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水曜日の千唐流空手道直真塾吉祥寺少年部の稽古の話です。この日は四方拝(シホーハイ)の形の稽古も行っていました。こちらの稽古では裏拳打ちのところも注意しながら行っていました。この形の中で出てくる最初の裏拳打ちの箇所は中段突きに対して落としながらの箇所になります。下半身としては交叉立ちをとりながらになるということも特徴になります。こちらの稽古生たちは初めて行う子たちはいませんでしたので、かたちを作ることは少しは慣れています。しかしながら、なん
火曜日の千唐流空手道直真塾三鷹少年部の稽古の話です。この日は全体での動きから行っていましたが、形の入りから行っていきました。千唐流の基本型から進み、形の段階に入った時、全ての形に共通する入りが下イラストの動きになります。こちらは千唐流独特のものになりますが、この動きには意味があり、そこにはその思想も含まれています。千唐流の思想としては和忍があります。まず気を付けの状態から外八字立ちをとり大きく手を広げていきます。この動作は大きく円を描くように
土曜日の千唐流空手道直真塾一般部の稽古の話の続きです。こちらでは形の稽古も行われていました。今回は大会を意識して、一人ずつコートに入り演武しているのを想定して行われました。コートに入る場合も、間の取り方があり、コートの入り方や演武前の形の名前を発する前での礼のしかたなどの注意がありました。それぞれ自分の形を行っていましたので、いくつかの種類がありました。まず、四方拝(シホーハイ)の形を行っていた塾生の話です。高校生の塾生ですが、後輩の指導もするこ
嘉祥三年(850年)三月二十五日、文徳天皇の第四王子惟仁(これひと)親王が誕生しました。本日は旧暦では三月二十五日ですから今ぐらいの時期でしょう。(改暦は何度もあったため、単純に旧暦で考えています。)惟仁親王の御母は、藤原良房の娘の女御明子(後の皇太后)であり、良房は摂政宣下を受け、皇族以外で初めて摂政の座に就き、以後藤原北家全盛時代を築いています。そのため、惟仁親王は三人の異母兄を超えて生後八か月で立太子されました。そして、天安二年(858年)十一月七日父帝の崩御により満年齢八歳で即位さ
土曜日の千唐流空手道直真塾一般部の稽古の話の続きです。こちらでは四方拝の形の稽古をしているグループがありました。そちらのグループを担当していた時の話です。まず、形の入りのところから意識してもらうところがありました。上が形の入りのところですが、気をつけの状態から左足を開く時に両手が大腿部横からわずかに離れてしまうケースがありました。左足を開き、外八字立ちになってから、たしかに両腕を大きく広げてはいくのですが、それが少し早かったということです。
本日は、退位と譲位の逸話が有名な天皇の祭日が重なっています。★第六十五代花山(かざん)天皇は、平安時代の天皇です。御名は師貞(もろさだ)。安和元年(968年)生。御父は冷泉天皇、御母は藤原懐子(かいし/かねこ)。在位、永観二年(984年)から寛和二年(986年)。冷泉天皇の第一皇子である師貞親王は、叔父円融天皇の即位と共に生後十ヶ月足らずで皇太子になりました。これは、外祖父の藤原伊尹が摂政だったからです。しかし藤原伊尹は、師貞親王が十七歳で円融天皇の譲位により即位し
一昨日の記事の続きで火曜日の千唐流空手道直真塾一般部の稽古の話のものです。こちらでは四方拝(シホーハイ)の形の分解・解説の稽古が行われており振り返りながら裏拳打ちを行う箇所の分解・解説を行っていました。振り返りながら転身をしながら行うというところは、その一昨日の記事でもかたちを変えたもので行ったところまでも書いていました。さらに行っていたのが、形の動作通り背面からの動きとして捉えたものではなく、正面で捉える動きでかつ、組手の動きに変化させたものです。ですので、通
