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お越しいただきありがとうございます倭姫命を追い掛けた過去の旅レポをお伝えしています記事は過去(2017年)のものなので、現在と違っていること先にお断りさせていただきます丹後半島に残る外宮元伊勢伝承地を求め京丹後市の比沼麻奈為神社から藤社神社へ比沼麻奈為神社より5分程度で到着、駐車場は無いかと藤社神社を通り越して確認するも停められそうな場所は見つからず、鳥居前のスペースに停めさせていただきました倭姫旅No.157藤社神社(ふじこそじんじゃ)京都府京丹後
四道将軍から向かうは神功皇后の時代へ⑵垂仁天皇(第11代天皇)の時代には、天皇が5人の重臣の五大夫と倭姫命と共に伊勢神宮を建立と元伊勢の伝承には記述があるそうです。止由気(とゆけ)神宮儀式帳によると外宮が雄略天皇(第21代天皇)の創建で、元は葛城氏が奉祀していました。景行天皇(第12代天皇)の時代には、天皇自らが九州へ赴き、熊襲を征伐。この景行天皇の時代に日本武尊の活躍があり、東国の蝦夷が恐れ慄いて争わずして従えるとあります。※日本武尊のこれ以外の話は、今は省略します。
以前紹介したように生野先生は、「記紀」は神武やその御子の手研耳命による近畿東遷後の全国平定を崇神や景行などダミー天皇の事跡として記述していると考えてあります。今回は神武が全国平定のための戦略として奴国の王族を利用したという考察です。神武は、東遷後、奴国の王族を「四道将軍」に任命して、比較的短期間に全国平定を成し遂げていると思われる。「四道将軍」遠征地域は、九州や出雲が含まれておらず、「吉備国・丹波国・越国・東海道・東山道・東北蝦夷」など「奴国の領域」が征伐の対象地域になっている。
四道将軍から向かうは神功皇后の時代へ⑴前回は尻切れトンボ状態で、まだ続きがございます。なんなら現代まで続くお話です。・吉備津彦命(きびつひこのみこと)第7代孝霊天皇の皇子。派遣先は山陽道。桃太郎のモデル。・大彦命(おおびこのみこと)第8代孝元天皇の第1皇子。派遣先は北陸。・武渟川別命(たけぬなかわわけのみこと)大彦命の息子。派遣先は東海。・丹波道主命(たんばのみちぬし)第9代開化天皇の皇孫。派遣先は丹波。皆が皇室の血筋でありながら、古墳時代
桃太郎のモデルの吉備津彦命(四道将軍)と、まつろわぬ民。先にお詫び申し上げますのは、先日の雄略天皇の次代は「四道将軍」ということですが、時代を逆に記憶しており、先に四道将軍で雄略天皇でした🙇♀️失礼をいたしました🙇♀️四道将軍のお話に遡ります。四道将軍とは桃太郎の伝承のモデルとなった吉備津彦命(きびつひこのみこと)を始めとした大彦命(おおびこのみこと)武渟川別命(たけぬなかわわけのみこと)丹波道主命(たんばのみちぬし)の4人の将軍です。四方に派遣され
[丹後国熊野郡]神谷神社(神谷太刀宮)■表記*紀…丹波道主命(タニハノミチヌシノミコト)、丹波道主王*記…丹波比古多多須美知能宇斯王(タニハヒコタタスミチノウシノミコ)*「丹後國風土記」殘缺…谿羽道主命*美濃国の伊奈波神社の伝承からは「彦多都彦命」と同神ではないかと考えられる■概要第9代開化天皇の皇孫とされ、父は日子坐王(彦坐王)。第12代景行天皇の外祖父。「四道将軍」の一人として丹波へ派遣されたと伝わります。◎崇神天皇十年紀に以下が記されます。━━崇神天皇十年九
『【3】令和7年11月実家から寄り道ドライブ伊佐須美神社前編』『【2】令和7年11月実家からの寄り道ドライブ国道118〜121芦ノ牧温泉まで』『【1】11月実家から寄り道ドライブ国道118ガソリンはオカモトセル…ameblo.jp伊佐須美神社御祭神は伊弉諾命(イザナギ)伊奘冉命(イザナミ)大毘古命(オオヒコ)建沼河別命(タケヌナカワワケ)の四柱がお祀りされてるんですが大毘古命と建沼河別命が会津と言う地名の
