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中国地方旅行記3日目です。今回で最終日となります。呉駅の周辺図です。赤い★の「H」が今回宿泊した東横イン呉駅。JR呉駅を含め、大和ミュージアム、てつのくじら館なども徒歩5~10分圏内にあります。1.大和ミュージアムサテライト:まずは大和ミュージアムサテライトから。ここは大和ミュージアムのリニューアル工事に伴う仮展示室だったようで、そのリニューアル工事後も展示を延長している模様。(いつまでかは不明です)入館料は500円ですが、ここの入場券を大和ミュージアムに持って行くと、大和ミュージ
東雲のカレーの名店と同名店を徳山に発見!美味しそうな匂いがしてました。そしてアーケード街は二階建て!でも閑散としていましたw徳山港に移動すると、回天のレプリカが。人間魚雷と呼ばれている特攻兵器ですね。ココでテリー・ゴディの名を出すのは不謹慎です。徳山港から大津島の回天記念館まで2度行きました。そろそろ帰途につきます。
『ドキュメント軍人たちの戦後』神立尚紀(小学館新書)より〈私が敬愛した、元海軍主計科士官の門司親徳という人・・・真珠湾作戦に参加、陸戦隊で弾丸の下をくぐり、『特攻の生みの親』とも言われる、大西瀧治郎中将の副官を務め、特攻の一部始終をその目で見た。その門司が、しばしば語っていた言葉がある〉〈安全地帯にいた人の言う事を聞くな、が大東亜戦争の教訓〉〈安全地帯から威勢のいいことを言う人間の言葉をいちいち真に受けていたら、命がいくらあっても足りない。今の時代にも、いわゆる商売右翼や新興保守政党を中
朝は立駐から、赤プリを出すところからスタートします。↓前回まで。https://ameblo.jp/sel254/entry-12979668207.html『2026シルバーウィーク赤プリで広島山口へ2』前回からの続きです。広島に到着した翌朝は、前日はそれなりに早く起きて疲れていたせいか?前夜はぐっすり眠れた印象です。https://ameblo.jp/sel…ameblo.jpこの日(9月21日)はいよいよ念願の、大津島に渡ります。朝から少し興奮気味でした😅ドキドキワク
天&ツ&ラ「「「皆さんこんにちは!!!」」」天「うp主の天狐です。」ツ「相棒のツッチーです。」ラ「解説役のランです。」ツ「今回はどんなお話を紹介するんですか?」天「第二次世界大戦から81年…当事者が高齢化により多くの方が三途の川を渡っていった。しかし、我々が平和を生きていけるのは、戦争世代が命懸けで戦い、守ってくれたからだ。しかし何を言っても戦争は殺し合い。その事実は変わらないし、目を背けてはならないと僕は思う。今回は少しばかり予定を変えて、日本軍最悪の兵器
戦争の中でドローン兵器は急速に進化しているウクライナとロシアの戦争を見ていると、戦争で使われるドローン兵器が急速に進化していることが分かる。数年前なら人間が行っていた微調整を、現在では機械やAIに任せることができるようになってきた。これは単純に「無人兵器が増えた」という話ではない。人間が直接操作しなければできなかったことを、機械が少しずつ肩代わりするようになっているのだ。そして、その変化を見ていると、80年以上前の第二次世界大戦で日本が使用した「回天」という兵器を思い出す。人間魚雷
月曜日は台風が来ていたので、昨日今日で備前国幸光の鞘と高田重行の極めがついた脇差の鞘の塗装です。重行は、朱鞘予定です。本日は途中から雨が降ってきてしまったため、鞘は屋根のある所へ避難させました。(写真撮り忘れ)最近は仕上げでクリアも噴いているので、乾燥に余裕を持つため金曜日に発送予定です。重行はまだ予約受付中です!!出品前の直接振込であれば、業物の斬れ味に定評がある豊後刀が送料無料118000円です!!※鞘は塗装中のため写真には写ってません。綺麗な地鉄に、吸い込まれる様な直刃に小湾
