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お知らせします。大益さんが3月2日に怪我のため、急遽、弥栄病院へ入院いたしました。勝手ながら、しばらくの間、ブログをお休みさせていただきます。なにとぞよろしくお願いいたします。
26年間続いたテレビドラマ『科捜研の女』が1月に終了しました。沢口靖子が演ずる主人公の榊マリコは事件が起きると科学的に粘り強く追及していき、真実にたどり着くというドラマです。2024年6月の味土野のガラシャ荘の放火に関して、彼女が関わってくれたら事件を解決してくれたのではなかろうかと思います。・鍵を持っていたのは誰か。・動機は何か。・何故、月曜日に火はつけられたのか。・何故、農業をしに来ていた「けんこう農房」が帰った翌日なのか。・何故、私が病院から退院する2日前だったのか。榊
やっと雪が止んだので、味土野へ行けそうということで行きました。母屋まで行こうとしましたが、作業場のトタン屋根に雪が落ちずに残っており、雪がしっかり積もっている道でモタモタしている間に屋根の雪が落下してきた場合は確実に圧死すると思い、引き返してきました。久しぶりに牡蠣が食べたいと思い、できあいの牡蠣フライを買ってきて食べましたが、やはりフライは揚げたてじゃないとうまくありません。後日、生牡蠣を買ってきて、フライは面倒なので、何年かぶりでグラタンを作りました。満足でした。作業場の雪も落ちた
ある日、味土野へ行こうと途中まで行ったら、雪崩が起きており行けず仕舞い。なかなか味土野まで行きつけず、どうなっていることやら。隣の集落のパン屋さんも味土野の様子を見ようと来ていました。外は-2℃、家の中は7℃の温度。ある晩、夜中に何度も小便に目が覚めました。これはきっと寒さのせいだと気がつき、毛布を足してやっと少し眠れました。
ある日、味土野まで除雪車が行ったと聞いて、おにぎりを持って味土野へ行ってきました。車を停めた所から脚絆、樏で200メートルの雪道を休み休み家まで登って行ったら、1時間ほどかかってしまいました。家に着いた途端、くたびれてしまいました。結局、雪掻きは少ししかできずに帰ってきてしまいました。雪が止んだら、また行かなければ。
10日以上雪が降り続き、毎日雪掻き。酸素吸入器のボンベを背負いながらの雪掻きです。右手首が少々痛い。一日、味土野へ様子を見に行こうとしましたが、除雪が途中までで行けずじまいでした。また見に行かなければと思っています。雪の重みで建てつけが悪くなり、動かない建具が出てきました。
昨年2025年10月24日の毎日新聞で、及川正也氏という編集委員が「記者の目」で〔「トランプ王」下の米国〕という記事を書いています。その中で「『王様なんて大嫌いだ』米国に根付く不朽の思想である。」といろいろな例を挙げて書いています。しかし、私は眉唾物、いや嘘だと断言します。なぜなら、今更の「王様はいらない」ではなく、「不朽の思想」として「王様はいらない」というのなら、最初から独裁者然として振舞っていたトランプを大統領に選ぶのは全くおかしなことです。また、日中戦争、アジア・太平洋戦争の最高責
あけましておめでとうございます。本年もよろしくお願いします。誕生日も過ぎました。初仕事は味土野へ行っての雪掻きでした。味土野では樏(かんじき)は履きませんでしたが、雪用の長靴に脚絆を巻いて家まで登りました。スノーダンプでは刃がたたず、アルミのスコップで雪掻きをしました。NPO丹波漆のメンバー2人が瀬〆漆と枝漆の掻き方について話を聞きたいと訪ねて来ました。この漆は普通の漆掻きが終わった後に、漆の木を切り倒し、枝を切って水に1週間漬けてから掻いたものです。接着力が強く、昔は友禅の型
12月18日に、2022年安倍晋三元首相(67歳)が奈良市で銃撃され死亡した事件で起訴された山上徹也(45歳)被告に対し、検察は無期懲役を求刑しました。弁護側は「安倍氏が教団と関係が深い有力政治家と認識していた。安倍氏が教団へビデオメッセージを送ったことで政治権力によって承認されて社会で存続していき、教団による宗教被害が拡大するという絶望感を感じとった」と。ここまでの認識は正しいのではないでしょうか。検察側は「安倍氏のメッセージは政治家による儀礼的な挨拶の域を出ない」と。しかし、選挙運
味土野の雪囲いを完全にと思ったら、翌日に雪が降り、3日間続きました。幸い大雪ではありませんでしたので助かりました。
車のタイヤをスタッドレスタイヤに交換しました。けんこう農房が今年最后の仕事に来ました。今回は9人参加。黒豆の実を殻からはずす作業です。豊作すぎて大変な作業。北受けで干していたので乾きがよくありません。すっかり乾いていれば、パンパン殻を叩いてはずせるのですが、指でしなければならないのが大変です。来年は乾かし方を工夫しなければと思います。味土野の雪囲いも網野町と福知山市の2人の友人知人に手伝ってもらい、90%完了。今年は特に竹が青竹だったので重く、助かりました。あと10%で完了です。
