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2024年4月13日の様子満開の桜🌸が素晴らしい眺めでした郡山🌿四季の里緑水苑🌿安達太良山を背景に清流五百川に隣接した約30000坪に及ぶ自然型池泉回遊式の花庭園です観覧時間春・夏8:30〜17:00秋・冬8:30〜16:00自然ふれあい券(場内協力金)500円福島県郡山市喜久田町堀之内赤津前71〜本宮市岩根字河原208-1📞024-959-6764おおざっぱな位置🌸桜花回廊道順案内🌸第一駐車場付近わぁ満開〜🌸五百川🌸発券所🐮牛の木🌸休憩所
こんにちは京都のkojiroです今日は2024年3月27日水曜日京都市内の今朝の最低気温は5.5℃、最高気温は15℃まで上がるそうです。学校が春休みになったためか京都市内では子供連れの観光客の姿を目にする機会が増えました。昨日は東京からお越しになられた取引先の社長から『京都駅付近のビジネスホテルのシングルルームが1泊25,000円もしたので駅から離れたホテルを予約した…』という話を聞き驚きました。いまの時期は京都市内の宿泊施設は『超』がつくほどの高値になっている
おはようございます💗庭園デザイナーのともかです。宮城県の樹と県花を入れた、平面図。回遊式庭園をデザインしてみました🎵回遊とは歩きながら、の意味1県の樹けやき花は萩だそうです。😋一休みする東屋、2箇所いれました。東京ドーム2こぶんとイメージして下さいね🍓🍓次はこれを透視図にして風景画になります🎵
滋賀水尾神社⛩️主祭神は、垂仁天皇の皇子・磐衝別命、継体天皇を出産された生母・振姫(比咩神)✨ご利益は、安産祈願・子宝・厄除け🌱です☺️祭神の磐衝別命は、猿田彦命の天成神道を学ぶために当地に来住し、朝夕猿田彦命を祀る三尾大明神を遥拝したと伝えられてるそうです☺️また、振姫命は、継体天皇の母であり、水尾神社の拝殿を産所として三児を同時に安産したと伝えられているそうです☺️💕創建は不詳ですが奈良時代の765年には存在した記録があるというとても古い神社✨磐座の巨石、山の斜面を
3月1日に京都御苑の中の仙洞御所の参観をさせて頂きました。曲線の美しい大宮御所御車寄(おくるまよせ)から御常御殿(おつねごてん)の紅梅・白梅を愛で、潜り戸をぬけると、雄大な北池が東山の峰の借景と共に現れます。南池にかかる八ツ橋は藤棚を頭に持ち、藤の花の頃はさぞや幻想的だろうと想像します。最南の醒花亭(茶亭)から南池を臨むと、玉石を敷き詰めた州浜と桜の樹が一望できます。桜か藤の花の開花の頃に、もう一度訪れたい回遊式庭園です。そのあと出町柳まで出て多佳(kazuka)さ
参観コースの最後にある月波楼は池の西岸、古書院の北側にある茶屋で、杮葺きで寄棟造りの建物です。名前は白居易の西湖詩の「月点波心一顆珠」(月は波心に点じひとつぶの珠)という句に由来しています。その前に置かれたつくばい。丸い石の一部が切り取られたような形をしています。下の部分の小石は赤いものが集められコントラストが作られています。隣の古書院を横から見たところ。左手奥に簀子で作られた月見台があり、池のほうに張り出しています。月波楼の舟底天井。松琴亭が冬の茶屋、月波楼が夏の茶屋
笑意軒は池の南岸にある茶屋で、その名前は李白の詩・山中問答歌の中の「問余何意栖碧山笑而不答心自閑」(余に問ふ何の意ありて碧山に栖むと、笑ひて答えず心自ずから閑かなり)という句から取られています。次の間の窓から見える水田も景色のうちに計算されています。右手の袋棚小襖のモダンなデザインに見える模様は、横にたなびく雲が表現されているそうです。二の間の腰壁は、市松模様の中央が平行四辺形に切り取られ金箔が貼られています。雨樋や垂木には竹が用いられています。「浮月」と
