきました。後楽園ホールで極道コンビからアジアタッグ王座を取った試合は非常に良く覚えているそうでした。ジェリー・オーツは、倒産した国際プロレスの最後のシリーズに参加しているのですが、田舎町の会場のよっては
1979年8月26日東京スポーツ創立20周年「プロレス夢のオールスター戦」国際プロレス全日本プロレス新日本プロレス当時の女子プロを除いた全団体が、主催の東京スポーツの元、初めて参戦した合同興行でしたメインは、8年ぶり復活BI砲ジャイアント馬場・アントニオ猪木vsアブドーラ・ザ・ブッチャー・タイガー・ジェット・シン当時、各団体を中継していたテレビ局の関係で、試合の放送は無し東京12チャンネル(国際プロレスを中継)日本テレビ(全日本プロレスを中継)テレビ朝日(新
俺達のプロレスラーDX第273回冷徹なる解体屋が刻んだプロレスの凄み/オレイ・アンダーソン【俺達のプロレスラーDX】★令和の夏に鳴り響いた古典の産声〜G1決勝の大岩戦で見せた上村の腕攻めと解体屋の記憶〜2026年8月16日、東京・両国国技館。真夏のプロレス界を彩る最高峰の戦い「G1CLIMAX36」の決勝戦は、新時代を切り拓く新世代の二人、大岩陵平と上村優也による凄絶な死闘となった。「ニュースタンダード」を掲げ、クラシカルかつ質実剛健なレスリングを展開する両者が激突したこの歴史的大
「こんばんは」で何が起きた?はぐれ国際軍団“こんばんわ事件”の真相数年前に作成した動画のリメイクです登録者が多い熟女ユーチューバーに丸々パクられたので消したのですが一応、こちらが元祖なんです💦新日に取り込まれた国際軍団の気持ちがわかるなーwはぐれ国際軍団“こんばんわ事件”の真相数年前に作成した動画のリメイクです登録者が多い熟女ユーチューバーに丸々パクられたので消したのですが一応、こちらが元祖なんです💦新日に取り込まれた国際軍団の気持ちがわかるなーwht
俺達のプロレスラーDX第268回赤い星を背負った「流血怪人」の真実/アレックス・スミルノフプロレス界において「悪役(ヒール)」という存在は、時代の鏡である。特に、20世紀後半の冷戦構造の中にあった昭和のプロレス界において、「ソビエト連邦(ソ連)」という国家が内包する不気味さ、圧倒的な軍事力の恐怖、そしてベールに包まれた神秘性は、リング上の最高のスパイスであった。共産圏の脅威をそのまま肉体化したかのような大型ヒールたちが、アメリカで、そしてここ日本で、ベビーフェイスたちを血の海に沈めて
キラー・ティム・ブルックスの憂鬱(^_^)(^_^)(^_^)キラー・ティム・ブルックスは明かに二流レスラー、とても、とても、エースを務めるような器ではなかったと想像する。ところが、人材不足の国際プロレスは彼を異常に持ち上げて、エースとして扱った。事件は、東京12チャンネル放映のメインイベントで起きた。感情のコントロールを失ったキラー・ティム・ブルックスは、ラッシャー木村の額をペーパーナイフで切り裂いたのである。おそらく、このような暴挙が日本のリング上で行われたのは最初で最後、
見よこの勇姿・期待の星だ!――。ちょうど半世紀前の昭和51(1976)年6月、のちの剛竜馬こと八木宏(当時20歳)の勇躍凱旋を宣伝する国際プロレス後楽園ホール大会(7月4日)の新聞広告。この時期、世間を騒がしていた話題といえば、6月26日に日本武道館で行われた「猪木vsアリ」とロッキード事件。諸問題も含めつつ、国際プロレスが時事ネタをもからめつつ登場させたブラック・ロッキードなる謎マスクマンが堂々登場している貴重な広告ともいえる。しかし、こんな派手な覆面だったっけな?それ
懐かしいサインです。国際プロレスのデビルムラサキ選手でした。恥ずかしがり屋の方でした。