火曜日の千唐流空手道直真塾一般部の稽古の話です。こちらでは四方拝(シホーハイ)の形の分解・解説の稽古が行われていました。今回は終盤の動作のところです。上イラストにあるように後方に振り向きながら裏拳打ちを放つところです。通常の分解としては下イラストのようになります。後ろからの追い突きに対して、それを察知して動く動作となります。普通にやったとしても後ろを察知することは難易度が高くなります。そのため、号令をかけながら、それに合わせて
火曜日の千唐流空手道直真塾一般部の稽古の話の続きです。こちらでは四方拝(しほうはい)の形の分解・解説の稽古が行われていました。こちらでは鷺足立ちでの下段払い→横蹴りの箇所も行われていました。下イラストの動きになります。こちらの分解としては相手からの中段前蹴りに対しての動きになります。ただ前蹴りに対してとはいっても相手の蹴り足に対して内側から受けるのか外側から受けるのかによって力の加わり方や、そのあとの相手との体勢が異なっていきます。ここでは、
一昨日の千唐流空手道直真塾一般部の稽古の話です。こちらでは四方拝(しほうはい)の形の分解・解説の稽古が行われていました。昨日の記事の続きとなりますが、裏拳打ちから中段前蹴りへの動作のところです。通常の組手の構えからの動きでの展開の中で、中段前蹴りではなく、下段前蹴りもあります。この時は膝関節に対して的確に蹴込んでいくコントロールが必要になります。ここでは膝の膝蓋骨のちょうど上のあたりから打突していくことになりますが、数をこなしていくとズレが生
昨日の千唐流空手道直真塾一般部の稽古の話です。こちらでは四方拝(しほうはい)の形の分解・解説の稽古が行われていました。今回行っていたところのひとつが下イラストの箇所です。裏拳打ちからの前蹴り、さらにイラストにはありませんが中段二連突きへと続くところになります。まず通常の分解での動きから行われていました。こちらでは内八字立ちの状態からスタートして相手からの右中段追い突きに対して一歩下がりながら裏拳打ちを極める動作が最初の動きとなります。下イ
明暦三年一月十八日から二日間、西暦では1657年の3月2日から3月4日まで江戸を焼き尽くしたのが江戸三大火災の一つで最大の明暦の大火です。これにより江戸は防災都市に生まれ変わったといわれています。また、江戸城は江戸時代三度建設されましたが、この明暦の大火で焼失後、天守台は造られましたが天守が再建されることは二度とありませんでした。その明暦の大火で焼失した江戸城の天守の模型が皇居東御苑で公開されています。江戸城天守復元模型-宮内庁www.kunaicho.go.jpところで
最勝十一方格祝詞さいしょうじゅいちほうかくのりと手天道衛教・自分神話研究会手天による脳内会議を行うあなた。あなたを11の方位から守護する神様。そして、その神様に行う儀式。【最勝十一方格祝詞】(さいしょう・じゅういちほうかくのりと)それではこれから以下に「最勝十一方格祝詞」(さいしょうじゅういちほうかくのりと)の次第を通しで記載いたします。まず「最勝十一方格祝詞」を奏上することを「方格を切る」と言います。「方格を切る」とは、「衛教祝詞」から「御触れ」もしくは「配賽」までの一連の「
良縁引き寄せ産土神社鑑定士の本宮麻貴です。あなたのオンリーワンの担当の神様(産土大神様)と繋がることのできる産土神社の鑑定をしています。その方に何かできるのは産土大神様だけだと言われています。なので、日本人なのに産土神社を知らないのはもったいないです。まず産土神社を知るところから開運のスタートを切ってくださいね❗❗🍀産土神社についてはhttps://kekkondekiru-uranai.com/shinto-shrine2産土神社とは?産土神社鑑定士の選び方とは?産土
今日から『癸卯』の年が始まりました。夜明け前に起きて、四方拝をし、節入りの今日のみ書くことができる『立春大吉日···』のお札を書きました。一年に一度、誰にでも書けるお札です。今年もどうか健康で、充実した一年になりますように✨今年も一年、お守りください。
