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烏丸通と今出川通の交差点から烏丸通を少し南に下ると護王神社が鎮座している。神社の塀には拾圓札のパネルが掛けられている。明治23年から昭和20年まで発行された日本銀行券10円紙幣には一貫して和気清麻呂と護王神社が描かれている。大日本帝国として、和気清麻呂がいかに重要な存在だったのかがわかる。この十円紙幣は「いのしし」と呼ばれていた。そう、この神社の祭神は、和気清麻呂だ。狛猪が迎えてくれる。護王神社は和気氏の創建による孝雄山神護寺境内に作られた、和気清麻呂を祀った護王善神社に始まる。正
お次は幕末から遡ること1000年!元々予定してなかったのですが、前夜祭で『蛤御門に行く』と言ったら教えて頂きました。和気清麻呂とその姉の広虫姫をお祀りする護王神社です。宇佐神宮に行ったぐらいですから、興味のある歴史上の人物です。皇統を守った=護王なのですね神社の碑に顔が彫られているのは初めてみました(笑)昔はお札の人だったからでしょうか?狛犬ならぬ狛猪鳥居をくぐると、鬼!この日が節分であることにこの時気付きましたここを教えてもらってなかったら、折角節分に京都に
おはようございます。今日は初弘法です。25日が初天神。今年に入っての「初」が巡り、1ヶ月が過ぎていきます。やっと、2024年令和6年に慣れてきたところでしょうか。初弘法の東寺ですが、その正式名称をご存知でしょうか?「教王護国寺」(きょうおうごこくじ)とお答えになられた方は、京都通、歴史通の方かと。しかし、正式には、違う名称なのです。「金光明四天王教王護国寺秘密伝法院」と「弥勒八幡山総持普賢院」の2つの名称が正式名称です。宗教法人としての登録名は「教王護国寺」です。「教王」とは王
…養育したと云う故事から、育児の神としても信仰されている女性は?護王神社の祭神は、・和気清麻呂公命(コウノミコト)・和気広虫姫命(ヒメノミコト)である。清麻呂の姉・広虫は、孝謙天皇の女官として後宮に入り、桓武天皇までの長きに渡り忠勤し、歴代天皇に厚く信頼された。天平宝字5年の藤原仲麻呂の乱では、乱に連座し、死刑が確定した375人の減刑を天皇に懇願し、流刑にして命を救った。戦火で身寄りを失い孤児になった83人を養子とした功績から、「子育て明神
広島県三原市の佛通寺(ぶっつうじ)へ「ぶっつうじ」という音最初よく聞き取れなくて何度も聞き返しましたが小早川家ゆかりの有名なお寺です應永4年(1397)小早川春平公が愚中周及(佛徳大通禅師)を迎え創建した臨済宗の禅刹佛通寺の名称は愚中周及の師である即休契了を勧請開山とし彼の諡号(佛通禅師)を寺名にしたことを起因とする(HPより)久しぶりに向かってみると道路の修復工事の為に山道を大きく迂回・・複雑な経路には道案内の人が数人いて誘導してくださいましたそう
とにかく快晴でした♪10月下旬だと言うのに外人さんは半袖の方ばっかし(^^;)さて12時に近づいて「平安時代婦人列」の待機場所付近をうろうろしてると芸舞妓さん等が集まってきゃはりました❤今年は祇園甲部が担当のようですね。知ってる方はいませんでしたが♪そんなの関係ねー私ほんまに先斗町しかしらんからね。清少納言役、美帆子さん。完璧な十二単でめっちゃ重たそう。この方のInstagramで誰が何の役かを知りました(姉さんおおきに)紫式部役、市有里さん。NH
烏丸の護王神社と「天神さん」金澤成保先日、御所西のホテルで大学時代の同窓会があり、帰りに近くの護王神社と菅原院天満宮神社をお参りした。ともにに天皇を支えた公卿をお祭りする神社で、烏丸通りをはさんで御所の向かい側に社殿を構えている。護王神社の由緒と主祭神烏丸通りの蛤御門前の西向こうに、護王神社がある。「道鏡事件」の際に流刑に処せられながらも、「王統を護った」和気清麻呂とその姉の和気広虫を主祭神としてお祀りしている。孝明天皇はその功績を讃え、嘉永4年(1851)和気清麻呂に護
