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【問題】駿河国の国衆・葛山氏元は、次のうちどのように誅殺されたと伝わるか?【選択肢】善光寺で暗殺された筑波山で磔にされた三宅島に放置された諏訪湖に沈められた【正解】諏訪湖に沈められた【解説】葛山氏元は駿河国駿東郡に地盤を持つ国衆で、北条・今川・武田の間を生き抜いた。しかし、武田麾下にあった際に北条への内通が露見し、諏訪湖に沈められたという。
戦国期国衆同士の経済活動――肥後「山之上三名字衆」と筑後「三池氏」の木炭供給、ならびに出田一要書状にみる同田貫鍛冶の前史――田尻善裕
【問題】志加奴氏とは、次のうちどの国の国衆か?【選択肢】因幡国佐渡国遠江国出羽国【正解】因幡国【解説】志加奴(しかの、鹿野・志賀野・志加野)氏は因幡国の国衆である。鹿野城(鳥取県鳥取市)を居城としていたが、天文13年(1544)尼子晴久に攻められ落城した。
【問題】山内隆通とは、次のうちどの国の国衆か?【選択肢】長門国備後国石見国伯耆国【正解】備後国【解説】山内隆通は、備後国の国衆・山内首藤氏の当主である。同国内では大きな勢力を持った独立性の強い領主であったが、毛利家に従属し次第に家臣化していった。
私は、これまで肥後の戦国時代の国衆である「山之上三名字」を知る為に、関連する文献などを読み直してきていたのですが、その中で、一つの手紙から、長年の疑問を紐解く、一つの光を見出しました。今回、この事を書いてみる事にします。これまで、「山之上三名字」について書いて来たのですが、(こちらを参照)名称があらわすように、金峰山周辺を「田尻・内田・牛嶋の三家」が中心となり治めた国衆です。私は、現在でも山深い地域が、どうやって経済力を生み出していたのか、資料を紐解くことにより、有明海の海運利
歴史資料を読んでいる中で、刀に特化した文章が有ったので、勉強ついでに翻訳を試みました。個人的に推察も含めながらなので、完ぺきではないが、一応の意味は理解できると思います。ここに取り上げる「田尻鑑種」は、筑後の最有力豪族(国衆)で、戦国時代は、最初、大友家についていたが、後に龍造寺・鍋島に帰順する。島津からは、肥後八代の支配を依頼されるなど、九州戦国史では、外せない武将である。朝鮮出兵時の従軍記録「高麗日記」を著した戦国武将で、筆まめなのかもしれない。その田尻鑑種が残した手紙に、「刀数之日
【問題】毛利広盛とは次のうちどの国の武将か?【選択肢】美濃国能登国石見国上総国【正解】美濃国【解説】毛利広盛は美濃国八神城(岐阜県羽島市)主である。はじめ斎藤氏、その後、織田信長、豊臣秀吉に仕え、関ヶ原の戦い後には尾張藩に仕え家名を保った。
【問題】天正7年、長宗我部軍の侵攻を受けた讃岐の国衆・羽床資載は、次のうちどのような対応を取ったか?【選択肢】織田信長のもとへ逃れた間道を使い高知を襲った人質を出して降伏した野戦で迎撃し戦死した【正解】人質を出して降伏した【解説】羽床資載は羽床城(香川県綾川町)を居城とする有力な国衆だった。天正7年(1579)、長宗我部氏が讃岐に侵入するとよく戦ったが、最後は人質を出して降伏した。
熊本の藤崎八幡宮に奉納され、現在、八幡宮の「一の太刀」とされている、刃渡り114.8cm、全長154.5cmの大太刀があります。戦国時代、肥後の国衆だった「大津山弾正資宗」が帯刀していたと伝わります。(写真は「地域の宝もの」より)肥後の国衆関連のモノが現存している事例は少ないので、大変貴重な資料です。所有者が何故わかるかというと、太刀の茎(なかご)に銘と供に刻まれた署名が残っているから太刀の作者は「元国」作。室町時代の作とされ、延寿派と云われている。刃文は広直刃
5,三名字ゆかりの寺院・神社1,三名字一族先祖より安置スル寺院十余ケ所有、浪人以後大破に及、今終二四ケ所残ル金峰山岳麓寺、禅曹洞宗也、嶽村に有、田尻建立三嶽山浄正寺、禅曹洞宗也、大多尾村ニ有、内田建立、清光山江月庵、禅曹洞宗也、河内村に有り、牛嶋建立経岳山寶積寺、禅臨済宗也、野出村ニ有、上妻建立、四カ所の寺院修理年貢等、今に三名字各これを務、大破の寺跡も小堂今に有三名字建立ノ神社漢高祖ノ社嶽村ニ有、田尻建立、阿蘇若宮神社河内村ニ有、牛嶋建立、春日大明神社大