松琴亭を後にして先に進みます。桂離宮ではこうした姿の「土橋」を何箇所かで見かけますが、木造の橋の上に真砂土(花崗岩が風化したもの)を厚さ30cmほど敷いて、両脇を盛って苔で覆うことで橋の存在や人工性を打ち消す役割があるそうです。打ち消されているかどうかはやや疑問ですが…優しい感じがしますね。池に傾いている木を懸命に支えています。賞花亭の前から対岸の御殿群を見たところ。丸い手水鉢が見えます。飛び石も配色を考えて置かれているそうですが、言われないと足元まで目が行きませ
①からの続きになります。松琴亭手前の小島には整えられたねじれた松の木が生えています。反対側から。支え木が無いと折れてしまいそうです。松琴亭は茅葺き屋根の入母屋造りで、簡素な建物ですが細かな趣向が施されています。中には茶室といくつかの部屋があります。茶室の手前の石橋の右側の飛び石の部分が流れ手水(流れる水をそのまま使うつくばい)となっています。近くの小高い場所に茶室の待合として使われた卍亭が見えます。松琴亭手前の石橋。すべらないようにかムシロが敷かれていました。
桂離宮は桂川のほとりにあり、平安時代には藤原道長の別荘である桂殿が営まれるなど観月の名所として知られていました。江戸時代初期に八条宮智仁親王(後陽成天皇の弟、豊臣秀吉の猶子となった後に宮家を創設)によって草創され、二代智忠親王によって完成されました。智忠親王の正室は加賀藩主・前田利常の娘富子で、その経済的なバックアップも大きかったと思われます。創建以来、火災に遭うことなくほとんど完全に創建当時の姿が今日に伝えられている稀有な歴史遺産で、総面積は6.9万㎡にわたります。1964年に景観保持のた
白鳥庭園滞在9時30分着~11時00分名古屋市最大級の日本庭園水物語をテーマにした池泉回遊式庭園平成3年4月14日開園清羽亭(せいうてい)京都の数寄屋大工と尾張大工が造り上げた本格的な数寄屋建築出会い橋仲良く戯れる鴨たち餌やり不可だから人が近づいても優雅に泳ぐ鯉たち汐入亭&汐入亭の庭汐の満ち干きの移り変わりを楽しむ庭海🌊に打ち寄せる波しぶきを噴水⛲️̖́-で表現している出会い橋水琴窟は、ツリガネ状のかめを伏せて地中に埋め込み、カメの穴から水を落とすと反響して
昨日、予定通りに沖縄から帰宅しましたが、旅日記は続いてまーす。路線バスで、世界遺産の識名園を目指しました。なんと、乗る方向を間違えて反対行きに乗ってしまいました。バス代の現金前払いに慌てて、行き先確認しなかったのです。クレジットカードで乗れるeasygoはTokyoBusのみで、ローカルバスは現金かオキカカードしか使えませんでした。途中で降りて、反対の乗り場で待ってると、同じドライバーのバスが来ました。ちょんまげのドライバーさん、呆れつつも料金いらないって。旅人に優しいその
まとめ彦根城の、お隣。
高徳院で大仏を観た後は長谷寺へ。長谷駅から歩いて5分程なので高徳院より近い。奈良時代の736年(天平8年)に創建されたと伝えられています。拝観料は大人400円。拝観時間は時期に依って異なる。四季折々の花木を楽しめる事で花の寺とも呼ばれ特に40種類以上2500株からなる紫陽花は必見らしい寺内は上下2つの境内からなり下は放生池を中心とする複数の池の回遊式庭園。長めの石段を上がって本堂(観音堂)へ。木彫仏としては日本最大級の高さ9
なんか普段とは違う日曜日。穏やかと言うよりは静かだ皆さん丁度、お疲れが出る頃なのかなミナミの街も歩いているのは海外からの観光客だけが目立ちますあっ記事とは全く関係ない質問なのですが私は関東出身なので松の内をずっと7日だとばかり思っていたですが関西は15日なんですねでもどんと焼きが明日なのですよ。。明日、正月飾りを外していたら間に合わない四天王寺さんも明日の10時からやし、、朝早く持っていったら間に合うかなってか起きれるかなちなみに昨年までは1年間保管し
