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ごきげんよう!さわこです。エレン・ホワイトとはだれか?あるユダヤ教ラビの回心(証)Tittle:[WhoisEllenG.White]日本語吹き替え版youtu.be私のブログには、エレン・G・ホワイトの著作集からの引用がたびたび出てきます。是非、ご覧になってください。
臨終の時の大切なる事「大罪がありながら告白の出来なくなった信者にとって、完全な悔い改めがなければ塗油の秘蹟は必要です。」「病者の周りにいる信者は、病人の為にこの事を配慮する事が大切です。死に臨んだ信者が、司祭がいなくて秘蹟を受けられない場合は、犯した罪について完全な悔い改めを起こし、全てを天主の御旨に任せなければなりません。また周りの信者も病人を助け励ます事が必要です。」(カトリック要理)<臨終の罪人の回心>1920年教会認可1901年のポーランドのクラクフで
外国にいる研修医の方が看護してるお婆ちゃん(94歳)から貰った言葉。「長く生きているとね、結局、思い出せる事なんか本当に心がトキめいた瞬間や心から感動した瞬間だけなの。時間は限られているのよ。忙しい日々を惰性で生きてないかしら?挑戦しなさい。感動しなさい。あなたには後、何回心躍る瞬間が訪れるかしら?」とても素敵な言葉だと思いました!元F1レーサーの佐藤琢磨さんも、「NoAttack,NoChance」と言っていました。心躍る物や事に囲まれて行こうと思います!
児童相談所に入所した当日、先生たちに連れられ、所内を連れ回され、色々な検査をされたのであるが、それが何であったのか、当時の私には理解出来なかった。漸く、これから寝泊まりする棟に連れて行かれると、そこには男女合わせ20数名の子どもたちが物珍しそうに私を出迎えてくれた。本来、人見知りの激しい私であったが、新入りの私に対して誰彼となく質問責めに合い、それに答えて行くうちに、打ち解けて行った。しかし、何気ない話しをしている最中に、私の背丈よりも倍以上あろう上級生の高橋(仮名)が、(私自身が幼稚園児
回心の体験をしてから15年くらいになります。そのときお話をしていて、しばらく縁が途絶えた人が少し前からまた話が聞きたいと言われ話しています。最近は「いまここ」がわからないと言います。真理との邂逅を果たした朝に私はもう迷いの中で生きたくないと決意しました。そしてその日の夜に自分の力は何一つ全く間に合わないと信知させられ、真理が通過(透過)してからいまに至ることを話しました。15年で済むならいいけれど、来世80年も縁がなく、その先も何百、何千の生を重ねても迷いから抜ける縁に出合えなかったら
あなたたちの国においても、✨大いなる回心が起こります。しかしその前に、あなたたちは大きな十字架を担わなければなりません。私は✨大いなることをこの日本に起こす計画を持っています。✨日本が世界に先駆けて印となる日が来ると、以前、私は言いました。その時は近づいているのです。あなたたちは経済の崩壊を見るでしょう。また、多くの✨地震が起こるでしょう。
意識の科学としての名言と名言対(その31)波数組(8,4)と波数組(1,5)名言や短歌などは人間の意識(アクシオン場)の波動関数の測定値とみることができます。言葉はエゴの発育とともに現れますが、E.H.Walkerらの実験結果を踏まえ「磁流理論」ではエゴは扁桃体でのアンダーソン局在だと見ています。そこで言葉も波動関数が「測定」によって収縮したものと見なせます。これはどんな波数の人が言った言葉かが分かる名言や短歌などを用い、言葉の内容と波数を比較するという方法で確かめられました