こんにちはぴよぴよ侍です今回も普段お世話になっている神社を勝手に紹介していこうと思います今日は"護王神社"についてのお話です護王神社の御祭神は和気清麻呂公と和気広虫様です清麻呂公のピンチを助けたという伝説から神使は猪ですというわけで鳥居の前にはなんと珍しい狛猪さんに出迎えて頂けますかわいいですねぇ〜境内には色々な猪コレクションがあり、色々見て楽しめます足腰の神様、護王神社にいざ参拝!御祭神の和気清麻呂公の銅像ですめっちゃ優しい雰囲気がしますよね和気清麻呂公は弓削道鏡という僧
劇団の新作短編剣舞ショーのオープニングで使おうと思っている猪マント。ひとまず、6人分縫い上がりました。あともう一息です。(裾をボロボロに見える風にカットして、ボタン打ちして、残り二着縫う!)予定では6人分あればなんとか演出は間に合うのですが、今後のショーでも使うかもしれないので、全員分用意することにしました。(なんとか人数分の生地を確保できた!)生地のペイントのためのペンキがなくなったので、買い出しに行かないと・・・来週の定休日に衣装のた
Lesanctuaireshinto"Goō-jinja".----------2022年11月11日撮影。蛤御門を出て歩いていてると、護王神社(ごおうじんじゃ)が見えてきたので立ち寄りました。護王神社の主祭神は、和気清麻呂(わけのきよまろ)とその姉、和気広虫(わけのひろむし)です。和気清麻呂さんは、奈良時代末期から平安時代初期の方で、平安京遷都を進言して、京造りにも尽力した人です。江戸時代末、孝明天皇より功績を讃えられ神階正一位と護王大明神の神号を賜りました。天皇陛下みずか
(あきしぐれいちょうちりしきやしろさる)護王神社は、神護寺境内から明治19年に中院家邸宅跡に遷座されました。祭神は、和気清麻呂と姉の和気広虫です。和気清麻呂の事績が塀で説明されています中門の足腰の御守回して御守の下を潜ります狛猪
昨日の金曜日朝~午後はウキウキしていたが、しかし4時頃に問題発生‼️職場のことなので勿論、詳細は書けないが夜も眠れず朝を迎えた😢一般的とか常識的にとかそんなことが通じない人がいることに👀‼️薄々感じてはいたが、優秀な人で、仕事ミスもなかったが、夏ごろからは、明らかに仕事に穴をあげるようになりそれもなんとかみんなでカバーしてきたが、今回は理解に苦しむ行動だせっかくの週末楽しく過ごそうと思っていたが、パーになりました😢まあ、なんとか解決しましょう為せば成る為さね
日帰り・弾丸岡山県ドライブ〜🚗山陽道を西へ向かって岡山県に入ってすぐの「和気」ICで降りて〜和気の清麻呂公の生誕地にある「和気神社」に行ってきました。御祭神は◎鐸石別命(ぬでしわけのみこと)第11代垂仁天皇の皇子和気氏の系譜としては「日本後期」の祖先伝承によれば、第11代垂仁天皇の皇子「鐸石別命」弟彦王は土着し、一族は備前、美作に栄えました。和気清麻呂と広虫はその後裔であるとのことです。※なかなかやはり読めませんが、漢字からすると銅鐸とかの「鐸」と「石」なので何か関
かつてあった広島県御調郡(みつぎぐん)は平成の大合併で消滅(2005年)しました租庸調の『調』を思わせる地名の由来はよくわかっていないようですがここには御調八幡宮という和気清麻呂のお姉さんゆかりの神社があります大鳥居の向こうの朱色の屋根のついた橋を渡ります欄干の下に小川が静かに流れ石段を上がると木組の美しい神門がありました神護景雲3年(769)和気清麻呂が宇佐八幡宮で神託を得て道鏡を退けたことを称徳天皇は怒り清麻呂を大隈国へ流罪に
あらら京都市内で!?猪が!?びっくりだよねhttps://www.kyoto-np.co.jp/articles/-/865698京都の市街地にイノシシ出没女性1人けが、店舗のガラス割れる被害も|社会|地域のニュース|京都新聞京都市左京区や中京区の市街地で26日朝、1頭のイノシシが出没した。イノシシは東大路通丸太町から御池通烏丸付近まで移動して京都府警中京署員ら…www.kyoto-np.co.jpそーいえば京都市内に↓あったねhttp://www.gooujinja.or.
