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おはようございます~はなちゃんですアマゾンで頼んでいた本が届きました「ときどき哲学対話」苫野一徳著ヨシタケシンスケ絵サブタイトルが本質観取って、なんだろうです本質観取、見よう見まねで水戸木鶏クラブの場で何回かやってみたことがありますこの本をじっくりと読んでまた、やってみようと思います今日も素敵な1日を過ごしましょ♪ごきげんよう
以前の俺は、自分のことを「何でもわかっている」と思っていた。けれど今の俺は、「何もわからない」と思っている。少し前まで、哲学対話や議論の場で、「知っている」ことや「知識の量」で優位に立とうとする人に出会うと、どこか心がザワつくことがあった。なぜあんなにもざわついていたのか、その理由が今になってハッキリとわかる。以前の俺は、顕在意識(自分2)という、たった3〜5%の狭くてちっぽけな世界の中で「自分は知っている」「わかっている」と思い込んでいたんだ。それはどこまでいっても、「獲得する・攻略
令和8年9月に読んだ20冊からのオススメの1冊です。(年間通算150冊)『水中の哲学者たち』永井玲衣(晶文社)水中の哲学者たちAmazon(アマゾン)水中の哲学者たち[永井玲衣]楽天市場哲学対話(もしくは哲学カフェ)のファシリテーターをされている著者。哲学対話や身近な哲学をテーマにしたエッセイです。なかなか、面白い。哲学とは「なんで?と問うこと」。我々は本当は誰一人分かりあうことはできない。だからこそ、我々はやわらかくつながることができる。我々はバラバラで、同じ海の中で繋
哲学対話を開催しました!ご参加ありがとうございました!今回のテーマは「働くことはお金と何を交換しているか?」でした。次回もよろしくお願いします!
今回は、「人の話って、どこまで聴けばいいんだろう?」という問いについて、考えてみたいと思います。僕は普段、哲学対話という場を開催しています。哲学対話では、参加した人がそれぞれ自分の意見や考えを話しながら、みんなでひとつの問いについて考えていきます。自分の考えを言葉にすることも大切ですし、他の人の話を丁寧に聴くことも大切です。ただ、そんな場を開催していると、ときどき僕自身がどう関わればいいのか分からなくなることがあるんですよね。それが、一人の方が長く話し続けているときなんです。みんなで
昨日、哲学対話のファシリテーター講座に参加してきた。テーマは「イジワルとは?」。俺は自分がファシリテーターを担当した時、小学校低学年の頃のトラウマを思い出して話してみた。当時「お花」について書いた作文をきっかけに傷ついた出来事があって、「これは絶対みんな共感してくれるはず!」と思って熱を込めて話した。そしたら、参加者の◯◯さんがふと、こう言った。「うーみんはどうして、いじめられたって思ったの?」……えっ??他に捉えようがある??一瞬、頭がハテナでいっぱいになった。俺の中では「1
今回は、「面白いことって、誰かといる方が生まれやすいの?」という問いについて、話しながら考えてみたいと思います。僕自身、これまでいろいろな人と関わりながら、活動やイベントを考えたり、何かを企画したりしてきました。その経験を振り返ってみると、誰かと一緒に考えているときに、思いがけず面白いことが生まれることが結構あるんですよね。ただ、ここで言う「一緒に考える」というのは、少し説明が必要かもしれません。目指す結果が決まっている話し合いとは違う例えば、ビジネスの話で「売り上げを伸ばしたい」とい
