ブログ記事96件
今年3月に訪ねた堺、今回は海側を訪ねました。今回は阪堺線を通天閣近くの恵比寿町駅から終点の浜寺駅前駅まで全区間を乗車しました。2次会場の千日前のカラオケ店を出て、日没前に浜寺公園に着こうと急ぎました。難波から南海本線に乗ると20分で浜寺公園に着きますが、1時間近くかかっても懐かしいチンチン電車を選びました。阪堺線始発の恵比寿町駅にかつての面影はなく、路地裏に単線と片側ホームだけでした。恵比寿町から浜寺駅前まで停留所は30ヶ所、運賃は均一でなんと230円❗️1駅乗っても30駅乗っても
私が初めてはまった大河ドラマは「黄金の日日」堺の商人ブームが私の中で吹き荒れましたよ。小学生だったけど、、、学校の図書室で堺の商人の本があったので読みふけりもうした。よくあったな、そんな本そんなこんなで、初めて知った歌舞伎役者の名前は、市川染五郎でしたわ。シミジミ。当時の一回しか観ていないので、かなりおぼろげな記憶なのだが、兎に角面白かったという印象が強く残っている。今みたら、どうなのかな?とも思うおぼろげ〰️な記憶の中で、印象深かったシーン。(もしかしたら、間違ってるか
1963年(昭和38年)公開作品。三船敏郎主演、谷口千吉監督、円谷英二特技監督の娯楽作。戦国時代に実在した豪商・呂宋助左衛門を主人公に、架空の国を舞台にした作品です。宮崎駿監督にも影響を与えた、日本映画の隠れた傑作です。この先ネタバレ有り、注意!!!!!物語は戦国時代。策略により処刑の危機に遭った貿易商人・呂宋助左衛門が船で日本を脱出しますが難破し、とある王国に漂着しました。その王国は国王が病に伏しているため宰相が実質的に支配して
黄金の日日1978年の大河ドラマ。戦国時代が舞台ですが、主人公は戦国武将ではなく、商人・呂宋助左衛門。商人のという視点から見た戦国時代が斬新。またルソン島での生活というワールドワイドな世界史視点がドラマチック。悪友の石川五右衛門、なんかほっておけない善住坊、ラブリーチャミーな敵役今井兼久、凛々しい高山右近、困った時の治部少など、キャラクターがイキイキしているのもよい。第1話信長軍包囲Amazon(アマゾン)大河ドラマ黄金の日日U
奈良平野を見た後で向かったのは大阪府堺市堺に来たのは中世の名残りをみたかったからです堺は文明元年(1499)遣明船の寄港地となり瀬戸内・太平洋航路の発着点として街道も集まる交通の要衝となりました会合衆・納屋衆が治める自治都市で街の北、東、南には環濠が掘られ竹野紹鷗や千利休のような茶人を生み出しまた呂宋助左衛門らの貿易商人が活躍した国際港でもありましたが天正14年(1586)秀吉による環濠埋め戻しの令がでてから大坂夏の陣終結の頃には完全に埋められ江戸
ピンパブ解禁でワクワクしてて、すっかり忘れてたんですが…😅先月末で…ブログ始めて1年経ちましたー!!!いやー、なんの気なしに始めた当初は、こんなに続くなんて思わなかったなー…ちょっと振り返って見てみたら、当初の純愛路線からパロパロ路線を経て、今現在はその辺カオスな状況で😅ほんと色々あったんだなあって思います。途中から読まれてる方のために、これまでの経緯をかいつまんでお話しすると…2019年の末にとあるタレント・フィリピーナと恋に落ちたブログ主、ほどなくコロナのために海外渡航が禁止とな
太閤立志伝VDXAmazon(アマゾン)4,460〜6,244円にほんブログ村今日の太閤立志伝VDXはどうかな?日輪の章:呂宋助左衛門でプレイ開始!合戦札:宴会、罵詈雑言、挑発、鼓舞、力攻め、その他:操船心得、商工人脈、野点をゲット。札50枚をゲットして、新武将登録解禁!セーブして終了。札収集4.1%主人公札:5/960称号札:4/106名所札:0/32秘技札:22/94合戦札:18/75その他札:5/55
応援して下さっている方々に先日も【南璃会】と【歴史探訪】を開いて頂きました⭐️堺の美々卯でお食事会の後、歴史探訪で訪れたのは堺港🛳🐳銅像はルソンの壺などでお馴染み呂宋助左衛門✨貿易で大成功した堺の豪商💰大河ドラマ【黄金の日日】で松本幸四郎(今の松本白鸚)さんが演ってましたね⭐️✨懐かしい#お食事会と#プチ歴史会#堺#呂宋助左衛門#黄金の日日#旭堂南璃#斉野りりこ#斉野りり子#宿院#ルソンの壺#豊臣秀吉
