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こんばんは・・(^-^)今の奈良は雨がやみ9℃と少し肌寒い感じです。今日もまだ腕の痛みで運動不足ですが血圧が少し上がってきましたね?・・腕の痛みか寒さのせいかわかりませんが?・・マリア猫は今までは、朝に呼んでも相手にされませんでした・・(^_-)-☆餌を食べに一階に降りて餌を食べ終えるとすぐに二階の押し入れに?・・猫も年を取って疲れるのかなあ?・・徐々に薬が効き始めたのかなあと思うと腕の痛みが少し減ったかもしれませんね?・今から、車の12カ月点
朝方ちらりと雪が降ったが、そのあとは青空が見える時間が多かった。が、思い出したように青空から粉雪が降ってくるときもあった。もっと悲惨な天気になるのかと思っていたので、何か儲けものをいたような気分だ。金沢駅・もてなしドームに桜が咲いていた。鉢植えの小さな木でカワヅザクラであろう。昼過ぎの金沢駅付近、北東の空である。北の空。公園から見た南の空。金沢駅前大通りのアーケード、雨の日はここを往復して散歩する。西の空。ここの歩道は幅が広いので、歩きやすい。以上は図書館に行っ
日本における皇室の問題は、私たち保守派の根幹にかかわることである。現行憲法における国民主権の解釈において、和辻哲郎が「国民全体性の表現者」(和辻哲郎『新編国民統合の象徴』)において示した主張は正鵠を得ている。和辻は「人民に主権があると云っても個々人が主権者だということではない。人民の一致せる意志が、即ち国民の総意が、国の最高権力を持つということである。その場合には、国民の総意を如何に形成し、何によって表現するかが重要な問題になる」と指摘した。また、和辻は先の戦争の反省を踏まえて「日本の
冬の奈良の旅2日目は終日奈良ホテルからの徒歩圏ですごしました。ダイニングルーム「三笠」の興福寺五重塔が見えるコーナーで奈良ホテルの朝食、1泊目の朝は茶粥の和食にしました。奈良に来たら朝はやっぱり茶粥です。荒池の対岸に見える建物は名料亭菊水樓、「乱酔した男たちが騒いでる」と和辻哲郎が腹立たしく思った景色は目の前にありました。その右奥には朝日に輝く大仏殿の鴟尾朝食前はまだ暗いので早朝のならまちウォーキングはやめておきました。茶粥の朝餉を済まし朝の珈琲を味わってから午前9時に開門する新
村上春樹『ねじまき鳥クロニクル』を読んでいる。10月ごろだったか、長編『1Q84』を読んだが、それに続く長編である。『1Q84』は1冊目で挫折しそうになったが、なんとなく3冊を読み終えた。軽いのか重いのかわからない本だった。『ねじまき鳥クロニクル』も3冊ものだが、その1冊目はもう終わりのところであり、先が興味深い小説である。ところで、村上春樹の小説を読むのは、幾つくらいの読者なのだろうかと、ふと思った。もちろん高齢者向けのものではなく、30歳から50歳くらいの読者が多いの
東京から京都経由奈良へ行き、友達と会った翌日は、一人で浄瑠璃寺へ。きっかけは東京国立博物館で今月中旬辺りまで京都・南山城の仏像展が開催されていたのだが、私はそれを見ず、常設展だけを鑑賞した。そのフライヤーの横にこちらのパンフレットが置かれていた。紅葉の時期の土日・祝日だけ浄瑠璃寺をはじめとする南山城の古寺を巡るバスが出ると書かれていたので、この機会を逃すと一生行かないだろうと思い帰省する時に行こうと決心した。奈良駅西口のホテルに泊まり、朝食後最初のバスで出発。奈良駅西口の
ランキング、今何位?応援クリック、ポチッとお願いします。こんにちは、ゆめ丸です!最近話題になった人や話題になった本など、日々いろいろとチェックしている中で、私の「読みたい本」リストに入ってきた本の中から、昨日読了した本の感想をば。今回は、和辻哲郎さんの「イタリア古寺巡礼」です。イタリアへ観光旅行に出かけてすごい建築物や絵画、彫刻を鑑賞しても、前知識がないのと、ある程度の知識があって観るのとではその感激や愉しみ具合が全く違ってきますよね。
