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はっちゃん@zerofightercat🎌迎春🎌皇紀二六八三年令和五年睦月元日日曜日先負皆さん🇯🇵新年明けましておめでとうございます。旧年中は大変お世話になり、誠にありがとうございました。本年もより一層、ご指導ご鞭撻を賜りますよう何卒宜しくお願い申し上げます。…https://t.co/KO6as3og3S2023年01月01日04:27はっちゃん@zerofightercat一月一日今日は何の日宮中四方拝・歳旦祭元日、新年祭靖國神社御祭神ゆかりの主な出来事明治三十八年旅順
この1年ありがとうございました。伊勢神宮のことを伝えるぞと7月にブログを立ち上げて、8月から毎日記事を書くぞ!と書き続けてきました。書くうちに自分でもいろいろ気づくことがありました。やや、毎日書くことが目的みたいになっているので来年は、内容を整理してまた書き続けたいと思います。伊勢神宮の参拝者をもっと増やすこと。伊勢神宮のお札を全国の家庭に普及させること。「伊勢神宮は日本人の心のふるさと」を分かりやすく説明することを目指して来年も頑張ります!どうぞ
今年も残すところあと2日。新年の最後の準備で皆様お忙しいかと思います。幼い頃は、冬休みになると毎日この歌を唄っていました。お正月になると従兄弟達が大勢集まるのでとても楽しみだったのが懐かしいです。でも、お正月がなんなのか?とは大人になっても長い間知りませんでした。ということで、年末恒例の話題です。お正月はなんでおめでたいのでしょう?新年だから?歳神様がいらっしゃる時だから?歳をとるから?春が来るから?…さて衝撃の事実!実はお正月はめでたくありませ
賊寇之中過度我身(ぞくこうしちゅうかどがしん(賊寇は必ず我が身を通して下さい)毒魔之中過度我身どくましちゅうかどがしん(毒魔は必ず我が身を通して下さい)毒氣之中過度我身どくけしちゅうかどがしん()(毒氣は必ず我が身を通して下さい)毀厄之中過度我身(きやくしちゅうかどがしん(毀厄は必ず我が身を通して下さい)五危六害之中過度我身(ごきろくがいしちゅうかどがしん(五危六害は必ず我が身を通して下さい)五兵六舌之中過度我身ごへいろくぜつしちゅうかど
元旦の早朝に天皇陛下は皇居で四方拝(しほうはい)というお祭りをされます。このお祭りで天皇陛下は言葉を唱えるのですが、その言葉は、「全ての厄災は必ず我が身を通して下さい」という意味なのです。普通、魔よけの言葉はありますが、天皇陛下は国民のために、魔よせの言葉を唱えるわけです。天皇陛下と国民の関係は支配する者と、支配される者ではなく親と子のような関係です。四方拝の言葉からも親心のような気持ちで国民のことを想われていることがよくわかります。明日
昨日の千唐流空手道直真塾三鷹少年部の稽古の話です。この日が稽古納めで毎年行っている雑巾がけを最後に行いました。稽古の中での時系列としては最後になりますが、その光景からです。少年部の稽古の締めくくりとしてコロナ禍でありながら、今年一年こうして皆が元気に稽古させていただけたことを大変有難く感じながらの時間となりました。いつもはこちらの会場は全員ではなく係を決めてモップがけにて掃除をしておりますが、稽古納めは全員で雑巾がけをしています。全員で行
昨日のブログ、「四方拝をしよう」で大祓詞というものが出てきましたが、これが何か知らない方もいるかと思います。神社によく行く人、特に朝行かれる方でしたら神社で毎朝この言葉が唱えられているのをお聞きになったことがあるかもしれません。また、6月末と年末の大祓の時に唱えられるのも大祓詞です。お寺で唱えるのはお経ですが、神社は祝詞が唱えられます。その祝詞の代表的なものが大祓詞(おおはらえことば)です。別名中臣の祓ともいい、中臣家のルーツを物語るものでもあります。これは口伝で伝えられてきたもので
四方拝とは、元旦の宮中祭祀です。天皇陛下は、年末から禊を重ねられて、真冬の夜明け前、四方拝をされます。令和初の四方拝は、大晦日に強烈寒波が襲来とあり、元旦の夜明け前は相当冷え込んだ中、陛下として初めての四方拝に臨まれました。来年は、四度目の四方拝となります。四方拝とは年の初めに、天皇が国民に降りかかる禍を一身に引き受け浄化させようとする、天変地異をまさに御自身の責任とされた内容であり、これこそが国民を大御宝とする大御心の表れている宮中祭祀の一つです。宮中祭祀の中では、新嘗祭に続く重要
