ブログ記事75件
丹生神社(和歌山市栗栖)紀伊国名草郡和歌山市栗栖1(社前にP有)■祭神[主祭神]日本武尊宇摩志摩治命丹生津比咩命[配祀]丹生津比咩命[相殿]天道根命「紀ノ川」左岸、和歌山市「栗栖(くるす)」に鎮座する社。上古は「山縣村」と称されていたようです。日前神宮・國懸神宮が鎮座する「秋月」からは北東2kmほど。◎当社は歴史の波に大きく左右されたようです。御祭神は日本武尊・宇摩志摩治命・丹生津比咩命の三座。それぞれが異なる経緯で鎮まったように思われます。◎往古は「紀氏栗栖神社
中言神社(海南市黒江)紀伊国名草郡和歌山県海南市黒江933(P無し、「海南黒江観光駐車場」から徒歩10分ほど、詳細は下部に地図をスクショした写真を掲載)■祭神名草彦命名草姫命八王子命万葉集に「黒牛潟」と詠まれる、海南市「黒江」に鎮座する社。「紀伊続風土記」には、かつては入江であり干潟に牛に似た黒い石があったとか。満潮時には隠れ干潮時には姿を現れるというもので、これが地名由来となったと記されています。◎当社の御祭神である名草姫(名草戸畔)は、中言社の総本社である吉原の中言神社か
購入する予定の土地の安全性について調べているうちに、この地の秘めたる歴史にドンドンハマってゆくルカ‥ワクワク今回は、家づくりから、ちょっと脱線!ルカの地元の秘めたる歴史について書きたいと思います土地を決定するにあたって、気になる事を調べて行くうちに見つけた秘めたる、地元の歴史‥この事について書かれている本がある‼︎と、とある不動産屋さんのブログで紹介されていました‥それがコチラ‥名草姫の伝説ルカの地元、和歌山‼︎一昔前は、近畿のお荷物。そして、ルカの地元はさらに寂れた市の端の端
千種神社(海南市重根)紀伊国名草郡和歌山県海南市重根1125(P有、狭小道路多く運転に注意)■祭神草野姫命(カヤノヒメノミコト)[配祀]熊野速玉神天照皇大神八王子神猿田彦神須佐之男神大山須美神市杵島姫命海南市の東部郊外丘陵地「重根(しこね)」に鎮座する社。付近は民家が密集、狭小道路が縫うように走る古い集落内。◎北に2kmほどの宇賀部神社の由緒によると、神武東征の砌、「毛見浦」より上陸した皇軍と名草戸畔との激しい戦いは、和歌山市と海南市との市境にある「汐見峠」から「
杉尾神社(海南市阪井)紀伊国名草郡和歌山県海南市阪井1858(県道160号線沿いに大型P有り)■祭神大山祇神誉田別命[配祀]表中底筒神宇賀魂神大己貴命猿田彦神大年神奇稲田姫命事代主命市杵島姫命海南市の東部郊外、「高倉山」(標高248.7m)の南裾に鎮座する社。通称「お腹さん」。「高倉山」北側には、当山と対峙する「城山」中腹に宇賀部神社が鎮座します。◎宇賀部神社の由緒によると、神武東征の砌、「毛見浦」より上陸した皇軍と名草戸畔との激しい戦いは、和歌山市と海南市と
宇賀部神社(頭の宮)(うかべじんじゃ、おこべのみや)紀伊国名草郡和歌山県海南市小野田917(駐車場完備)■祭神宇賀部大神[配祀]荒八王子命誉田別命海南市の北東郊外、丘陵地の西端に鎮座する社。背後の「城山」(標高80mほど)の中腹に社殿が設けられています。頂には当社神官を務めた小野田氏の詰城がありました。◎通称「おこべさん」。当社由緒には「一説に」として、神武東征の砌に皇軍に誅されたという名草戸畔(ナグサトベ)の「頭」を祀っているとも。これについて神武天皇紀には、「軍は
*11/17朝の祈りにてにっこり微笑む豊玉姫がみえたミルク紫の柔らかい色のシンプルな衣装頭は頂点にお団子ヘアで結び元にはミルク紫色のリボン?がついていたとくに言葉はなかった*11/18朝の目覚めにてきた言葉意識「ミルバ」ミルバときた時、ミネルバの名を思い起こしたきっとミネルバの事だろう↓『849.【ミネルヴァ】闘いとは精神です』みなさまこんにちはいかがお過ごしであられましょうか日々の雑多に追われ自身を見失わないよう心よりお伝え申します光り輝く存在たちよまぼろしではあり