4,山之上三名字衆に係る伝承これまで特に取り上げたものが無いので詳しく拾い上げた「木綿の栽培」記録では小天(おあま)(熊本県玉名市天水町)の領主でもある田尻駿河守は、「小海子駿河守」とも呼ばれていて、小天にて「木綿」の栽培をしていた。記録にある時代(1500年代中頃)の栽培は日本でも初期であり(1600年頃最盛期)、田尻氏は貿易に力を入れていたと思われる。子守歌「天ヶ庄」霊巌洞物語:内柴御風著巌殿山縁起より菊池氏全盛時代の頃、河内平山から菊池家へいっていた乳母が菊丸公をおん
2,金峰山周辺の歴史1,南蛮貿易拠点、伊倉・高瀬湊(玉名)への通り道有明海に面し、中世の海外貿易港である高瀬・伊倉港への通り道であること。菊池川は、古くは出土品が国宝になっている江田稲荷山古墳でしられる古墳時代から交易の拠点となっていて、後にその港は、菊池家が貿易拠点としていた重点地区であり、豊臣秀吉や加藤清正も直轄地とした。1600年代の唐人墓地があるように、外国人商人が家を構えていた。またアルメイダ等宣教師もきており、高瀬の名はイエズス会の手紙にも出てくる。また、僧が中国へ
一度取りまとめてみたかった肥後の中世戦国時代の国衆、山之上三名字衆について取り上げてみました。「国衆の定義」戦国当時、肥後には52人の「国衆」がいたとされる。国衆とは自分の所領を持ちながらも、守護やその時々の勢力によって誰に与するか判断しながら戦っていた。52人との出典は豊臣秀吉が佐々成正に出した「佐々肥後国受領之時五ケ条之制書」や国衆一揆平定後九州の諸大名に宛てた「陸奥守前後悪逆之事」に「国衆=国人」を城主と指していることから52の城主=国衆とみなす。(他説では54名または
【問題】出雲の国衆・赤穴盛清は、永禄5年毛利氏の侵攻を受けた際、どのような行動を取ったか?【選択肢】城を枕に討ち死にした海路、隠岐国へ脱出した本領安堵を条件に降伏した城を明け渡し京に隠棲した【正解】本領安堵を条件に降伏した【解説】赤穴(あかな)盛清は、出雲の瀬戸山城を本拠とした有力な国衆であった。尼子氏に属していたが、永禄5年(1562)に毛利元就の侵攻を受けると、本領安堵を条件に降伏した。
【問題】能勢頼次とは、次のうちどの国の国衆か?【選択肢】周防国摂津国信濃国下総国【正解】摂津国【解説】能勢(のせ)頼次は、摂津国能勢郡の国衆である。本能寺の変後に明智方に与したため失領するが、後に徳川家康に接近し、関ヶ原の戦いの論功行賞で旧領を回復した。
【問題】信濃国の国衆である大嶋氏・片切氏・赤須氏らを総称して、次のうち何と呼んだか?【選択肢】武川衆春近衆九一色衆津金衆【正解】春近衆【解説】信濃国伊那郡の春近領という地に勢力を張った大嶋氏・片切氏・赤須氏・飯嶋氏・上穂氏らは春近衆や春近五人衆などと呼ばれる。後に武田氏に組み込まれた。
【問題】肥後の国衆・隈部親永の銅像は、次のうちどこに建てられているか?【選択肢】矢護川公園寄鶴官軍墓地あんずの丘肥後大津駅【正解】あんずの丘【解説】熊本県山鹿市菊鹿町のあんずの丘に、平成23年(2011)隈部親永の銅像が建てられた。台座を含むと約10mの大きさで、県内では最大級の武士の銅像という。
【問題】宍戸元源は、次のうちどの国の国衆か?【選択肢】安芸国伊賀国遠江国筑後国【正解】安芸国【解説】宍戸氏は安芸国の有力な国衆で、所領を接する毛利氏と抗争を繰り広げていた。しかし、元源(もとよし)の代に毛利元就と婚姻関係を結んで和睦した。
【問題】戦国期にかけて山城国乙訓郡を中心に割拠した国衆などの集団を、次のうち何と呼ぶか?【選択肢】宇治奉公衆西岡被官衆五条直参衆鞍馬武士衆【正解】西岡被官衆【解説】乙訓郡(おとくにぐん)周辺の、西岡(にしのおか)と呼ばれた地域には、室町幕府に仕えた神足氏や鶏冠井氏らが割拠し、西岡被官衆、西岡衆などと呼ばれた。
【問題】滝野吉政とは、次のうちどの国の国衆か?【選択肢】伊賀国志摩国壱岐国飛騨国【正解】伊賀国【解説】滝野吉政は、伊賀国柏原城(三重県名張市)を本拠とした国衆である。第二次天正伊賀の乱では総大将を務めて織田軍を迎え撃ったが、衆寡敵せず降伏した。
【問題】≪難問≫薩摩の国衆・入来院氏の勢力の大きさを物語るものとして正しいものは、次のうちどれか?【選択肢】明と独自の勘合貿易を営んでいた代々関白の縁者を妻に迎えていた筑前や筑後にも所領を有していた領内に堺商人の出先機関があった【正解】筑前や筑後にも所領を有していた【解説】薩摩の入来院(いりきいん)氏は、同国入来院の他に薩摩郡の永利名山田・草原や、筑前・筑後国内にも飛び地を持つ大身であった。後に島津忠良に従った。