最勝十一方格祝詞手天道衛教・自分神話研究会・63それではこれから以下に「最勝十一方格祝詞」(さいしょうじゅういちほうかくのりと)の次第を通しで記載いたします。まず「最勝十一方格祝詞」を奏上することを「方格を切る」と言います。「方格を切る」とは、「衛教祝詞」から「御触れ」もしくは「配賽」までの一連の「四方拝」(八方除け)の所作を指し示しています。手天道衛教・自分神話研究会
衛教の祝詞・1手天道衛教・自分神話研究会・61科学と道徳の邂逅。最善の神々。伝統の四方拝。これから、衛教の祝詞をご説明していきます。正式には「最勝十一方格祝詞」(さいしょう・じゅういちほうかく・のりと)と称します。最勝とは、最善であるという意味です。十一方格とは、11の方角を守るという意味です。初めての方のため、わかりやすく説明します。これから、1・衛教の祝詞2・最高神、衛叉の祝詞3・方格のお祓い各種の順番にご説明いたします。次回から。で、一番
土曜日の千唐流空手道直真塾一般部の稽古の話です。こちらでは四方拝(シホーハイ)の形の稽古も行われていました。こちらでは全体の流れを通してのポイントのアドバイスが中山先生からありながら進められていきました。下は最初の方の動きである転身しながらの突きの部分です。こちらでは平視平眼(へいしへいがん)での視線のコントロールの稽古にもなっており、文字のごとく水平に視線を動かしていきます。これは武道言葉の一眼二足三胆四力につながるものでもあり、一番目にくる眼の基
民間の方位除け皆様、こんにちは。「衛教」、つまり手天道衛教です。最強の布陣で、あなたの人生の方位除けに役立ちます。正式に「四方拝」(しほうはい)と申します。大江匡房が記した『江家次第』(ごうけしだい)の中に、民間人もこれを用いる方法が記されています。私、衛叉は、その子孫です。ホント。ま、ご自身の眼でご確認下さい。ホームページのリンクご準備いたしました。Everythingforeveryone!あなたの人生の主役はあなた。それは逃れらない運命。あなたはあなたの人生を美
本日は、奇しくも法皇、天皇でさえも世の無常を感じずにはいられなかったことが特にわかりやすい天皇の祭日が重なった日です。昔も今も、世の無常は変わりませんが、現在の私達と同じ感情を共有していたであろうことを実感しやすい天皇であるといえるかと思います。★第五十九代宇多(うだ)天皇は平安時代の天皇、菅原道真を引き立てたことでも有名な天皇です。御父光孝(こうこう)天皇の第七王、御母は桓武天皇の孫の班子(はんし)女王。御名は定省(さだみ)。貞観九年(867年)生。在位、仁和三年(887年)
第五十二代嵯峨天皇は平安時代初期の天皇。平安京を開いた桓武天皇の第二皇子。御父は桓武天皇、御母は藤原乙牟漏。先帝の平城天皇は同母兄、次帝の淳和天皇は異母弟。延歴五年(786年)生。諱は神野(かみの)。在位は大同四年(809年)から弘仁十四年(823年)。父の桓武天皇が長岡京から平安京への遷都を行い平安時代が始まりました。しかしその長岡京への遷都や平安京への遷都には怨霊が絡んでおり、怨霊渦巻く平安京と言われる平安時代への幕開けまでの怨霊の動きを見ながら神野親王は育ちます。つまり、同母兄の
今回の京都旅行は四方拝の神社をね回りたかったのが1番の目的だったのよね『黄櫨染御袍は…』秘仏の聖徳太子立像天皇陛下が即位の時に身につけた黄櫨染御袍見たかったが見られなかった聖徳太子御火焚祭は非公開で今年も関係者のみで執り行うとの情報は知ってたでも…ameblo.jp前からいろんな事が気になっていてだから、実際に訪れてその場所の何かしらを感じ取りたくて訪れる前には辿り着かなかったヒントに不思議と訪れてみた後に行き着くことがあるそれが正解なのか真実なのかは???なのだ
【Q18235】毎年1月1日の早朝5時半に行われる、天皇陛下が皇居・神嘉殿の前庭で伊勢神宮の方角を拝んだ後、東南西北の順に四方の神々を拝み五穀豊穣や国の安寧を祈願する新年最初の宮中行事を何という?【四方拝(しほうはい)】【Q18236】1934年度の第7回アカデミー賞でシャーリー・テンプルに贈られたのが最初で、その後ディアナ・ダービン、ミッキー・ルーニー、ジュディ・ガーランド、マーガレット・オブライエン、ヘイリー・ミルズなど計12人に贈られた、かつてアカデミー賞に存在した特別賞の一つは何?
