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雙栗天神社(さぐりてんじんじゃ)山城国綴喜郡京都府宇治田原町大字岩山小字上田13(P有、アクセス道は狭小なため要注意)■延喜式神名帳雙栗神社の参考社■旧社格村社■祭神天穂日尊事代主命大歳命[合祀]菅原道真京都府南東部、山地に囲まれた長閑な農村地帯の宇治田原町内に鎮座する社。「大岩嶽」(当地での呼称と思われる、一般には「大峰山」標高506.4m)の南東麓近くに位置し、そのさらに麓には「宇治川」支流の「田原川」が流れています。「大峰山」山中からはおよそ1万年前、縄文早
前がちょっと長くなったので分割しましたら、取材旅行で間が開きました。<(__)>でも続けます。(笑)○羽栗臣地名で「羽栗」を検索すると、八ヶ所でヒットし、滋賀県にも集中してありますね。「太神山」の北西へ点々とあるので、古代の地名の様子を残しています、是は淡路島の神代の地名と似ていますので、琵琶湖へと続く領地を支配していたと解釈出来ます、だから相当古い氏族のようでもあります。この太神山にある不動寺ですが、とんでも無いですね、お借りした写真では、
小野龍海’s歴史塾五代目の小野小町(小野吉子)の末裔が先祖である小野小町の実在性を証明する為に始めた歴史研究の成果を公表する為のホームページになります。ono-no-tatsumi.amebaownd.comさて前回の続きです、多くの情報から和邇氏の成立前からある小野氏を特定していきましょう、まずは和邇氏から派生した氏族を除去します、コレには「和邇氏系図」を使います。↑和邇氏系図葦占臣・・・彦武宇志命の裔根連・・・・〃櫛代造・・・〃猪甘首
https://ono-no-tatsumi.amebaownd.com/小野龍海’s歴史塾五代目の小野小町(小野吉子)の末裔が先祖である小野小町の実在性を証明する為に始めた歴史研究の成果を公表する為のホームページになります。ono-no-tatsumi.amebaownd.comクナト王こと「天鳥船命」の系譜について、「武部(もののべ)」の考察を行った事で見えてきた景色があります。まずはコチラを、神皇記の記述から「武部(もののべ)」と読むことを知り、その系譜が物部になっ
☆杉山古墳(奈良市大安寺)大和国添上郡奈良市大安寺4丁目(開園は週に3日のみなので要注意)(P無し)■形状前方後円墳*周濠有り*墳丘東側の前方部寄りに造出有り■全長全長154m■築造時期古墳時代中期後葉(5世紀後半)■埋葬施設(不明)*粘土槨か■出土品円筒埴輪・朝顔形埴輪家形・蓋形・甲冑形・盾形・靫形・人物形・動物形埴輪■周辺の状況平城京の一角、大官大寺(後に大安寺)の旧境内「大安寺古墳群」の中核を成す■被葬者当地を拠点とした氏族の首長級とみられ
ご訪問ありがとうございます。今回から「古事記」では下巻、つまり人の世になります。「日本書紀」は1~2人の天皇に1巻をあてていますので、そういう分け方はないのですが、説話の内容がやはり変わって歴史らしくなってきます。最初はどなたも同じ感じなのでさらっと(^∇^)大鷦鷯オオササギ天皇(仁徳天皇)は、譽田ホムダ天皇(応神天皇)の第四子である。母を仲姫ナカツヒメ命といい、五百城入彦イオキノイリヒコ皇子の孫である。天皇は、幼くして聡明で賢く、容姿も優れ、大人になられては心が広く慈しみ深かった
大物忌に対し、小物忌もあるのです。飛鳥(とびしま)は、新潟県の粟島、佐渡島とは一直線に結ばれた海の道であり、古来より交流があったという。飛島の由来はわかりませんが、UFO目撃多発地域。UFOが飛ぶ島→飛島としておこう。。。島の名称の由来には、鳥海山の山頂が噴火によって吹き飛んで島になった伝説に基づくとする考えもあるが、古地図には海獣の名前を冠した「トド島」「トンド島」と表記する例もあり、決め難い。なお、島内に祀られた小物忌神社は、鳥海山大物忌神社と対をなしている。(
