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○大河ドラマ『光る君へ』◇2024年NHK大河ドラマ『光る君へ』公式:人物録一覧大河ドラマ『光る君へ』人物録一覧|番組|NHKアーカイブス2024年第63作大河ドラマ『光る君へ』は、平安時代に、千年の時を超えるベストセラー「源氏物語」を書き上げた紫式部が主人公。彼女は藤原道長への思い、そして秘めた情熱とたぐいまれな想像力で、光源氏=光る君のストーリーを紡いでゆく。変わりゆく世を、変わらぬ愛を胸に懸命に生きた女性の物語。このページでは主演の吉高由里子さんをはじめ、人物録に掲載した出
こんにちは!Scoti-manです。2025年10月29日午前2時頃にリリースされたCK3の最新DLC「AllUnderHeaven」。本DLCの目玉の一つ、867年シナリオ、平安時代の日本でプレイしていきたいと思います。(867年シナリオ日本の概要はこちら↓)CK3AllUnderHeaven日本の概要|WNHシミュレーションゲームの部屋平安貴族プレイ、ということで誰を選ぼうかいろいろ迷ったのですが、今回はこの方で頑張ろうと思います。当主由尾・・・誰?
「日本の歴史」第5巻『律令国家の転換と「日本」』を読みました。著者は歴史学者の坂上康俊氏。本書で扱うのは平安時代の初期――九世紀。平将門が生きた十世紀前半という時代を準備したのは、九世紀であると言える(歴史は地続きですからネ)。九世紀を理解することは、将門公を理解することにつながる――と信じて、本書を読みました。例によって将門研究の一環です、ハイ。九世紀は、律令制に基づく政治の不備が表面化し、紆余曲折を経ながら政治制度が再構成された時代と言えます。その変遷は多岐にわたっ
【902年】延喜の荘園整理令って何?〜平安朝廷が挑んだ「土地バスター作戦」〜🏯権力の構図〜寛平の治と藤原氏〜9世紀末、宇多天皇は「摂関なしで自分で政治やる!」と寛平の治をスタート。これは藤原氏のパワーを抑え込む一時的な成功でした。しかし、醍醐天皇の時代になると藤原時平が中心へ。天皇と藤原氏のバランスゲームが始まります。📜延喜の荘園整理令とは?902年、醍醐天皇と藤原時平が出した命令が延喜の荘園整理令。目的①:勝手に作った荘園を取り締まり、国の土地に戻す。目的②:地方役人
『書道技法講座10高野切第三種』(植村和堂編/二玄社)より選句、習字非としれ春於もふこゝろゝはる可春み多ちてゝ支み可めにもみえ奈ん人知れず思う心は春霞立ち出て君が目にも見えなん人知れず思う心は、春霞のように立ち表れて、君の目に見えるようであって欲しいものですIhopethatthesecretthoughtsinmyheartwillemergelikeaspringmistandbevisibletoyou.この和歌は、作者の藤原
今は昔、陸奥(東北地方太平洋岸)の前司(前任の国司)に、平朝臣孝義(たいらのあそんたかよし、朝臣は姓の敬称)という人がありました。その家に仕える人で、字(あざな)を藤二という人がありました。本名はわかりません。孝義が国司としてかの国に参るとき、先に検田(耕作地の面積や耕作者などを調査すること)のために、藤二を派遣しました。検田していると、田の泥の中に一尺(約30センチ)ほどの地蔵菩薩の像が半ば埋まっていました。藤二はこれを見て驚き、急いで馬から降りて引きだそうとしましたが、まるで重い石のようで
前回からの続きです。小幡城の後は昼食を挟んで石岡市の常陸国総社宮を訪れました。総社とは律令制の時代に地元の神々を一ヶ所に合祀した神社です。寛永4年(1627年)に造られた勅使門は檜皮葺きで境内最古の建築物だとか。😲常陸国風土記ではヤマトタケルノミコトは「倭武天皇」とも記される特別な存在で東征の際、この石に腰かけたと伝わります。江戸末期、当地は府中松平藩の領地でしたが手塚良庵という藩医がいたそうです。なんと!手塚治虫さんのご先祖様らしい。へ~っ!