神は「犠牲」(いけにえ)を望まない!四旬節です。償いや犠牲が強調される時期ですが、教皇メッセージは「たゆまず善を行いなさい」(ガラテヤ6.9)が中心テーマです。現代社会は「貪欲と高慢が度を越してはびこっています。たくさん所有して、蓄えて、消費したい欲望が支配」しています。四旬節は「回心へと、考え方を改めることへと招きます。」「所有するのではなく、与えることへ。蓄えるのではなく、よい種を蒔いて分かち合うことへ」招きます。犠牲とは、本来は回心とむすびついて行われるものなのです。回心を伴わない犠
「足し算」から「引き算」の信仰へ-四旬節の回心-四旬節は、イエスが宣教を前に荒れ野で40日を過ごしたことに由来しています。イエスは「霊に導かれて」荒れ野に行き、父の計画を果たす準備するため祈りと断食に専念しました。それは身も心も引き締まる真剣な戦いでした。この四旬節を活用して、霊に導かれるままに、天の父に「立ち返る」信仰を実践しましょう。日頃の考え方を改め、神が第一の生き方に回心する時です。そのヒントが「金持ちの若者」の話に隠されています。完全な人になるために、掟を守り律法を守っていまし
十字架の道行き・四旬節に~Mozart・Requiemwww.youtube.com
今日は「灰の水曜日」。今日から始まる四旬節の40日間(日曜日は数えない)は、イースターに向けた準備期間となります。四旬節は回心と罪の償い、そして洗礼の準備の期間です。この期間は洗礼志願者はもちろん教会の信徒全員が志願者たちのために祈り、また自分たちの洗礼の時を思い起こします。教会は、この期間を、なによりも主イエスの受難と死を思い起こし、救いの「時」の中心に向かって、回心と償いの期間として過ごします。(女子パウロ会HPより要約)
キリシマサトシ容疑者が自首したというニュースがながれました。王女も、この知ってる。と、声をあげておりました。末期の癌で、入院していたとのこと。偽名で。(-_-)なのに、「死ぬときくらいは、本名で死にたい」と、50年も隠し通せたにも関わらず、死を目前にして下した決断。このニュースで、私が思い出しましたのは、大悟の法という書籍にかかれております、アングリマーラの回心です。自分の師にそそのかさされ、殺
皆さん、おはようございます。日曜日にも関わらず、お仕事の皆さん。お疲れ様です。また、今から夜勤に行く・・・あるいは、これから夜勤に行かれるって方、頑張ってください。お休みやったクリスチャンやない皆さんは、英気を養われて、明日からの力を備えられますか。ほって、クリスチャンの皆さんは、教会での御奉仕やら主日礼拝を守られてる時間になってます。きょうの礼拝では、どんなメッセージを、神様から頂かれるんでしょう。感謝もあれば、「耳が痛いなぁ」って思われたことも、もしかしたら、あるんかもしれませ
T・L・オズボーン(1923年・米国オクラホマ生まれ)農家に生まれ、12歳で回心、14歳で説教者として召命されました。1947年、神癒伝道集会で聾唖者の少女が牧会者の祈りで癒やされたのを目撃し、1948年祈りと断食の後、独立の神癒伝道師として立ちました。1950年プエルトリコで12日間で18万人以上の回心者を得、1951年キューバで50万人、1953年にはグアテマラで50万人以上の人々が救われました。1953年から64年までに米国で毎年400以上の教会を設立しました。
望むなら、永遠のものを望め、仮初のこの世の物は用いるだけにせよ。喜びも慰めも、悲しみ苦悩も荒みも、全て私からのものとして受け入れよ。主よ。あなたこそ、私の逃れ場、砦、私は全てに対し、栄光をあなたに返し、あなたに感謝し、とこしえに御名を褒め称えます。ただ、私が、この世にをいて出会う、艱難辛苦に不平を言わずに忍ぶことができるよう、どうか私を離さないでください。時々、願わくば、私にあなたがどんな時も共にいてくださる方だと、疑い深い私に悟らせてください。そうすれば、弱い私の、あなたへ