応神天皇の皇子菟道稚郎子(ウジノワキイラツコ)の皇子の墓は高松市の鶴尾神社裏に和邇氏が造った双方中円墳ではないか?↓詳細記事https://bizconsul.net/2024/03/07/140122/【タブー】応神天皇の皇子菟道稚郎子(ウジノワキイラツコ)の皇子の墓は高松市の鶴尾神社裏に和邇氏が造った双方中円墳ではないか?|BIZCONSULOFFICEbizconsul.net◼️プロフィール
今日は滋賀県の小野神社の祭神から古代の事を推察するとタイトルに書きましたが、和邇氏への考察やチチハヤの話を理解していないと辿り着けない解釈だと、最後には思って頂ければと思います。これは重要な点で、歴史解釈には「必須となる情報」が必要なんです、小野神社の祭神をみて小野氏の先祖だと理解するのは出来ても、小野神社の祭神が和邇氏だから小野氏も和邇氏の支流だと結論するのは「騙されてますよ~」ってなる訳です。(歴史や時間に騙されるってヤツですね!(笑))という事で、小野神社の祭神はというと、①
今日は誰も知らない「和邇日子押人命」についてご紹介いたします。和邇氏はなぜ和邇氏と呼ばれているのか?氏名としては「和邇部」や「和尓部」などの名称は残るものの、和邇氏と書かれた資料はないのだと思っています。しかし滋賀県の地名に「和邇」があり、奈良県の春日に和邇下神社などがある為に「和邇とは氏名だろう」と多くの人に認識されている為だと思います。これが和邇氏に対する「今の定説」だと思いますので、今日はそれに代わる説を展開してみようと思います。系図で見ると、女王卑弥呼の孫にあた
つれづれなるままに【ふたたびの小野氏(東北と熊本)】*追記あり2024.0305(夜明けの瞬間〜佐田岬より)つれづれなるままに【ふたたびの小野氏(東北と熊本)】〜すべて個人的メモとして📝〜以下、雑多な綴り描き、となっておりますため流してお読みいただければとおもいます。🌟✨とてつもない大きな渦。。先日の四国佐田岬の野坂神社にて同じ御眷属🐙との御縁で繋がった、海を越えた先の大分県佐賀関の神社にて洲の姫神(瀬織津姫と云われる)を祀る小野氏という存在が、さらに展開し出し。
はい、現実逃避。ヒッタイトについていろいろ調べていたら、「歯」のことに繋がった。そこから、丸子氏に繋がることになり、またまた深い話になっていくので、まとめられるかわからない。でも、丸子が言いたいことがいっぱいあるみたいだ。まずこの歯については、実際、どーなのか、まず、この話をしてからでないと・・・タジヒの歯歯・・・は?ある時ネットから古代オリエントの「冥界神話」というものをみつけ、こんな描写を発見。「おお!タシュより来る歯の白い者よ~」この神話の解説で
新・YUKIのブログ〜わたしらしく心のままに〜新・YUKIのブログにお越しくださりありがとうございます♪昨日の統合ワークのビジョンには続きがありました〜昨日のブログより〜続き……視ていたのはワニ→和邇氏アヌンナキ→ニビルのときの広げた翼が扇形を逆さまにしたような形松(松果体)取り…でした御霊が光に還れますようにと祈り、光を降ろすとまぶたの裏が明るくなるのを感じました御霊が癒されますようにあとになってから見ました⑶と⑸はワニ氏同族の分布地にいずれも接近してい
私のブログを読まれる人の中には小野氏・和邇氏など同族筋の方も多くおられる感じがいたします。しかしチグハグな感じもあり、同族の元が何であるか混乱されている様子も見受けられます。なので今回は「大山祇ファミリー」としてご紹介したいと思います。大山祇ファミリーという表現もかなり重要な意味があります。まずはコレを、これは私が本に載せる為に作った図ですが、一番分かりやすいと思います。初代の大山祇サクラウチを頂点として描いていますが、本当はオモタル・カシコネの娘が
新・YUKIのブログ〜わたしらしく心のままに〜新・YUKIのブログにお越しくださりありがとうございます♪11月12日ホロコーストについての記事を読みましたその日の寝しなに家の中で物音がして還りたい存在がいると感じて光を降ろしました視えていたのはヨーロッパの軍人と思われる男性でした11月14日自分に光を降ろして視えていたのは白いロングスカートから足首より下の足の天使たち3人くらいだったかな…クネクネした小さなサタンも…白いロングスカートの天使…は姿を完全
