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お子さんに「何のために生きるの?」と聞かれたら、「誰かを幸せにするために生きるのよ」と答えてあげてください。―――瀬戸内寂聴努力の成果なんて目に見えない。でも、紙一重の薄さも重なれば本の厚さになる。―――君原健二道は近しといえども、行かざれば至らず。事は小なりといえども、為さざれば成らず。―――荀子偶然は準備のできていない人を助けない。―――ルイ・パスツール途方もない大きなプライドをとんでもなくケチな人間が持っている。―――
令和5年9月4日先週の走行距離先週の走行距離は、109km。9/3の31km走で距離を稼いだ。今朝は雨。昨日31km走ったからランオフ。さっきシトシト今ザーザー。GARMINの表示変わるんだ。今日初めて気づいた。明日の朝も雨になる予報。走れないのか。注射をして空いた時間に読書をした。今日の読書「金哲彦のマラソン練習法がわかる本」著者:金哲彦発行:実業ノ日本社金哲彦のマラソン練習法がわかる本(じっぴコンパクト文庫)Amazon(アマゾン)231ペー
7月21日(金)晴れ反省点●SIXPADのトレーニングやっていない。●曜日感覚ずれて朝に注射するのを忘れる。夜に注射良い点●今日はランオフ「休む」も大事。●読書「人は何歳まで走れるのか?」著者:南井正弘発行:集英社55/160P人は何歳まで走れるのか?不安なく一生RUNを楽しむヒントAmazon(アマゾン)1,195〜5,430円50ページからメキシコ五輪銀メダリスト君原健二(きみはらけんじ)氏と著者との対談。2022年10月の円谷幸吉マラソン
2020年にエントリーしていて中止になった『さが桜マラソン』、4年振りの開催と言う事でリベンジしてみました。1万2000人でスタート、ゲートをくぐる時に桜吹雪が舞うと言う粋な演出でした。走っているとレジェンドランナーでメキシコ五輪銀メダリストの君原健二さんと一緒に走れました。レース後に調べたら、翌日の3月20日が誕生日で、82歳になられたようで、ファンランの10キロ歓走されたようです。以前は、4月1週に開催されていて、我々の『宮島マラソン』と被るので、興味はあったけど参加出来ませんでした
タイトルから、生物的に科学的に人間が走る限界について語る本、と思って入手。私自身現役61歳市民ランナー。つい先日2023年3月5日に東京マラソン2023を3時間41分50秒で走ってきたばかり。可能であればこれからもずっと走り続けたい、47都道府県のマラソン大会を走ってみたい、という壮大な目標を持っている。そうした自分にはこうした本は要チェック、と思った次第。そしたら、、、科学的でも何でもなく、年齢を重ねても走り続ける人たちの語り、あるいは、そういう人を支援する医者などのお話が充
なにもかも上手くいくはずはないのだから、なにもかも上手くいかせようとするのは、方法論として間違った考え方だ。―――阿佐田哲也知識は本の中にはない。本の中にあるものは情報である。知識とはそれらの情報を仕事や成果に結びつける能力である。―――ドラッカー他人の意見で自分の本当の心の声を消してはならない。自分の直感を信じる勇気を持ちなさい。―――スティーブ・ジョブズ努力の成果なんて目には見えない。でも、紙一重の薄さも重なれば本の厚さになる。―――
日本のマラソン・ブームは、おそらくこの選手の活躍がキッカケだっと思います。1964(昭和39)年の東京五輪で見事銅メダルを獲得した円谷幸吉選手今日は、彼の命日・没後55周年にあたります。円谷選手は1940(昭和15)年に現在の福島県須賀川市に生まれました。1959年に地元・須賀川高等学校から陸上自衛隊に入隊した円谷選手は、それまで目立った成績を残していない平凡な長距離走者だったそうです。しかし織田幹雄・陸連強化本部長の勧めによりマラソン競技に転向して