プロレス22アンドレvsハンセンアンドレ・ザ・ジャイアントvsスタン・ハンセン時代が前後してしまったIWGPがはじまる前、スタン・ハンセンが全日本プロレスに引き抜かれる前アンドレ・ザ・ジャイアントvsスタン・ハンセン戦が開催された屋外会場たしか有明コロシアム猪木vsキムドクがメインエベントだったがその試合内容は全く覚えていないあまりにアンドレハンセン戦が凄まじかったそのあとのラッシャー木村のマイクパフォーマンスがあまりにも強烈どうしてアンドレ
元気ですか~闘魂編先日京都に行ってきためっちゃ雨の日★Geminiとのコラボ作品背景はバーガーの包み紙。Geminiは猪木の顔やロゴ担当燃える闘魂アントニオ猪木展[京都伊勢丹]気になるポスター2選★東京プロレス主催猪木看板レスラーになるが間もなく空中分解★猪木出戻り、一回り成長気になる3枚の写真★木造の窓が時代を感じさせる若い!馬場と猪木★中央国際プロレスの吉原社長(けして小柄な方ではなく周りがデカすぎる)★UFO旗揚げ期。ロスのヒクソン・グレイシー道
今の日本のプロレス団体っていくつあるのでしょう?いくつだろ?大小いっぱいあるのな?プロレスを見なくなって、団体数はわかりませんが、自分が初めて見た頃は全日本プロレス、新日本プロレス、国際プロレス、女子は全日本女子プロレス…4団体でした。この後、1981年に国際プロレスが崩壊し3団体となりました。いつ頃からか…団体がどんどん増えてきました。1990年に、あのSWSが旗上げしましたが、1992年にわずか2年で崩壊。このSWSが分裂して団体が増えてきました。ここから団体が細分化してきたね
国際プロレス、1979年6月ビッグサマーシリーズ参加外人選手上段はザ・テキサス・アウトロー(アウトロー・ボビー・バス)、オックス・ベーカー、大巨人アンドレ・ザ・ジャイアント(モンスター・ロシモフ)が新日本、WWFのスケジュール合間をみて、古巣・国際に特別参加。初来日のダイナマイト・キッド、下段はザ・モンゴリアンズに、マネージャーのパーシー・プリングル三世(後にアンダーテイカーのマネージャー)中央に吉原功社長、アレックス・スミルノフにエド・モレッティ。ここには写っていないがヘイスタッ
スミマセン、サムライTVさん、1枚、お借りします。この全景はよかった。国際は1980年10月4日。滋賀・近江八幡大会。メインは木村にビッグ・ジョン・クインが挑戦。テレビは90分の特番を組んだが、まったくパッとしなかった。私は当時、就職活動の真っただ中。いちばん不安なころ。それでも、この中継は見たが「なんで、滋賀県の琵琶湖湖畔で、ビッグマッチをやってるの?」と不思議で不思議で仕方がなかった。なんでも、この会場のこけら落としのイベントだった…らしい。
今日、2月19日は【プロレスの日】です。1954年に蔵前国技館で力道山・木村政彦組VSシャープ兄弟の日本初のプロレスの国際試合が行われたことを記念して制定されたそうです。せっかくの【プロレスの日】なので、うちのブログらしいことが何かできないかと考えて・・・『ハズブロWWFプロレスフィギュアを改造して、懐かしのプロレスラーを作ってみよう』のコーナーで作ったプロレスラーのフィギュアで出来る範囲での日本のプロレス団体を再現してみようと思います。新日本プロレス【昭和の黄金期
#カールゴッチと#ビルロビンソン戦の謎(重要事項につき、内容を精査して再掲)私の記憶にあるカールゴッチとビルロビンソン戦は、カールゴッチが唐突にビルロビンソンを頭から落として、そのまま敢えてフォールに行かず、時間切れで決着した恐ろしい試合です。試合後にカールゴッチに握手を求めるビルロビンソンの顔は明らかにこわばっていて、「ああ、カールゴッチは、意図的にフォールに行かなかったのだな」と思いました。試合終了後、優勝が決まって笑顔のモンスターロシモフがリングサイドで大写しになっ