デルタ・ストリングスの著者、松本日世先生のブログを読んだ。来たる11月2日(日)開場12時30分。開演午後1時。福島県会津若松市の福島県立博物館にて、松本先生がお話をします。松本先生のブログにこんなことが書いてありました。会津の【大塚山古墳】に眠る主葬者こそ、四道将軍の大毘古命と建沼河別命なのではないかとのこと。詳しいことは11月2日、福島県立博物館で松本先生がお話するそうです。詳しくはリブログ記事をご覧下さい。『松坂牛を食べにに行
辰砂のことを英語でCinnabar(シナバー)という。で、Cinnabarの語源なのだけど。なんと【龍の血】を意味するペルシャ語の「zinjirfrah」なのだそうな。龍の血🩸龍……か。ふと、思った。辰砂(龍の血)の採れるところと「龍脈」は重なるんじゃないかって。事実、辰砂の産出地は中央構造線沿いの地域に集中しているからね。龍脈から採れる血のような赤い鉱石……もし、記紀神話の視点を変えて見たら。四道将軍の歩いたところ……北
makochanさんが鳥海山に登った記事をアップしていた時に思い出した事・・・大彦命のこと鳥海山は、元は、トミヤマ=鳥見山とよばれていました。なぜ、トミなのかは、二ギハヤヒ降臨地と聞いており、鳳凰を想像するもので、丸子氏(ワニ)が住んでいた所で、昔から鳥肉は食べないタブー地域だったからです。しかし、このトミの山名由来が出雲口伝では、大彦命であったと。出雲について、詳しい方からいろいろ教えてもらうと、やっぱり出雲の足跡を残さないように名前を伏せていることにあるみたいだ。
「3歴代ノ天皇(その9)」今日は、東京遷都みなさん、おはようございます夜中の大雨はすごかったです山火事は鎮圧できたでしょうかわが国のチカラ神のご加護に感謝ですさとうみつろうさんとともにハタカツをしましょう去る前に三月!一文字一文字にチカラを込めて笑顔で楽しく國史を学び家族教育力の向上ご自身の向上にお役に立てれば幸いですコメントお待ちしています!3月28日は明治天皇は東京に行幸され東京城を皇城とすると発令されます遷都の詔はでておらず御旅
会津の地の群発地震が収まりませんね。日本列島の真ん中で、なにが起きているんでしょう。私の住む茨城県は太平洋側、彌彦神社のある新潟県は日本海側。私の家から新潟へ車で行くときは、磐越道を使います。福島の猪苗代湖方面に向かい、日本海側へと曲がります。高速道路なのに、一車線の区間がある怖い道なんですが、そこに会津の地に降りる出口があります。いつも通る度に行ってみたいなと思っていました。彌彦神社に行くなら、会津にも行かねばと決めて、旅の計画は弥彦に二泊としました。新潟を朝早くに出発して、会津
●第二章⑪『和名抄』に「邪馬台国=糸島平野説」の傍証があった!『和名抄』(正式名は『倭名類聚鈔(わみょうるいじゅしょう)』は、朱雀天皇の承平年間(931~938年)源順が撰録したもので、日本最初の「漢和辞典」であると同時に、日本最古の「地理辞書」的性格を併せ持つ文献。『和名抄』には全国68カ国(壱岐・対馬の二島を含む)郡名と郷名が記録されているが、その中にすでに滅亡したはずの古代氏族の名の地名「物部、大伴、葛城、蘇我、平群(へぐり)、巨勢(こせ)」がある。天皇直轄地だった畿内五
荒覇吐神【北斗繪巻】によれば、荒覇吐神は丑寅日本の神である。荒覇吐神を祀る社には参道がなく、草木を1つたりとも採ってはならない為に鬱蒼と生い茂っているという。この神は神罰がきつく、地震・火山の噴火・津波・竜巻などを引き起こす。とは言え、万物の大元の神ではある。丑寅日本國及國主之創立丑寅日本国の国主は、安日彦王と長髄彦王である。2人は兄弟だと伝わる。上の絵には、安日彦と長髄彦の背後に岩木山があり、ここが青森県である事が分かる。向かって左には【
