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牛に乗ってお帰りのご先祖様達・・・案外ディープインパクトでお帰りあそばしたかもね~お盆の後のお楽しみは・・・ワタクシメの教室サロンドルミエールの生徒様から教えていただいた「シースルーほおずき」昨年作ってみたらその簡単さと美しさに魅了され今年も作ることに致しましたはいこれだけですほおずきをRalphによるPixabayからの画像1個1個茎から外してお盆飾りのために縄に取り付けてガーラン
日本人があまりお召し上がりにならない食材のひとつそれはチーズでは無いでしょうかlipefontes0によるPixabayからの画像確かに和食になかなかチーズは登場致しませんねしかし実は古くは飛鳥時代から平安時代に「蘇」とか「醍醐」とか呼ばれて貴族達の間でも贅沢品として扱われていた食材でした国際的に見ても人類初の加工食品だと位置付けられているいにしえから人間を支えた食材ですpixabayヨーロッパではお食事の材料としてお料
それはチーズですねOldiefanによるPixabayからの画像海外では食後にチーズを沢山お召し上がりになりますデザートの後にチーズをお召し上がりになるのが英国式コース料理の順番としての国際的なスタンダードですフランス式ではメイン料理の後にチーズが登場致しますホームパーティーでも食後のデザートの後チーズをご用意するなら最高に素晴らしい締めくくりとなるでしょうRitaEによるPixabayからの画像どのようなご
https://news.yahoo.co.jp/articles/918c68788de2a7463d32f0e42d2cc8a8a8da517a機密情報取り扱い資格、企業から未整備危惧の声有識者会議産経政府は14日、機密情報の取り扱いを有資格者のみに認める「セキュリティー・クリアランス(SC、適格性評価)」の制度化に関する有識者会議の第2回会合を東京都内で開催し、民間企業から制度設計に向けた要望などのヒアリングを実施した。ヒアリングは国内の電機メーカー2社に実施。企業側か
こんにちは!2020年3月国際ビジネス研究専攻の卒業生です。もともとアパレルが好きで、卒業後は(株)オンワード樫山に就職しました。今は同じアパレル業界で世界に500以上の店舗を有するグループの日本法人、ゼニアジャパン(株)で働いています今は心斎橋の店舗勤務で、スーツなどを取り扱っています。皆さん良ければ是非足を運んでくださいZegna(ゼニア)店舗-Osaka-1-6-18Shinsaibashisuji,Chuo-kuZ
今まで、それでよかったんだから、それでいいじゃない…これ、超日本人的発想。確かにね、それで上手くいっているなら、変に変えることはないけれど、でも、もっといい方法があったら、どんどん取り入れていったほうがよくない?でも、それがベターチェンジじゃなかったら今のままのほうがいいし…。え~~~!!!やってもいないのに、ど~して結論を出すの?しかも、マイナスの…で、思うに、ここでも、日本と海外の発想の違いが出てるな…って。『今ある条件でやれ
帰国子女じゃなくたって国際ビジネスはできるよ。これ、帰国子女じゃない私だから言える言葉以前、私が尊敬するコーチングの先輩、Chrisさんから言われたこと。僕たちは、気が付いた時には両方の言葉を話していた。だから、YoUMeさんのように日本に居ながらにして、どうやって、英語をマスターするかについては僕たちは教えられない。それは強みだと。それと同じ。だからこそ、今、海外の仕事がしたい…でも、英語が…と、心がひるんでいる人がいたら、是非
この地球上には沢山の国と地域が存在します現在国連に加盟しているのは196の国と地域加盟していない国と地域を足すと・・・200以上になるでしょうか200以上もある国と地域ですがたった2つに分類されますそうです・・・ローランドさんがいる国といない国1.王室・皇室のある国2.共和国どちらにも良さがあり、欠点があります歴史もあり汚点も誇りもありますこの二つ全く違いますあなたはどちらに属していらっしゃいま
日本に伝わる独自ルールを国際的なスタンダードに変えてゆきたいロンドンの国際マナーズ専門校にて複数回学んだ内容から王室皇室に属さない一般的な方々のためのビジネスクラスの方々の国際ビジネスマナーズ&エチケットをお伝えいたしておりますご好評につき2回目となりました「日本独自ルールご紹介」今回はテーブルマナーズでございますでは早速、はじめましょう!!洋食をお召し上がりになる時円卓に座っていらっしゃる上座の方のお食事の・