昭和47(1972)年11月、全日本プロレスの社長でありエースだったジャイアント馬場(当時34歳)が特別出場した国際プロレスの東京体育館大会(11月29日)と水戸・茨城スポーツセンター大会(11月30日)、そして国際プロレス名物の金網デスマッチ開催が告知された川崎市体育館大会(12月7日)の新聞広告。10月の全日本プロレス旗揚げシリーズに、国際プロレスから若手選手を借してもらった御礼にと馬場自らが国際プロレスのリングに初登場したという次第。馬場は東京体育館大会で日本プロレ
昭和44(1969)年10月4日(土曜)のテレビ欄より。TBSでは深夜0時30分からという深い時間帯に、ボクシング、プロレス(国際プロレス)、キックボクシングの若手有望選手の試合を1時間枠で放送するヤングファイトなる新番組を放送スタートしている。ボクシング、プロレス、キックボクシングという並びを見ると、ついつい往年の月刊ゴングを思い出してしまう人も多いことだろう。普段、テレビ中継には映ることなど、まずない若手選手にとって、大きな励みとなった番組だったろうとは思う。しかもカラ
これは驚き!デビットシュルツとボビーバス(^_^)(^_^)(^_^)アブドーラザブッチャーと映っているのは、左からブレッドハート、デビットシュルツ、そして、クレイジーボビーバス(^_^)(^_^)(^_^)デビットシュルツは雷神の異名で国際プロレスに初来日、徹底してパンチ、キックしかやらない、へんてこりんなレスラーだった。その後、WWEでプロレスを小馬鹿にしたアナウンサーを殴打する事件を起こし、新日本プロレスでも古舘伊知郎を無意味に殴って顰蹙を買った(^_^)(^_^)(^_^)
フェイドアウトしたブロンドボンバーズ、その理由は意外でした(^_^)(^_^)(^_^)#国際プロレスに#ブロンドボンバーズとして来日、そのタッグチームとしての圧倒的な強さを示したのは、#ジェリーブラウンと#バディロバーツの#ハリウッドブロンドスでした。#ジェリーロバーツは、その後、#テリーゴーディと#マイケルヘイズと#フリーバーズを結成、超有名選手になるのですが。ブロンドボンバーズは、例によって英語に詳しくない国際プロレスのスタッフが適当に付けたの
遂に実現‼若手ホープの大激突‼期待の一戦――。昭和48(1973)年9月26日に後楽園ホールで行われた国際プロレス第5回IWAワールド・シリーズの新聞広告。この年のIWAワールド・シリーズはA、Bブロックに分かれての総当たり戦。この日の後楽園ホール大会では他のカードの差し置き、Bブロック公式戦のマイティ井上vsアニマル浜口が目玉に据えられている。この時、マイティ井上が24歳、アニマル浜口が26歳と、団体の未来を背負うべく期待されたホープだった。他にも日本勢は
新・ドラゴン藤波大年表2025111980年ジュニア2冠王に!「WWWFジュニアヘビー級」に加え「NWAジュニア」も奪取。「対抗戦」で実力差を見せつけ、ダークドラゴン伝説も。1980.2.4江南藤波、ジュニアヘビー級のチャンピオンになって3年目を迎えた。ジュニアに敵なし。「飛龍原爆固め」が封印される。だが、対抗戦でも圧倒的な実力差を見せつけた。80年代最初のこの年、さらなる飛躍の年となった。●昭和55年(1980)26歳1月4日
今回は、オタクの話はたして何人の人がついてこれるか?ドイツ縛りでプロレスを語ってみると・・姫様、置いてけぼり実際ノモさんがプロレスに詳しいかどうかは確認してませんのでご了承くださいボック兄いはアンドレ師匠にシュートを挑んだ試合の怪我がもとで引退を余儀なくされましたどこかのユーチューバーが申してましたが年を取ると国際プロレスが好きになると・・・私はまさに、その通りジプシージョー・アレックス・スミルノフモンゴリアンストンパーなどが活躍していたころが懐かしい!
