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先週土曜日の写真です。鎌倉の写真はこれでおしまいです。瑞泉寺の後に海を見に行きました。由比ヶ浜にでたら、いつもは右方向、長谷寺方面に行っていましたが、左方向、逗子方面に港の遺跡があった記憶があったので行ってみました。和賀江島石碑和賀江嶋材木座海岸
2月16日の日記。先日ブラタモリで鎌倉をやっていて、とても面白かったので、久しぶりに鎌倉へ行きました。最初に向かったのは、由比若宮(元八幡)/ゆいのわかみや(もとはちまん)鎌倉の鶴岡八幡宮は元はここにあったそうです。ここに着いてみたら、何となく、中学生の時のウォークラリーのチェックポイントになっていたような気もするのですが、はっきりとは覚えてません番組によると源頼朝の先祖が作り、頼朝が鎌倉に到着して6日目の朝4時に、ここから現在の鶴岡八幡宮
鎌倉駅から2km程(飯島バス停徒歩3分)キャッシュレス決済2021年10月4日オープンNHK解体キングダムが近日放送される光明寺も近いです正面は江ノ島♪眼下に和賀江嶋が見れますが、満潮の為良く分からず福澤弘シェフ(当日不在)マキシムドパリ銀座、銀座タテルヨシノドミニク・ブシェのパリと金沢やL'ARGENT等を経て2023年就任ワカサギのエスカベッシュパンは逗子駅painpressoのパンプキンシードブレッドレインボーズファーム鎌倉の野菜バルサミコ・醤油のパウダー
和賀江嶋の前を通ると潮が引いていたので海岸に下りて歩きました。
カステラくんたちは、鎌倉の材木座の海岸でたそがれています。西の方へ目を向けると、手前に稲村ヶ崎、その左に江ノ島のタワー、そして奧に富士山が浮かんでいましたいい景色!!(α7Ⅱ+Elmar9cm/F4沈胴)ちなみに、江ノ島のタワーは、サミュエル・コッキング苑のシーキャンドル。実はカステラくんたち、江ノ島に上陸したことがありません…。横位置で構えても絵になるというか、すばらしい風景。江ノ島のシーキャンドルの右上にポコッと飛び出ているのはどの山なのでしょう?大山??(
やって来たのは、和賀江嶋(わかえじま、わがえじま)です。飯島のバス停から歩いてすぐです。和賀江嶋、ご存じですか??貞永元年(1232)、鎌倉幕府も支援して築かれた港の跡で、今でも名残があるとのことです。太平洋(相模湾)に夕陽が沈む、美しい海岸の光景にひたすら感動本当にきれいで、時を忘れるとはこのことというものでした。で、肝心の和賀江島はどこなんですかね??あ、いま満潮なんじゃね??というわけで、和賀江島跡はどうやら海中にあって、見えない模様。あらあら
日本最古の港湾遺跡・和賀江嶋(わがえのしま)。こちらは、砂浜の隅の、船着場土台と思しき石が集中的に散らばる場所。↓そしてこちら、沖の“小島”まで。↓
和賀江嶋(わがえのしま)から海上を見ると、小島のような所が。遠浅の海。写真左端の旧石碑と、右端の小島。↓↑漁船が係留されている小島までは、おそらく歩いて行く事が可能な遠浅。↓一年の内、最も水位の低くなる“大潮”の日には、沖の小島と完全に陸続きになり、港湾遺跡の全貌が見えるそうだ
日本最古の港湾遺跡・和賀江嶋(わがえのしま)。浜に降りて、古い石碑の近辺へ。浜の隅の石碑周辺には、人間の頭大の石が集中的に…。↓おそらく、ここに散らばる石が土台となり、その上に木造の船着場があった模様。↑時折、人為的な加工がされた石も。↓こちらは、柱を建てた穴??