画像はタイトルとは関係ありません。あくまでも名草戸畔が現在も転生してたら、こんな女性かも…という、異世界転生をモチーフに掲載致しました。この魅力的な女性はこの画像以外にメディアやSNSへの露出は無く、お名前も不明な方です。このミステリアスな感じが名草戸畔とも相まって小生を惹きつけて止まないのであります。話は変わりますが、縄文時代って調べれば調べる程、魅力に溢れた時代だった事が分かってきます。労働時間は1日4時間程度だったのではないかと言われています。農耕にシフトせずに狩猟採集メインの生活
縄文時代の文化に憧憬の深い人物より名草戸畔の話を聴きました。さっそく千種神社と宇賀部神社に。千草神社宇賀部神社小野田寛郎さんの小野田家口伝。負けず嫌い!反骨精神の文字。名名草戸畔を中心とした屈服しない名草山周辺の豪族の心意気を感じました。小野田寛郎さんの座右は「不撓不屈」です。野球王国和歌山もこの流れもあるのかななどとも思いながら帰路につきました。その他信長、秀吉に対抗した雑賀孫市などにも同じ気骨があるように思いました。古文書など研究では名草山が御
なぜかコメントが送信できないため、こちらでコメント。これまた貴重な情報をありがとうございます。名草戸畔をまつる三つの神社、おこべ、おはら、あしがみは、頭、胴体、脚ということなのでしょうね。これは将門の首塚と神田(からだ)明神や、大和の耳成山(頭部)と同じ呪詛なのだと思います。相変わらず僕は女神を卑弥呼に結びつけてしまいます。小野田少尉のご実家とは、これまたすごい縁の力です。神武と戦ったナガスネヒコ(初めは勝っていた)を見る気がします。名草戸畔のことは書いてなかったと思いますが、
やっと入手しました!!書店になく、中古本屋にもなく、Amazonで探すと定価1980円が10000円近い値段で販売されている。2000年前のアイドル、名草戸畔の追っかけをしている小生にとって、Amazonをポチるのは簡単な事ではありますが、やはり誰の手にも触れていない新刊が欲しかった。そして、名草戸畔を探し彷徨う事、約一年。ようやく巡り合う事が出来ました。名草戸畔に縁するお赦しが下りたものと思われます。名草戸畔のキーワードからなぐさファームさんがヒット、五年以上まえのブログにこの書籍
[紀伊国名草郡]竈山神社☆神武東征関連史跡神社等(難波津~上陸前編)4年以上前に「大和編」として、神武東征の関連史跡神社等の記事を起こしました。◎「大和編」の記事『☆神武東征関連史跡神社等(大和編)*随時追加します』(神武天皇手植えの「八ツ房杉」櫻實神社)☆神武東征関連史跡(大和編)大和国内においては、神武東征に所縁のある伝承地を既にかなり訪れました。辿れば辿るほど…ameblo.jp近いうちに精力的に史跡を訪ねて続編を記事にしようと考えていました。今頃に
昨冬に続いて那智山を(車で)上り、飛瀧神社さん、青岸渡寺さん、熊野那智大社さんをお詣りした後、山を下って「補陀洛渡海」で知られる補陀洛山寺さんを参詣しようとした〝火打石〟夫婦。駐車場に車を停めて、補陀洛山寺さんをお詣りする前に、お寺さんに隣接して鎮座される熊野三所大神社さん(ウィキペディアはこちら和歌山県神社庁のページはこちら)を参拝しました。熊野三所大神社さんは“九十九王子のひとつである浜の宮王子の社跡に建つ
自然と調和をお届けするモナリです。早朝はすっかり寒くなってまだ冬来てないのにこの先ゾ〜とします今日は不思議なシンクロばかり起こる歴史の旅のお話し遠い昔も全てが繋がってる訪れる地から受け取る想念わたし達に願いを込めて伝えて来るのです。『龍の示す流れ”大浄化の波に乗って”』今日もみんなステキな今を自然と調和をお届けするモナリです大浄化の企画をスタートした新月は私のBirthdayでもあって大きなエネルギーの変化を感じつつも柔らか…ameblo.jp今年2月に知らなかった神社で
