ブログ記事29件
私が建築の設計において、めざしてきたものは、機能性と精神性を両立させることでした。モノとしての建築に、精神性を注入していく作業が、私が設計にかかわる意味でした。これは、ある意味で、シュタイナーが予言していた、「日本人は唯物論に、精神性を加味させる可能性をもった民族である」という言葉と通じるものがあります。唯物論の、あるいは合理主義の極致であるスクエアから、空間を解放することが求められます。斜め線や曲線がその堅物なフォルムを崩します。そして、その間や空隙に、スピリットが侵入します
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最近はあまり指導する機会がありませんが、以前はよく言っていました。「言われてやるのではダメだ。言われる前にやれ!」3次元肉体世界に住んでいて、同じ場所で仕事をしているのでできる指導です。高次元霊界からその場面をご覧になった神仏が、指導をしたいと思っても、それは不可能です。3次元世界からは、高次元世界は見えないからです。この3次元世界は、神仏の姿かたちは見えないように創られています。そして、戦後の唯物無神論教育により、その存在自体も否
武漢での死者は、100万人以上・・中国国内での死者は、1000万人以上・・二週間ほど前のある調査では、このような結果が出ました。本格的に「祟り神」が暴れだすのは、これからです。おそらくは、この10倍以上の禍をもたらすものと思えます。我々は、無神論国家のあわれな最期を見届ける生き証人となります。・海を隔てているとはいえ、親中国派を多数抱えているのが、我が国です。何らかの悪影響はあるものと思えます。
自由と暴力300316人生を唯物として奪い合い競い争う資本主義を自由競争と誤魔化して納得させようと誤魔化すがその本質は暴力でしかないし人生にとって衣食住を支える有限性の物質は精神的成長を目指す意識と対等に向き合う一心同体の間柄の筈だ
#肉を切らせて骨を断つ#バイオテロ#アジア人ターゲット#72年周期#昆虫型宇宙人(体制)#サーペント型?宇宙人(たみ)#光のレジスタンス#▲男性原理唯物共産主義=真のネガティブ闇サイド#夜明け前...そんなワードがふいに頭ん中を過ぎった。連日ネットに首っぴきで、新型肺炎に関する各方面の動画や情報に見入っているが、いくつかをシェアします。じっくり閲覧してください。☆今だからこそ観るべき作品コンテイジョン(接触感染)2011年地球全体を恐怖に陥れるウィ
『塾長、お父さんとお母さんいっつも喧嘩しているんだけど、なんで結婚したんだろうね~』『うん。たぶん、革命と結婚は狂気がなければできないものだから。その時狂気だったんだよ』確か、高校生くらいに読んだ『龍馬がいく』の小説の中で、『おおよそ龍馬は唯物論者に近いのだろう。他の志士は観念論者であったが、それゆえに狂気に身を委ね、革命が遂行された』・・・・みたいな、かなり補正していますが、司馬さんの言葉があったのを覚えています。ちがったっけな。なんにせよ思想とは、大嘘です。正気の
No.29973月15日です。今朝の東京の空は…。綺麗に晴れてますが、夕方から雲が出てきました。明日は雨だそうです。ところで、歴史と文化の散歩道は哲学堂公園の続きから。時空岡から下に降りていきます。庭園になっていますね。池もあります。河津桜が満開でした。この庭園を散歩道コースの四村橋から撮影すると、こんな感じ。ここから展開するのが、唯心庭。この先にあるのが、唯物園。いずれも、時空岡の「心と物に空間と時間が付与されると、人間たる活動と宇宙観が形成される」という
抑、偶像崇拝と言う考え方その物が誤り。其は物質信仰であり神仏の物質化である。つまりは唯物化でありその段階で神に非ず。神とは物質的存在ではない。神とは非物質的(精神的)存在である。唯神論は神を物質化させ其を信仰させる。其は現存する新興宗教と何ら代わりはない。神の物質化は尤も神を冒涜する行為である。
第12回戦争と平和と言う二元の抗争は、双方の立場の自滅まで反復、反射を行い、虚無へと消えていく・・ように見える・・のです。悪を滅すると言う、自己の関係性からも離脱する事にまで、理解を得たならば、争いを争い足らしめてる、等化に至らない自己の視座を検証してみる事、が進化の方向性なのかも知れません。二元性の超克とは、ワンネスであると観念する事にあるのではなく、二元の深層は表裏一体であった、自己から投影されていた対立と抗争の反復の、輪廻を、垂直方向へ視座を持って観察する事に、二元性の超克があるので
第9回そう言う霊能者、スピリチャルワーカーと呼ばれる凄い人、今は多くいらっしゃると思いますが、宗教家も哲学者も同様に、人々の魂を解放すると称しながら、無自覚に受動をより強化させて、不自由へ陥れてしまっている事が散見されますね。ご本人達はそのことに対して無自覚で、自らはそれを良かれと信じて行なってる訳ですが、宇宙からすると、逆行しているんじゃないのか?、人類の意識を解放に向けずに依存を強化しているとすれば、これは宇宙的には大変罪が大きいと言うか、良かれと思ってるのに何故か自滅に向かっていると言
の、必然的な、かれらの意思から独立した諸関係を、つまりかれらの物質的生産諸力の一定の発展段階に対応する生産諸関係を、とりむすぶ。この生産諸関係の総体は社会の経済的構造を形づくっており、これが現実の土台となって、そのうえに、法律的、政治的上部構造がそびえたち、一定の社会的意識諸形態は、それら〔土台と上部構造〕に対応している。物質的生活の生産様式は、社会的、政治的、精神的生活諸過程一般を制約する。人間の意識がその存在を規定するのではなくて、逆に、人間の社会的存在がその意識を規定するのである。》