火曜日の千唐流空手道直真塾一般部の稽古の話の続きです。こちらでは四方拝(シホーハイ)の形の分解・解説の稽古が行われていました。行っていたのは下イラストの分解の動きでした。こちらを条件を変えて行っていましたが、その中ではお互いに組手の構えの状態からのものもありました。この状態ですと、公式な動きである内八字立ちからの変化と異なり、正面方向に対して奥足を軸足に寄せる距離が発生します。左右の持ち幅は内八字立ちからのものと比較すると短くなり、その短い距離の
一昨日の千唐流空手道直真塾一般部の稽古の話です。こちらでは四方拝(シホーハイ)の形の分解・解説の稽古が行われていました。行っていたのは下イラストの動きの箇所です。90度への転身をしながらの突きの箇所になります。組手の動きに活用するとなると、昨日の記事の中のような体捌きをしつつ、相手の突きをかわしながら突くということになりますが、この分解・解説の千唐流の公式なものでは突きを使ったものではありません。では、何を用いるかというと、その突きの裏側にある後
昨日の千唐流空手道直真塾三鷹少年部の稽古の話です。こちらでは大会のための基本型と形の稽古も行っていました。その中では四方拝(しほーはい)の形の稽古も行っていました。下イラストは最初の用意の姿勢から両拳を引くところです。こちらは後ろ猿臂の意味もあり、きちんと腰に引き肘を後ろに押し出していきます。猿臂としての機能を持たせるためには背中とともにハラが締まっていないといけませんし、それを十分に生かすために土台となる立ち方ができていないといけません。そ
昨日の千唐流空手道直真塾昭島中高生部の稽古の話です。この日が昭島支部の今年の稽古初めでした。吉祥寺支部もそうですが、現在少年部と、中高生部に分かれて稽古が行われています。昔は幼稚園や小学生だった子たちが、中学生、高校生と成長されてきているためでもあります。それだけ長く続けてくれていることに、とても有り難く、そしてその成長を嬉しく思います。(三鷹支部の場合は、少年部卒業後は一般部へ移籍します。)ですので、昨日書いていたのは、吉祥寺支部の中でも少年部の方のも
昨日の千唐流空手道直真塾三鷹少年部の稽古の話です。この日が三鷹少年部の今年の稽古初めでした。こちらの支部でも年始ということで四方拝(シホーハイ)の形から行っていました。まず、儀礼形でもありますので、新年の挨拶をこめて、その意味合いで行っていきました。そこからですが、来月行われる大会のための稽古としてもこちらの形を行いました。こちらは四方に90度転身しながら突きを行うところがありますが、視線の取り方がポイントの一つです。平視平眼で水平に視線を動かしていきます。
★第三代安寧天皇は伝承上ともいわれる時代の天皇です。それは古事記でも日本書紀でも記載が少ないからだといいます。しかし偉大な創業者のすぐ後は、陰に隠れてしまうことはよくあることであり、記載が少ないからその御代がなかったということにはなりません。また葛城の神である事代主の娘と神武天皇から三代続いての婚姻が続くことから、地域の地盤固めを行っていたともいわれます。婚姻は地域との結びつきを意味します。日向から来た一族には重要なことで、地域との繋がりができなければ繁栄もありえませんから、そうした代々の
テレビで放送された「天皇陛下の元旦祭祀四方拝」の映像天皇陛下は元旦の早朝に、寒い屋外で地面に座り、天神地祇に祈りをささげられます。http://www.dailymotion.com/video/xywgem_%E5%8F%B2%E4%B8%8A%E5%88%9D-%E5%A4%A9%E7%9A%87%E9%99%9B%E4%B8%8B%E3%81%AE%E6%AD%A3%E6%9C%88%E7%A5%AD%E7%A5%80-%E5%9B%9B%E6%96%B9%E6%8B%9D_li