パウロ回心日とは?この「目から鱗」は新約聖書にあるパウロの回心の箇所にその起源があります。教会では1月25日がこの「パウロの回心」の記念日です。
【中心聖句】すると、ニネベの人々は神を信じ、断食を呼びかけ、身分の高い者も低い者も身に粗布をまとった(5節)今日の旧約聖書朗読箇所であるヨナ書は子どもに人気がありますね。教会学校の特に幼稚科や小学低学年にお話しをすると大喜びされます。おそらく、主人公のヨナが大きな魚に呑み込まれ3日後に漸く吐き出されたというくだりが子どもの好きな怪獣のストーリーを連想させるのでしょう。閑話休題(それはさておき)今日の朗読箇所の中でヨナがニネベに入り「あと四十日すれば、ニネベの宮古は滅びる
学校には、単に給食を食べに行くだけが目的で家に帰らず、近所の人たち(在日朝鮮人)の家で寝泊まりする日が続くようになった頃、父親から、「あんな所に行くな。」「あんな奴らと遊ぶな。」と、言われつつ暴力を加えられることが多くなった。私にはその言葉が意味不明で、「とても親切な人たちなのになぜだろう。」と、いう素朴な疑問が頭をよぎり、ますます父親に反抗心を抱くようになっていった。そんな在日の人たちのなかで、特に私を可愛がってくれる家族があった。その家族は、張本(仮名)さんと言い、私と同年代
「わたしの憐れみを故意に無視することは、これまでのすべての罪よりも重大な罪である。それは、この世でも来世でも赦されることのない罪である。」【神と聖カタリナの対話。】御父(おんちち)からの、早くもお叱りが来たので、軌道修正をし、回心します!
【実兄】20歳にて自死私には、4歳年上の兄がいました。私が16歳、20歳と言う若さで自ら死を選び、この世を去りました。当時の私には兄の死を全く受け入れることが出来ませんでした。同じ家庭で共に過ごしたという記憶も曖昧で、逝去の報せを受けても、感覚的にまだ何処かで生きていて、またいつか会えそうな気がしてなれなかったからです、日が経つにつれ、悲しみが湧いていき父親が逝去した頃には私自身が「死」を望むようになりました。兄との思い出は悲しいことに余りありません。私
この文章は、2年ほど前に書いたものであり、当時はまだ、母と姉が生きていた当時のものになります。「父親」脳梗塞により51歳で死去日常茶飯事のように酒を飲んでは、母親や私たち子どもに暴力を加え、生傷が耐えることがありませんでした。鬼のような形相で暴力を加える父親に、憎しみを越えて殺意さえ覚えていたのは事実です。現に、私が養護施設に入園した頃、野球・柔道・古武道といずれかのクラブに入部しなければならなかったとき、真っ先に選んだのが古武道でした。幼いながらも、これさえ身につけてい
わが親愛なる娘よ、今、霊魂を回心させるための私の仕事は激しさを増している。どうか、できるだけの多くの者たちに、大警告の前に霊魂の準備をするよう警告してほしい。司祭、修道女、司教たち、またわが永遠の聖父(ちち)を信じている他の教派の者たちに、わが言葉に耳を傾けるよう知らせなさい。わが子供たちのかくも多くの者たちが深い闇の中にいるゆえ、わが神なる栄光の明るさは彼らの霊魂に痛みをおぼえさせるのだ。彼らは、この大いなるわが憐みの業に耐えることができないゆえ、彼らは実際の痛みを感じることだろう。これ
土くれにすぎるこの身に驕りなどあってはならぬと吾を戒む土にかえり僕が死んだら公園の片隅に造られた花壇の土にかえりたい無邪気に遊ぶ子どもたちの声を聞きながらそれを見守る母親たちの笑顔をみながら色とりどりの綺麗な花をいっぱいいっぱい咲かせたい僕が死んだら公園の片隅にあるベンチの下の土にかえりたい心に傷を負った人たちの涙をそっとそっと受け止めながら温かく見守り励ましてあげたい僕が死んだら土にかえって今