バラバラなままそれぞれの世界でしかし共に生きるひとつとしておなじカタチはなくその違いを認め/認められ合いながらそのまとまらなさを愉しみながら考え/疑い/知り/想像するアメリカの哲学者リチャード・ローティ(1931年ー2007年)危ういものである「正しさ」とうまくつきあうための人類の知恵であり、実践的ノウハウあることを説き続けた。ローティの一連の発言は、死後十年近くを経た2016年になって、「トランプ(Strongman)現象を予言していた」と再評価されることになります。*詳しくは
奈良の明日香村でのセミナーのまとめ環境が変わった時、人は心がざわついたり、感情が動いたりします。相手に合わせようとして疲れたり、「こういう自分でいなければ」と頑張ったり。でも、環境が変わった時に心が動くこと自体は、別に悪いことではないんですよね。大切なのは、「あ、今、自分は揺れてるな」と、その自分を少し離れたところから見られるかどうか。揺れている自分と、その揺れを眺めている自分。その両方が自分の中にいると、心が動いていても、それに全部を持っていかれなくなります。では、環境に振り回さ
【カバー袖部の内容紹介を引用】「もっと普遍的で、美しくて、圧倒的な何か」それを追いかけ、海の中での潜水のごとく、ひとつのテーマについて皆が深く考える哲学対話。若き哲学研究者にして、哲学対話のファシリテーターによる、哲学のおもしろさ、不思議さ、世界のわからなさを伝える哲学エッセイ。当たり前のものだった世界が当たり前でなくなる瞬間。そこには哲学の場が立ち上がっている!さあ、あなたも哲学の海へ!【引用終わり】哲学対話(もしくは哲学カフェ)のファシリテーターをされている著者。哲学対話や身
地元の和泉市で、「伝え手のお稽古場」というものを始めることにしました。これまで僕は、何かを学びたいという姿勢の人を対象にして、いろいろなことを伝える機会が多かったように思います。「こういうことを学びたいので教えてください」と来てくれた人に対して、僕が何かを伝える。もちろん、それはそれでいいんです。ただ、ずっとそういうことをやってきて、少し面白くないなと思うようになりました。何か新しい展開があった方がいいなと思ったんです。これまで「人間関係の寺子屋」の中で、「本質を感じるお稽古」というものを
もし世界中の人が哲学対話のルールを元に会話ができたのなら...本当に対話を通して世界平和真に互いの尊重や愛を育むできるかもしれないそれくらいこの対話には可能性を感じています今回のオンライン哲学対話も人間関係に関するテーマを皆んなで決めて対話を深めましたご参加有難う御座いました哲学と言うと難しく聞こえますがとっても楽しく簡単ですどなたでも参加可能なので11月にまたお待ちしていますね😌#哲学対話
商品先物取引の会社員時代、俺には今でも心に残っている尊敬する上司の言葉がある。「市川、プロっていうのはな、なるべく難しい専門用語を使わない人のことだ。誰が聞いても理解できるような、目の前の人の心に届く言葉や例え話を使って、難しいことを簡単に説明できる人。それが本当のプロなんだ」その言葉を聞いてから、俺のものの見方は大きく変わった。世の中を見渡してみると、日本語で言えば一発で伝わることを、わざわざカタカナ語や専門用語で難しく語る人が案外多いことに気づく。知識や正しさ(自分2)で固められた言