2025年秋“岡山・津山城”からの続きです岡山から広島に移動、夜に広島駅に到着しました…とりあえず広島駅ナカで夕飯をとりました…駅ナカの、広島風お好み焼き店は何店舗かあり、どこもいつも満席なのですが、こちらのお店は、比較的に広いため、大抵は並ばずに入れます。またカウンターもあるので、ワタクシのようなお一人様にもありがたいお店で、広島に行くと、よく利用させてもらってます。この日は、チー坊とネギ焼きと塩キャベツで決まりです…
おはようございます😃出雲市在住38歳タカです。いつも日記を見て頂きありがとうございます。山口県の美術館で「ねずみくんのチョッキ展」という催し物があって嫁さんが見に行きたいというため、たまたま二人が同じ休みだったので昨日は初めて山口県まで行ってきました。夜中1:45に出雲市を出発。有料道路は使わない主義なので、山陰道は無料区間だけ使って、下道で国道9号を西へ。⬇朝方、島根県津和野町に到着。⬇地元、鹿野町と同じマーク。津和野町は鹿野城主亀井茲矩の生まれ故郷。⬇この時期にしては珍
昨夜NHKで、特攻隊のことが放送されていました。戦争末期、日本軍が爆弾を積んだ飛行機や船などで敵艦に体当たりする、原則として生還を前提としない攻撃を行いました。1944年10月ごろから本格化しました。隊員の多くは18歳から24歳くらいの若者でした。最年少は17歳前後20歳前後の少年飛行兵が多数学徒出陣で大学から入隊した20代前半の青年も多数30代の指揮官などもいました「志願」という形でも、断ることが非常に難しい軍隊の環境だったため、全員が心から希望して参加したとはいえません。
先週の幼女戦記Ⅱは大変良き😍ターニャ・デグレチャフ中佐の点滴🤣・・・もとい天敵と化してるドクトル再登場🤣幼女戦記のV1に続き幼女戦記ⅡではV2登場✨人間ミサイル🚀擬きから人間魚雷(回天)擬きに進化🤣戦闘後、イルドア王国入国時の清々しいまでの笑顔🤣レルゲン大佐の胃痛の元🤣ですけど😰エンディングまで立派なオチが付いてました🤣面白かった幼女戦記Ⅱ第8話・・・大変良き😍
その②あの星が降る丘でまた君と出会いたい前投稿でも触れましたが、故父親は人間魚雷回天の生き残りあと半年戦争が続いていたら私は居ない戦争で日本人は310万人が亡くなり、アジア、欧米世界中で何万人が犠牲になった事か…改めて御冥福をお祈り致しますこの原作は若い世代向けに書かれて多くの方々が読まれてるとの事私達大人は戦争の悲惨さをもっと伝えるべきと強く感じましたそして【恩送り】心に残る言葉でした
『普天を我が手に第二部』あーようやく読めたって感じ丁度8月に戦争のお話を読むという少しばかり辛いけど縁を感じる日本が勝つと信じていた昭和の始まりから第二次世界大戦戦後までが書かれていて激動の日本が出てきます確か靖国神社近くで見た[回天]が出てきた時には辛くなりましたいつのまにか引き寄せられるかのように4人がそれぞれ出会っていくその瞬間がなんだかワクワクするそんな思いで読めましたこんなにも世界が違うのに。。そ
偽の証言で視聴者に刷り込もうとする愚まずは嘘つき毎日新聞グループのTBSから。【終戦81年】「恐ろしいと思わなかったね。むしろ名誉なぐらい」若者たちが兵器になっていった夏"海の特攻"人間魚雷「回天」元搭乗員の証言|TBSNEWSDIGあさってで終戦から81年となります。今週は戦争を体験した人の証言や想いを未来に繋ぐ特集をシリーズでお伝えしています。今回は"海の特攻"人間魚雷「回天」の元搭乗員の証言です。出撃することは死を意味し、鉄…newsdig.tbs.co.jp【【