昨年の7月に燃えて、そのままだったガラシャ荘の残骸の片付けがやっと終わりました。警察や消防署は火災の原因は不明と決定しました。これでは漏電の可能性もあるということでしょうか。私の家では40年前から貧弱な開閉器で過ごしています。ガラシャ荘はまだ10年も経っていない建物で、立派な漏電遮断機が付いていました。漏電とは考えにくいです。私には放火としか考えられません。警察や消防署がなぜ簡単に原因不明としたのか、私にはわかりません。動機のある者、方法をもつ者とか調べたのでしょうか。
先週、2ヵ月ぶりの採血、レントゲン、CTを撮り、その結果の診察を受けてきました。そこで主治医は「肺の癌は消えたようだ。あとは様子を見よう」と、2カ月後の1月に診察することになりました。これからは、癌になった原因のストレスをもたらした女ミニプーチンと関わらぬように生きたいところです。彼女が書いたメールが残っています。それには脅迫と被害妄想、嫉妬心、そして自分が正しいと書いています。自分が絶対的に正しいと思っているので書ける文章です。この文章を読んだ女性の友人は「こんな人間と関わっていたら
不燃性の石膏ボードを買ってきて、風呂場の外の、灯油の焚口の循環パイプの所を覆って風呂場の工事を完了。破れていた障子の張り替えをし、終了。冬の隙間風がこれで塞がれます。家の軒下に黒豆の干し場づくり。けんこう農房の12人ほどが来て、黒豆の収穫をしました。最終的に残った分を軒下に干して帰りました。その取り入れは今月末です。
2025年10月13日の毎日新聞に早稲田大名誉教授の谷川章雄という人が、「日本の小学校の人類の出現から旧石器時代に関する歴史学習の必須化を求める声明を出した」と載っていました。なぜ旧石器時代の記述がないのかとの質問に対して、「指導要領の歴史分野の学習目標と内容は『我が国』という枠組みが前提となっており、教科書では国の始まり以前の歴史の記載は簡略化が進んでいるようです」と。日本の建国記念日は紀元節から来ています。戦争中は「紀元は2600年」というフレーズが叫ばれていました。今ならさ
風呂場内の風呂桶とタイルの隙間を白セメントで埋めました。あとは外賀の循環用のパイプの所を塞ぐ工事を祖なければなりません。またまた左足が腫れてしまい、どうみても症状が前回より重い。病院にも一人で行けそうにありません。足痛のせいとしか考えられないことが起こりました。尾骶骨が痛くなり、さらに左の顎がガタガタとおかしくなっています。病院へ行こうと思っている前日午前までは、民生委員の人に車で連れて行ってもらおうと思っていました。しかし、午后から少し良くなってきて、病院へ行く当日は自分で運転して行
気づかれず足元そっと咲くヨメナ風へと見つけ言葉をもらい😸君(白花)は、ある覚悟を胸に秘めていたが、少しの迷いがあったらしく、ガラシャさまをお訪ねしたいと、味土野行きを望んだ。途中、おそらく誰にも気づかれることなく、秋へとすがしく揺れる、薄紫の可憐な花を君は見つけ、「花言葉通りね」と、そっとしゃがんだ。「野辺に控えめに、そっと咲く素朴な美しさから、『隠れた美しさ』って言葉を持ってるの。それに『従順』に『秘めた幸せ』も。ど
中学時代からの友人が亡くなったと知らせが届きました。葬儀は1週間前に済ませたと。私は宮城県から東京へ小学6年生の途中に引っ越してきました。1960年のことです。貧乏なこともあり、友達もいなかった中学3年の時に、男5人女4人で「ベンチャーズ」と名付けたグループを作り、その中に入れてもらいました。テレビでアニメの『鉄腕アトム』をやっていた頃でした。暗い暗い少年時代の私にとっては、唯一の救いの場でした。卒業の後も関係は続き、本当に感謝の友人たちです。高校時代の友人もありません。現在のたくさん
朝晩が寒くなり、戸を閉め切って寝るようになりました。しかし、昼は暑かったりで、服を着替えたりと忙しいです。そんな中で、朝顔は9月初めの頃から咲き初めましたが、もうすぐ10月という今頃になって夕顔がやっと咲きました。なんという季節かと思います。そうそう、漆を乾かす室(むろ)を味土野から運んできました。
2件の例はGHQにより日本政府が公開を禁止しました。現在の日米協定もまた、沖縄を見ればわかるように、アメリカよりも日本政府が何もせず、日本人のことよりもアメリカの言うがままの奴隷状態です。次に岩崎が関わったのは日本映画社が制作した「ヒロシマ・ナガサキ原爆記録映画」でした。しかしGHQに奪取され、ワシントンに送られてしまいました。そのフィルムの返還運動を行い、やっと1967年にアメリカから返還されましたが、文部省は公開に反対でした。しかし、世論の突き上げで公開しました。ところが、大幅にカットさ