小野田少尉の「生きる」の終わりの方に、小野田家は名草戸畔(なぐさとべ)の子孫だという伝承が紹介されている。名草戸畔は、神武東征のさいそれに抵抗し、そのため神武の一行は熊野入りに迂回を余儀なくされたが、そのため名草戸畔は戦死したという。その遺体は頭、胴体、足に分断され、それぞれ神社に埋めてお祀りしたという。小野田少尉の負けん気根性のゆえだろう。そういえば南方熊楠は「紀州の人はよく嘘を付く」と言っていたが、これもそうした気質を代弁しているのかもしれない。そうした背景もあるせいか、いわれのない中傷を
小野田寛郎氏の家に代々伝わる「名草戸畔(ナグサトベ)」の口伝とは?小野田家は和歌山県海南市にある宇賀部神社の宮司家(小野田城の城主)だった!小野田さんは英語と中国語が話せ、2人の兄は東大卒!https://bizconsul.net/2023/08/13/【タブー】日本書紀とは違う伝承/【タブー】小野田寛郎氏の家に代々伝わる「名草戸畔(ナグサトベ)」の口伝とは?小野田家は和歌山県海南市にある宇賀部神社の宮司家(小野田城の城主)だった!小野田さんは英語と中国語が話せ、2人の兄は東大
前回はこちらです。『『縄文の女王』の暗号⑦『ヒメ・ヒコ』制と一万年の『母神』』こんにちは。先日の『チコちゃんに叱られる!』で「斎藤」姓について特集されていたそうですね。知り合いの方から教えていただきました。ありがとうございます!斎藤には…ameblo.jp古代国家成立以前の時代「女男(めおと)」ペアによる統治システム『ヒメ・ヒコ』制について書きました。日本「国つ神」情念史『遥かなり、このクニの原型』の著者津名道代さんはこの国の風土の中で生まれた『ヒメ・ヒコ』制のメリットについ
紀氏(紀直)が奉斎した日前神宮・國懸神宮。◆「阿蘇ピンク石」~海を渡った棺~(19)紀氏と大伴氏についての記事を進めていたのですが…秦氏やアメノヒボコ神、比売許曾神、葛城直といったところを挟む必要性があったので、中断してそれらを進めました。再び紀氏に戻ります。(大伴氏はさらに次の回となります)~*~*~*~*~*~*~*~*~*~■過去記事(1)…序章・「阿蘇ピンク石」石棺例一覧(2)…「阿蘇ピンク石」とは・石棺例一覧の訂正(3)…「大王のひつぎ航海実験」
皆さんお疲れ様です。そしてご来訪ありがとうございます😀昨日会社の同僚が書いた手書きの書面を見返していると、「丁寧に扱う」の文言が「丁寧に吸う」になっていました。なんだその卑猥な感じ。セクハラだぞっ❤️どうでもいい話ですねすいません。本日は朝からホイールベアリングを打ち替え、ブレーキのエアーを抜いて仕上げました。スッキリした天気ではありませんけど、雨は降っていませんので試乗でございます。ブレーキの引き摺りは一切なくなり快適に。ホイールも心なしか、いつもより余計に回っております(feat
明日は弥生三月雛祭り…季節は春を迎えるのにあいかわらず〝火打石〟のブログはリアルタイムに追いつけない。睦月の一の宮参詣をUPさせていただくわけですが、まぁその後は一の宮参詣はできていないのでとりあえず紀伊国一宮の参詣記を書き終えたらリアルタイムの記事が書けるかな。なので頑張って紀州の記事を書こう…今回は1月5日にお詣りした日前神宮・國懸神宮さん(ウィキペディアはこちら和歌山県公式観光サイトのページはこちら)の参詣記。4日に武州から泉州を経て紀州に入った〝
杉尾神社主祭神:大山祇神、誉田別命(杉尾大明神八幡宮)所在地:〒642-0024和歌山県海南市阪井1858番地TEL:073-488-5248FAX:073-488-4530名草戸部伝説の三社のひとつの神社和歌山県海南市にある杉尾神社は、地元では「おはらさん」と呼ばれている「名草戸畔伝説」の三社のうちのひとつの神社です(残るニ社は宇賀部神社と千種神社)。名草戸畔(ナグサトベ)とは、縄文時代、名草地方(現在の和歌山市・海南市)を治めていたとされる女王です。神武東征