相手が困らないように、先に準備しておく。失敗しそうだと思ったら、手を貸す。「あなたのために」と言いながら、うまくいく方へ導こうとする。そうした関わりは、身近にあると思います。たとえば、親が子供を心配して、失敗しないように先回りすることがあります。その氣持ちは、僕にも分かります。けれど、ここで少し立ち止まってみたくなりました。失敗を防ぐことと、相手のために動くことは、本当に同じなのでしょうか?失敗してほしくないという思いは分かる僕自身も、できれば失敗したくありません。誰かが困っ
久しぶりのブログいろいろあったここしばらくなかなか言葉にするタイミングがなく3週間ぶりだね8月に参加した哲学対話からするすると繋がり東京のイベントへさらに主催者の人とは個人的にお茶して食事して深く話せる人が現れたそして仏教との再会哲学対話から仏教に繋がるとは思ってなかったので驚きでもこれまでの流れを考えると自然な流れだとも思う生まれた家、両親、育った環境苦しくて辛くて、恨んできたでもそれが私なんだなってこの私という人をカタチ作っているもの
哲学カフェnagahamaからのお知らせです。10月の哲学カフェは、10月9日金曜日19時からさざなみタウン(滋賀県長浜市高田町12-34)で開催します。今回は「人はなぜ贈り物をするのか?」について話します。贈り物といってもいろいろ。お祝い、お詫び、ちょっとしたお礼、はたまた何でもない日。それ以外の「贈り物」があったら、ぜひ教えてください。形があってもなくてもいい?一対一じゃなくてもいい?参加費は500円(18歳以下無料)です。参加希望の方は哲学カフェnagahama公式
2026年10月~12月の哲学カフェ開催予定です毎月2回開催各月テーマ10/18(日)10/22(木)自由11/19(木)11/22(日)信じる12/20(日)12/24(木)プライドPM1:30~3:30場所古民家ギャラリー青雲塾那須塩原市青木1547参加申込先このブログのメールで申し込みでき
最近、息子と一緒にベーリング海やドレーク海峡といった、世界の果ての荒れ狂う海の動画を見ては「うわあ、すごいな」「怖いね」なんて声を上げて楽しんでいる。画面の向こうで巨額な波に揉まれる船を見ながら、ふと、私たちの生きているこの社会って、なんだかあのドレーク海峡のようなものじゃないかと話すことがある。そもそも、人間という生き物は、本来はちっちゃな木でできた手漕ぎボートのようなものだ。それなのに、生まれてから「常識をわきまえなさい」「勉強を頑張りなさい」「
哲学対話を以下の内容で開催します。哲学対話とはルールを守って、参加者がテーマに沿ってそれぞれの考えや経験を語り合い、一緒に考えを深めていくという対話です。専門的な知識は不要です。日常で感じることに対し、考えたことや感じたことをみんなで話し合うもので、答えを出すことが目的ではありません。興味がある方はお気軽にお問い合わせください。日にち:10月10日時間:13:30~15:00(開場13:20)場所:ひとなる図書館参加費:400円テーマ:当日参加者で決めます【哲学対話のルール】
誰かと話している途中で、「ああ、僕はこんなことを考えていたんだ」と氣づくことがあります。相手に説明しているつもりだったのに、話している自分の方が、自分の言葉に驚く。そんな経験はありませんか?話す前から、その考えは自分の中にあったのでしょうか?それとも、話したことで初めて生まれたのでしょうか?僕の中では、そこはまだ、はっきり分かれていません。ただ、言葉にすることで見えてくるものと、相手との関わりの中で生まれてくるものには、少し違いがあるように感じています。中にあっても、自分で分か
哲学対話を開催しました!ご参加ありがとうございました!今回のテーマは「人格や個性はどこから生まれるのか?」でした。次回もよろしくお願いします!