「キネマに生きる―評伝・岩崎昶」(1987年風間道太郎影書房)を読みました。戦前から映画に関わった人の評伝です。1929年京都選出の労働党・山本宣治議員が右翼のテロリストに刺殺されました。岩崎氏が関わる「プロキノ」という映画会社が「山宣葬」という映画をつくりました。また事前検閲を行う映画法に反対する文章を発表したりしていた1940年、治安維持法で逮捕され、5カ月後に保釈で出獄されます。戦後、「紀元節について」という紀元節神話の非科学性を暴いた映画をつくります(紀元節は縄文時代です)。
炭塵爆発の被災者は死者、入院したままの重症患者、そして家に戻った軽症患者。しかしCo中毒の症状は各々千差万別で、急に怒鳴りだす人、突然暴力をふるう人、家中の畳を煙草で焦がす人、信号無視で自転車をぶっ飛ばす人、夜になって怖がり妻の腕枕をほしがる人、ガスの火を消し忘れる人。妻や子にとって、日常生活を軽症患者と一緒に送ることがどんなに大変なことか、想像できるでしょうか。そして訴訟を起こしたのです。三池労働組合では、裁判は物取り主義だと反対しました。しかし、のちに組合員の突き上げで追随して裁判を起
俳優の荒木忍は芸名かもしれません。実は私が大変お世話になった人に、本名が荒木忍という人がおりました。1963年11月9日、福岡県大牟田市の三井三池炭鉱で炭塵爆発が起こり、458人の死者と893人のCO中毒患者を出しました。その爆発事故の政府踏査団の一員として荒木さんは「清掃や散水を怠ったため、坑内に炭塵が蓄積されていたのが爆発の原因」と鑑定しました。しかし、当時は炭鉱に関しての権威で「天皇」と呼ばれていた山田譲が三井鉱山の意向を受けて「風化砂岩説」(坑道の砂岩が風化して蓄積するから爆発しな
古い大映映画での出演者にたびたび「荒木忍」という名前があり、どの俳優だろうとずっと探していました。スターではないので、どの俳優かわからなかったのです。しかし、やっとわかりました『赤胴鈴之助――鬼面党退治・飛鳥流真空斬り』(1957年、安田公義監督)で、「大鳥赤心斉」という役を演じている俳優とわかりました。何故、この俳優を捜していたかは次回にて。
NHKテレビ「新日本風土記―最上川」を観ました。その中で、農業をしながら「影法師」というバンドが作詞作曲した『白河以北一山百文』という歌のさわりだけをテレビで取り上げていました。この題名は、官軍(つまり薩摩や長州)が来たときに東北の山は価値がないと見下した言葉ということです。この歌、下手な演歌よりよほど面白く、いい歌のように思えました。もっと大きくテレビで取り上げてほしいものです。
暑い中、じゃが芋堀をしました。遅くなったせいか、食べられたせいか、収穫量が少なかったです。他の夏野菜も食べられているうえに、暑さで弱っています。雨が降っていないのはいつからだろう。暑さ疲れのようです。と書いたところで、何週間ぶりかの雨が降りました。といっても2、3分の通り雨でした。
皆が帰った後、けんこう農房の1人に1週間近く残ってもらいました。ある手助けをしてほしくて。でも「おさんどん」をほとんどしてもらってしまいました。NHKの「プロジェクトX」で漫画『はだしのゲン』の翻訳過程の番組をしていました。最後に翻訳者がウクライナやガザの人に読んでほしいと言っていました。「生きる力をつけてほしいと」。しかし、ロシアやイスラエルの人々に読んでほしいと思います。彼ら加害者には戦争の被害者への共感力が欠けているように思うからです。
大牟田から来た2人と木津川(京都府)から来た1人の三池関係の友人達とけんこう農房の友人の運転で5人、丹後半島の観光地巡りをしました。まずは日本三景の一つ、天橋立の宮津側に行き、少しだけ歩きました。次に近くの知恩寺(通称:文殊堂)という寺へ。天橋立は砂州なので、反対側の傘松公園にリフトで昇り、有名な「股のぞき」をしました。天橋立が天に昇る道に見えると。そして、伊根へ舟屋(海岸に家が建ち、下に舟が直接入る構造になっています)を見に行きました。しかし、今は殆ど舟が入っていませんでした。とにかくイン
味土野へと風を登りて石仏を見つけ優しく君手を合わし😸白花が大学四年の夏まだ浅い頃、白花にお願いされて、京都府の丹後半島にある味土野へと出かけた。細川ガラシャが幽閉された場所。途中、白花が歩きたいと言ったので、車を止めて、少し山へと歩くと、幾つかの古い石仏が、忘れ去られたかのように立っていた。周りの緑に馴染んだ質素なお顔に、君はそっと手を合わせていた。三戸野山緑したたる時(土岐)歩きすがしき風に桔梗を見つけ😸ガラシャ