浄土宗大本山光明寺を出たのは、PM1:00少し前。間もなく干潮の時間。この時間でなければ見られない物を…光明寺から南東すぐの海に出ると、和賀江嶋(わがえのしま)の石碑が。↓この石碑から左奥の波打ち際には、もう少し古い石碑。↓吾妻鏡によると、ここは、1232年、鎌倉幕府3代執権・北条泰時の時代に出来た港の跡。江戸
和賀江嶋和賀江嶋は、三代執権北条泰時の時代に築かれた港。『吾妻鏡』によると、7月15日に着工して8月9日に終了。以後、数百年間にわたって船舶の発着に便利を与え、材木座は大いに賑わい、鎌倉の海の玄関口として多くの物資が陸揚げされました。『海道記』には、「由比ヶ浜に数百艘もの船がつながれている様子が近江の大津のようであり、家が建ち並んでいる様子は大淀のようである」と描かれています。
ヤフーブログ2015年10月以前の記事で移行できなかったブログから残したい写真のコピペです。境界石(杭)2015年5月10日の記事から海上保安庁の境界石が陸上で見つかりました。付近には海上保安庁の施設が?境界石は海岸にある場所相模湾逗子マリー付近です。この海岸は国指定史跡「和賀江嶋」碑碑文よく読めない!!!TVTV番組表TVもありましたビーチに出現幻の港といわれているのがこの辺りらしい!海岸には人工の跡もあります。おわりお
昨日は鎌倉の街歩きに行ってきましたプロのガイドさんに色々詳しく説明していただいてこれまで何度も行ってるはずの鎌倉がまるで違ってみえました朝、北鎌倉駅に集合この駅舎初めに作られてからほとんど変わってないガイドさんの持っていた当時の写真と現景がほぼ同じ道路を渡って一本裏道に行きますここは明治頃まで円覚寺の前の通りだったところこの道の両脇に山門があったそうですもともと軍事路線として作られた横須賀線はなんと円覚寺の境内を貫通している!更に戦後観光客が増えて横
和賀江嶋は、日本最古の築港施設。
3日は、心友のMさんと、「逗子・鎌倉」散策をしてきました♪さ~てここからは鎌倉市です。逗子マリーナから、海岸線沿いを鎌倉方面に歩くとあるのが、「和賀江嶋」です。国指定史跡になります。*****1232年に築造されたわが国に現存する最古の築港遺跡。往阿弥陀仏という聖がこの地に港湾施設を築く許可を幕府に願い出、名執権の呼び名高い第3代執権北条泰時が支援した。開港の後、この周辺は多いに栄えたと記録が残っている。和賀江嶋は材木座の東端にあり、潮が引くと築港跡の先端ま
今日は、小田急の江の島・鎌倉フリーパスを買い込み、季節外れの❓️湘南の海岸散歩にやってきました。こちらは七里ヶ浜海岸。そして、こちらは材木座海岸。湘南のサーフィンのメッカとして、雑誌「HONEY」にもしばしば登場します。そしてこの材木座、実はちょっとした歴史スポットを有しているのをご存じでしょうか。それが、これ。現存する日本最古の築港遺跡、「和賀江嶋(わかえのしま)」です。とはいえ、通常はそのほとんどが海面下に没しています。ここにその説明があります。ここまで寄って
いつもご訪問して下さり、有り難うございます\(.^-^)/リアルタイムでのご訪問やコメント返しがなかなか出来なくてごめんなさい。。。夜勤明けです...メチャクチャ、疲れていたのですが、ちょうど帰る時間帯が、大潮の干潮時間でしたので...前々から行って見たかった"大潮の時にしか行く事の出来ない、人工島...""和賀江嶋"に行って来ました~~~何か、拾えるかな~~~由来和賀江島は,貞永元年(1232)に築造されたわが国に現存す
先週末には、そろそろサツキが咲いたかと光明寺の枯山水のお庭をチェックに。咲き始め、だった。だから、週半ばの今日あたりはもっと見応えがあるのでは?ピンクと赤っぽいのが混ざっている。ツツジ、バラ、と一気に2週間~20日、前倒しで咲いてきて、サツキも10日は早いようだ。記主庭園の池には、終わりかけの黄菖蒲。サツキチェック、だけじゃなんだからと、崖崩れのあったトンネルをくぐって逗子マリーナでおやつタイム。一組の結婚式が終った
鎌倉材木座の端にある国指定史跡和賀江嶋です。
夕方に、まだ仕事中の旦那からメールが来た。「明日休みにしたから、光明寺の国宝を見に行こう。」えっ?ああ、休日出勤の代休ね。で、前夜からのオールで、夕方帰宅した次男が、「明日友達と釣りに行くから車使うよ。」と言った。あ~ら、残念。パパがお休み取ったから、鎌倉行くから!なんで、こんなにギリギリに言うかな?と言ったら、「言うのを忘れていただけ。」と。次男は、まだ確かに、この家に、住んでいる、のだが、人生の学生生活最後
湘南の春はこれで知る。シラス漁解禁まであと10日!11日から、生シラスが食べられますよ!この日の干潮時間が11時過ぎだと知り、材木座海岸の端に出現する和賀江嶋を見に行った。稲村ヶ崎、江の島、そして和賀江嶋。鎌倉時代の日本最古の築港遺跡。干潮なので、海岸もこのくらい広くなっている。築港遺跡の丸石がごろごろと出現。鎌倉石が崖崩れを起こしたこのトンネル脇の場所も、新たにワイヤー入りのコンクリートで固められた。2月の初めはまだ、歩行
天気もいいし、原チャリで鎌倉でも行くかぁ~と。思い立ち、、、12時前に、家を出ました。またまた、辻堂~藤沢の住宅地辺りでプチ迷子になりつつ、鎌倉山を抜け、佐助稲荷・銭洗弁天・源氏山~、若宮大通→鎌倉宮~瑞泉寺。それから材木座海岸~逗子マリーナ→由比ヶ浜経由・長谷→極楽寺~稲村ヶ崎・R134→鵠沼海岸→辻堂→茅ヶ崎(お買い物)。と、まぁ、忙しく色々と回ってきました。原チャリでだと、一気に行動範囲が広がります。が、観光地。自転車は置けても、バイクの駐輪って、意外とできませ
和賀江嶋(わがえじま)は、鎌倉由比ヶ浜(ゆいがはま)の東端に位置する人工島で、日本最古の築港遺跡として国の史跡に指定されています。鎌倉幕府の開府により、鎌倉への船舶往来は増加しましたが、このあたりの海岸は遠浅で、荷の上げ下ろしが難しく、大風大波で難破する船も少なくありませんでした。そこで、貞永元年(1232)勧進僧の往阿弥陀仏が、港を築く許可を鎌倉幕府に願い出で、三代執権北条泰時がこれを後援し完成したと「吾妻鏡」に記されています。工事に用いた石材は、相模川、酒匂川、伊豆半島東部から、海