𧮾羽とは𧮾羽道主命(丹波道主命)で日本書紀に登場する皇族の将軍で四道将軍のひとり大彦命(古事記では大毘古命)北陸吉備津彦命(比古伊佐勢理昆命)西道武渟川別命(古事記では健沼川別命)東海とそれぞれ派遣された
ようこそ!!好きなことを好きなように好きなだけ発信してます。新地亜紀と同居人みっちゃんです。いつもご訪問ありがとうございます。*・・・*★*・・・*★*・・・*★*・・・*兄出雲振根ーいずものふるねー弟出雲飯入根ーいずものいいいりねー『日本書紀』にのみ、逸話が載っています。ある日、崇神天皇は、天照大御神と、須佐之男命の誓約で生まれた天之菩卑能命の御子、建比良鳥命ーたけひらとりのみことー『日本書紀』では、武日照命ーたけひなてるのみことー別名天夷鳥命ーあ
ようこそ!!好きなことを好きなように好きなだけ発信してます。新地亜紀と同居人みっちゃんです。いつもご訪問ありがとうございます。*・・・*★*・・・*★*・・・*★*・・・*丹波比古多多須美知能宇斯王ーたんば/たにはひこたたすみちのうしのみこー『日本書紀』では、丹波道主命たんば/たにはみちぬしのみこと又は丹波道主王と表記。父第九代開化天皇の第三皇子日子坐王ーひこいますのみこー『日本書紀』では、彦坐王と表記。母天御影神ーあめのみかげのかみー※
ようこそ!!好きなことを好きなように好きなだけ発信してます。新地亜紀と同居人みっちゃんです。いつもご訪問ありがとうございます。*・・・*★*・・・*★*・・・*★*・・・*比古伊佐勢理毘古命ーひこいさせりひこのみことー(亦の名を、吉備津日子命ーおおきびつひこのみことー)『日本書紀』では、彦五十狭芹彦命と表記。(亦の名を、吉備津彦命ーきびつひこのみことー)父第七代孝霊天皇母意富夜麻登玖邇阿礼比売命ーおおやまとのくにあれひめのみことー同母兄弟姉夜
長月も半ばになるというのに日中はまだ真夏(『たつまなつ』のノリ)…そろそろ冗談抜きで夏バテで動けなくなりそうな〝火打石〟、週一のウォーキングもいつになく辛く感じられる。庭の花たちの手入れもサボって、本当に今年の夏は酷暑やら地震やら台風やら、心安らかに過ごせる日が無い…ブログを書くのも一苦労(暑がりの癖にエアコンの冷気に頭痛がするため)。とはいえ文句ばかり垂れていても罰当たりなだけ、気合を入れ直して参詣記を書くとしますか。今回はGWの参詣記の最終回、兵庫県か
前回の続き、せんこくんの資料館にはいろいろ興味深い歴史がありました。そこで、ああ!そうだったのかー!と、ここで繋がった豪族がおりました。まず、先にこれ。環頭太刀合戦原横穴墓群では最大の玄室規模をもつ38号横穴墓で、装飾付大刀が出土されました。東北地方ではあまり見られないもの(宮城3、福島3)しか知られていないとの事。県内の横穴から出土したのは、ここが初めて。最もランクが高い人で権威を示すものです。★環頭太刀とは・・・「上古時代の刀剣の
舟津神社福井県鯖江市舟津町1-2-32崇神天皇が北陸平定のために遣わした四道将軍の一人大彦命を祀り、北陸随一の古社として古来より敬われてきました。「舟津社記」より崇神天皇の勅により北陸道へ遣わされた大彦命は、角鹿(福井県敦賀)の津(港)に赴き、八田(舟場の地名)より舟に乗り深江に到りそこに舟を付けました。そのことからその場所を「舟津」といわれるようになったとのことです。また、途中で「塩垂の長」という長老に教えを受けたとありますが、その長老は猿田彦命である
神谷神社(神谷太刀宮)(かみたにじんじゃ)丹後国熊野郡京都府京丹後市久美浜町1314(境内に駐車可)■延喜式神名帳神谷神社の比定社■旧社格郷社■祭神丹波道主命[配祀]八千戈神天神玉命(アメノイクタマノミコト)天種子命久美浜湾の底、海に近い久美浜町の市街地に鎮座する社。「久美谷川」の河口部に位置します。◎当社の出色は丹波道主命を主祭神として祀る稀有な社(全国唯一とも)ということと、なんと言っても迫力ある「神谷磐座群」。◎丹波道主命は崇神天皇により四道将軍として丹