杉森八幡社さま。今日のお仕事、お昼お休みになったのでどこ行こうかなって、GoogleMapの探して程よい距離じゃんと。村積神社さまに決定。もう、何故になのかさえ、分からないけど。で、どんなとこかなあって、調べてたら、杉森八幡社さまが出てきたので、行っちゃおです。ご祭神と扁額に惹かれました。神功皇后さま。ご由緒は読めず。指で、調べました(スマホ)。なので、少しだけ当社は、天照大神を祀る神明宮であると共に、応神天皇や神功皇后を祀る八幡宮でもある。社歴による
昨日の千唐流空手道直真塾少年部の稽古の話です。こちらでは四方拝(シホーハイ)の形の稽古も行っていました。この形の最初の方ですが、四方に90度ずつ転身しつつ突くところがあります。順番に慣れていない子も徐々になれてきていますが、そこからさらにブラッシュアップをはかっていきます。90度の転身のみでなにも考えなければただ、足を動かすだけになってしまいますが、ここでは武術の基本通り、すり足が必要になります。踵側をなるべく動かさず運足していきます。さ
昨日の千唐流空手道直真塾三鷹少年部の稽古の話です。こちらでは四方拝(シホーハイ)の形の稽古も行っていました。順番から覚えていっていただいていますが、先日の記事でも書いていたようにその左右を交互に動かすものが小さい子は交互になっていなかったりします。その左右の足の動きの順序を覚えていただくために繰り返しその動作を行っています。下イラストはその左右の足を交互に動かすところの運足を表したものです。形ではこれに合わせて突きも行います。右足は前方へ左足は後方へ
先週金曜日の千唐流空手道直真塾三鷹少年部の稽古の話です。こちらでは四方拝(シホーハイ)の形の稽古も行っており、その続きです。下イラストはこの形の最初の動作のところです。両拳を後ろに引くところですが、こちらは後ろへの肘打ちつまり、後ろ猿臂としての武技の用法があり、それをきちんと意識していなくてはいけません。しかし、動作だけ覚えるとただ後ろに引くだけになってしまう傾向になり、そういった動作では武技にはなりません。武技の意識がない状態で単独で行っていると、
「お父さん、日本のことを教えて!」(赤塚高仁)第5章日本の決まり事🌸30「祝日」とは、何を祝う日ですか皇室の祭典を国民が一緒に祝う日かつて「祝祭日」→昭和23年から「国民の祝日」国民の祝日→「国民の祝日に関する法律」により決められた祝日→それ以前「祝祭日」→皇室や日本の伝統文化に基づいた祭りの日や祝いの日かつて皇室の祭典を国民が一緒に祝っていた→天皇陛下と国民の結びつきが強くなることを恐れたGHQが戦後なくそうとした→なんとかと残そうと祝祭日の呼び方を変え今に至る11月23
一昨日の千唐流空手道直真塾一般部の稽古の話です。こちらでは四方拝(シーホーハイ)の形の分解・解説の稽古も行われており、その続きの話です。下イラストにある後方に180度に転身しつつ、上段裏拳打ちを放つところです。こちらは動作としても転身動作が入る分、難易度が高くなりますが、実際に使用するとなるとかなり高度になります。それは後方の相手の気配を感じるところまで、求められることになるからです。最初は肉眼でみることを鍛えていきますが、そこから心眼の境地に至って
昨日の千唐流空手道直真塾一般部の稽古の話です。こちらでは四方拝(シーホーハイ)の形の分解・解説の稽古も行われていました。こちらでは下イラストにある鷺足立ちでの下段払いから足刀横蹴りのところも行われていました。こちらの分解としては下イラストのようになります。動きとしては、イラストにあるような相手の蹴り足の外側を受けるのが受け側として自分の身を守りやすくすることとしてあります。それは相手の蹴り足の外側から受けることで受けた時に相手の背後を取ること
