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3月になりました。お空や田んぼから白鳥がいなくなりました。知らない間にシベリアの地へお帰りになったのかもしれない。2月は何かと忙しくてほとんど読書が進まなかったですが、3月はもうちょっと時間ができるといいな。この本は、戊辰戦争時の長州藩を描いた本です。戦争で幕府と戦った「穢多」の人たちのお話でした。切り口は新しいかもしれないですが、感想としてはう〜ん微妙かなって感じもします・・・内容は以下の通り。藩内のとある村を訪れた長州藩の上士、冷泉清雅。この冷泉清雅と
お盆で少し暑さがやわらぎましたかね皆さん、ゆっくり出来ていますか我が益子道場は今週の稽古はお盆休みです。自分は仕事はしてますが盆休み中なので、先週金曜日の稽古をお伝えします。親父殿に福箱を貰ったのですコレなので、稽古生の景品にしましたえっと、、稽古の前に写真を撮りましたよ。町からの依頼です。1人足りないんですけど~パソコン処理して1人増やしてみます大丈夫かな…。『何とかなるさ!』も極真精神!前半は型をやりました。
サッポロファクトリー(サッポロビール工場跡地)の隣り永山記念公園内にある旧永山武四郎邸と旧三菱鉱業寮→薩摩藩士・屯田司令官や第二代北海道長官時1889年8月奈良県十津川大水害の被災民移住に協力(新十津川町)前日に待望のロニョンを頂いたのですが全て消費できなかったので急遽伺いました大川シェフ自ら他テーブルへロニョンを売り込むものの反応薄でした所用がある為スピーディーな提供をお願いしたら40分程度で退店出来ました感謝滝川産鴨の蒸し焼き、アンチョビマヨピレネー産乳飲み仔
13Feb.1875明治政府が平民苗字必称義務令という太政官布告を出し、すべての国民に姓を名乗ることを義務づけたことに由来。
「2大国主の神裔(しんえい)天若日子(その1)」今日は、身分呼称みなさんおはようございます今日は新月です新しいことを始めましょう日本の暦を実践しましょう小さなことから少しずつみんさんとともに楽しく國史を学び家庭教育力の向上ご自身の向上のお役に立てれば幸いですコメントお待ちしております!1月29日は皇族、華族、士族、平民四民平等を進めました平民に名字の使用を認めました大国主の神裔(しんえい)天若日子(その1)~マー君カー君の美
1868年戊辰戦争が起こるが、箱館で明治維新が終わったわけではない。ここからが革命の本番だから。1869年、版籍奉還。人民と土地は天皇に返す。1871年、廃藩置県。藩のお殿様を廃して、郡県制に。1871年、四民平等。お殿様や公家を華族、武士を士族とし、士族と町民・農民と同じ階級になる。士族に所属が無くなり、牢人となる者多し。1873年。徴兵制。国民から徴兵。国を守るのは武士の特権ではなくなった。1876年、廃刀令。1876年、秩禄処分。士族の給金を無くす。お殿様は特権階級
気になる人へ結果は・・・「船木の音沙汰」から
戊辰戦争の初戦となった慶応2年(1866)の鳥羽伏見の戦いでの幕府方の敗因を,兵器の差だとするのは間違っている。兵力でみれば,幕府軍が装備も含め圧倒的だったのである。当時,幕府は完全洋式編成の歩兵連隊5個,フランス陸軍の教官から指導を受けた伝習隊や,撒兵隊、奥詰銃隊などを有していた。たしかに幕府軍は寄せ集めの混成軍で,旧式のゲベール銃を使用していた藩も多かったが,新式兵器が,その勝敗を決めたというわけではない。幕府軍の主力の一つであった桑名藩も,軍制改革により,洋式軍隊を持っていた。
1868年に明治維新を迎えた新政府は、江戸幕府からの体制移行を着々と進めていました。そのひとつが翌年6月17日から始めた『版籍奉還』ですが、その約1週間後すなわち今から155年前の1869(明治2)年6月25日から着手したのが、〝四民平等〟といわれる身分制度の再編。とは言え、大名・公卿を〝華族〟、武士を〝士〟・〝卒〟、農・工・商を〝平民〟にするというもので、厳密には四民平等とは言えないものでしたが・・・。これは後の戸籍法(↓)の制定にも繋がるもので、要は身分に差をつけず富国強兵を目指す布石
日本の国民は、役所の言うことに従順に従う。時代劇では、お上の言うことは絶対であり、逆らうことは許されない時代として紹介されているが、明治維新を迎えて、四民平等の社会になっても、お上に対するイメージは変わらない。新型コロナウイルスの感染拡大を防止するため、政府は、「緊急事態宣言」の発令、「まん延防止等重点措置」などの指定をするなどし、国民に外出自粛、飲食店へは時短営業などを要請した。一部では要請に従わなかったが、国民の大半は政府や自治体の指示に従った。それ