僕はトイプードルのペレ結婚相談所を運営しているご主人と散歩に行く時は、必ず神社に立ち寄ってみんなの良縁祈願のお参りをするのが日課だワンそんな僕が婚活に役立つ名言・格言を教えるよ今回は、マラソン選手としてオリンピック連続3回出場を果たし、メキシコオリンピックでは銀メダルを獲得した君原健二氏の名言だワン「努力の成果なんて目には見えない。しかし、紙一重の薄さも重なれば本の厚さになる」。すぐに目で見ることができなくても、日々の努力の積み重ねは必ず成果につながるもの昨日の自
2022/10/16③見聞録:第40回円谷幸吉メモリアルマラソン大会当日、見て聞いて感じたことありのままに書きます。9時過ぎにスタート地点へ特別招待選手レジェンド君原健二さんを見た。81歳のお爺さんだ。幸吉さんと練習をした、1968年メキシコ五輪マラソン2位の人。順番に並ぶ。道路がマス目で区切られていた。マラソン大会ってこんなもんなのか?腰に付けるCMT-S20-ASは煩わしいので、ロッカーに置いてきた。9:30スタート。遅めにタイムを申告したからナ
2022/10/16②見聞録:第40回円谷幸吉メモリアルマラソン大会当日、見て聞いて感じたことありのままに書きます。8:48時間があるので円谷幸吉さんの記念館を見学した。円谷幸吉(1940ー1968)須賀川市生まれ元郡山陸上自衛隊員。昭和の東京五輪のマラソンで第3位に入賞。平成18年円谷選手の遺品約2000点が須賀川市に寄贈された。平成19年須賀川アリーナ内に「円谷幸吉メモリアルホール」オープン。平成26年と令和43年にリニューアル。入館無料。
昭和30年代(1960年代)の小学生の男の子に将来何になりたい?と聞けば「プロ野球選手」で決まりだった。僕が通ってた松沢小学校は下高井戸だったので、3000万円の契約金で立教から巨人に入団した長嶋選手の家が「自分ちの近くにあるよ。」という子の道案内で上北沢にあったルーキー時代の長嶋茂雄邸に学校帰りに皆でサインを貰いに行った。門のブザーを押して「サインしてください」と頼んだ。お手伝いさんらしき人に、明日取りに来て、と言われて各々持っていったサイン帳やゴムまり(小学生だから野球はゴムボールで遊
努力の成果なんて目には見えない。しかし、紙一重の薄さも重なれば本の厚さになる。君原健二(陸上競技選手)https://youtu.be/R9GK0JXqTlg桜咲く頃youtu.be
今朝の地元紙コラム欄に“藤井聡太竜王”について羽生九段が「紙一重の強さが光った」と書かれていた。マスコミは藤井聡太竜王の強さを誰も気づかない妙手や大胆な一手ばかり注目するがオチャむはたゆまぬ探求心が強さと考えている。コラム続けて、メキシコ五輪で銀メダルに輝いた#君原健二さんが「紙一重の薄さも重なれば本の厚さになる」と、説いたことを合わせて付け加えている。なるほど・・・努力した人の表現は共感できる。
かって東京オリンピックで、マラソン銅メダル、10000m6位入賞の快挙を達成したのが、円谷幸吉選手だった。ただ、彼はプレッシャーに負けてしまった。その意志を継いだのが、マラソンがメジャーになっていない頃、世界記録を樹立した選手で、僕が尊敬してやまないのが君原健二氏です。円谷選手との交流もあり、今なお彼の墓参りを欠かさない真面目な人間性を僕は尊敬してやまない。東京オリンピックでは8位、メキシコ五輪で2位、ミュンヘン五輪で5位入賞を果たしている。また、1965年に当時のマラソンの世界記録を樹立し
こんばんは。本日は年休を頂いております。昨日のアオタイでは限界まで追い込んだので、筋肉痛がスゴイです下関海響マラソンの翌日と違って、ほぐしジョグどころか散歩も無理ですw仕方ないので、1日かけてマラソンレポを書きました。超大作になったので、アメブロでは3部構成でお届けしようと思います。本日はその①を公開■参戦記録詳細(備忘録)①<前日からスタートまで>12月11日土曜日、朝9時半にマイカーで福岡から宮崎に出発。本来高速バスの方が安くて楽なのだが、アオタイは駅からシャトルバスもで