国際マナーズテキストクラスでは毎月テキストをお渡しして1年間で1冊の国際マナーズブック完成となります必ず朝食メニューが登場しお食事のいただき方を復習いたしますとにかく英国の朝食はいただき方が難しいのでカトラリーの練習に最適でございますフォーク1本でスプーン1本でお召し上がりになる方は日本の価値を下げますので日本人だとはおっしゃらないように!!さて!!どのようにお召し上がりになりますか?ジュースやお紅茶と一緒にどのようにお召し上
日本に伝わる独自ルールを国際的なスタンダードに変えてゆきたい国際的なスタンダードが生まれた国イギリスロンドンの専門校で数回学んだ国際マナーズの中からビジネスパーソンにふさわしい国際ビジネスマナーズ&エチケットをお伝えしておりますみなさまのビジネスのスキルアップにつながりそれは延いては日本の価値を高めていただくことができます今まで日本に伝わるビジネスマナーズには伝言ゲームの間でなのか、どこかで間違ってしまったのか全く違ってしまったも
まずは、Happybirthday,自分自身Happyanniversary,会社本当は、タイトルをこの先の20年を見据えて~ってしたかったのですが、ん?20年…それって、私が75歳の時?!え~~~!!!と思って、15年にしましたwwいずれにしろ、これからの15年、私自身としては、これまで経験してきたことと、私がスピリチュアルと謳っている能力を使って、自分のやりたいことがある人の夢をかなえるサポートをしていきたいなと思っている
こうやって振り返ってみると、人の人生って、いい意味でも、悪い意味でも人との縁によって、紡がれていくんだなぁ…ということ。もちろん、その縁を紡ぐのは自分自身。ただ、この紡ぐべき自分自身を時に、人は、他人に求めてしまうため、気が付いた時に、私の人生、こんなはずじゃなかった…と嘆くことになるのですが、でも、そのことに気が付いたら、そこから、自分の手と足で自分の人生を紡ぎ始めましょう…って。そして、ある時、自分の人生を振返ってみましょう。その時、自
正直、オリンピックのことをこと細かく(?)書くには、自分自身のことを含め、まだ現役の方もいらっしゃるので、おそらくは、15年後、私が70歳になった時にでも、【それからの15年】とか題して、寛斎さんの時のように今だからこそ書けるwwなんて話にしようかなと思ってますが、姉の言葉を借りれば、この時の私は命を削って頑張ったんでしょう…?!そんな感じでした。オリンピックは動くお金もそうですが、地位と名誉に関しても、相当なものです。競技者でもな
イベントも捨てたもんじゃない…気を取り戻したにも関わらずそれから、約10年後に2度目の倦怠期(?)に襲われたのはおそらく、同じことをしていることに飽きたから。こんなことを言うと、おこがましいと言われそうだが、私のビジネスは基本、海外との調整業務。そして、ある時、気が付いた。なぜか、日本の人は同じところで転ぶ…単一民族国家(厳密に言うとそうではないですが…)そのため、言葉を介さなくても、その背景にあるものが共有できてしまっている…だから
オリンピックの話に入る前に、やはり、私のイベント業界引退の思いを思いとどまらせた通称・世界バスケ、バスケットボール世界選手権の話をここでしておきたい。このプロジェクトに関わっていなければ、私が、その後、洞爺湖サミットや2015年、仙台で開かれた国連防災会議に関わることもなかった。この時の私は、おじさんたちとの戦いに疲れて、もう、イベントは十分と思っていた。だから、最後に何かしたい…そんな時に来た話だったので、うなずいた。正直、個人事業主にとって、
不払い後、順風満帆だったかのような私のビジネス人生、な~んて風に行かないのが人生ww英語を諦めようと思ったこと、2回。イベントを辞めようと思ったこと、2回。いくら、英語に特化したとはいえ、現場では、いろいろある。ウィスパリングをしたにも関わらず、てめえ、早く言えよ!!!と恫喝される。イベントの現場は、どうしても睡眠不足や体力を消耗するため、人が本能的に戻る。なんで?!私だって、今、耳に入ってきたことを伝えただけのに…心が折れそ
私の名前がなぜ、アジアで広まったのか?その話をする前に、昨日の割の合う、合わないの話に下記のようなコメントをもらった。私も割の合わない仕事をたくさんしてきたけれど、何一つ、プラスに結びついていません。このコメントに対する回答は、私の名前が、なぜ、アジアで広まったかという話に通じるので、書いておくと、それは、人から言われてやったから。そして、割の合わない仕事を割の合う仕事にしようとしなかったから。そして、人のために…という思いがなかったから。私の仕事も割
ここで、一言、書いておきたい。もし、この時、私が、自分で何とかするではなく、お願い、誰か助けて!とすがっていたら、この後の展開はなかったと思う。YoUMeさんは運がいいから…いや、本当に運が良いなら、3000万の不払いは受けないでしょうww自分で何とかすると動いたから、扉が開いたのだと。ただ、この話をすると、自分で何とかするを勘違いする人がいる。例えると、子供がお腹が空いた~と、その場で足踏みして叫ぶことを何とかすることだと思っている人