江戸時代の浅野藩主の大名庭園「縮景園」に初めて行きました。こんな名園が広島にあるとは知りませんでした。清風館数寄屋橋風書院造り池の至るところで大きな鯉がいっぱい泳いでいました。ちょうど菖蒲の花の頃時おり小雨が降りましたが、それも風情がありました。紫陽花の咲くエリア紫陽花の花も瑞々しい中央には大きな池があり、池の周りを歩いて巡る回遊式庭園です。向こう側にビルが見えたので、一瞬、浜離宮を思い出しました。茅葺きの四阿悠々亭池のかかる橋に
【南禅寺塔頭天授庵】大好きな天授庵をご紹介します💓初めて天授庵に伺った時、本当に入った瞬間動けなくなるくらい🥹書院奥の紅葉の美しさに感動して、ずっと眺めていました🥹先に進めず、ずっと眺めてた景色😌それから、毎年天授庵には絶対伺うくらい大好き💓四季を通して京都はいつでも素敵💓入った瞬間から見どころ満載の天授庵。紅葉も、枯山水庭園も、池泉回遊式庭園も、竹林も、八ツ橋も風情がたっぷりで、池の周りをゆっくり回りながら。帰れなくて、もう一周😌何回かくるくる回って、枯山水を眺めてのんびり座ってみ
偶然に訪れた公園ですが、江戸の名残を残すよい公園でした。「甘泉園公園は、新宿区立唯一の回遊式庭園です。「甘泉園」の名は、ここから湧く泉の水がお茶に適していたところからきたと言われています。池を抱く森は周辺とは別世界の静けさを演出し、四季を通して、訪れた人々をもてなします。この地は、江戸時代宝永年間(1704-1711年)に徳川御三家の一つ尾張徳川家の拝領地となり、その後安永三年(1774年)に初代清水家の江戸下屋敷が置かれていました。明治以降は、子爵相馬邸の庭園として整備され、昭和に
季節違いで記事にできなかった画像ですが、もう2~3週間するとこんな景色になりそうなので満を持して記事にしました。1年前の11月末に訪れました。両国駅北、隅田川や両国国技館の近くにある旧・安田庭園です。今は墨田区立の公園になっています。住所は墨田区横網一丁目で、場所がら横綱と間違えそうですが横網(よこあみ)です。本庄松平氏は徳川・松平氏の一族とは無関係で元は京の公家の二条家の家臣(青侍)でしたが、一族のお玉(桂昌院)が徳川家光の側室となって綱吉を生んだことから弟の本庄宗資が引き立てられて大
リベンジで天祖神社に辿り着きご挨拶したあと神田川まで降りてこの前の続きから橋を辿ることにしました。都電荒川線の面影橋電停ここから再び面影橋の中ほどに立ち…面影橋から下流方向を見たところ橋を渡り静かな歩道を進みます。すると間もなく三島橋三島橋から下流方向を見たところこの時、これを写していながらよく見ていなかった?というのも…すぐに次の仲之橋に差し掛かったのですが
皆様、こんにちワッショイ☀☀☀☀☀本日も素敵な攻城日和だけど~本日は土曜日のエアロ中に右膝に違和感があったので!早稲田の病院🏥に行って来ました!J院長先生ではないけどT先生も腕前は確かなので90〜100分待ち(院長先生は120〜180分待ち)カネゴンが最初に診て頂いた先生はT先生なんで!!本日はホッとしたん。😅😅😅😅それでも受付を済まして90分待ちは手持ち無沙汰ナリさてさてカネゴンのブログを見てる人達の中にはユキ・ユキコ・ユキナなんて呼ばれている方々も
こんにちは。いろはです。城下町のマンションでひとり暮らし。セミリタイア中です。※自身の記録用に、桂離宮のことを4回に分けて書いています。桂離宮の中枢をなす書院。雁行型に建物が並びます。桂離宮の中心的な建物のため、桂川の氾濫対策として、高床式になっているのだとか。古書院の新しくなった檜皮葺を見る事ができました。私が観たかった、月見台は、、、ブルーシートに覆われた状態。月見台は、栗の木、竹すのこで作られるのだとか。月を見て和歌を詠むために