火曜日の千唐流空手道直真塾一般部の稽古の話です。こちらでは四方拝(シホーハイ)の形の稽古の分解が行われており、前々回の記事で下イラストの動きのところまでは書いていました。続いて行っていたのが、お互いに組手の構えのものでの動きです。最初に行う分解・解説では形通りの動きで内八字立ちからの変化で行っていきますが、実際に動く際にはその限りではなく、いろんな立ち方からもありえます。特に組手の構えから動いていくということは多くありますし、そういった立ち方を変えた時に
昨日の千唐流空手道直真塾一般部の稽古の話です。こちらでは四方拝(シホーハイ)の形の稽古の分解が行われていました。この形は流儀としては基本動作や基本型のあとに、形に進んだ段階で学ぶ最初の形になります。最初に学ぶ形だからといっても重要なところがたくさんあります。ひとつは儀礼形としての存在で、琉球王朝時代にお祝いの席で奉納演武された形といわれています。そういった位置付けである形ですが、千唐流初代の教本からは新垣世璋先生からの伝授となっています。そして、
こんにちは。和倉エレナです。京都で絶対に行きたかったのが石清水八幡宮。大分の宇佐神宮福岡の筥崎宮とならぶ日本三大八幡宮の一社です。(現在はそれに加えて神奈川の鶴岡八幡宮も入るそう)私の産土神社と鎮守神社がともに八幡神社でして、ぜひともごあいさつしたかったんですよね京阪電車の「石清水八幡宮駅」から参道ケーブルカーで男山山上へ。緑豊かな山道を進みますと…こちらの参道に着きます。ずらりと並ぶ石灯籠が数多くの人に信仰されてきたことを表していますね南総門の手前
嘉祥三年(850年)三月二十五日、文徳天皇の第四王子惟仁(これひと)親王が誕生しました。本日は旧暦では三月二十五日ですから今ぐらいの時期でしょう。(改暦は何度もあったため、単純に旧暦で考えています。)惟仁親王の御母は、藤原良房の娘の女御明子(後の皇太后)であり、良房は摂政宣下を受け、皇族以外で初めて摂政の座に就き、以後藤原北家全盛時代を築いています。そのため、惟仁親王は三人の異母兄を超えて生後八か月で立太子されました。そして、天安二年(858年)十一月七日父帝の崩御により満年齢八歳で即位さ
本日は、退位と譲位の逸話が有名な天皇の祭日が重なっています。★第六十五代花山(かざん)天皇は、平安時代の天皇です。御名は師貞(もろさだ)。安和元年(968年)生。御父は冷泉天皇、御母は藤原懐子(かいし/かねこ)。在位、永観二年(984年)から寛和二年(986年)。冷泉天皇の第一皇子である師貞親王は、叔父円融天皇の即位と共に生後十ヶ月足らずで皇太子になりました。これは、外祖父の藤原伊尹が摂政だったからです。しかし藤原伊尹は、師貞親王が十七歳で円融天皇の譲位により即位し
本日2月23日は、令和天皇のお誕生日です。前回のブログで、日本の祝日と皇室は、大いに関係しているというネタを書きました。今日は、その関係している祝日の一つですね。以下は、日本の祝祭日で、そのうち天皇及び皇室に関連するものは太字になります。元日…四方拝(天皇が早朝に天地四方を拝する日)成人の日建国記念の日…神武天皇即位日天皇誕生日…今上天皇の誕生日春分の日…春季皇霊祭(歴代天皇・皇后・皇族など皇祖の神霊を祀る儀式)昭和の日…昭和天皇誕生日憲法記念日
昨日は最強、壬寅、壬寅、壬寅60年振りだとか子宮護り岐阜Bio-steam・よもぎ蒸し・リンパケアサロン福~fuku~オオイシです。メニュー/アクセス/メールで予約/電話をするそんな最強パワーの日に「四方拝」をさせていただきました我家から車で5分