この時のことを振り返ると、やはり起こるべくして起きたんだなぁ…と思うところもあるし、また、最近の風潮として、仕事をもらうにあたって、割が合う、割が合わないと言っている人たちを見ていると、裕福なんだなぁ…と思ってしまったり…。そんなこと、言ってられなかった私。そんなこと、考えられもしなかった私。ただ、頑張るしかない。もし、あの時、新庄監督の「わいたこら」が出版されていたら、愛読書になっていたと思うwwわいたこら。人生を超ポジティブに生きる僕の
円安が150円になる可能性も出てきたけどまだ、鎖国やってる場合じゃない。今、開国しないと日本国っていつ外貨を稼げんの?って感じなんだがま〜夏に、開国すんだかどうかも微妙です。でも、鎖国が明けたらまちがいなく激安ジャパン!で食い倒れお買い物マッサージなどなどしたい外国人が押し寄せてくるのに何の準備もしてない方GWに自分が消費してる場合じゃないです。皆さんの周りにある日本の商品を外国人に売る準備を
さて、意気揚々と転職活動を始めたが世間はそれほど、甘くなかった~~!!!って書くと、「あれっ?!」って思う人がいると思う。独立から25年。法人化して20年。どんだけ気合い入れて独立したんかいな?と思うのが普通。でも、正直、この時、独立しようなんて気は微塵もなかった(^^;;だから、あなたみたいに面白いことしてきた人にはうちでは務まらないよ…と言われて、10数社、断られた時、真面目にまずい……まさかの失業者…と蒼ざめた。何か
寛斎事務所での3年は、何しろ、一心不乱、走り続けた3年だった。そして、この3年間を通じて私が培った信条は、この5つ。相手を信じ切ること。何とかなるではなく、何とかする。土俵際の頑張り。苦しい時は、その先にある楽しいことを心の糧にする。最終形/青図からの逆算による計画の大切さ。私は、他の人のように周りをキョロキョロっと見て動くことができない。不器用極まりない。だから、この人は…と思った人とどっぷり四つに組むことしかできない…(^^;;だから、相
本番が始まる…ただ、ベトナムの時のような高揚感はなかった。正直、心も身体も重かった。でも、やらねばならない。それだけだった…開始10分前。時間に緩いインドの人達。それに比して、世界最高峰のセキュリティチェック…会場周辺には入りきれない人だかり。このままスタートしたら暴徒化する危険があると、プロダクションから連絡が入る。舞台監督に、暴動が起きるかもしれないから、もう少し待ってくれとトランシーバーで懇願する。俺はもう待てん!!!
2年間で、20回を超えるインドへの出張…誰が予想しただろう。でも、何しろ、現地に足を運ばないとものが進まない…インド航空に協賛をもらっていたとはいえ、タダではない。しかも、日本にいる間、昼夜を問わず、インドのカウンターパートナーに電話をする。経費との戦い。電話代が13万円を超えたとき、会社から電話番号の履歴リストが渡された。ん?宛先を横に全て書き込むよう言われた。いじめかい!と思ったが、意外とこういう単純作業は苦じゃなかっ
あの頃、何が何でもインドのイベントを成功させたかった…だから、プロダクションの言うことは全てやった…あっちに行けと言われれば、あっちに行き、こっちに行けと言われたら、こっちに行った。もちろん、日本人会にも足を運んだ。ただ、彼らが影響力を持つのは、インドにいる日本人に対してのみ。インドでのスポンサー集めや広報といったことは、プロダクションでなければハンドリングできなかった。ただ、そんな私を見て、ある日、寛斎さんが叫ぶ!お前はインドに染まりすぎ
どうやって、DNAにたどり着いたか、もう、さすがに覚えていないが、彼らでよかった。本当に感謝している。ものすごく紳士だった。そして、ビジネスマンだった。考えてもみれば、インドの上層部のほとんどが、イギリス留学経験者。そこで世界のビジネスを勉強してた。かなうはずがない…しかも「ゼロ」を発見した国。街中でも、単に教育が行き届いていないだけで地頭がとてもいいことはすぐにわかった。人種差別が区別に変わってから、彼らに対する私の見方は完全に変わってた
さて、28年前のインド。想像できるだろうか…?時は、丁度、日本でサイ・ババやアガスティアの葉といったインドブームが始まった頃。インドは呼ばれた人しか行けない…こんな都市伝説も広まった…とはいえ、今でもインドとのビジネスはギブアップ!と言う人がいる国。約束の時間に来ないのは当たり前。30分以内に来たら、すごい!感動…住所も整備されていなかったから、打ち合わせ場所も、近所に行ったら、運転手さんが車から降りて、近所の人に場所を確認するような感じ。