新たに分かる事が多く続き、ノビノビになっていた原稿の完成の日がついにやってきました、パチパチパチ(拍手)🎉🎉🎉〜校正などの作業は残っていますが、ひとまずは読めるものが出来たという事は誰かに何かを知ってもらう時には有効なツールとなり得ます。小難しい理論を展開し専門家を唸らせる内容ではなく、一般の方にこそ読んで貰える事を意識して書きました!歴史の本を読んでいると思いますが、理論武装して書いている内容の時は、それだけ読み手が納得しそうにない論理を真説と説いている場合が多いように思
「メタトロンと豪族・和爾氏」これまで大天使メタトロンの見た目の形状についてイラストに起こして都度、開示してきました。私は普段から、彼を段階ごと=ことなる次元のことなる人格でチャネリングで会話しています。A・1次元から8次元存在の3―6次元の人格純粋で子どもっぽい面の強い30代男性B・同上の7,8次元の人格冷静で知的、高尚な雰囲気の30代男性C・8次元以上にいる高次、全体性のある人格いわゆる神の状態・威厳のある壮年男性呼称Aの人格をセベクさん、あるいは、メタ(以前は小メ
今回、海部氏の系図をかなり参考にし、尾張氏の系図に手を加えました、精査して分かったことは、「尾張氏、海部氏、和邇氏」の三氏族は同族として活動していた事が分かるものでした。現在はそれぞれに別々の氏族の様に思われていますが、少なくとも雄略朝頃までは同族として活動していた事が、代々の宮司の名前から分かります。基本は丹後の家から出しますが、跡継ぎが途絶えたり何かあった場合には他家から宮司を迎えている様子が残されていました。尾張氏からは、十世孫小縫命十四世孫小登與命十五世
新・YUKIのブログ〜わたしらしく心のままに〜新・YUKIのブログにお越しくださりありがとうございます♪昨日、畑で見ていたオニヤンマ…見たのは小学生ぶりくらいかも…貫禄あったな、、、家に帰って落ち着いてからオニヤンマについて調べていました(調べたけど自分の中にあるね…と思い直し、、、😅)オニヤンマの意図することは何ですか?と問い掛け、視えていたビジョンは亀が海を渡っているところ朝鮮半島から日本(九州)へ渡ってきた…と同時に和邇氏が浮かび自分の中の和邇氏の過
お待たせしました!和邇氏との代数比較の結果です。このままでは意味が分かりにくいと思いますので解説したいと思います。(前提条件)★和邇氏の1代は20年とします、これは20歳の時には次の男子が生まれていると設定しています、正解ではありませんが、平均すると概ね正しくなると思います。★前提条件として和邇氏の活動期間は35年~45年と想定しています(なので2代、3代にわたって天皇に仕える事がある)、これは15歳頃から働き始めて、50~60歳頃に亡くなると想定している為です、なので1代につ
和邇氏について和邇氏なのか和迩部なのか、よく分からない事を伝える様な書き込みをよく見ますが、これは和邇氏の系図の子孫として有名な人物に「和迩部君手(わにべのきみて)」という人がいるからだろう、というのがよく分かります。系図には、天足彦国押人命→和邇日子押人命→彦姥津命→伊富津久命→彦国葺命→大口納命→大難波宿禰命→難波根子武振熊命→米餅搗大臣命→佐都紀臣→日爪臣→田作臣→磐邊臣→船守臣→船萬侶臣→稚子臣→弓束臣→君手→…………と続いています。ちょうど米餅搗大臣命の時
これまでは小野氏の付属の様に見ていた和邇氏の系図(『大久保家家譜草稿』)を、今度は卑弥呼の特定の為にじっくりと見直しました。有り難いことに天智天皇まで確実に比較出来そうなので、ざっくりとした時間軸の目安は得られそうです。(家系図を信用していない人も多いとは思いますが、人物は日本書紀や古事記、先代旧事本紀などで検証もできますね。)私のつくる小野氏大家系図も大幅にアップデートして今回の研究にも対応させている途中です。(書き込めるスペースが無くなってギチギチになってきています。和邇氏の系図