こんにちは。いろはです。城下町のマンションでひとり暮らし。セミリタイア中です。※自身の記録用に、桂離宮のことを4回に分けて書いています。苑内で最も高い一位ある、賞花亭。眺望こそがこの山荘の最もすぐれた点であると言われた桂離宮。桂亭記によると、東は比叡山から如意ケ岳、華頂山、清水まで、北は竜安寺から鷹峯、愛宕山、嵐山、亀山、松尾神社までが見渡せたとか。松琴亭と同じように、ほぼ北に向かう造りです。ここに腰を掛け、眺望を楽しまれたのでしょうね。南側
こんにちは。いろはです。城下町のマンションでひとり暮らし。セミリタイア中です。※自身の記録用に、桂離宮のことを4回に分けて書いています。桂離宮の総面積は約6万9千㎡余り。池には大小5つの中島、回遊式庭園と数寄屋風の建築物で構成されています。飛び石が多く、ご年配の方は歩きづらそう。足元の飛び石に気を取られているうちに、素晴らしい庭園が現れます。洲浜が現れました。先端に灯籠を置いて、岬の灯台に見立て、海を演出しているようです。その先に見える中島
こんにちは。いろはです。城下町のマンションでひとり暮らし。セミリタイア中です。八条宮初代智仁親王により、宮家の山荘として創建された桂離宮。源氏物語の四季を庭を具現化しようとしたということにも惹かれます。大学の講義で学ぶ機会があり、どうしても行きたくなった桂離宮。すでに11月の紅葉シーズンは、空き無し10月の空いている日を急遽申し込み、行ってきました。※写真が多くなります。興味ない方はスルーしてくださいね。桂駅から徒歩17分。途中間違ってバス停方向に向かって
シンポジウム「イタリア大使館に受け継がれた江戸の大名庭園—調査プロジェクト報告会ー」に行ってきました(2023.7.20)@イタリア文化会館ベネデッティ駐日イタリア大使のイタリア大使館庭園に対する大いなる情熱そしてそれを受け止め調査・研究を熱心に進められた多くの方々のご尽力にただただ圧倒され感動いたしました...人の思いというものがこれほどまでに長い時の流れの中で痛みつつある庭園を見事に蘇らせることができるのだと知りこのプロジェクトの成功を心より願ってやみませ
あいしてる🌳🍃*✝︎*。MERU。*✝︎*
…舟遊びやそぞろ歩きなど王朝期の風流を楽しむ庭園形式を何と云うか?日本庭園の様式は、池庭・枯山水・露地に大別される。平安期には「寝殿造」を中心に池泉庭園・浄土庭園が発達。室町期には、禅宗寺院を中心に、その自然観を象徴した枯山水が盛行。水を用いず石や植栽で山水を表現する日本固有の庭園様式としての枯山水の成立は室町中期頃である。これが代表的茶室と結び付き、桃山期以降の茶庭(露地)の発達を促した。露地とは、待合から茶室に至るまでの屋外空間に設えられた庭で
昨日、家内がリノベーション中の自宅に行ってきたところとっても良かったという報告うれしいですね。業者さんの協力と腕前ですねこれは2022年11月14日の記事です。この日はお休みを頂き、高松に前泊移動いたしました。羽田空港から高松空港へ飛行機の窓からの富士山良い一瞬が撮れました高松空港からはバスで高松市内へ…お昼は「うどん」と決めていましたが、看板が目に入り、家内が嵐と小栗旬さんの大ファンなものでうどん一福頂いたのはもちろん
皆さま、こんにちは。福岡は中洲で営業をしております「とりまぶし」です。今日は街中にありながら静かで癒される庭園「楽水園」をご紹介します。(写真提供:福岡市)この場所は、明治39年に博多商人、下澤善右衛門親正(しもざわぜんえもんちかまさ)が住吉別荘を建てた跡地。親正は、父尚正(なおまさ)と親子二代にわたり、家業と並んで福博の発展に貢献した人物で、「楽水」とは、親正の雅号です。戦後は、旅館「楽水荘」として使用され、平成7年に福岡市が池泉廻遊式(ちせんかいゆうしき)の日本