神戸新聞文芸の原稿を神戸新聞社の受付に手渡しました。通算144作目&12年連続投稿を達成しました。これからも、小説を書くことになるのでしょう。ーーー正直、こんなに続くとは思っていませんでした。小説を書くのをやめようと思ったり、選者の先生に物申したくなったりしたことも一度や二度ではありません。なぜ続いたか?というと、幸か不幸か(多分、不幸なことなのでしょう)自分の場合は誰からも認められなくても、無視されても、小説を書きたかったし、もっとい
東京裏返しガイド吉見俊哉さんと歩く>(中)石神井川と飛鳥山近代化の高揚の陰で東京新聞関東大震災後の1930(昭和5)年に完成した音無橋の前で、石神井川について話す吉見俊哉さん=いずれも北区で.歴史の地層を「裏返し」しながらの街歩き...ハンセン病差別、闘い続け志村康さんが半生記出版コロナ禍に憂い「病気への無理解-佐賀新聞佐賀新聞1933(昭和8)年生まれの志村さんは、旧制中学で学んでいた48(昭和23)年に発症し、菊池恵楓園に入所した。65(昭和40)年に一時退所し
マラソンで、世界で初めて2時間10分を切ったコース。マラソンで、世界最高記録を2回出したコース。マラソンで、日本最高記録を8回出したコース。その福岡国際マラソンが本日、75年の歴史の幕を閉じました。いまはマラソンのコースまで歩いて行けますが、実家にいた高校生の時に平和台陸上競技場までバイクで観にきて以来、約50年間、このマラソンを目の前で応援してきました。世界の一流ランナーの憧れの舞台でした。昭和39年の東京オリンピックで円谷幸吉選手といっしょに走り、次のメキシコオリンピックで銀メダル
「困難は分割せよ」これは、フランスの哲学者デカルトの言葉です。難しいことは小さく分けてやりなさいということですよね。これも前回の「全ては小事の積み重ね」に通じるものです。人間は塵のような不完全な存在だから難しいことを一気にしようとしても出来ないのだと教えてくれているのです。この関係でいつも思い出すのはメキシコオリンピック銀メダリストの君原健二さんのマラソンの走り方です。私の高校生のころ自殺防止の公共広告で君原さんはマラソンを走るときは「あの電
今から10年ぐらい前NHKのラジオ深夜便に君原健二さんが出ました。1960年代~1970年代前半、日本男子マラソンの第一次黄金時代に活躍したランナーです。当時私は、購入したばかりの自転車で調子こいて飛ばしすぎて横に転倒左肩の肩鎖関節タイプ3の脱臼鎖骨をつなぐ腱が全て圧迫により切断、鎖骨が飛び上がるという怪我でした。腱を無事に再生する手術を終え布団の中で横になっていると...ラジオ深夜便から懐かしい君原健二さんの声が聞こえてきました。その時の会話ではなんでも今ま
さぁ始まったがなオリンピックブルーインパルスも華々しくビョーン行ったんやけど肝心な輪っかがでも航空自衛隊はおおきに頑張れニッポン!って呟いてはるから上手いこといったんやろなNHK含む反日テレビ局のやることやから失敗の演出しよったんかもや開幕ムードで書いとるけどこの時点では開会式はまだやで思い出したんやけど数日前に予想した最終聖火ランナーは”
今日は、夜、東京オリンピック2021の開会式が開催されます。それにちなみ?、テレビアニメ『アニマル1』をご紹介します。今から53年前、中米のメキシコシティでオリンピックが開催されました。通称、メキシコオリンピックです。メキシコオリンピックでは、マラソンで君原健二さんが銀メダルを獲得、またサッカーでは、釜本選手や杉山選手らの活躍で、銅メダルを獲得しました。私も生まれてましたが、この2つくらいしか記憶にありません。そのメキシコオリンピックでのレスリングでの活躍をテーマにしたアニメが『ア
本当はもっと早く書くべき内容なのですが、4日遅れになってしまいました。新型コロナウィルスの影響で、1年延期された東京オリンピックですが、去る3月25日(木)に、聖火リレーがスタートしました。スタートは「Jヴィレッジ」でした。ここは昨日行ったばかりです3日目には私の地元「須賀川市」を走ったのですが、残念ながら見逃してしまいました。なので昨日から、聖火リレーの動画を見ています。私なんか、動画を見ただけでも感動してるのですから、実際に見たり、ましてやランナーとして走られた方々は、本当に