※マンエフェ情報局の方でも記事にいたしましたが、士農工商(身分制度)は、下記画像のwiki等にあるように、90年代に考証が進んで、(無かった事に)覆ったと言う事になっていますが、(この件がマンエフェ絡みではないとした場合)不可解な点もあります・・◎他サイト記事士農工商は実在しなかった!?/徳川家康公の平和に対する深い想いを、世界中の人に知ってもらいたい!-クラウドファンディングREADYFOR江戸時代の身分制度として有名な「士農工商」ですが、実は江戸時
しかし梅岩はこれに異議を唱え、士農工商の別は単なる身分の上下の差ではなく、職分の相違であるとした。つまり士農工商はそれぞれの役割を分担する国家社会、国民共同体の成員であり、商人は商人ならではの存在理由があり、決して侮蔑されたりまた自ら卑下すべき身分でなく、商工(商人・職人)の人々は「市井(市中・町中)の臣」であり、武士には武士道があるように、商人には商人道があることを教えたのである。商人は君を助ける「市井の臣」としての職分を自覚して決して卑下することなく、誇りを持って
最近電話で話したのは誰?▼本日限定!ブログスタンプあなたもスタンプをGETしようアメブロさんはおもしろい♪たしかにトークの日には間違いないですが…毎月19日ですよね♪ここをネタにもってくるんだと…笑顔になりました♪そこはブログネタに忠実に…9月19日『苗字の日』の『トーク』を展開していこうと思います♪明治維新の文明開化で四民平等♪身分制度を廃止してみんなが苗字を名乗れるようになった♪…学校ではこんな風に習いました…それまで武士以外は苗字
吉田松陰と明治維新の考察現在、日本各地にある神宮といっても、下に「宮」がつくのは被差別された存在という事を念頭にまず入れておくべきである。ここの処がよく呑み込めず、一変した明治以降の観点で考えてはならない。なにしろ京の祇園花街の発生も、赤塗りの宮を護ってゆくために、官女が身を挺して乱暴され壊されるのを防いだからで、こうした例は何処の宮にもあったのである。さて吉田松陰の「討賊始末記」の本に、長門大津の川尻浦山王社の宮とよぶのがあり、宮番で堂守りの幸吉は妻登波の他に両親と年頃の妹四人と、ひ
明治政府の「四民平等」の理念を反映し、1870年9月19日(旧暦)に「平民苗字許可令」が公布されました。江戸時代は、功績のあった農民や町民に苗字が許されるました。もう一つの褒章は帯刀です。合わせて「苗字帯刀」ですが、苗字と帯刀は別々のものでした。苗字や帯刀を許した藩主等にそれなりの御礼をしました。まあ、藩への寄付金ですね。1870年当時は情報化社会ではありません。苗字が許可されるのはいいが寄付金を要求されたり、地租改正で税率が高くされるのでは、といった懸念や誤解から、平民からの苗字申請は増えな
今住んでいる…兵庫と神戸の歴史について少し詳しくなれました(°▽°)!神戸謎解き散歩(新人物文庫)4,593円Amazon幕末維新の兵庫・神戸1,890円Amazonオススメ度…★★★響いた内容…神戸謎解き散歩より…・上質な神戸ワインはなぜ生まれ、しかし、この数年はなぜ苦戦?・神戸スイーツ発展の原動力はロシア革命にあった?・戦後半世紀にして判明した、神戸に落とされていた原爆模擬爆弾とは?・東海道線の終点が神戸になったのはなぜ?・水戸黄門の銅像が湊川神社にあるのは
前回我々は、『星の王子さま』読解の「キーワード」・「アプリヴワゼ」の訳語12個を列挙した。今回は、サンテグジュペリの名前の「ド」について。我々は、論語漫歩491「星の王子とキリスト」で、ユング学派の巨頭フォン・フランツ女史の『永遠の少年・星の王子さまの深層』1982年紀伊国屋書店を引用した。彼女は、そこで、『星の王子さま』第二章に登場する「羊」を、「キリストの象徴」ととらえ、次のように言う。ふつう羊はキリスト自身の象徴であるところで、「フォン・フランツ」の「フォン」は
明治政府は中央集権的支配を確立するためにさまざまな改革ー財政基盤確立のための地租改正や富国強兵殖産興業政策などを実施した。政府の改革に不満な士族は各地で反乱を起こしたが政府の軍隊により鎮圧されて明治政府の支配体制は確立していった。地租改正江戸時代は年貢は米で納められていたが豊作と凶作の時によって米の価格が変動するなど税収が不安定であった。また米穀は収納や保管に不便であり、各藩によって税収が統一されていなかった。そこで明治政府は廃藩置県後の財政を安定させるために税制改革をすすめた。
我々、日本国民にとっての天皇陛下の役割というものが理解しきれていない。しかし、天皇家の長い歴史は一貫として存在し、途切れることなく連綿と続いて、天皇陛下としての役割を果たしてきた。江戸時代は徳川将軍家が元首の役割を担い、幕末、外国に対し大君を名乗ったが、その影で、天皇は黙々と本来の役割を果たしてきた。明治からは、明治天皇、大正天皇、昭和天皇らは明治憲法の下、諸外国の皇帝と同じ役割を追加的に担わされてきた。戦後、昭和天皇以来、象徴天皇として本来の天皇の役割を担ったことになる。本来の天皇の役割と