【問題】本堂忠親とは、次のうちどの国の国衆か?【選択肢】豊前国三河国伯耆国出羽国【正解】出羽国【解説】本堂氏は出羽国山本郡(現在の仙北郡)に勢力を持った国衆で、忠親の代に豊臣秀吉に臣従、本領を安堵された。朝鮮出兵では軍を率いて肥前名護屋に在陣した。
・赤坂太輔氏の『フレームの外へ』を買った書店で購入する。・『戦国の忍び』、『図説武田信玄』と続けて平山優氏の著書を読む。・天正壬午の乱は、単なる旧武田領国(最末期の織田領国)をめぐる争乱という以上に、戦国争乱の終焉に向けた地域統合を基盤にした、新たな政治・軍事的潮流を生み出し、それを最後まで規定し続け、豊臣政権の東国進出に政治・軍事的正当性を付与する結果をもたらした画期的事件であったと評価できよう。本書349㌻12~15行を引用平山優著『天正壬午の乱本能寺の変と東国戦国史増補
・駅ビルの書店で購入する。・国衆は独自の領国と家臣団を有し、それを自立的に維持していた。しかし戦国大名同士の抗争のなかで、単独で大名に対抗することは難しかったため、他方の大名に従属して、その軍事保護をうけることで、自立的な領国を維持したのである。そしてその大名との関係は、簡単にいえば、契約に基づいた緩やかな主従関係、と表現できるであろう。したがってそれは「戦国領主」論が想定した「守護権」などのように、室町時代までにみられた職掌に基づいたものではなかった。それはあくまでも、戦国時代
【問題】上野国の国衆・和田業繁が戦死したのは、次のうちどの戦いでのことか?【選択肢】忍城の戦い川中島の戦い長篠の戦い沼尻の戦い【正解】長篠の戦い【解説】和田業繁は上野・和田城の城主で、初め守護上杉氏、後に武田氏に属した。長篠の戦いにも参戦し、君ケ臥床の砦を守ったが、徳川軍の奇襲を受けて戦死した。
【問題】徳川家康の神君伊賀越えを助けたことでも知られる多羅尾光俊は、次のうちどの国の国衆か?【選択肢】和泉国伊勢国紀伊国近江国【正解】近江国【解説】多羅尾氏は、近江国甲賀郡信楽荘を本拠とする国衆である。光俊の代に徳川家康の神君伊賀越えを助けて功があり、江戸時代を通じて信楽の地を治めた。
【問題】土持親成とは、次のうちどの国の国衆か?【選択肢】石見国日向国河内国美作国【正解】日向国【解説】土持親成は日向国北部を領した国衆である。同国の伊東氏と争う関係上、豊後の大友氏に臣従するが、後に島津氏に通じ、大友氏の日向侵攻を受けて滅亡した。
以前からのお知り合いで、丹波北桑田郡・今宮城にもご一緒させていただいた【家紋ワールド】【武家家伝】でおなじみ、播磨屋さんが今の私の興味にピッタリな書籍を出版されるとのことで直接購入をさせていただいた。今の京都府中部+兵庫県東部にわたる、旧・丹波国の国衆をが詳細に説明されている。城でいえば、山垣城(足立氏)、小室城(芦田氏)、後屋・高見城(赤井氏)、黒井城(荻野氏)、岩尾城(和田氏)、玉巻城(久下氏)、余田城(余田氏)、鹿集城(吉見氏)など…氷上郡だけでこんなに!播磨屋さんの得意分野
NHK大河ドラマ『どうする家康』の考証担当の著者がドラマ制作発表より前に著した家康の評伝です。現代の家康研究の成果を基に、「中世から近世へ」シリーズに最もふさわしい人物と言える家康の生涯をまとめています。家康の家臣・大久保忠教の著した『三河物語』をはじめ(というより元凶?)、これまで家康の生涯を語る際に取り込まれていた「松平・徳川中心史観」を廃し、本書発売前後の大河ドラマである『真田丸』や『おんな城主直虎』で境目の領主に注目が集まっており、家康も当初はその一人であったことから国衆と
戦国時代は名だたる大名が天下を巡って争ったというイメージが世の中では定着していますが、近年はその傘下に従属する国衆と呼ばれる彼らの支配する領域内において排他的な権力を持った存在が知られています。本書ではかつて国人と呼ばれていた国衆の実態を、国衆の側をクローズアップする形で解説した一冊です。国衆は戦国大名に従属する存在でありながら一定の独自性を持ち、どの勢力に属するかはあくまで国衆の意思によるものであり、その結果として真田昌幸や宇喜多直家のように生き残るために大勢力の間を遊泳する国