天皇の至高の尊さ日本は太古から同一性を保持して現在に至っている京都左京区の大文字山麓を南北に流れる疎水近くの学生寮に住んでいた時、同じ寮に後に産経新聞の論説委員長をする皿木喜久氏がいた。小生は、昭和二十三年七月七日生まれで、皿木氏は、昭和二十二年四月二十一日生まれ、そして、「日本国憲法と題する文書」の施行は昭和二十二年五月三日だった。その皿木氏が小生に対して、「俺は帝国臣民として生まれたが、西村は帝国臣民ではなく日本国民として生まれたのだ」と、露骨に優越感に満ちた顔をして度
周防灘から昇る日の出を見たくて正月2日は平尾台に向かいました。当初、貫山に向かう予定が出発時間が遅れたので目的地を周防台(標高606.5m)に変更しました。でもこれが正解でした。なぜなら2日朝は、雲で太陽が見えなかったからです。山頂でしばらく待ちましたが、結局、太陽が姿を見せなかったので仕方なく下山しました。さて初日の出の源流は、四方拝にあります。四方拝とは、平安時代に始まったとされる宮中祭祀のひとつで、天皇陛下が元旦に天と地、東西南北の神様、山稜に1年間の
あけましておめでとうございます。天皇陛下の祈り四方拝については赤塚さんが、何度も発信してくださっています。『天皇の祈り「四方拝」』「願われている」ことなのでフォローやいいね!シェア、リブログはどうぞご自由に!大歓迎です!天皇の祈り天皇は、祈りの人です。天照大神から脈々とつながる…ameblo.jp天皇陛下の2023年新年のご感想天皇陛下皇后さまと2023年も各地へ新年の感想【全文】|NHK【NHK】天皇陛下はことしも新型コロナウイルスの感
神武天皇即位紀元2682年1月1日日曜日新年明けましておめでとう🌅🎍ございます❗️下元景太です😊本年度も宜しくお願いします💡一部の方には挨拶を交わし、いいねで新年挨拶をしています。挨拶またしていきます。この日は、四方拝があります。毎年1月1日(元日)の早朝、歳旦祭に先だって、宮中・神嘉殿の南庭で天皇陛下が天地四方の神祇を拝する儀式です。本当の新年は2月11日の紀元節です。我が国🇯🇵の旧正月です。四方拝と紀元節、自由民主党所属中田
全ての災いは我が身を通せ、とお祈りして下さる天皇を戴く日本国民は、永遠に幸せなんとちゃうか。あけましておめでとうございます。本年もどうぞよろしくお願いいたします。すっきり快晴!とは言われへん今朝の天気でしたが、まさに今の世界を暗示してるようです。いや、土砂降りでないだけマシ、なんかも知れませんね。私は例年通り連れ合いと、近所naniwakawaraban.jpこちらは上記のミラーサイトです。あけましておめでとうございます。本年もどうぞよろしくお願いいたします。すっ
明けましておめでとうございます。一年の始まりです。宮中では元旦に皇室祭儀の四大節のひとつ、「四方拝」が5時半より執り行われています。(しほうはい/よほうはいどちらも可)天皇陛下おひとりで、黄櫨染の御袍(こうろぜんのごぼう:陛下のみお召しになれる)で、皇居、神嘉殿の南側の庭の仮屋の中で天地四方の神々を拝する儀式。伊勢神宮、天神地祇(すべての神々)神武天皇陵、先帝三代の陵、武蔵国一宮(氷川神社)山城国一宮(上賀茂神社・下鴨神社)岩清水八幡宮熱田神宮、
【天皇陛下、新年の感想(全文)2023年1月1日】▽昨年も、地震や台風、大雪などの自然災害が各地で発生したほか、新型コロナウイルス感染症が引き続き社会に大きな影響を与えた年になりました。また、物価の高騰なども加わり、皆さんには、御苦労も多かったことと思います。昨年は、沖縄の本土復帰から50年という年でした。皇后と共に沖縄県を訪れ、沖縄戦で亡くなられた方々の御冥福をお祈りするとともに、平和の大切さを改めて心に刻みました。現在も世界各地で戦争や紛争が頻繁に起こり、多くの
『一月一日(いちげついちじつ)』作詞〜千家尊福(1845〜1918)一、年の始めの例(ためし)とて終なき世のめでたさを松竹(まつたけ)たてて門ごとに祝(いお)う今日こそ楽しけれ二、初日の光差しいでて四方(よも)に輝く今朝の空君がみかげに比(たぐ)えつつ仰ぎ見るこそ尊(とう)とけれ【祝祭日唱歌】◇年の始めは恒例のこの歌♪世界が終わることなく続く喜びをアメーバブログに書き記し皆様☆と祝える本日に感謝します✴️おかげさまで無事に佳き