8月15日「終戦の日」前後戦争に関する皆さんのブログを見ているうちに戦争を題材にした文学を読み返してみたくなり部屋の本棚から見つけた戦争小説出口のない海横山秀夫横山秀夫さんと言えば『64(ロクヨン)』『半落ち』などミステリー作家として有名ですがこれは戦争を題材にした歴史小説で平和祈念した「反戦小説」です歴史小説ということで参考にされた文献等が文末に掲載されていました出口のない海著者:横山秀夫出版社:講談社2004年8月9日:第1版発行ページ
8月15日。終戦の日。ポツダム宣言を受諾するのががもう少し遅ければ、私も子どもたちも存在しなかった。祖父が回天に乗る予定だったのは16日だったと聞いている。私は人生を得た。ただの偶然だ。8月9日より前に、6日より前に、3月10日より前に戦争が終わっていたら。いや、そもそも開戦しなかったら……そう思う人がいったいどれほどいることか。自分が存在できている不思議に感謝しつつ、平和を願う。遊就館にて回天
お盆にお墓参りをする人も多かろうと思います。我々の部落には、村外れに村の墓地があるので、お盆にはみんなぞろぞろと歩いてお墓に参ります。(小さい子供に菓子を配る当番もあります)そもそもの農村なので、現在でも家庭菜園のある家が多く外で野良仕事をしているのでお互いによく見知っています。父親が死んで数年経ちます。お盆だから父親を思い出す?いやいや、24時間常に、、という感じで親父を感じます。朝、近眼用のメガネを外して歯を磨き顔を洗いますが鏡にぼんやりと映っ
行った順じゃないですが、6泊7日の旅で行きたいところがもう一つありました。それは、山口県周南市の大津島にある回天記念館です。特攻隊といえば、神風特攻隊が有名ですが、回天は海の特攻隊。映画やニュースなどではよく取り上げられる神風特攻隊と違って回天はほとんど取り上げられることがなくて、回天がどういうものか知りたくて行ってきました。前回と同じ写真が多めなので、回転のことを知りたい人は見てみてください。回天記念館がある大津島には、フェリーで渡ります。大津島に降り立って回天記念館までの道のりまで
去年もこの記事を載せました。子供のころ学んだ戦争、原爆絵本、書籍、映画『はだしのゲン』『黒い雨』『父と暮らせば』特攻隊、特攻員たちの残した手紙窓のない回天忘れたことはありません。終戦の日二度と戦争はしません。絶対に止めねば。国民はすべて烏合の衆に二度となってはならない。何が正しいか、間違いか判断するなら人の道を考えればいい。真実はひとつ。やみくもにいのちを奪ってはならぬということ。あろうことかわが日本は
今日は8月14日で、お盆の真っ只中です。アメリカが8月6日と8月9日に原爆を投下したのは日本のお盆も計算に入れていたのでしょうか。昭和を知る日本人にとって、お盆というのは墓参りをして死んだ親族や先祖を想う機会です。己の行く末についても少なからず意識してしまいます。なので「八月」くらいは敬虔な気持ちで戦争を想ったりします。個人的には、自分の父親が「予科練」で特殊潜航艇「回天」で特攻に出撃しなければならない立場であったことで戦争に関しては、特段に深く想うこと
内容紹介(「BOOK」データベースより)幕末維新史にはさまざまな転換点がある。その転換がなぜ、いつ、どのようになされたのかー史料を縦横に駆使しながら、既成の枠組みにとらわれず、激流する時代と人の動きを手に取るように解説する。反政府思想による討幕の為のスローガン尊王攘夷(そんのうじょうい、尊皇攘夷)とは、天皇を尊び外敵を斥けようとする思想である。江戸時代末期(幕末)の水戸学や国学に影響を受け、維新期に昂揚した政治スローガンを指しているWikipediaそして維新(回天)成
2016年6月6日記非理法権天「非は理に劣位し、理は法に劣位し、法は権に劣位し、権は天に劣位する」山口県熊毛郡平生町佐賀に阿多田交流館という資料館がある平尾町がある室津半島には縄文前期から人が住み始め弥生時代の遺跡が多く見つかっている古墳時代には神花山、白鳥、阿多田、野稲古墳などが造られ王の権威を語る地であった室町時代に毛利氏がこの半島を治めたことから領地としても認識され始め江戸時代には塩業が栄えるなどして歴史を刻み語る地ともなっていたその後、風光明媚で温和な気候に包まれ平穏