『和辻哲郎著/風土』を読んでいると、自分とは何だろうか?という永遠に彷徨う問いよりも、何が自己なのか、何が自己を形成していくのか、自己の宇宙的使命とはなにか、その問いを導く鍵があるように思えてくる。
これはお昼のうどんです。格別珍しいものは入っていません。生協の冷凍"あごだし五島うどん"に食べたいものをいろいろ投入、おぼろ、月見、天ぷら、味付け椎茸、キツネうどんになりました。ほうれん草なども加えてさらに訳のわからないものになっていますが、エアコンをパワーアップして汗を拭きつつ食べた熱々のうどんは美味でした。蕎麦よりうどん蕎麦屋はなくてあるのはうどん屋という文化圏で育ち好きなタイプのうどんはコシのない柔らかな博多風のうどんですが、細身なのにしっかりした五島うどんも
今回のテーマは『地球(風土)と響き合う』よく思風先生は感性は風土に規定される、和辻哲郎の風土を取り上げられていて、その和辻哲郎の風土からは下記の様に分類される図があり、風土が場所だけではなく文化として育まれてきて、人の心の部分でどう地域が影響しているのかがなるほどと思わされるところです。そして、感性論哲学は日本でしか生まれない心の民族でしか生まれないなぜ今、この日本で日本独特の哲学が生まれたのか日本の真上に世界文明の中心がある※西洋は理性的統一(勝ち負けの文化)秩序をつくるこ
詳しいことは忘れたが、高校の『倫理・社会』の授業で『キルケゴール』を分担調査した。いま感じることなんだが、キルケゴールのネイティブランゲージは『デンマーク語』だ。ドイツ語・フランス語由来の思惟・思索ではなく『北欧由来のテイスト』が魅力だったんだろう。著作の日本語訳を中央公論社の『世界の思想』のキルケゴールの巻を主に読み『和辻哲郎の著作』を『副読本』とした。高校時代の『牧歌的思い出』だ。当時『実存主義』がもてはやされていた。今に至る社会の展開のターニングポイントだったとも感じている。二十
2011年夏のブログです*放送大学大学院の大場登先生の『ユングの「ペルソナ」再考』(2000・創元社)を読みました。大場先生の博士論文ということで、じーじに理解できるかなと不安を抱きながら読みましたが、丁寧な論文で最後まで一気に読んでしまいました(内容をどれだけ正確に理解できているかは別ですが…)。最近読んだ河合俊雄さんの『概念の心理療法』(日本評論社)でも同じような印象を持ちましたが、ユング心理学の場合、概念が固定化してしまうことが問題で、イメージや考えが常に流動的に
晩年の黒田寛一は、和辻哲郎や高島善哉にオルグられて「日本人」主義になってしまったのだろうか。松代秀樹・桑名正雄編著『ナショナリズムの超克晩年の黒田寛一はどうなってしまったのか』(プラズマ出版)に、北条倫「『実践と場所第一巻』黒田風土論への疑問」論文が収録されている。みなさん!読んでください!われわれの基本文書と英文を私のホームページに掲載しています。見てください。メインページの右上のメニューのところの「基本文書」「ENGLISH」をそれぞれクリックする
どういうふうにしようかと迷ったとき、他人のやったことを真似(まね)してみたり、すでに昔からあるものを手本にしなければならないということはない。そうではなく、自然のありかたから学ぶことができる。自然を観察し、そこから新しい教えや導きを受け取ることができる。[ウィトゲンシュタイン(哲学者)の『反哲学的断章』より。]自然は教師なり、自然を眺(なが)めて学び、自然に即(そく)して考える。(語注:・教師なり=教師である。・自然に即して=自然を基準にして。)[山岡鉄舟(幕末の幕臣)]自然は征
こんにちは。文字つづりすとの伏見美帆子です。アラフィフオンナが、感じるままに綴るブログです。どんなに綺麗事を言ったとて、美辞麗句で飾り立てたとて、言葉を通してその背後にある人格が滲み出し響きだすのである。こんな厳しいお言葉で、言葉についてワタシにささやいたのは、和辻哲郎氏の一節であった。たまたま図書館で手に取った本。【中古】教科書でおぼえた名文文春文庫/文藝春秋(著者)【中古】afb楽天市場220円昭和20年代
