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これから来たる仔猫の時期に向けてどうしても一部屋空けたくて、わらしべの和室にいた啄木と花子とアンを我が家のポコちん達の部屋に連れてきたんですよ。日曜日から三日経ちましたが。いや〜猫の多頭飼育の難しさをあらためて味わっています😅みんな少しずつストレス感じてるらしく、花子とアンは怒って唸ってて、さらにアンは右目に風邪症状が。銀次も目やに鼻水😭和室ではあんなに楽しそうだった啄木もしょんぼりしちゃって😢葵と蘭ちゃんはあまり近づかないし、興味ない感じかな😅啄木のために用意したベッドを横取り
市内を歩いていると転車台がありました。「小樽その2下水道蓋」でも触れた小樽市総合博物館でした。線路が道路を横切り市の中心部へ向かって続いています。明治13(1880)年に開業した官営幌内鉄道の跡で当時は札幌までつながっていたのだそうです。鉄道趣味はそれほどありませんが、博物館には入れたら貴重な展示物を見て回りたかったです。現役のJR線の橋脚や周辺施設にも煉瓦造りのものがありました。角の石もごついですね。どんな眉?「子を負ひて雪の吹き入る停車場にわれ見送りし妻の眉かな」
昭和50年(1975)無縁坂さだまさしさん当時23才さだまさしさん生まれは昭和27年(1952)4月20日生れ現在71才藤圭子(昭和26年生)より一つ年下未だ現役で輝いていらっしゃる。素晴らしい👏無縁坂歌詞一番母がまだ若い頃僕の手をひいてこの坂を登る度いつもため息をついたため息つけばそれで済むお母様を優しく気づかう心溢れる歌詞ですね。つい思い出します。石川啄木が歌った「一握の砂」からの短歌を思い出します。これからも末永く歌い上げてください
自分の誕生祝いに岩手のつなぎ温泉に行ってきたのだよ岩手富士と称される岩手山美しい翌日は雲がかかってました。贅沢にも露天風呂付きお部屋です♪気持ちよかった💕翌日は啄木の故郷渋民へ銀河鉄道で銀河鉄道は、ごく普通の古い電車でちょっとガッカリ車体に銀河の絵を描くとかもう少し浪漫が欲しかった。駅の階段に、啄木の短歌がいっぱいわたしの好きなのもあった。ひとり旅は、自由気ままでいい。温泉に浸かるだけで帰るつもりだったのでタイトなスケジュールを組んでいたからなんか慌ただしかった
わんこそばで満腹になった後は、中の橋近くを散策。中の橋すぐそばにある”プラザおでって”6Fの盛岡てがみ館へ。写真はありませんが、石川啄木、宮沢賢治、金田一京助など、盛岡にゆかりのある著名人の手紙を見ることができます。啄木が金田一京助の家に居候したり、食事時によくやってきた話とか。しかし、金田一京助は貧乏であった啄木の才能を見出していた、と。見学した後に見た、6階の窓から見た中津川、中の橋界隈。そして、もりおか啄木・賢治青春館にも立ち寄り。ここは旧九十銀行の本店本館だそ
今日は休みだったので街まで出かけてきました。バスで15分くらいなんだけどね😁用事を済ませ、せっかくだから城址公園を散策。今、石垣の復旧工事をしているので見てきました。300年以上前に作られた石垣が長い年月の間に数十センチズレてきているということで石をひとつずつ外し復旧工事が始まりました。矢穴がくっきり残っている石。城址公園の広場に並べられています。機械のない時代に手作業でひとつずつ切り出して積み上げ完成させたと思うと本当に頭がさがります。凄すぎる🏯公園入口付近。啄木の碑。『
