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同級生が亡くなった。食道がんを患い、放射線治療を経ての白血病と聞いた。しばらく会っていなかったが、若いころ一緒に騒いで飲んだりしてた頃は、僕以上?に大酒のみだったかもしれない。高校から上の学校は別だったが、小・中学校ではスポーツ万能で勉強もでき、容姿端麗でマンガの主人公みたいな奴だった。前後して、あまり付き合いのなかった同級生も亡くなったと聞いた。詳細は聞いていないが、これもがんらしい。少し前までは、同級生の死なんて青天の霹靂だったが、アラカンに踏み出した50代半ば。
電気式人工喉頭(EL)。役場で手続きしてから、一週間で納品された。お役所仕事の割には、早いやないか!!ということで、早速練習してみました。↓音声ファイルです。何を言っているかわかりますか?最初は「あいうえお」さえも出なかったけど、どうやら喉に当てる場所で全然違うことが分かった。あと、おそらく僕はまだ頸部下が腫れているので、腫れていない気管孔のちょい上の方まで下げて当てないと音が響かないようだ。腫れがもっと引いたら、口に近いところにELを当てられるので、もっとハッキリ聞
昨年末から入退院を繰り返して続けてきたバルーン拡張。処置には静脈麻酔(眠る薬)を使うので、病院に行くには自分で車を運転していっちゃいけない。この梅雨の季節、面倒といえば面倒だよね・・。年末から4月までは、入院して一週間に3回という頻度で繰り返してきた処置。5月からは退院して、2週間に一度と頻度が減ってきていたのだが、先日の処置によって、めでたくいったん終了ということに。今回、実施したバルーンの太さは、15.5㎜。もっと太いものもあるようだが、大きくしすぎると穿孔の
まぜまぜしてから、ハッ!写真撮ってなかった!と、撮った写真。汚くて美味しくなさそうw野菜炒めの下に、たまごが隠れてます。僕はチキンラーメン、奥さんと娘は豚骨ラーメン。僕だけなら不要だったんだけど、奥さんと娘の具材用に豚コマの野菜炒めを作ったので、僕のチキンラーメンにも少し乗せた。なぜ自分のには具材の野菜炒め不要だったかというと、サッと炒める野菜炒めは、かなり噛んで細かくしないと飲み込みが厳しいと予想したから。少しのっけてみて、案の定食いづらかった・・・先に具を時
通常の食道の太さは20㎜~30㎜くらいということですが、前回のバルーン拡張では、13㎜のバルーンで拡張してもらっています。水もほとんど通らなかったことを考えたら、随分進んだもんだ。んで、お肉はちょっと厳しいかもだけど、ある程度大丈夫だと思うから。ということで、いろいろチャレンジ中。↑のフレンチトーストで朝ごはんとか。↑、普通の白飯にしっかり煮て柔らかくした、大根と豚コマの煮物で晩ごはんとか。多少時間はかかったり、よく噛んだり飲み込むのに疲れたり、口を動かすことによって、まだ
障害年金を請求した方がいい障害状態[視覚障害・・・視力・視野]※視力は矯正後の話です。・一眼の視力が0.04、他眼の視力が手動弁以下・両眼の視力が各々0.07以下・一眼の視力が0.08、他眼の視力が手動弁以下・ゴールドマン型視野計での測定で両眼のⅠ/4視標による周辺視野角度の和が各々80度以下かつⅠ/2視標による両眼中心視野角度が28度以下・自動視野計で、両眼開放視認点数が70点以下かつ両眼中心視野視認点数が20点以下・ゴールドマン
原則、障害の程度をみる時期は初診日から1年6ヵ月経過時点であるがこの期間内に、傷病が治った(症状固定の意味)場合には治った日が、障害認定日とされる。具体的には①喉預金摘出の場合、全摘出日(2級)②人工骨頭・人工関節の挿入置換の場合挿入置換日持入置換日(3級)(上肢大3関節,下肢大3関節へ)③切断・離断による肢体障害の場合切断・離断日(切断箇所により、3級~1級)④脳血管障害による機能障害の場合初診白から6ヶ月経過日以後
先日、最初の病院で気管のポリープの切除を担当されたドクターから手紙が届き、私の症状についての論文提出に承諾ほしいという内容でした。そこには「世界的にみても珍しい」と書いてありとても驚きました。どおりで切り取った組織の確定までに2ヶ月近くかかったり、脂肪肉腫とわかってから私達がネットで検索しても説明してる症例が見つからなかった訳です。論文の仮題には「Successful~」とあり、それだけでおみくじの大吉を引いたような気分になり少しでも役にたつことならとすぐに承諾しました。声は失いましたが