さて昨日は、クリス・レア編でした。『夏と女とクリス・レア』お家に鯉のぼり飾ってる?▼本日限定!ブログスタンプあなたもスタンプをGETしよう鯉のぼり。父親が、裏山から長か竹ば切ってきてからね。庭に高々と立ててくれまし…ameblo.jp孤高と孤独はどこが違うか。孤独は単に、友だちがいない人。つまりオレですな✌️いっぽう「孤高」は、衆を恃まず決して群れない。団体行動が基本的に苦手・・・・・・という点においてはワタクシも同じだが、孤高たる人は、「高」。すなわち秀でておる。
このように考えてくるならば、「われわれが創造した現実をわれわれがのりこえていく論理」を解明する必要がある、ということがわかる。われわれは、黒田が解明した「既成の運動ののりこえの論理」を「のりこえの論理」の本質論として位置づけ、「われわれが創造した現実をわれわれがのりこえていく論理」を現実論として解明しなければならないのである。このように考察することに立脚し、われわれは、われわれが労働組合において、組合員あるいは組合役員としてうちだす指針・および・この指針にのっとってくりひろげる諸活動を、組
「革マル派」中央官僚は、ウクライナでの戦争が勃発した瞬間に、反ロシアのもとに自分たちが依存すべき勢力はないか、と世界を眺めまわし、憎っくきロシアと戦う勢力として西側帝国主義勢力を見いだしたのだ、といえる。そして、これを熱烈に支持したのだ、と。この感覚と思惟の働かせ方は、かつて「植民地革命無条件擁護」を叫んだ俗流トロツキスト太田竜(栗原登一)の思考法と同じである。太田竜が第四インターナショナル第五回大会から帰ってきて黒田寛一と論争した1958年には、民族解放闘争・植民地革命がアジア・アフ
2019年3月の記事をリブログします。当時とは、少し考え方が変わりましたので。
晩年の黒田寛一が、『実践と場所』に、和辻哲郎や高島善哉の「風土」論と、うり二つのものを書いた、ということは、既存の理論を個別的に徹底的に批判する、という理論的作業を、彼がやっていない、ということを意味するのではないだろうか。批判的摂取であるべきものが、取りこみになっている、と思われるのである。すなわち、晩年の黒田寛一は、マルクスの「剰余価値学説史」のようなことをやっていない、ということである。若き黒田は、1960年には、宇野弘蔵の経済学方法論を徹底的に批判した。1968年には、対馬忠行
北条倫さんの「『実践と場所第一巻』黒田風土論への疑問」という論文が、「探究派公式ブログ」に掲載された。みなさん!この論文を読んでください。北条倫さんは、この論文の冒頭で、黒田寛一著『実践と場所第一巻』から、「賃労働者としての日本人も、日本人らしさのようなものを喪失して無表情になり、日本人の精神風土とはおよそ無縁な存在になりさがり、彼らの感情も情緒も情動も干からびたものになっている。」(572頁)という文章を引用し、「私は、プロレタリア前衛党の指導者から日本の労働者階級に対する失望が
佑実理【つぶやき隊スプリンググリーン】@Yumiribook価値を認めるということと失いたくないということとは、ほとんど同義である。そうして価値あるものはこの世には無限にあると言ってよい。和辻哲郎2022年12月26日07:55佑実理【つぶやき隊スプリンググリーン】@Yumiribook(天声人語)アトムの足音:朝日新聞デジタル#ロボット#手塚治虫https://t.co/fNZ5n2pJOs2022年12月26日07:55佑実理【つぶやき隊スプリング
価値を認めるということと失いたくないということとは、ほとんど同義である。そうして価値あるものはこの世には無限にあると言ってよい。和辻哲郎このスポーツ選手の偉業を語りたい!▼本日限定!ブログスタンプあなたもスタンプをGETしよう