皆様こんにちは。沙貴誉(さきほまれ)です。①ドラマはサラリとしか観ておりませんので、間違いや勘違い、思い込み等がございましたら、申し訳ございません。②主人公の助左衛門は、最初は助左と呼ばれていましたが、ここでは助左衛門で統一させて頂きます。誉の『語りたいシリーズ』(笑)も、今まで一番長い⑥まで来ましたが、なるべく今回でまとめてみようと思います。利休切腹と原マルチノ、そして関ヶ原へ『黄金の日日』での千利休は、出番こそは少なかったのですが、出る
皆様こんにちは。沙貴誉(さきほまれ)です。①ドラマはサラリとしか観ておりませんので、間違いや勘違い、思い込み等がありましたら、申し訳ございません。②主人公の助左衛門は、最初は助左と呼ばれていましたが、ここでは助左衛門で統一させて頂きます。今回も、登場人物紹介です。今回はドンドンいきます。お仙お仙は、助左衛門の親友の一人です。多分、架空の人物です。そして『黄金の日日』の女性の登場人物の中では、私にとっては一番大好きな人物で
皆様こんにちは。沙貴誉(さきほまれ)です。①ドラマはサラリとしか観ておりませんので、間違いや勘違い、思い込み等がございましたら、申し訳ございません。②主人公の助左衛門は、最初は助左と呼ばれていましたが、ここでは助左衛門で統一させて頂きます。今回も早速、私の好きな登場人物を紹介します。石川五右衛門とモニカ(笛)石川五右衛門は、前回も紹介した通り、今井宗久の下で働いていました。性格は情に厚く優しさもありますが、ヤンチャな部分もあり、かつ
皆様こんにちは。沙貴誉(さきほまれ)です。①ドラマはサラリとしか観ておりませんので、間違いや勘違い、思い込み等がございましたら、申し訳ございません。②主人公の助左衛門は、最初は助左と呼ばれていましたが、ここでは助左衛門で統一させて頂きます。それでは、私の好きな登場人物紹介の続きです。杉谷善住坊『黄金の日日』では、主人公助左衛門の親友として、助左衛門と同様に今井宗久に仕えて下働きしていた者たちが存在します。石川五右衛門と杉谷善住坊です。
皆様こんにちは。沙貴誉(さきほまれ)です。①ドラマはサラリとしか観ておりませんので、認識違いや勘違い、思い込み等がございましたら、申し訳ございません。②主人公の助左衛門は、最初は助左と呼ばれていましたが、ここでは助左衛門に統一させて頂きます。『黄金の日日』の登場人物は、全員魅力的と言っても過言ではありません。脚本や演出が秀逸なのはもちろんのこと、演技が本当に素晴らしいと思いました。私の中では、助左衛門は市川染五郎(現在の松本白おう←おうの漢字が出ませ
皆様こんにちは。沙貴誉(さきほまれ)です。本題に入る前に、前回までのブログの画面が、いつの間にか文章や絵文字が勝手にずれていて、無秩序になっています。手直しにも時間が掛かりそうなので、取り敢えずは、ずれたままにしておきます。お見苦しい部分は、どうぞお許し下さい。運営局側で、何かしらのシステムの修正や変更などがあったのだろうと推測します。修正や変更をするにしても、文章や絵文字がずれることのないように、注意して頂きたいものです。
ついに最終回です。これから私は何を楽しみにすればいいんだよ黄金の日日、最終回でございます。堺炎上…実は第1話から最終回の予告がされていたんですね。街が燃える映像からスタートだったもの。堺で生まれ、堺で出会った美緒様との時間を、今は誰も止める人がいません。小太郎でさえも、宗薫でさえも、公認。笑でも、この二人は色恋ごとの話など全くしていません。関ヶ原で命を落とした大切な友人のことを思い、今後について語っています。助左衛門は徳川に屈せず戦うと言うのですが、美緒様は、そん