《玉袋筋太郎(浅草キッド)》+堀江ガンツ+椎名基樹/プロレス取調室抱腹絶倒!!~昭和レスラー夢のオールスター編~【×藤原喜明(フリー)、×渕正信(オールジャパン・プロレス)、×藤波辰爾(ドラディション)、×天龍源一郎、×グレート小鹿(大日本プロレス会長)、×木村健悟(品川区議会議員)、×越中詩郎(フリー)、×グラン浜田(74)(フリー)、×将軍KYワカマツ、×鶴
今週は、ワールドベースボールクラシック(WBC)の来年開催の放送が地上波テレビでできないことが話題だった。放送権又は放映権とは、一般にその主催者が放送局に試合や興行の映像を販売することで収益を得ており、その際に発生する権利のことである。昭和の頃のプロレスが正にテレビ局から払ってもらう料金におんぶに抱っこ。国際プロレスは、テレビ放送がなくなって、あっという間につぶれたし、全日本プロレス、新日本プロレスは放送してもらう代わりに、日本テレビやテレビ朝日から役員が派遣された。日本って国は、国際試合
8.26と言えば…。《プロレス夢のオールスター戦》バトルロイヤル、中央の背中は大仁田さんかな❓分厚い…いかにもレスラーらしい背中だね👍前田さんがヒョロい😂米村天心さんが居るのが嬉しい😊👍控え室写真の左下の後ろ姿は問題の草津さんかな…。それこそバトルロイヤルでも出れば良かったのに…。
☔️今朝の大衆演劇関連投稿〜&ポエムタイトル「国際プロレス臭のする劇場たち…🪰」国際プロレスかつてあったプロレス団体1981年8月をもって活動停止その後、解散(倒産)……主な解散の原因としてTV中継(東京12チャンネル)の打ち切り!それに伴う慢性的な資金不足そしてスター選手不足なんでも不足!不足!不足!不足!要は金がないとなんにもできない!これ常識!大阪大衆演劇界隈にも似たような事案が……要は金がない!金がないんじゃ〜なん
私は投票権を得た時からプロレス関係の人に投票することにして来たまずいぶん投票してるのでテキトーになってしまってますがプロレス関係というのがテキトーって気もしますが最初国際プロレスのレフェリー阿部脩参院選全国区『プロレス界が超党派で応援する』ってキャッチフレーズだったと記憶するで今回ラサール石井がアントニオ猪木みたいにカタカナと漢字プロレスラーのリングネームっぽいから
7月9日水曜日〜その43時15分に入眠。5時20分、目が覚める。キリンのやわらか天然水、くらしモアのむヨーグルトプレーンで喉を潤す。熊本和栗庵栗好きを食べて、6時半から9時まで二度寝。プロレス専門誌『GSPIRITS"テキサスの荒馬"テリー・ファンク』P078〜085「国際プロレス外伝刊行記念インタビューマイティ井上元IWA世界タッグ王者国際プロレスのタッグ戦線を紐解く【前編】聞き手清水勉」を読む。10時より11時55分まで三度寝。雑事少々。12時45分から13時55分まで
7月6日日曜日〜その33時20分に眠る。5時25分、目が開く。キリンのやわらか天然水、くらしモアのむヨーグルトプレーンで喉を潤す。プロレス専門誌『[追悼特集]"テキサスの荒馬"テリー・ファンク』P054〜065「短期集中連載‐第3回シッシー、国際プロレスLOVEを語る証言宍倉清則元MATFAN会長」を読む。国際プロレスに初参戦した時の上田馬之助選手のことに触れている。(写真)菊水丸コレクションの上田馬之助選手のスナップ。與兵衛桃林堂水ようかんを食べる。
6月13日金曜日〜その32時に休む。4時40分、目覚める。(写真)夜明けの南山城村。信楽方面を望む。キリンのやわらか天然水、森永ビヒダスのむヨーグルト。プロレス専門誌『GスピリッツVol.69アントニオ猪木闘魂の記録』〜「短期集中連載−第2回シッシー、国際プロレスLOVEを語る証言宍倉清則」を読み、6時から9時45分まで二度寝。泉佐野の水でつくったピーチサイダーを飲む。10時より11時まで三度寝。首のストレッチ。四股10回。体重68・6キロ。飲料は、カルシウムの多いミルク、