こんにちは。「もやもやスッキリプロジェクト」の哲学カフェ担当です。人生のもやもやを探究する哲学カフェ「田園のもやカフェ」、2026年の第3回目は無事終了しました。地元横浜市青葉区の企業・セイロンファミリー株式会社様から寄付された紅茶のクッキーを参加者同士で試食し、2種の紅茶はお持ち帰りいただきました。**********************第4回の詳細が決まりましたのでお知らせします。日時:9月26日(土)18時30分~20時30分場所:山内地区センタ
ちょこっと哲学対話はじめます不登校の親の会、親カフェポレポレを始めてもうすぐ4年。たくさんの方とお話をし、私はとても助けられ、気持ちが楽になってきました。辛いことがあっても、おはなし会で話せるという安心感。哲学者の永井玲衣さんが出演のラジオで、哲学対話を知り、北海道にいらっしゃった際に哲学対話合宿にも参加。じっくり聞き合う環境で話すことで、参加した方々が開放されているというか、スッキリとした表情になっているのがとても印象的でした。哲学対話をやってみたい。でもどこで始めたら?そんなこと
問いは、ふと思いつくものでしょうか。それとも、考えたり、誰かと話したりする中で育てていくものなのでしょうか。僕は、問いは育つものだと思っています。もちろん、最初の疑問がふと浮かぶことはあるでしょう。けれど、その時に浮かんだ言葉だけで、問いが完成しているわけではありません。そこから考えていくことで、問いそのものも変わっていくのだと思うんです。問いは、別の可能性へ向かうものそもそも、問いとは何なのでしょうか。僕の中では、「可能性」という言葉に近い感覚があります。「本当にそうなのだろ
僕は、一方的に教え続けるような関わりを、あまりしたいとは思っていません。もちろん、教える必要のある場面はあります。知っていることを伝えたり、やり方を説明したりすることは、大切な関わりです。ただ、できることなら、教えることだけで成り立つ関係にはしたくない。そんな感覚があります。では、僕が大切にしたい「問いを渡すこと」と、「教えること」は何が違うのでしょうか。教えることは、上下関係なのか?最初に思い浮かんだのは、教えることには上下関係があるのではないかということでした。教える人が上に
はじまりは自分とのパートナーシップ自分を知る3つの鍵を手に入れ、90日間で「想像もしなかった未来」に出会いオンリーワンの幸せ体質に変わっていく脳内デザインで人生を変えるコーチ池谷直穂子です。先週、戸隠の森で1人の静かな時間を持ちました。車の音も、電子音も無し。電波が微弱で携帯も使えない。そんな自然の中をただ歩きました。1人で静かに歩く、じっくり考える、何かを作る、、、。私は本来、みんなでワイワイが好きなほうですが、そんな時間
自分のことを分かってもらえない。相手が何を考えているのかも分からない。そんな状態で誰かと一緒にいると、関わり続けることが難しく感じることがあります。「この人とは、もう無理なのかもしれない」そう思ったことがある人もいるでしょう。けれど、分かり合えないことと、関われないことは本当に同じなのでしょうか。考えが違っていても、一緒に過ごせる相手はいます。反対に、相手の考えが分かっていても、関わり続けるのが難しい場合もあるはずです。今回は、分かり合えるかどうかと、関わり続けられるかどうかを、
自分の意見が変わると、「考えがぶれている」「自分がない」「言っていることが前と違う」と思われることがあります。昨日まで主張していたことを、今日は違う角度から話している。以前は必要だと思っていたものを、今はそれほど必要ではないと感じている。そのような変化を見ると、一貫性がないように感じる人もいるでしょう。けれど、自分の意見が変わることは、本当に悪いことなのでしょうか。今回は、哲学対話を主催している方々との交流を通して感じた、意見が変わることと、自分の考えを持つことについて考えてみ
「どうして、それが好きなの?」そう聞かれた時、すぐに理由を答えられることもあれば、言葉に詰まることもあります。好きなのは間違いない。けれど、なぜ好きなのかは、うまく説明できない。理由を言えないと、自分の「好き」が曖昧なものに思えてくる場合があります。本当に好きなのだろうか。ただ思い込んでいるだけではないか。誰かの影響を受けて、好きだと思っているのではないか。そのように疑い始めることもあるでしょう。けれど、好きな理由を言葉にできないからといって、その感覚まで否定する必要はあるので
安心して生きたい。そう思う人は、きっと少なくないでしょう。「安心」という言葉を聞くだけで、どこか心が和らぐこともあります。僕自身も、安心できる状態で日々を過ごしたいと感じています。ただ、その安心がどのようなものなのかを考えてみると、意外と簡単には捉えられません。安心できる場所は、周囲の環境によって作られるのでしょうか。それとも、自分の内側から生まれるものなのでしょうか。今回は、安心できる場所が何によって生まれるのかを考えてみたいと思います。友達がいるから安心できる安心できる場所