東京五輪聖火が福島県須賀川市を走った。須賀川市は偉大なランナー円谷幸吉が生まれ育った地。その円谷と1964年東京五輪マラソン競技に出場した君原健二が同地の聖火ランナーを務めた。文字通り九州から駆け付けた君原は、ライバルの墓前に一緒に走ることを誓い、円谷の写真を忍ばせてこの大役を務めた。毎年円谷幸吉メモリアルマラソンに出場している君原。自分も同大会ハーフを走ったことが有るが、近くに円谷記念展示スペースも有り、良いコース、大会だ。君原健二。本来なら最終ランナーに相応し
今日の筆文字☆『努力の成果・・・』2021.03.03【努力の成果・・・】君原健二努力の成果なんて目には見えない。しかし、紙一重の薄さも重なれば本の厚さになる。君原健二『君原健二聞書きゴール無限』より今月も氏神さんにお参りしていただいてきました。努力の成果・・・確かにこの言葉通りですね。コツコツと積み重ねよう気持ちひとつで良い方向へ(´▽`)いつもありがとうございます。毎日笑顔で過ごせますよーに☆ー☆ー☆ー☆ー☆ー☆ー☆世界でひとつのなまえもじ
スポーツイベントの無観客の是非として、オリンピックのマラソンで2大会連続で入賞した中山竹道さんと、君原健司さんの意見が掲載されていました。スポーツ無観客の是非オリンピアン・中山竹通氏と君原健二氏の見解東京五輪を控え、スポーツの試合に観客を入れるべきか否かはいまだに議論が分かれるところだ。ソウル五輪とバルセロナ五輪の2大会でマラソンに出場し、連続入賞を果たした中山竹通氏は「観客…www.news-postseven.com中山竹通さんは「観客あってこそのスポーツ」という立場をと
来年3月を最後に無くなるのだそうです。大阪だかの大会に吸収されるとか。湖国に春を告げる行事。当初は6月だった気もするのですが、私はアベベも見ています。有名なショーターの事件も忘れられません(笑)。君原さんをはじめ、日本の有名選手もたくさん沿道で拝見しました。生家は5キロ地点至近だったのです。ほんとうに寂しい。
実直な文章、きちんとした生活と記録、楽しみに拝読しています【コラム】この道『我が家のスローガン』【著者】君原健二(オリンピックメダリスト)【掲載紙】東京新聞夕刊(2020.9.18)<2020年8月17日から3ヶ月予定で連載中>1968年メキシコオリンピックで銀メダルに輝くなどマラソン競技で大活躍された君原健二氏。氏の執筆による東京新聞夕刊連載の「この道」が始まっている。氏の実直さが伝わってくる文章で、とても気持ちが良いコラムだ。確か日経新聞の『私の履歴書』やNHKの「ラジオ深夜
昨日の投稿で元マラソンランナーの君原健二さんのことを紹介しました。『メキシコオリンピック銀メダルの君原健二さんのこと』君原健二さんはマラソンランナーとして、長年にわたり活躍されています。1962年に初マラソンを走っていますが、私の生まれた年です。君原健二-Wikiped…ameblo.jp君原さんの愛用のマラソンシューズはアシックスのマジックランナーでした。私の高校時代(1981年卒業)ぐらいまでは発売されていたと思いますので、ロングセラーです。ONITSUKATI
君原健二さんはマラソンランナーとして、長年にわたり活躍されています。1962年に初マラソンを走っていますが、私の生まれた年です。君原健二-Wikipediaja.wikipedia.orgオリンピックは、東京オリンピックより3大会連続で参加し、メキシコオリンピックでは銀メダルを獲得されています。私自身も3回目のミュンヘンオリンピックでの君原さんの走る姿は、おぼろげながら記憶しています。東京オリンピックの話になりますが、マラソンでは円谷幸吉選手が銅メダル、10000m