…を祀る事から「子育て明神」と呼ばれ、育児の神として信仰を集める神社は?和気清麻呂の姉・和気広虫姫は、孝謙天皇の女官として出仕、奈良朝から平安朝の動乱の時代を生きた。恵美押勝(エミノオシカツ)の乱など政変で戦災孤児となった子らを養子にして「里親の起源」を築く。弟と共に、孝謙(称徳)・光仁・桓武帝に仕えた。「子育て明神」として「護王神社」に祀られている。
般若心経【1】怒りの御前会議翌日、清麻呂と広虫はそれぞれ従者として小龍と秀二を伴い宮中に参内(さんだい)しました。小龍と秀二は宮中に入れませんから外で待機しなければなりません。清麻呂が宇佐神宮の八幡神の神託を記した書を係の女官を通じて称徳天皇に差し出し別室に下がります。称徳天皇はその書を参議達の前で読むように広虫に命じました。居並ぶ参議たちの前に進み出た広虫は書を開き八幡神の神託を読み上げました。「我が国家開けてより以来、君臣定まりぬ。臣を持って君とすることは、未だ有らず。天(あめ=天
夜の明石海峡大橋【1】家来にして下さい秀二と清麻呂は賊の三人を後に残し先を急ぎました。三人は何やら相談していましたが、しばらくすると秀二達のもとに駆け寄って来ました。「まだ懲りないのか。」と秀二は溜息をつきながら棒を構え、三人の前に立ちふさがりました。すると三人は秀二の前に跪(ひざまず)き「お願いです、私達をあなた様の家来にして下さい。」と言いました。秀二は驚いて「飛んでもない。私は家来を持てるような身分ではありません。お断りします。」と答えました。清麻呂が「どうして秀二さんの家来になり
和気神社をもう少し。和気清麻呂は垂人天皇の流れを汲んで、備前▪美作の国の地域を治めていたみたい。↑の銅像も特別みたいやし、すてれんきょにはわからへんけど、和気神社の本殿も特別らしい。説明板読んでな。棟梁が特別にすごい人らしい。拝殿の鴨居?でエエんかな?たいていの寺社は木鼻が獅子とか象やけど、龍は初めてやな。唐破風の屋根に居る龍もすごい❗️随神門の彫刻もすてれんきょは初めてや。表側は隠れてる部分が多いけど、猿かな?裏に廻ると、鯉を抱く金太郎。このままコロナが収束していけば、
天皇が流罪に成る大事件を続けて紹介しましたが、実はもっと危機があったのです。奈良時代末期、孝謙天皇というお方がおられた。この方は女帝なのです。孝謙天皇が病気になられた時に道鏡という僧が付き添い看病(祈祷で回復したとも)してからは、天皇の寵愛を一身に受け、太政大臣にまで出世して政治に口出しします。淳仁天皇に譲位して孝謙上皇と成りますが、道鏡の専横をよく思わない藤原仲麻呂が乱を起こします。反乱は鎮圧され、仲麻呂の後押しで皇位についた淳仁天皇も淡路に流罪と成り、孝謙上皇が復位して称徳天皇と
現代の播磨灘明石海峡大橋【1】孫悟空の贈り物難波津の店も軌道に乗ったある日、秀二と小龍は店に商品を届けた帰り道、療養所に向かっていました。小龍が「雷雲の術を覚えたけどやはり不安だな。相手が捨て身で向かって来た時は一人じゃ防ぎきれないだろうし、姉上に助けを求めるにしても四六時中と言う訳にはいかないだろうからね。」と溜息をつきました。二人がどうしたものかと考えこみながら夕方療養所に着くと孫悟空が来ていました。「あれ~、悟空兄さん。珍しいですね、こんな時間に。」と小龍が声を掛けると「お釈迦様
大角木山より見た現代の夜の兵庫津【1】謎の武装集団雲に乗った秀二と小龍が由義宮の屋敷から伸びる細い小道を上空からずっと辿っていくと小さな集落がありました。その集落からは細い道がいくつか伸びており別の集落や街道に繋がっているようでしたが、いずれも獣道のようで周囲からは見えないようになっていました。秀二は上空からは分かるが、他の村や街の人にはここに集落があることは分からないだろうな、と思い「まるで隠れ里だな、ここは。」と呟きました。二人が村を上空から眺めていると朝の
今回のお供はW800ですトラちゃんも来ていますねぇボンネビルのT100です。カッコいいですね!ボンネビルのT100は自分も過去に購入を検討したことがあるバイクです。公園に行く途中でゲジゲジ玉のようなお花を発見!藤公園は和気神社に隣接してあります。和気神社の祭神は確か和気清麻呂とお姉さんの和気広虫だったと思います。和気広虫は日本で初めての孤児院を作った立派な人なのに知名度の方は今一つですよね、残念なことです。画像は和気清麻呂公鯉のぼりが気持ちよさそうにたなびいて