退院してから40日が過ぎました。一週間前から急に元気になってきて運転して出掛けるようになり気分も良くなりました。今まで気管孔に水が入るのが怖くて娘に洗ってもらってたけど、今日は自分でシャンプーもできた!シャワー用のプロテクターを使うので大丈夫なはずなんだけどなかなか踏ん切りがつかずできなかった。首にタオルを巻いてその上にケープをかけて重装備ですがやり過ぎると息が苦しくなるから微妙なところ。自分で髪が洗えただけですごく嬉しい。進歩だな~☺️
退院後の診察でまだ先のことと思ってた人工鼻を着けてもらえました。喉の孔の周りの皮膚にジョイントが付いたシールを貼ってそれに孔を塞ぐフィルターをカチッとはめ込みます。首にガーゼのエプロンをしてた時は孔がそのままでホコリや小さな虫とかを吸い込む心配がありましたがこれで安心。何よりも孔が目にふれないのが私の心を穏やかにしてくれます。朝起きた時は寝てるあいだにたまった痰が沢山出るから1時間はフィルターを外してティッシュで作ったポケットを貼り付けておきます。毎日やってると自分なりの方法を見つけて
退院して5日経ちました。すぐに疲れるので病院から持ち帰った物を片付けるのに昨日までかかった。身体の状態が入院前とはあまりに変化しているのになかなか慣れず不安な毎日を送ってます。退院して再確認したのは嗅覚がなくなったこと。娘がキッチンで料理をしていても何も匂わない。味は以前の半分くらい。前はあまり食べなかったデザートの甘い味が美味しいと感じる。今まで大の食いしん坊でたくさん食べてたのに食道に少し小腸をつないでるから飲み込みが大変で一口一口ちょっとずつ水分で流し込む。食べる楽しみがな
私がこの病気になった人達のブログで救われたようにどうかこのブログが手術を受けることになってしまったかたに少しでもお役にたちますように。手術後すぐは自分の身体の状態を確認する余裕などなく何をどうされていたのかも記憶にないです。喉の穴のパイプを外してからは痰がたまってくると咳がしたくなるのでナースコールして吸引してもらいます。たぶん10分か15分おきに看護師さんを呼んでました。何度来てもみなさん嫌な顔せずニコニコして現れるからそれだけでホッとする。私はもう声が出ないからその優しさに答える
手術をしてから一週間たちました。写真は私がとても暑がりなので娘が買って来てくれた扇風機。グリップ式でけっこうパワーもあって優れもの。手術室には点滴スタンドを押して歩いて行きます。入り口で娘とハグして別れそこからは緊張Max。麻酔をする前、意識のあるうちに硬膜外麻酔の針を背中に入れる。入りますよー大丈夫ですかーまでは記憶があったがそこで終わり。手術は7時間かかりその後目を覚ますことなく薬で翌日まで眠っていたらしい。術後4日間はICUでしたが思い返してみても細かい記憶がない。ただただ時間
手術日が火曜日なので金曜日から入院してます。(土)(日)は病院が動いてないしコロナで家族も面会できないので退屈です。3年ほど前から咳が度々出るようになったのですが風邪くらいな感じで市販の風邪薬を一箱飲めば治ってました。思えばその頃から話し声は変わりがないのに歌を唄おうとすると音程がとれず声がひっくり返ったみたいになって駄目でした。カラオケは好きなほうで結構まんざらでもなかったのに恥ずかしくてつまらなかった。夜に孫を寝かしつける時の子守唄まで唄えませんでした。写真は娘が届けてくれた我が
2020年1月に喉のポリープを切除したところ希少がんの肉腫だとわかり咽頭摘出手術を受けることになりました。手術後は声を失い喉に穴があいたままそこで呼吸をします。知識がないのでネット検索しても学術的なものがほとんどでこの患者さんの生の声がわかるものになかなか出会えませんでした。それでも何人かのかたのブログで実際の生活の一端を知ることが出来とても参考になりました。自分の病気のことを公に晒すのはとても迷いましたが私の経験が同じ病気の人に少しでも役に立てばこの病気になった辛さをちょっとだけ軽く意味