和歌山の女首長との戦い
シンクロ加速しんごちゃんネルのしんごちゃんが、またまた、興味深い本を紹介してくれました。和歌山には、神武東征の時に、神武の軍と戦った、女酋長率いる民がいたわけですが、その女酋長の名草砥部について書かれた本です。名草戸畔~古代紀国の女王伝説増補改訂3版[なかひらまい]楽天市場1,980円封印解きの佐藤シューちひろさんがニシキトベについて書かれていて、興味があったのですが、ニシキトベの復活太古の記憶の解放、根源的な生への回帰[佐藤シューちひろ]楽天市
2022年12月25日に「日本の古代豪族」を購入しました似た本「神社が語る古代12氏族の正体」を読みましたが、また買ってしまいました。新書の解説よりは浅いですが幅が広く、月岡芳年と思われる浮世絵が挿絵に使われていたり、巻末に長髄彦や名草戸畔が載っていたり、これは買うしかないでしょう!折々に復習するようにしたいと思います。
初詣代わりにと気楽に手に取ったら、、、私の大好きな古代史ミステリーに神社に残る微かな痕跡、神話~隠された古代の歴史~現在がシンクロする素敵で深~い物語シリーズ初の長編大作でした!依頼神は天道根命(あめのみちねのみこと)。お社は和歌山の日前神宮・國懸神宮の摂社・中言神社。1つの境内に2つの神宮という特殊な神社。お話の中心は名草戸畔(なぐさとべ)。日本書紀に『東征する神武軍に誅せられた』とだけ記された謎の女王。それを、穀物の起源神話の大気都比売神(おおげつひめの
2022年5月4日豊鍬入姫命巡幸ぶらり旅2日目、馬止神社に続いて本日のラスト名草神社に行ってきました「名草戸畔」に出てきた神社です。なかなかな山道を延々走って、本当にあるのかと不安になって引き返そうかと思い始めた頃に出てきました!前に行った木の殿堂から見えていた、妙見山の8合目にありました。んー、山が御神体っぽいし、割拝殿があるので、名草神社っぽいと言えばそうなんだけど、なんか派手派手しくて別物の印象が…御祭神などの詳細は不明ですが、五穀豊穣を祈る巡礼参詣者が集まって栄えていたそう
2022年5月4日豊鍬入姫命巡幸ぶらり旅2日目、中嶋神社に続いて馬止神社に行ってきました「名草戸畔」に出てきた神社です。山の中腹にある感じといい、割拝殿があるところといい、和歌山で見た名草関連の神社っぽい。でも、結構、傷んでいて、社名だけ辛うじて舞殿で見つけましたが、御祭神などの詳細は不明です。名草彦命と名草姫命だと信じることにします観音寺仁王門
2022年4月29日名草ぶらり旅、杉尾神社に続いて宇賀部神社に行ってきました山城国の愛宕神社を勧請したとの記録があり、宇賀部大神を迦具土神とする説があるそうです。御祭神は宇賀部大神、荒八王子命、誉田別命。太神宮、御祭神は天照大御神天神社、御祭神は菅原道真末社は秋葉神社、祇園神社、弁財天神社、多賀神社、山王神社、稲荷神社一方、神武天皇の東征軍と死闘を繰り広げた名草戸畔の首級を祀るとも言われています。名草戸畔の頭をお祀りしているからか、頭之宮、通称おこべさん。がっつり名草戸畔推しで
2022年4月29日名草ぶらり旅、千種神社に続いて杉尾神社に行ってきました名草戸畔の胴をお祀りしているからか、通称おはらさん。御祭神は大山祗神と誉田別命。ふーん、名草戸畔のことは秘密なんだ。でも、割拝殿があるし、御神体は山っぽいし、私は名草戸畔関連と思っているので、気にしなーい割拝殿の状態が危険なので、ここから直進はできません。七福神社住吉神社八坂神社左から、読めない、天神社、皇大神社・藏皇(?)神社ん?ここも皇大神社?左から、厳島神社、金毘羅神社、読めない金毘羅神社の