我々は、生まれ出でてから現在に至り、そして、将来に向けて生きていきます。“人は時の旅人”とも言い、過去から未来に向けての流れの中に生きているともいえます。だから、過ぎたことを気にして、これからのことに憂慮することがあります。しかし、それはハッピーでしょうか?そうではないですね。そこで、「今、ここにいる貴方はどうですか?」と訊かれたら、どう答えますか?過去に振り回されず、未来を杞憂するのではなく、「今、ここにいる自分は何なのか、どうしたいのか、」その思いを大切にしていくこと
何を思ったか、和辻哲郎を読み直している。昔、読んだ本なんやけど、全く憶えてないから新鮮な気持ちで読める。かつて京大の哲学科を出た友達がいて、ツーと言えばカーで話が尽きなくて、とてもとても楽しかった。哲学はおもしろいねん。よく笑ってたなぁ。今はもう、もの言わぬ人になってしまわれた。もっともっと話をすれば良かったと悔やんでも遅い。和辻哲郎は、寝る前にチョロッと読むだけやから全く進まない。次に読む時は、前に読んだトコロを忘れてるから毎日が新鮮。斬新な日々でござい
こんにちわ。本日は風土と人間の関係についてブログを書かせていただきます。参考書籍:「風土」和辻哲郎著p24「かくのごとき風土は人間存在が己を客体化する契機であるが、ちょうどその点においてまた人間は己を了解するのである。風土における自己発見性と言われるべきものがそれである。」「気持ち、気分、機嫌は単に心的状態とのみ見らるべきものではなくして、我々の存在の仕方である。」「しかもそれは我々自身が自由に選んだものではなくすでに定められたあり方として我々に背負わされている。
日本人にとって天皇とは何を意味するのか。日本国憲法の第一条の「天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く」をどのように理解すべきかについて、哲学者として明確に語ったのは、和辻哲郎であった。和辻は『国民統合の象徴』に収録された「国民全体性の表現者」という一文では、まず日本の歴史から説き起こした。神話をもとづく天皇統治とは一線を画したのである。「元来原始集団がおのれの総意を何者かに投射し、それを『神聖なもの』として受取るということは、人類
もうこの年齢になったのだから、おとなしくしているのが普通だが、已むに已まれぬ思いがあるのは、このままでは日本が亡ぶからである。70年安保騒動を僕は経験しているが、あんなのは劇画の世界と同じような「ごっこ」の世界でしかなく、今のような緊張感は皆無であった。ゲバ棒で暴れても、大半の学生は、卒業がいくらか遅れる程度で、いつでも日常性に逃げられたからだ。今度ばかりは違う。日本の領土、例えば沖縄を自分のものと主張する国家が、目の前に出現したのである。日本の領海や領空を公然と侵犯する国家が、何と二つもある
天皇陛下について考えるにあたって、いつも参考にしているのは、大原康男の『天皇ーその論の変遷と皇室制度』である。大原は市村真一がまとめたという君主制の長所に触れている。「市村教授は君主制の長所として『君主制は権力欲を制限する』ということ挙げ、『政治家の力の欲望は強い。これに歯止めをかける力は君主の存在のなかに自動的にある。ウェーバーが最も重視した君主制の長所である』と説明しています。ここから、君主制が独裁政治を防止する機能を融資しているという考えが生まれます」と書いている。市村教授というのは
昨晩はアンバスケード一章を一時間ぐらい行い、6万ポイントを稼ぐ事ができました。蛹は、赤サポ黒で寝かせ+パライズ+アドル+ディアでできる限りのことをいたしました。最初、スリプル系の装備の胴がLT胴で「あれ?なんでこんなにレジられるんだろう」と思いましたが、AT胴に変更してから比較的安定して5分〜4分台ぐらいでクリアできるようになりました。今月は赤が輝く内容でした。話は変わりまして、本日は「人間」という言葉が持っている深い意味をとりあげようと思います。■「『人間』を理解する手がかりとしての