4年ぶりの帰郷…コロナ禍のため…飛騨にある実家へは…ずっと行くことができませんでした…今回…ほぼ4年ぶりに…帰郷しました…実家に居る長兄と…1時間弱話をして…帰ってきました…私が故郷を離れるまで…毎日毎日見ていた故郷の山々は…何事もなかったように…どっしりと…存在していました…啄木の…この歌が…浮かんできました…
気が付いたら半年ぶりの出張。新千歳空港までは高速道路をロクナナで。80-100㎞の巡行で快調でした😁昔は毎週行っていたのに、すっかり行かなくなった。上野駅で時間が少しあったのでブラブラ。啄木の名句を発見高度成長期の昭和30年代もそうだけど、昔から東北の玄関口ですね。今日は小名浜(福島)へ前職では小名浜に営業所があったことから30数年前には何度か行ったことがあります。戻りガツオがめっちゃうまい思い出。「ひたち」で泉に着き、タクシーの運ちゃんに聞いたところ戻りガツオは
昨日は病院の日予約までは時間があるので歩いてみたかったところへ盛岡市愛宕町にある富士見橋中津川に掛かる橋橋の途中に椅子もあるからゆっくり眺めを見ることが出来る🎵川沿いも歩くことも出来るもしかして秋には鮭の遡上も見れちゃうのかなぁ橋を渡った先に啄木の歌碑やっぱり岩手山の写真は撮らなきゃなかったなぁ…でもすっごく風が強くて早々撤退また今度ゆっくり散策したいなぁ~
馬鈴薯の花を発見。啄木の歌を思い出す
猿猴川(太田川支流)穏やかな春の日差しのもと川沿いの道を散歩しました。リバーサイドウォークです。柳が芽吹いていました。「やはらかに柳あをめる北上の岸辺目に見ゆ泣けと如くに」:啄木川をきれいに…監視船が上ってゆきます。京橋川(太田川支流)京橋川に架かる鶴見橋の袂のシダレヤナギ。被爆樹木です。被爆した幹は枯れましたが新しい幹が育っている。花壇の花も春の演出をします。「やわらかに柳あおめる太田川」:時春うらら…♪
ネコはニャー、カラスはカーと鳴くようにヒトの心の歌を作ろう…©ワタクシは上のような哲学をもっています。ネコがカー、カラスがニャーと鳴くような歌を作ればカネを稼げる…©江戸時代も、明治以降も、敗戦後も、いつだって詩歌表現の世界はカネもうけ主義者がのさばっています。例外は、芭蕉、蕪村、子規、啄木、賢治、そしてワタクシくらいなもんでしょう。二十歳(はたち)でもグレタは世界水準で藤井聡太は日本の将棋…©将棋名人
不来方のお城の草に寝ころびて空にすわれし十五の心有名な句です・・・ニューヨークタイムスに選ばれし、52の都市、2023年に行くべき都市・・・盛岡にある、不来方城址で啄木が詠んだ句です。私は高校生の頃、クラブ活動をさぼって、この句を読んで、空を見ていました。幼いころから、父親について行って柔道を習っていました。その、僕が、柔道をやめたのは、コーチと、柔道に関する考え方が違ったからです。自分の型を崩されるくらいなら、止めた方がいい、そう考えました。父は強かった!でも、私には、受
たおやかな命であれと願いつつ朝日を拝む老いたる我は中途なる仕事仕上げて人と会う今も変わらぬ現役我は新しき背広など着て旅をせむ啄木の歌我の歌なり生活を詠みつつなぜか飽き足らぬ啄木の歌悲しかりけり酔いつぶれ目覚めた朝を思い出す後味悪き青春の日は
箱館山山頂に雲が掛かってます風が東から西南向きに強く吹いてます今夜北海道に近づく台風の影響と思われます波が細かく波立っていて白く成ってます海面が輝いているように見えますが、白波が立ってます動画で風と波?の音を聞いてみてください
