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和歌山県紀の川市桃山町黒川にある薬師堂。かつての地大榮寺は廃寺。明治の廃仏毀釈によるものでしょうか。紀伊続風土記(1910年刊行)によれば明治末期には現状と変わらない様子。薬師堂のみが残り、過去を今に伝えます。■薬師堂■絵馬穴の開いた石、板を紐や針金でまとめて柱に吊り下げています。近隣地域にも見られない独特な風習です。まるでネパールの仏塔にあるような眼の絵。眼病
和歌山県紀の川市桃山町黒川に鎮座する熊野権現社。■石燈籠■拝殿鳥居形式の門。■手水鉢■本殿■境内社■境内社石燈籠の火袋の丹塗木製が独特ないい味出してます。■宝篋印塔■地蔵像・石碑
民家の脇のコンクリート舗装を歩きます・・・・・右手には墓地、左へと向かいます!■害獣柵開けて入り、しっかり閉めます!緑色片岩による石段、擁壁。■鳥居■手水鉢石段のななめっぷりが凄いことに!■本殿柿も実り始めました・・・・
瘡神社とは・・・・・・大阪府枚方市牧野本町にあるのは、くさがみのやしろ。広島県三原市新倉町にあるのは、かさがみじんじゃ。奈良県生駒郡三郷町勢野にあるのは、くさかみしゃ。幾つかの呼び名があります。瘡神[かさがみ]の瘡とはできもの。天然痘(疱瘡)や、実は主に梅毒を意味します。かさ、くさなどは一般に梅毒の俗称。■真国川■和歌山県道4号高野口野上線■本殿覆屋■本殿■神像地蔵石仏に似ています。左の桶には「瘡神」の文字。
鬱蒼とした樹々に囲まれた境内。善田集落のはずれ、山中に鎮座する九頭[くづ]神社。■鳥居鉄製瑞垣、鳥居・本殿の銅板葺、本殿の門や手水舎の金属化など老朽化対策が進んでいます。■本殿■手水舎■社務所神事、祭りのための設備でしょうか。
和歌山県紀の川市桃山町善田に鎮座する金毘羅社。鳥居を見つけたら右脇より登ります。スロープ状の舗装道は苔むしていてとても滑りやすい!■鳥居左の車道からも上がれます。石段の上は広い平坦地でした。■本殿
和歌山県紀の川市桃山町善田に鎮座。桃山町大字善田、黒川、脇谷、野田原の氏神である奥安楽川[おくあらかわ]神社です。辿り着きにくい場所ですが、まず桃山小学校跡地を目指します!■紀の川市立(旧桃山町立)桃山小学校黒川分校跡さらにその先の坂道を登ります・・・・・ここを左へ。鳥居跡でしょうか。■手水鉢南側正面。予想していたより、かなり大きな本殿ですね。どちらか、大きな神社よりの下賜でしょうか・・・・本殿周りの
■鳥居■手水鉢赤みを帯びた枯葉と、苔むした深い緑のコントラストがいい!しっかりとした石垣上には瑞垣、門。■本殿瑞垣内を右より全景。本殿の左には自然岩をバックに一段高い石垣の棚。本殿の右手の棚。本殿内を左より全景。雨上がりは、どこもかしこも艶めかしい。水源でしょうか、小川の流れ。■手水舎背後の岩棚には石仏4体が並びます。
和歌山県紀の川市桃山町黒川に鎮座。三船神社(紀の川市桃山町神田)の元社とされます。ガクアジサイ・・・・・サルスベリ。栗もめちゃ元気!点々と栗・・・・・・■柘榴川あちらこちらに沢蟹・・・・二股の道、その間には擁壁があり家屋でもあるのでしょうか・・・するとすぐに石段見っけ!■社号標稲村明神社[いなむらみょうじんしゃ]石段の向かいの川には橋が架かっています。大きな岩が横たわっています!■手水鉢
450年前、北東400mの丘に遷座するまでの三船神社旧鎮座地。秋祭りでは古宮と三船神社を神輿、稚児行列が往復します。額束には「古宮」■ケヤキ紀の川市指定天然記念物。樹齢300年、幹周3.7m。■ムクノキ幹周4m、樹高25m。■柘榴川和歌山県道3号かつらぎ桃山線の神田橋が架かります。
素敵なアジサイが咲いていました。■真国川■本川蛍が生息する有名な鑑賞地。中鞆渕地区の看板。大隈重信が愛したという和歌山市の酒造会社「世界一統」。創業者は南方熊楠(1867-1941)の実父、南方弥右衛門。■和歌山県道3号かつらぎ桃山線本川に架かる八幡橋。■旧粉河町鞆渕支所参道左脇の棟。和歌山県紀の川市中鞍渕に鎮座する鞆淵[ともぶち]八幡神社。鞆渕荘16村の産土神として古来より鎮座。1008年(寛弘5年)石清水領となりま
かつらぎ町から紀の川市桃山に至る。この二市町の最短ルートは和歌山県道13号だがこの県道は南部の龍門山地の山の中を経由。