タミヤ1/700日本海軍伊54型潜水艦伊58後期型を作ってます。今回は回天の塗装からです。タミヤの塗装図でもそうですが、回天は伊58の船体よりも黒いようです。よって、混合する塗料においてセミグロスブラックの割合を多くしました。具体的には、Mr.カラーのジャーマングレー(C513)とセミグロスブラック(C92)を1:1の割合で混ぜた色で塗りました。こうなるともう、グレーではなくて黒にしか見えません。また、回天は潜望鏡もスクリューも黒のようです。伊58の甲板に回天を接着しました。艦橋
先ほども述べましたように、アオシマ1/700大鯨SP付属の伊8潜水艦のパーツが在庫切れだったことに打ちのめされていまして、ネットであと一つの在庫品、駿河屋岐阜マーサ21店の大鯨SPをポチってしまいました。…高かったけど。これでもう、ヤフオクやフリマで出ない限り大鯨SPは買えません。と、そんなことをしているうちに、届きましたよ、アレが。タミヤ1/700日本海軍伊54型潜水艦伊58後期型ですAmazonで673円でした。ランナー枠1枚のコンパクトな中身。これまた、アオシマの伊8に負けな
大津島本日は人間魚雷である回天の訓練基地のあった大津島へ。平和教育で建築現場を見てどうなるんだろう?辺野古の事件はなんなんだ?人が死んでるのに謝罪会見で腕組みしてふんぞり返って偉そうにしてるジジイはなんなんだ?基地の建築現場を外から観るのが平和教育なら、既存の自衛隊の基地祭や見学イベントは平和の祭典なんだけど辺野古基地反対協議会とか平和主義をかかげる連中は行かないよな?建築現場って真夏の炎天下でもヘルメットに長袖長ズボンに安全靴はいて安全帯が基本装備、そこに自分の
太平洋戦争末期に生まれた「人間魚雷・回天」。国と家族を守るため、若者たちが自ら志願して散っていった特攻隊の歴史。資料館に残る遺書や写真、遺品を見ながら、ただただ胸が熱くなりました。先人たちが命をかけて守ってくれたこの平和。当たり前だと思っていた日常が、どれだけ尊いものか…改めて噛み締めています。感謝の気持ちを胸に今日も生きていこう!
ハセガワ1/700日本海軍丁型潜水艦伊370を作っています。さて、今回は塗装です。丁型潜水艦色は何色でしょうかここに、そのものズバリの、回天を載せた伊370の写真があります。後期の潜水艦によく見られた黒塗装ではありませんね。ミディアムグレーといった感じです。伊370は三菱神戸造船所で造られました。有名な四大工廠製ではありません。近くの呉工廠のグレーで塗ろうかと思いましたが、ちょっと明る過ぎるので、Mr.カラーの軍艦色(2)横須賀工廠色(C32)で塗ることにしました。困ったのは甲
いつも拙ブログへお越し下さりありがとうございます「18歳の回天特攻隊員の遺書」お母さん、私は後3時間で祖国のために散っていきます。胸は日本晴れ。本当ですよお母さん。少しも怖くない。しかしね、時間があったので考えてみましたら、少し寂しくなってきました。それは、今日私が戦死した通知が届く。お父さんは男だからわかっていただけると思います。が、お母さん。お母さんは女だから、優しいから、涙が出るのでありませんか。弟や妹たちも兄ちゃんが死んだといって寂しく思うでしょうね
引き続き、建材おじさんの2012年のブログから。戦争末期の昭和19年8月、人間魚雷「回天」が開発された。この全長14.5メートル、直径1メートルの一人乗り小型潜航艇は、93式魚雷を動力源に、1.55トンの爆弾を装填して標的に突っ込む特攻兵器。死地から戻った元要因が、その経験を語る。回天の訓練は厳しかった。まず、操縦が難しかった。発進するだけでも多くの操作が必要だったし、機械が複雑なので、発動ボタンを押しても燃料に点火されず、発進しないことも少なくなか