やばっ💦そろそろホテルに帰らないと、仕事に間に合わない。シャワーも浴びたいし、朝ごはんも食べたいし。ちょっと早足でホテルへの帰路につきました。しかしながら…何か見つけるたびに、立ち止まらずにはいれない悲しい性。😅啄木の歌碑神のごと遠く姿をあらはせる阿寒のやまの雪のあけぼの桜の咲く公園や、歩道に埋め込まれたタイルだったり、こんな軒先のブロンズ像だったり、タイムマシンのようなこれは何⁉️津波シェルター⁉️クリニックの所有物のようです。フィッ
厳島神社は、もちろん広島の厳島神社のご分祀です。手水舎は鶴の像。この武将は金太郎なのか?比較的新しい境内社にもお参りしましたが、なんと、狛犬ならぬ狛蛇⁉️こちらも。参道は紅葉の季節はキレイだろうなぁ紅葉のトンネルができると思われます。紅葉の季節にまた来たい。ここにも啄木の歌碑がありました。春の雨夜の窓ぬらしそぼふれば君が来るらむ鳥屋に鳩なく調べたら、こんな歌碑マップがあり、釧路市内にはこんなに歌碑があるんですね‼️https://ja.kush
「追う.差か・微.輪.庫..マラ忖」だった・・・ような・Po..っま、たいして意味の無い文字駄洒落じゃが、、、毎度の事じゃけん許してちょ~・Pon...午前は、、統合された「第10回・大阪マラソン*第77回びわ湖マラソン」を観戦しまして・・・↓・・・良く写せんからシャッターを繰り返して、、少しだけマシな画面を・・↑・・スタートから噛り付きで見てたんじゃが、Pe-巣.メーカー(?)の離れた30km過ぎからが面白かったですなぁ
啄木スケッチ第3章胸に沁みる絶唱<16>冬の空知川空知川雪に埋(うも)れて鳥も見えず岸辺の林に人ほとりゐき(「一握の砂」no376)明治41年(1908年)1月21日、啄木は旭川を出発し釧路へ向かった。小樽日報を退社し無職になった啄木に、その文才を認めていた白石社長が釧路新聞で働くよう声をかけたのである。月給25円。小樽新聞を内紛に持ち込んで退社した啄木であったが、小樽日報と同じ月給25円という悪くない待遇であった。旭川で白石社長と合流して一
8/22休脚8/23偽クルーズインターバル1000m×7アディゼロ4トラック※休日(3:50:93:51:03:47:03:49:03:49:03:46:03:33:0)休みがバラバラに散らばっているので時々飛び石休日が発生します。中1日30㎞は如何なものかと思い、本日は休日にしては珍しくショート系を。起床後ランがまるで苦手なので、誰もいないトラックを3000mアップす。気温29度快晴。ロングではなかったのでギリ耐えた感じ^^;5本目の後に急
しっとりと水を吸ひたる海綿の重さに似たる心地おぼゆる死ね死ねと己を怒りもだしたる心の底の暗きむなしさ何がなしに息きれるまで駆け出してみたくなりたり草原などをうぬ惚るる友に合槌うちてゐぬ施与するごとき心に何がなしに頭のなかに崖ありて日毎に土のくづるるごとしある日のこと室の障子をはりかへぬその日はそれにて心なごみきいらだてる心よ汝はかなしかりいざいざすこし呿呻などせむ1971.9.10(FRI)PM.4
こころよく我にはたらく仕事あれそれを仕遂げて死なむと思ふなみだなみだ不思議なるかなそれをもて洗へば心戯けたくなれり草に臥ておもふことなしわが額に糞して鳥は空に遊べり鏡屋の前に来てふと驚きぬ見すぼらしげに歩むものかもやはらかに積れる雪に熱てる頬を埋むるごとき恋してみたしそれもよしこれもよしとてある人のその気がるさを欲しくなりたり小生の記録を娘が転記しているため誤字があると思います。ご指摘歓迎です。解読