家康の家臣に「伊奈備前守忠次」という名前の人がいますけど。なぜ関東が領地の徳川の家来が、備前守という名前なの?備前守というのは「備前国(今の岡山県の半分)の国司」という官職(朝廷から任命される職務に対応した肩書)です。しかしもちろん、伊奈備前守忠次は備前の国司でもないし備前に領地も持っていません。備前守は、実際の彼の仕事(関東郡代)とは全く関係ない、つまり名目だけの肩書です。武士の名乗る「何とかの守(かみ)」は、多くの場合、本当の支配地や居住地とは関係ない地名です。なんでか。たとえば
源頼光は、大宰府で“刀伊”と戦ったりはしていない。源頼光は、国司になっても任地には行かず、在京。源頼光は、藤原道長の父・兼家の時代から道長の家で護衛として働いていた。源頼光は、藤式部の娘と同年代ではなく、藤式部と同年代か少し上。“大江山の鬼退治”は、源頼光に下された勅令「大江山夷賊追討令」を脚色。というわけで、大河ドラマ“光る君へ”の源頼光でなはく、「歴史のお話」“源頼光”の録画、御覧下さい。↓↓↓↓↓↓↓https://www.youtube.com/live/V0VrkN
因幡国庁跡・・鳥取県鳥取市国府町中郷※昭和53年に国の史跡に指定された。上から正殿跡(国司が政務や儀式を執り行う所)後殿跡(国守が政務を執り行う所)模型※国司とは、長官の「守」、次官の「介」、三等官の「掾(じょう)」、四等官の「目(さかん)」など地方の国のお役人の総称。(説明板より)大伴家持の歌碑・・鳥取市国府町庁(今日ご紹介の歌)近くにある、在原行平の歌碑(855年、因幡守に就く)「たち別れいなばの山の峰に生ふるまつとし聞かば今帰り来む」※この
11/23(土)、福井県越前市にある紫式部公園に行ってきました隣接する紫ゆかりの館(紫式部と国府資料館)の駐車場に車を停めて中に入ると、なかなか雰囲気のあるよく整備された公園でした時代が古過ぎて、リアリティというよりは大部分イメージで造られたものと想像しますが、ほんとに素敵な出来栄えでした公園の目玉が黄金輝く紫式部像京都に向かって建つ像はたいそう立派でした季節柄、庭園内の木には雪吊りが施されていましたもうすぐここも雪で覆われるんでしょうね連休でした
令和6年10月20に、大分市高松の鷹松神社秋季大祭に行った!遅く行くと駐車場が無いので早めに出掛けた!雲取神楽社の皆様お疲れさまでした!
徒然草第百九十八段揚名介(ようめいのすけ)という役職だけでなく、揚名目(ようめいのさかん)というのもあります。政治要略に載っています。これだけでは何のことやらです。「そうよ。この段では何を言いたいの?」”国司”は地方に派遣された官吏またはその官職です。派遣されていたのは守(かみ:長官)、介(すけ)、掾(じょう)、目(さかん)の四等官です。”揚名”は「名を揚げる」だけで、実を伴わないという意味です。という事で、”揚名介”は、給付のない
将門記◇貞盛の苦衷(1)とりわけ貞盛は、身の振り方を朝廷での公務に定め、この事件が起きるより以前に花の都にのぼり、歳月を重ねていたのであるが、この事件の詳しい経緯を京都で聞くこととなった。そこで彼のお人は、その事情をつくづくと思案してみるに、「この貞盛は、先の常陸大掾・源護ならびにその子息らとは、たしかに同じ一族に属する仲間である。しかしながら、自ら加担したわけでもないのに、その縁のゆえにとんだ巻き添えを喰ってしまった」。厳父国香(くにか)の邸宅は、すべて焼き尽くされてしま
―受領は倒るる所に土をつかめ―これは受領(国司)の貪欲さをたとえた言葉です。そして、その様子を現代に残す一つに、永延二年(988)年に尾張国の郡司・百姓が、その悪政を朝廷に訴えた史料(『尾張国郡司百姓等解』)があります。では、どれだけ貪欲だったのか?第1条(全部で31ヵ条あります)だけでも。・3年間で(稲)43万1238束の正税で、12万9371.4束の利息を取った。これ、ちょっと考えてみましょう。この12万9371.4束の利息は、すべて自
物部大連・蘇我大臣は共に九州王朝の人物であった黒澤正延一,H・S氏から一通のメールが届いた。「乙巳の変」を巡る「蘇我馬子」について,氏は「近畿天皇家に対する目付け代官的な地位にいた」との見解を述べていた。この見解について,実は私も従来から同様な見解をもっていました。ただ,氏は,「九州倭国が推進していた仏教文化を(蘇我氏が)いち早く畿内に導入。(その結果)九州倭国の信頼を得ていた。」それによって「倭国の威光を背景に近畿豪族に君臨していた。」と論じています。しかし,
『光る君へ22話(ネタバレなしよ)』『光る君へ21話』『光る君へ20話』『光る君へ19話』『光る君へ18話』『光る君へ17話』『光る君へ16話』『光る君へ15話』『光る…ameblo.jpやっぱり犯人はお前か。笑1+1くらいの答え合わせだったな。早成「殺すつもりはなかったのです」殺すつもりはなかったマニア歓喜!凄い興味なさそうな周明。笑為時「朱を解き放て!あの子は人間だ!」冤罪は晴れたけど、完全に日本側のマッチポンプだと思われたよね。周明「親父は口減ら