2024年6月15日の丹後王国ぶらり散歩、神谷太刀宮からスタートです琴引浜鳴き砂文化館の展示で「丹後王国」の文字を見てから、気分はすっかり丹後王国!家にある「日本の古代豪族」も確認すると、この神社が出てきました。これは行くべし!御祭神は丹波道主命、八千戈神、天神玉命、天種子命。丹波道主命は、崇神天皇が東海・北陸・山陰・山陽に派遣した四道将軍のひとりで、丹波国(丹波・但馬・丹後)を平定したそうです。しまった、敵だった丹波道主命が出雲から八千戈神をお迎えしたそうで、八千戈神は大国主神の
崇神天皇の夢の中に神があらわれて「赤の楯を8枚赤の矛を8本墨坂の神に祀りなさい。また、黒い楯を8枚黒い矛を8本大坂の神に祀りなさい。」と告げました。墨坂の神(現墨坂神社)大坂の神(現大坂山口神社(逢坂と穴虫の二か所あり)崇神天皇は「民を導く根本は教化にある。今、神々をお祀りして災害はなくなった。けれども遠国の人々はまだ教化に預かっていない。そこで、卿等を四方に遣わせて我が教化を広めたい。」と、話されました。●四道将軍・大彦(孝元天皇の皇子)ーーーー北陸
「古代の丹波の地は、とても関心を持っていました」とノンフィクシ作家で歴史系YouTuberの茂木誠さんは仰います。当初、大和政権が完全に支配下に置くことができたのは大和地域周辺だった思います。特に東北地域には「日高見国」がありましたし、九州や東海以東はそれぞれの首長が治めていたのですから、全国を一つにまとめきれてませんでした。そこで崇神天皇(第10代)は、皇族の指揮官として四道将軍を北陸、東海、西道(中国)、丹波(丹波国・丹後国・但馬国)に派遣し、全国平定を図ったのでした。
公式ブログをはじめました。現在は、過去記事のアーカイブをおこなっています。(2018/11/03)比沼麻奈為神社から南東に800メートルほどゆくと船岡(ふなおか)神社があります。四道将軍のひとりとして丹波に派遣された丹波道主命(たにはみちぬし)を祀る神社です。ここは、丹波道主命の邸宅跡といわれています。↓つづきはこちらからお願いします。京丹後めぐり11船岡神社四道将軍のひとりとして、丹波に派遣された丹波道主命を祀る神社です。丹波道主命の
大物忌に対し、小物忌もあるのです。飛鳥(とびしま)は、新潟県の粟島、佐渡島とは一直線に結ばれた海の道であり、古来より交流があったという。飛島の由来はわかりませんが、UFO目撃多発地域。UFOが飛ぶ島→飛島としておこう。。。島の名称の由来には、鳥海山の山頂が噴火によって吹き飛んで島になった伝説に基づくとする考えもあるが、古地図には海獣の名前を冠した「トド島」「トンド島」と表記する例もあり、決め難い。なお、島内に祀られた小物忌神社は、鳥海山大物忌神社と対をなしている。(
新潟県十日町松苧神社からの妄想。奴奈川姫はコノハナサクヤヒメだった!奴奈川姫は大国主との間にタケミナカタをもうけた。→大国主は役職名、この場合はナガスネヒコではなくタケミカヅチだ㊙️だがタケミナカタのホントの父母は長髄彦=ヒコクニオキツとオキツヨソタラシ姫だ。そして、松苧が松尾。大山祇の娘コノハナサクヤヒメが大山咋に変えられた。㊙️栃木の大神神社と同様に、大山咋と大山祇の混同が見られる。大山咋=大山queen㊙️大山祇がコノハナサクヤヒメの父であるのは通説。われわれ的にはスサノ
長崎ぶらぶら道中ランタンフェスティバルが開催しました。中国の春節(旧正月)を祝う祭りです。久しぶりに浜の町方面を散策します。街は2日後から開催される『長崎ランタンフェスティバル』の準備に追われてました。2月17日は皇帝役として福山雅治様がパレードします。眼鏡橋から撮影台船の上に乗って飾付の作業をしているのだと思っていたら、胴長を着用して極寒の川の中で飾り付けをされていました。ランタンは美しいです。千と千尋の神隠しの様な幻想的な世界が味わえま