歴史は勝者によって都合良く変えられて行く。関ヶ原はその大きな一つ。石田三成は天下の大悪党ってことになってますけど、このドラマは三成目線で描いてあることが、とても斬新だったと思います。1600年9月15日今では皆が知っている、あっという間に終わった関ヶ原ですが、この物語の主人公は「堺」という街の商人たち。やっと堀を取戻し、堺の自治を取り戻した堺の会合衆は、会議を開きます。そして、徳川、石田、どちらにもつかずに堺のために戦うことを誓います。豊臣のために戦うというのに、三成
国外追放されていた助左衛門が帰って来ました。堺の町衆はお祭り騒ぎですしかし、秀吉時代とは大きく時代が動いていたようです。今回のお話、中心となる重要人物は、石田三成様です。助左衛門の帰還を祝う堺の民衆たち。その中に、今井宗薫が睨みをきかせて待ち受けておりました。小太郎、お前は今井に戻れ!と。この人だけは最初っから最後まで助左の敵役なんですな。助左衛門は大人だからさ、小太郎殿、父上母上の元にお帰りなされ、と諭します。小太郎君、助左衛門の言うことはよ~く聞くんですよね。笑
今回は、大阪府堺市の旧堺燈台の訪問記です(訪問日は2021年12月27日です)南海電車の難波駅から空港急行に乗車し、堺駅で下車しました。南海本線の堺駅です。竪川(たてかわ)の南蛮橋を渡ります。南蛮橋にある「南蛮人の像(1987年に設置)」です。南海本線が1983年(昭和58年)に高架になる前まで使われていた南海本線の堅川橋梁の橋台跡です。竪川に沿って堺旧港に向かう途中にある石碑です。左が「土佐十一烈士記念之碑(1868年の堺事件)」で、右が「天誅組義士上陸遺蹟碑(
最終回まであと3つ・・ルソン島に追放された助左衛門の最初の大仕事。それは、原田喜右衛門からフィリピン人を救うこと、でありました。今回は無事に人質を助け出し、喜右衛門の成敗も完了です。唐十郎さん、お疲れ様でした。このドラマの役者は芸達者で力のある人ばかりで見応えありました。今のように、ジャニーズやお笑い芸人で埋め尽くされた大河とは大違いです。秀吉が亡くなり、一気に石田三成さんの立場が危ういものになりました。三成さん、泣いてる暇なんてないですよ・・・ねね様も茶々に睨まれ
千利休様、五右衛門、桔梗、助左衛門はたくさんの友人を失ってしまいました。今回は、さらに助左衛門に降りかかる災難の巻、でございます。助左衛門は奉行所に呼び出されました。最初から、何やら物々しい雰囲気でございます。意外にも、石田三成さんは助左衛門にお菓子を出します。これは太閤から助左に渡すように言われてるんだ、、と。太閤はお前に会いたがっている、伏見に上がれ、というのです。が・・・・頑固な助左衛門が秀吉の元に行くはずはありません。積年の恨みは消えるはずがないんですから。
五右衛門さま…😭😭子供の時、リアタイで視聴し強烈な印象を残した石川五右衛門の釜茹シーン令和の今見ても強烈過ぎます。何度も何度も五右衛門佐まぁ😭と画面に向かって呼びかけていました。今回はストーリーそちのけで個人的な備忘録、メモリアルとして、五右衛門さまのお姿を出来る限りアップ⤴️します。秀吉襲撃という、助佐の無謀な計画を聞かされる五右衛門。堺に戻り、お仙を見舞う五右衛門さま。堺の堀の水は必ず戻してやる、と。恐らくこの時、助左を助けるために自分達だけで決起する事を
ついに、ついに、この回がやってきてしまいました。リアルタイムで見た「黄金の日日」の中でも、この回は名作中の名作。このドラマで根津甚八という役者を知り、このシーンで根津甚八という役者の凄みを知り、当時はそんな言葉はなかったけど、完全に「五右衛門ロス」に陥った。長年の時を超えて、改めて、五右衛門ロスでございます。当時、根津さん人気はすさまじく、唐十郎さんの劇団員だった根津さんの稽古にも多くの人が集まってしまって、それが原因で、根津さんは劇団を辞めたとか、、その後の根津さ
「桔梗~~~っ」助佐の悲痛な叫び…(ノД`)シクシク…晴れて助左の妻になる婚姻の前日、日本人村を襲ったイスパニア人の手にかかる前に、自ら命を絶ってしまったのでした。何故、このような血の惨劇が起こってしまったのか?それは、文禄5年(1596年)の【サン=フェリペ号事件】が発端でした。文禄5年(1596)7月、マニラを出港したイスパニアの軍艦サン=フェリペ号は、巨大彗星に導かれるように、何度も嵐に遭い、土佐沖へ漂着しました。この文禄5年