NHK大河ドラマ「光る君へ」第22回。今回から越前が舞台になります。国司となって着任した為時。早速地元の役人が賄賂を持ってきます。その代わり在任中は政治に一切口を出すなというわけです。真面目な為時は断わります。すると早速嫌がらせが。地方政治の乱れは実際に数多くありましたので、こんな場面もあったことでしょう。一方、滞在していた宋人たちは何か企んでいるような雰囲気もあるのですが、為時とまひろは一応友好関係を築きます。まひろは若い宋人周明と顔見知りになります。この宋人
『古代豪族』を読みました。著者は、歴史学者の青木和夫氏。平将門の乱は、将門と常陸国司との対立が直接のきっかけとなって始まりました。その少し前には、将門は、武蔵国司と郡司との諍いに介入し、調停しています。将門の生涯を追っていると、国司との関係にばかり目がいきがちですが、郡司の存在も見過ごしにはできません。しかし、『将門記』に郡司の記述は少ない。本書『古代豪族』は、郡司に焦点を当てて書かれており、『将門記』の世界を理解するのに、大いなる助けとなりました。大化の改新以後、日本
名古屋大学出版会:中西聡編:「日本経済の歴史」とWikipediaと自分の想像より・・・奈良時代、公地公民で人も土地も天皇のものだったけど、743年墾田永年私財法で開墾したら自分の土地にできる法律が出来た。ま、開墾しても朝廷に税は納めるのだけど。一部、寺社や貴族は不輸租特権が得られ、朝廷に税を納めず、自分で税を回収してたらしい。開墾するのは農民だが、大富豪農民が下級農民を使って耕し、大富豪農民は中央の皇族・貴族に寄進し、荘官として地位を得た。その後、10世紀に荘園整理令で公
※こちらの記事は、平成21年8月30日に書かれたものです。皆様、ご無沙汰しておりました。8月に入って妙にあわただしく、なかなか時間がとれずに、いつの間にか季節の変わり目に突入してしまいました><そうこうしているうちにこのブログのアクセス数も落ちてきて、ちょっとあせってます(笑というわけで、今回は教育社歴史新書の10、森田悌氏著の『受領(ずりょう)』についてです。まぁ、受領というのは平安(へいあん)時代中期頃に富を蓄えた国司(こくし)たちのことですが、実は僕は、この辺の動向もだいぶ好きで
奈良時代に中央から派遣された国司が政務を執った役所跡で、笛吹市御坂町国衙に説明板や石碑があるが、場所は特定されていないらしい。
平日の早朝めっちゃ早起きして電車に乗り、職場の最寄り駅の手前何個めかの駅で途中下車しました。この辺りは、古代讃岐国府があった場所とされています。ちなみに、讃岐国司だった菅原道真もここで国司としてのお仕事をしていたんですね。開法寺という古代寺院があったと考えられる遺跡この周辺では僧房や回廊と見られる多くの建物の礎石が発見されています。朝から、たくさん歩いたので、この日は2万歩歩きました。
昨年に続き今年も萩原天神社の、夏季大祭に、女子マラソンがゴールした後に出かけた!神輿は、宮出しを終えていた!撮影準備が終わる頃、奉納神楽が始まる時刻となった!山田晃正様は、早くに来られていたようです。長浜神楽の方々に窓越しでご挨拶!五方礼始から始まった!令和五年萩原天神社夏季大祭長浜神楽保存会『五方礼始』2023年8月26日に、萩原天神社の夏季大祭で奉納された豊後流長浜神楽保存会の奉納神楽『五方礼始』です。神楽を奉納するに当たり五方(東、南、中央、西、北)を清める舞です
富士見ヶ丘団地には、会社の同僚や知人が住んでいたので、昔は、たびたび訪れていたが、定年で職場を離れたのを期に、知人たちは故郷へ帰っていったようで、訪れる機会がなくなった!団地の祭りに、七瀬子供神楽の舞台が上演されると聞いて、王子神社を経由して、富士見ヶ丘にたどり着いた。王子神社では、神輿の出御に間に合ったが、駐車場がないので、ほぼ素通りに近かった。知人の職場の駐車場に、空きはあったが事前に連絡してなかったので遠慮した。会場の責任者の方に、撮影許可を頂きました。お若い方のダンスや踊り等の
丹後掾曾根好忠◆丹後の原像【76.「丹後史料叢書」~「丹後舊事記」21】今回は丹後ゆかりの歌人を。平安中期の人物。ちょっと面白い歌人だったようです。~*~*~*~*~*~*~*~*~*~■過去記事『◆【丹後の原像】過去記事一覧』新井崎神社の鳥居越しに仰ぐ「冠島」「沓島」これまで本編記事内に過去記事一覧を設けていましたが、記事数も50本を超え煩雑になってきました。そこで別記事を上げてお…ameblo.jp~*~*~*~*~*~*~*~*~*~【読み下し文】一、丹後