やたら時の過ぎ去るのが速い、かめさんです。15歳ぐらいの自分を思い出すと、つい昨日のことのように思い出されます。その頃は暇を感じることが多く、時間を持て余し一日もすご~く長く感じていたものでした。でも、それ以前の自分は、コアな意識の部分において、幼少の頃から比べてあまり変ったようには思いません。三つ子の魂百までって言う感じですかね。言いようによっては、赤子のまんま来てしまっている殘念な仕上がりの大人のように見えるかもしれません。でも自分の基本的な心情や、何かの
多分、4月のある日、いつも北参道駅に至る道を歩いているとショーウィンドウの展示が変わってました、その生地柄が気にいってたのでもしあれば譲ってほしいと意を決して申し出ましたすると店長が出てきて生地は縫製先のインドに全てあり服の製作後は廃棄されるとのことでした、しかし問い合わせてみましょうということで暫く待っていたところ奇跡的にありましたとのことでした。今までこのような申し出は初めてで生地だけの販売はしませんとのことでした。インコ柄のこの生地です。4月撮影、「カリナ」という女性専門の洋服屋さ
フリーパスの、かめさんです。人は折り返し地点を過ぎて、残りの距離感が短く感じだすと向こう側を意識しだします。えっ、何の話をしているって!もちろんマラソンではなく、一つの意識が辿る人生のことです。これは避けようのない実はいつ訪れてもおかしくない、誰にでも平等に何時かはやってくるある意味において意識の開放です。かつて12年前以前には、かめさんも心霊現象が大嫌いでしたし、向こう側に還ることが何より怖かったものでした。そりゃそうです、全力で夢だと思っていたことが、なん
事物の視野が違う、かめさんです。12年前に意識変革をして、事物の目線や視野が変わると、美しいことと醜いことの捉え方も変わりました。それ以前にも薄々気が付いていたのですが、他に曇った意識が混在していたので、ここまでクリアーにはなって居なかったのわけなのです。何事も濁りのないクリアーな状況に至るまでには、何度となく湧いてくる疑念という濁りを、幾度も理性という知恵の濾過をかけて信念という確証を得ていくものです。人には表立って美を強調している状況下には、真の美は希少であり影を潜め
猫とSORAですみなさまおはようございます「真に至り、妙に迫る」鮭で、有名な高橋画伯の言葉。写実を極める事は、写実で無くなること。画家も、人も、写実の中に真実を見つけてしまった時、其れは、写実を超えて自分自身の唯物となるのであろう。人生は、絵画の追究とは事なり、写実である必要は、ないのです。デジタルの様に、高速で人工的でも、シュールリアリズムの様に、現実的では無くても、その時々に、型を変えて、鮮やかな色を奏でれば、良いのです。家族や、友人、同志と
妙鍼堂の石原です。今日はエビデンスについて漢方医学(鍼灸・本草学)、その源流は中国哲学に裏付けされた臓腑・経絡論に端を発する、臓腑とは解剖学上の役割や位置だけに留まらず、臓腑そのものが持っている精神心霊学的(唯物・唯神)な役割をもっており、またそれらは気運(気象・天干地支)と相互に依存関係を持っており、ある一定のバイオリズムを形成している。所謂無為自然を意味している昨今では、漢方研究と題して、この漢方を飲んだ患者はこのように作用するというエビデンスという外来語を設けるようになった。こ
◎知識から意識へ170120人生は無知と好奇心から始まる胎教という右脳の予備知識はあるにしても生命体の左脳は無垢の状態で産み落とされ重力と共に摩擦の洗礼を受けて相手という自分を写す存在に出合うそれは無限にたゆたうが如き子宮の暮しから向き合う相対性時空間へとワープする旅でもある孤立した個として裸でとりとめのない空間に晒され肺から吐き出すことで自主的な呼吸に挑戦して生命としての冒険のスタートを踏み切る手足を伸ばして辺りを探るこの瞬間を乗り切る判断は持って生まれた
全体的に命の尊厳が乏しくなっていると思う、かめさんです。子どもたちの世界は大人の世界が反映しています。いくら親が子供の面前だけで理想の正義をかざしたところで、唯物思想の価値観だけの考えで大人たちが染まり切っていれば、ポロリポロリと労せず援助金が出ているなんて、理性も愛情も利かない金だけしか見えていない言動が表に出てくるものです。単なる妬み嫉み僻みの負の感情が左右する、寛容さのかけらのない考えに至っているだけです。親が人の心を見ようとはしない言動をしていれば、愛なきところに
飽和すると閉塞しちゃうのにと思う、かめさんです。この世にはすべて限界(飽和)があるもので、資本経済が必ずしも唯物思想の温床になるわけではないのですが、今の時代の極端な偏り方を見る限りでは、行き過ぎを助長していると言えそうです。物事を極め拘っていくと円錐形の空間を先端部に進んでいくようなもので、間口は広かったのに先に進めば進むほど、狭く摩擦が強く圧迫されるため何かと息苦しい、唯物的には満たされても初心で想っていた事態とは、精神的には真逆の世界が繰り広げられてしまいます。ピラミット
小林秀雄がこの短いエッセーを書いた当時(昭和十七年)は、マルクス主義による「唯物史観」こそ国内に猛威を振るっていたものの、もう一方の左翼思想としての近代主義(アメリカニズムをその見本とする)による思想的な被害は、一部の西洋主義的な知識人を除き、まだ一般の庶民にまでは拡大していませんでした。当時は米英との戦争の真っただ中にあり、戦後の日本人が総出で前のめりとなっていった「個人的自由」や「技術的合理」というアメリカ的なるイデオロギーは、まださほど色濃くなかったのですから、(少々不満は残りますが