『翔ぶが如く-二』-司馬遼太郎●退去-25✪事実、「長洲の陸軍」といわれる郷党閥が成立するのはこのときからであった。兵衛の中の薩摩人たちは、ほとんど発狂状態に近かった。士族であることに他の旧藩と比べても比べものにならないほど強い階級的自負心をもっていた薩摩士族は、新政府がつぎつぎに打ち出してくる士族否定政策に激烈な反感をもっていた。四民平等という政府や世間に流れはじめている新思想が不愉快であるだけでなく、武士の世襲的任務であった軍事の面でさえ、新政府は百姓のせがれどもを徴募して兵に仕
早春の訪れを告げるのは、梅。梅の名所といえば、水戸の偕楽園。偕楽園梅祭り期間中のライトアップが行われます。幻想的です。江戸時代に大名庭園で四民平等分け隔てなく開放した唯一の公園。その名も、人、皆、楽しむ園。偕楽園。日本三名園の一つと言うよりは、世界一の公園と私は誇りに思っています。以下が、偕楽園Facebookから許可を得て転載させて頂きます。【#偕楽園#光の散歩道について】#水戸の梅まつり期間中、毎年好評の#ライトアップを行います♪#梅だけに限らず竹など園内
戊辰戦争は薩長を中心とした官軍と、最後まで幕府と武士を擁護した奥羽越列藩同盟の賊軍の戦いであった。長州藩は初めから尊皇攘夷の観点から倒幕を目指したが、薩摩、土佐、肥後などの官軍諸藩は同床異夢の公武合体の観点から、天皇と武士による政権を目指して倒幕を進めた。いざ明治新政府が出来てみると、幕府を倒す功労のあった武士達の立場が微妙になった。武士の特権と俸禄を無くさない限り、西洋列強に対抗し富国強兵を進める明治新政府は運営出来なかったし、四民平等を目指す農工商身分の庶民の世論が納得しない。これに対
征韓論を主張していたのは、留守政府の首脳であった西郷隆盛(薩摩藩)・板垣退助(土佐藩)・江藤新平(佐賀鍋島藩)・後藤象二郎(土佐藩)・副島種臣(佐賀鍋島藩)らであった。彼らは王政復古後の薩長土肥の四藩の内、長州藩を除いた代表者達だった。そして、彼らの征韓論の主張が敗北し、彼らは政権から下野することになる。その後、秩禄処分と前後して、彼らの所属する藩の藩士達は反乱を起こしたり、明治新政府を批判する自由民権運動を立ち上げたりすることになる。改めて幕末から明治10年の西南戦争まで俯瞰すると、、、薩
江戸時代まで徳川幕府と東国の武士達が日本を支配していた時代、個性と儒教に基づく階級差別意識のある武士達が主人公であった。これに対し、明治維新を達成した現在、天皇が唯一のトップの四民平等の世の中になった。明治維新を主導した吉田松陰先生以下、みんな対等の立場であった。また、長州の庶民も目立つことを嫌う全員平等の意識が元々あり、徳川幕府を構成する東国の武士達とは反りが合わなかった。この平等意識が阿弥陀如来の下に平等と言う浄土真宗(一向宗)の教義とも一致し、長州人は強固な安芸門徒であった。これは、戦
アイヌの文学(1977年)(岩波新書)302円Amazon北海道の先住民族であるウタリ[アイヌ]の歌を日本語に翻訳し、アイヌ文化の先行研究ともいえる書籍。新書ながら優れた研究成果を述べている。アイヌの歌も重要であるが、本書の写真に描かれているウタリ達の実像や、紋章を見れば現下我が国は日本民族だけではない。多種な人種が混在する[帝国]で有ることが、ある程度理解できる。以下余談であるとお断りしたい。幕末ファンの悪しき部分は《凾館戦争》をもって、幕末は終焉したと勝手に解釈し、
福澤諭吉の「学問のすゝめ」は「天は人の上に人をつくらず、人の下に人をつくらず、...」という文から始まります。しかし、皆が平等である社会主義や共産主義を述べたわけではありません。人は生まれながらにして平等であるが、学問をするかしないかによって格差が生まれると述べたのです。そして、その学問とは狭い意味の学歴主義を指すのではなく、大工ならば大工の技を学ぶ事や床屋ならば床屋の技を覚えることも学問と述べています。福澤諭吉が嫌ったのは江戸時代の身分制度でした。江戸時代の身分制度とは殿様に生まれた
華族誕生名誉と体面の明治(講談社学術文庫)1,166円Amazon浅見雅男(著)明治の御代で四民平等としながら、何ゆえに《華族》という階級を明治政府が新設したのか。更にかつての大名家や公家階級が、《華族》の階層に不満を持ち、如何にごねたのか。彼らの滑稽極まりない状況を学術文庫に纏めた物。浅見氏によれば、華族研究については大久保利謙氏の先行研究が詳しいそうで《華族制度の創設〔大久保利謙著作集3掲載〕》が詳しいとの話。★★★★★