自分を変えるには〜イエスはシモンに目を留めて言われた。「あなたは、ヨハネの子シモンです。あなたをケパと(訳すとペテロ)と呼ぶことにします。ーヨハネによる福音書1章42節ー自分を変えようと思えば、このみ言葉が示すように、まず自分が、ヨハネの子ヨハネであることを受け止めることから始まる。この世に生を受けた時からすでに、私たちを有形・無形の形で束縛している血統・体質・気質的な素因を、ヨハネの子、シモンに指す。ペテロの場合、それは小心、せっかち、利己主義など、神のみ前に相応しくない
聖書との出会い私が逮捕拘禁された時、恥ずかしながら心は荒み、暴力的な言動が沢山あったことは間違いありません。私が犯罪に手を染めるに至った元凶は全て、他人にあったと思い込み、その怨みは頂点に達していました。その人に対して殺意さえ燃やしていたのです。それは、告訴されてからも同じでした。ことに、15年ともに生活してきた妻との別れがあり、その怒りは頂点に達していたのです。拘置所の独居内では大声を上げ担当官に怒鳴りつけたり、壁を叩いてみたりしては、憂さを晴そうとしていたのが事実ですし、
罪って何だろう。級友たちの嘲るような声のなか、私は教室を飛び出した。一歩でも学校から離れて、降り続く雨の雫で身体が溶けてしまえばいいと考えた。このまま、自分がいなくなってしまえばいいと。昨日、私は父の遣いでたこ焼きを買いに行き、頼まれたように、店のおばちゃんにたこ焼きを頼んだ。束の間すると、おばちゃんは少し待ってくれと外に出たまま、なかなか帰っては来ないのだ。余りに遅いと、父から暴力を受けることは分かっていたので、私は違う店に足を運んで、たこ焼きを買い帰宅したのである。
白い粉末。-9歳頃-ものごころが付き始めた頃から、家の台所のテーブル上には、ピース缶に入った謎深いめ白い粉が常に置かれていた。それが普通であって、別に何も気に留めはしなかったのであるが、ある日突然興味が湧き、その正体が知りたくなった。良く観察していたら、父はその白い粉を注射器に入れ、自分の腕に射っている。この時点では「何かの薬ばいね。」としか思っていたのだが、家を出入りする若い男性が、深刻な顔をしながら白い粉を口に含み、暫く経つとケタケタと笑いながらその場を離れて行くのを見ると
ここまで書いておきながらではありますが、ふと気付きました。自分でさえも生い立ちが複雑過ぎて意味不明なことが多いなかで、それを文章にして人に伝えることは困難ではないかと。私の文章を読んで下さる方々に、もっと文章を理解して頂くには、ブログのなかで背景となる、私の幼少期(物思いがついた頃から、初めて犯罪に手を染めるに至った時まで。)の簡単な自己紹介の必要性を感じています。そう言うことから今回は、生い立ち(履歴)を簡単に掲げたいと思います。但し、場所や人物など特定出来るものに関し
僕の友だちは野良犬ある日、父は大きな犬を連れて帰ってきた。とはいえ、年齢の割には非常に小さな私であったので、本当はどれ程大きかったのかは定かではない。姉がいなくなって寂しがっていた私のためにとは、とんでもないである。その犬は土佐犬で、父はそれを育て博打で稼ごうと目論んでいたのだ。父はその犬を「嵐」と名づけ、私はそれに反抗するように、質問か名前か分からないように「ねぇ?!と名づけた。「ねぇ?!」は何故か餌を与えてくれる父よりも私に懐き、「嵐」と言う立派な名前よりも、意味不明な
捨てられたわが人生(みち)でさえ価値はありみ言葉信じ明日に備えよ後悔にピリオド打ちて立ち帰り新たな力授かり活きよ愚かなる自分の罪を責めずして他人(ひと)なる罪をなぜに責めらるいくつもの街を流れて獄のなか背負いもきれぬ罪の重荷よ導かれ励まされつつ三年(みとし)すぎまだ見ぬ