ご無沙汰しております、ひでじぃです。最近なかなかブログを更新することができずにいましたが、今日は6月に撮った写真を貼って行こうと思います。今回はスマホではなく一眼カメラで撮った写真です。これは6月と言いながら5月の末に撮った写真です。函館港海岸町船溜まりに泊まっていたイカ釣り漁船の大きな電球です。6月に入ったらスルメイカ漁が解禁になるので、もう夜には撮れなくなると思い撮りに行ったものです。これは、その船溜まりから帰ってくる途中で撮った写真です。
午前中五月晴れ良い天気でした。今日も、とうもろこし畑に行きました。それなりに手入れしてるので午前中ですべての畑を回りきりました。青空です。「不来方のお城の草に寝ころびて空に吸はれし十五の心」お城はないし、十五ではないな、、、と思いながらのとうもろこし畑でした。午後から2周目です。そんな感じで帰り道に玉ねぎを持って行け!!と先輩が言うので玉ねぎをいただきました。大きい玉ねぎ4個です。どうもありがとうございました。午後から曇ってきました
今日、知人と久しぶりに港文館へありました!桜並木のチラシが!!桜と港文館をイメージしただけでも夢が広がり、楽しみです♪そして、御書印の参加店に港文館がなったそうです。レジ近くに置いてありました。全国の御朱印を集める方がいるのは知っていますが、御書印というのもあるんですね。久しぶりの啄木ラテも美味しかったです。今年も7月7日にミズベリングが行われる予定でこちらも楽しみです♪
啄木スケッチ第3章胸に沁みる絶唱<8>故郷との永遠の別れ石をもて追はるるごとくふるさとを出でしかなしみ消ゆる時なし(「一握の砂」NO.214)明治40年(1907年)5月4日、啄木は、故郷「渋民」を立つに当たって次のように日記に記した。「予立たば、母は武道の米田氏方に一室を借りて移るべく、妻子は盛岡に行くべし。父は野辺地にあり。小妹は予と共に北海に入り、小樽が姉の許に身を寄せむとす。一家離散とはこれなるべし。昔は、これ唯小説のうちにのみあるべき事と思ひ
2021年1月23日(土)一目ずつ君の形に毛糸編む(ひとめずつきみのかたちにけいとあむ)季語=毛糸編む(冬)女性って毛糸を編んでいるときは静かですね。一心というか、黙々と、ときには嬉しそうに編んでいる。妻がそうで、妹や姪のを編んでいるのを見るとこちらまで幸せな気分になってくる。富安風生(とみやすふうせい)啄木の歌が大好き毛糸編むがあります。富安風生は、1885年(明治18年)4月16日-1979年(昭和54年)2月22日)は、愛知県出身の俳人。高
石川啄木の歌集に「悲しき玩具」がある。函館に暮らしたこともあるので、啄木の歌には郷愁を誘われるものも多いです。途中にてふと気が変り、つとめ先を休みて、今日も、河岸かしをさまよへり。なんて歌は会社に行きたくないときの私の気持ちにぴったりです。実際、家は出たものの、会社には休暇を申請して、街をぶらついたり映画を見たこともあります。ところで、何で「悲しき玩具」なのかなと思ってましたが、ある本を読んでたら啄木は「歌は私の悲しき玩具である」といってたそうなんですね。なるほど。
2020年の10月gototravelを利用して北海道旅行の6日目の10月9日は札幌市郊外の藻岩山に登った。朝早くホテルを出て大通り公園を散策した後地下鉄東西線に乗って円山公園駅で下車。JRバスに乗り換えて旭山公園まで。バス停近くが登山口となっている。約3.1Kmで山頂に着く。原生林に覆われた山で歩いていて気持ちが良い。山頂展望台にはお洒落なレストランがある。展望台からは360度の展望。ここから見る札幌の夜景は新日本の三大夜景に選出されている。また恋人の聖地にも選定されていてそのモ
何となく今年はよい事有るごとし元日の朝晴れて風なし啄木歌これに干支印と雅印を押します最後の「なし」の「し」がちょっと、あまかった感じ