卑弥呼の謎を解くべく、作業をしようとと思いホツマツタヱにどの天皇まで書かれているのかを見たら、武烈の後の継体天皇が即位まであるらしい事を見たので、「んじゃあ、武烈までがホツマツタヱ由来かな?」と単純に思い、丁寧にシミュレートしてみると、ビックリ!なんと、トンチンカンな答えになってしまいました。_| ̄|○卑弥呼=解なし。となりそうな答えでしたので、明らかに違う事に気付き原因を調べてみると。んーーーーーーーー、ホツマツタヱから単純に皇紀を算出した訳ではなさそう(私の勘違い。)なのと、鍵
ホツマツタヱの暦の解釈より先に必要なのが、落とし所の目安です。二倍歴までは確実な様子なので、まずは二倍歴にて逆算してみると、ざくっとした表ですが、目安をみるには十分だと思います。二倍歴として逆算すると、神武の即位は紀元前120年でした。四倍歴だと神武の即位は紀元後151年になりました。なぜ四倍歴も検討するのかというと、天皇の在位は概ね15~20年と分かっているので,二倍歴でも神武は39年、孝昭天皇で41年など統計的にオカシイからです。私は小野氏を研究
小野小町にかまけてましたが、断片的には古代の邪馬台国についても考察を加えていました、今日は出雲の国譲りが何故起こったのか、その世界観をご紹介したいと思います。古代のヤマト王権の世界を語る上では最早必須となった「大山積」の一族ですが、イサナギ・イサナミの前の皇統である事はこれまでもお伝えしてきた通りであります。この大山積家のオモタル・カシコネの後に「倭の君」に指名されたのが、イサナギ・イサナミですが、私はこれまで継承すべき男系が居なかったと解釈していましたが、これは間違であった様です。
この五月の連休に「千足古墳」が公開されるという記事をみつけたので、行ってみたのですが、お祭りをしていたので、遠くに停めていくのも面倒だったので、その日は諦めました。(無理はしない性格なので………)この千足古墳には「直弧文」と呼ばれる独特の文様があるので、その保存が目的だったらしく、また見に行こうととは思っています。私はそれ程、考古学に興味がある訳では無いのですが、考古学的な裏付けは歴史を考える上で必須でもありますので、興味のある所だけ見に行くクセがあります。では、何故興味をもったか
25代武烈天皇は皇嗣が無いとされて応神天皇五世の孫26代継体天皇が継いだとされるが、どう解釈しても無理が有る上に出自が高志ー越前加賀能登越中越後/現在の福井県石川県富山県新潟県という広範囲の支配者であるところから簒奪者としか比定出来ない。息長氏との関連も主張される説も多いが神功朝の天皇が削除された系図しか無い状況で息長氏の天皇と比定するのは無理が有ると言わざるを得ない。26代継体天皇は軍事氏族大伴氏と物部氏に推戴されて天皇となった事から正統性の無くなった播磨で見つかったとされる形式上の23代
ところで100ワニはどうしてワニなんですか「100日後に死ぬワニ」ワニが桜を見に行く桜を見るワニどうしてワニなんでしょうかわからないですね日本神話にワニが登場します。和邇(わに、鰐)記紀(古事記と日本書紀)の日本神話や風土記等に登場する海の怪物。和邇-Wikipediaja.wikipedia.org和邇は『古事記』と『日本書紀』に登場する。因幡の白兎因幡の白兎-Wikipediaja.wikiped
次に向かった「劔神社」ここが、気になっていた所です。名前が「剣」スサノオのヤマタノオロチ?と思っていたら、「三条小鍛冶宗近」だった。・・・意外。この方、岩沼の金蛇水神社にも伝承されています。だから、竹駒神社の小野篁なのだ。京都の閻魔大王と一緒にいるのは、小野篁です。由来の前に・・・丸森の大張にも小野篁伝説があります。宮城県には多いのです、なぜか。丸森の伝説では、猪を退治した小野篁は「陰陽師」だった。その大きな猪は、頭に「松」がはえていました。小松、佐