4月28日孝謙天皇和気広虫姫今回は新しい試みとして、私の先祖筋にあたる和気広虫姫(和気清麻呂公の姉君)の目を通して孝謙帝を書き進めて見たいと思い立ちました。どんな物語になるか私自身も楽しみです。有名な宇佐八幡神託事件なども読みといて見たいと心に期しています。広虫姫は6代の天皇に仕えました。まずは孝謙天皇の説明から入って行きます。阿部内親王として、父聖武天皇、母藤原光明子との長女として誕生しました。その後聖武帝と光明子との間に基親王が生まれましたが
まだ離婚する前日帰りの社員旅行で紅葉の季節の神護寺に行ったその頃は神社にはほぼ興味なくでも秋の神護寺はとても趣があり綺麗だった神護寺で【かわらけ投げ】をしたときに私の投げた瓦がそれは見事にクルクルとUFOの用に回りながら下に落ちることなく遠く遠くへ飛んで行った周りから歓声があがるほど自分で言うのもなんだがそれは見事に緩やかな弧を描きながらゆっくりゆっくり落ちていったそれからしばらくして長男を授かったそういったこともありずっと心に刻み込まれいつかまた
おはようございます。今朝は冷え込んでいます。昨日の雪が残っているところはどうぞ転ばないようにお気をつけてください。今日は初弘法です。25日が初天神。今年に入っての「初」が巡り、1ヶ月が過ぎていきます。やっと、2022年令和4年に慣れてきたところでしょうか?初弘法の東寺ですが、その正式名称をご存知でしょうか?「教王護国寺」(きょうおうごこくじ)とお答えになられた方は、京都通、歴史通の方かと。しかし、正式には、違う名称なのです。「金光明四天王教王護国寺秘密伝法院」と「弥勒八幡山総持
護王神社。前回の記事の続きです。イノシシに所縁があり、境内の至る所にイノシシがいます。手水舎にはリアルなイノシシと、小さくカラフルなイノシシが沢山並んでいます。可愛らしいですね。本殿。拝殿に掲げられた四神相応図の額。なかなかイケメンな和気清麻呂の像。姉の広虫とともに、この神社の御祭神です。こちらは近づくとセンサーが反応して、イノシシの口から水が出てきます。お正月には本物のイノシシが登場します。(社会情勢により中止の可能性もあります)
和気神社は御調八幡宮の中にある茅葺きの美しいこじんまりとした神社(というか祠に近い)で、道鏡事件(宇佐八幡宮神託事件とも)で流された和気広虫さんをお祀りしてあります。道鏡事件とは和気広虫(わけのひろむし)は奈良時代の女官で孝謙天皇の側近中の側近だった人です。弓削道鏡が孝謙天皇に取り入って次の天皇になろうとしました。宇佐八幡宮で神託(占い)を受けるため和気広虫を勅使としましたが、体調不良のため広虫は弟の和気清麻呂(わけのきよまろ)に行かせました。その神託の結果が道鏡は天皇にふさわしくない(
名古屋のシンゾウです70歳を過ぎると、なかなか深い眠りを得ることが出来ません。夜間尿の問題もあり、3~4時間程度で、目が覚めてしまいます。再び眠ろうとするのですが、なかなか眠れません。眠りが浅いのでしょう、夢を見ることが増えました。更に、この時期には暑さも有りますので、クーラーのお世話にもならなくてはなりません。満足な睡眠を得るため、あれもこれもとやってみるのですが、なかなか成果が上がりません。最近では、諦めてこれを常態と受け止めるようにしています。眠くなれば眠れるはず.....開き直りで
この頃、飛鳥時代、奈良時代の小説をアト・ランダムに読んできた。天皇の御代とともにそれを取り巻く登場人物が変わる。教科書のように順序だてて読んではいないので、あれやこれやが混然一体となり、頭の中が整理できていないけれど、この本は空白の隙間を埋めてくれた。女帝の傍近くに仕えた女官・和気広虫の視点から事の真相を解きほぐしていくので、実にわかりやすい。これが小説の効用かもしれない。いわば雲の上の人ばかりであるが、生身の人間としての喜びや悲しみを痛いほどに感じさせられる。さすがに女性の筆による