皆様こんにちは。沙貴誉(さきほまれ)です。占いはあくまでも占いです。お気軽にお楽しみ下さい。信じるか信じないかは、あなた次第です。現在、BSPで大河ドラマ『黄金の日日』が再放送しています。とは言え、もう直ぐ最終回を迎えてしまうのですが。私は『黄金の日日』は観た事がなかったので、とても楽しんで観ています。主人公は堺の商人・納屋(なや)助左衛門です。別名を呂宋(ルソン)助左衛門とも呼ばれています。私が呂宋助左
このドラマを楽しみにしている人なんてそうはいないよね。って自分一人の世界を楽しんでいたんですが、最近Twitterをみて、知りました。「黄金の日日」を見たことがある人もない人もこのドラマを楽しんでるってことを。リアルタイムで見た「黄金の日日」、40数年経っても覚えている本格的なクライマックスに突入です。桔梗は美緒様の勧めにより、五右衛門と共にルソンに逃げました。愛する助左衛門と五右衛門との心安まる日々も、すでに9ヶ月。9ヶ月の間、助左衛門は桔梗との結婚を具体化し
秀吉のルソン遠征計画を知った助佐はルソンを拠点にして、情報収集活動を展開していました。秀吉の親書を携えた原田喜右衛門は、日本語が分からないマニラ総督に自分が粉飾し、脅しをかけます。驚いたマニラ総督は、あくまでも外交による解決を望む親書を原田喜右衛門に託します。アゴーの村で指揮をとる助佐の代理として小太郎が船長として、親書を携えた使節団と原田喜衛門の朱印船を追いかけます。母を奪った憎いはずの助佐をすっかり信用している小太郎は、いつのまにかたくましい青年へと成長していたの
本日の舞台はほとんどがルソン島です。秀吉に降伏するか、決戦か・・この国は大きな決断を迫られています。助左衛門にとって、このルソン島は平和の地。だから、助左衛門は命を賭けてルソンの平和を守らねばならんのです。すごいね、一介の商人が。笑マニラ総督と秀吉の橋渡しをしている原田喜右衛門はやりたい放題。原田がマニラから帰る時に、その書状を奪うという助左衛門の計画、命じられたのは、今井の息子、小太郎でした。小太郎君、助左衛門のことが大好きになっちゃったようです。日本に着
朝鮮の漢城を占領した秀吉の次ぎの狙いはマニラ。五右衛門からその事を知らされた助佐は、フロイス、五右衛門と侵略戦争回避のための策を練ります。マニラ総督から秀吉への書状を解読したフロイスから、マニラ総督が、原田喜衛門のことを全く信頼していないこと、そして、秀吉に降伏する意図のないことを確かめます。そして、秀吉の野望を食い止める手段は、秀吉の国書を携えた朱印船を止めるしかないと、対馬沖で、襲撃をかけます。しかし、残念ならがら、原田喜衛門の乗船した船を取り逃が
海が見たくて自治都市堺の会合衆が治めた街。明や南蛮貿易で栄華を誇ったその「黄金の国」の出発点であった港。ヨットハーバーもありますねぇ。水門。呂宋助左衛門像大河ドラマ『黄金の日々』放送を記念して堺市民会館の敷地に立てられていた。同館建て替えに伴い、移設されました。納屋助左衛門は、室町末期の堺の貿易商人で「呂宋助左衛門」の名で知られている人物。1593(文禄2)年、ルソン(現フィリピン)に渡り、輸入したルソン壺が茶器として珍重され、巨万の富を得る。1594(文禄3)年、豊臣秀吉の知遇
いつものことですが、助左衛門がかっこよすぎました。世の中のイエスマンたちは絶対に言えない上司を諫める言葉。声を荒げて秀吉に向かって叫ぶお姿、かっこよかったわ~しかし、こんな正義漢さん、いくつ命があっても足りないでしょうね。保身なんて言葉、助左衛門さんには全くないようです。今の政府、戦後の日本史上最悪の様相を呈してきました。絶対に自分に逆らう人は抹殺する。一般市民でさえも、逆らえば簡単に逮捕できてしまう黒い政府。国民の財産は自分のもの。給与も年金もどんどん下げる。国民