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前の記事の続きです「お鷹の道」を歩いて「旧本多家住宅」に行きました旧本多家は代々国分寺の名主の家です旧本多家住宅長屋門市重要文化財江戸時代末期1848年の建築史跡の駅無料休憩所兼案内書史跡の駅の前にも地元野菜の販売所資料館内部の撮影は禁止でした昔の国分寺にあった七重塔のレプリカ旧本多家住宅の倉旧本多家住宅の庭ユズカラスウリナンテン☆ご覧いただきありがとうございました
ということで、藤沢市新林公園でキレイな藤を観賞後は、旧福原家長屋門の奥に茅葺き屋根が見えたので行ってみたら、旧小池邸という古民家でした。藤沢市新林公園茅葺き屋根の旧小池邸裏には井戸もありました。これはすばらしいですね。新編風土記にも出てくる小池家の先祖は足利尊氏に仕え、江戸時代は柄沢の名主を務めた名家だそうです。天保の改革が始まった1841年に建築されたもので、寄棟造、茅葺屋根、土壁、岩基礎という風格のある建物です。藤沢市の文化遺産として1983年に新林公園に移築され
小田急線世田谷代田駅の改札を出ると、正面に真っ白に冠雪した富士山が見えました。青空に映えますね。環七通り沿いに歩いて行って、この石垣と白塀が出て来たら目的地。「百華の美」という展示をやっているのは齋田記念館です。チケットを頂くのでときどき来ます。展示室内は写真撮影禁止ですが、タイトル通りいろんな花の絵がありました。面白いと思ったのが、一枚の絵に複数の画家が違う花や鳥を描き足したというもの。あまり見たことありません。齋田記念
―引合(ひきあい)―この言葉が、現代のビジネス語にもなっているとは知りませんでした。わたしがこの言葉を知ったのは、小説『物書き同心居眠り紋蔵』でした。この小説、某国営放送でもドラマ化されました。主人公は、舘ひろしさんでしたねえ。この小説から、ひとつまみ。捕物帳や時代劇に出てくる「岡っ引き」は、同心の下で情報収集を始めとする「足の捜査」をしているイメージがあります。しかし、著者は実際の「岡っ引き」は「引合」の取り引きが主要な
4月22日『静岡ひとり旅①〜用宗漁港〜』4月22日ここのところ愛犬シュガーのてんかん発作が頻発し私はなかなか遠出できなかったけど最近ようやく落ち着いてきたので久しぶりに出かけてきました今回は静岡…ameblo.jp『静岡ひとり旅②〜HUTPARK用宗〜』4月22日『静岡ひとり旅①〜用宗漁港〜』4月22日ここのところ愛犬シュガーのてんかん発作が頻発し私はなかなか遠出できなかったけど最近ようやく落ち着いて…ameblo.jp『静岡ひとり旅③〜由比宿〜』4月22日『静岡
前回からやや間隔が空きましたね、稲荷神社から下山、再び水門周辺の散策を開始下りてきたら自宅でBBQついでに釣り糸を垂らしてました。今立ってる所、水門直下ですがボラらしき魚が泳いでいるのが肉眼で見えててそこめがけて糸を垂らすも、それで食いつくかどうかは別の話で(笑)自宅の庭から海釣りができる(汽水域ではありますが)のは羨ましくもあり潮風に当たって車など錆が早くて耐用年数が短いっていう欠点も。一長一短かな。このシリーズ、次回が最終となりますが、「主」で締めたいと。反対側から見た、こち
実家は名主でした。室町時代のお墓が実家の裏山にありました。農業は水郷地帯で、農業は盛んでした。明治時代は曽祖父が町の助役をしてたそうです。町のために尽くしました。町の良家でした。父親から聞いていました。経済的に困ってる方に、お金を貸して、連帯保証人になって借金が返せないので田を売ったそうです名主なのでかなりの土地を、元々持ってました。お米の収穫したものは蔵に蓄えていました。第二次世界大戦の時も食べ物にはそれほど困らなかったそうです。そして、江戸時代から苗字はありました。刀も持っ
2月9日(日)、役員の研修を兼ね、白井市のお隣の柏市鷲野谷にある染谷家住宅を見学してきました。染谷家住宅は主屋、長屋門、前蔵、井戸屋形、肥料小屋、風呂場、文庫蔵、稲荷社といった8棟の建物群から構成され、平成31年に8棟全てが国の登録有形文化財(建造物)に登録されました。これらの建物は江戸時代後末期から大正時代の建築です。また、建物群だけではなく、屋敷地、屋敷林、旧畑地が一体となった庭園も令和2年に国登録記念物(名勝)に登録されており、建物群及び屋敷地全体が国の登録文化財になっているといえま
福島県耶麻郡猪苗代町に有る会津民俗館会津民俗館人の温もりをいまに伝える会津民俗館でタイムスリップしてみませんか~|「いまに伝える」偲ばせる会津民俗館。いまに伝える生活の創意と伝統文化・・・山々に囲まれた会津の郷に長い時間をかけて育まれてきた文化があり、生活があります。家や民具を見て触れて感じることが大切です。人の温もりをいまに伝える会津民俗館でタイムスリップしてみませんか~search.appすぐ近くには野口英世記念館も有りましたが自分的にコチラに惹かれてしまいました。野口英世記
今日は二十四節気の「大暑」だそうでして、散歩おじさん地域は「夏の暑さがもっとも極まるころ」という説明に相応しい暑さとなりました(;^_^Aさて記事の方は「旧水戸街道歩き」の続きです!前回の記事の終盤に書きました、街道が大きくカーブしている所から40mほど進むと道標がありましたが、これがまたご覧のような所に保存されていて、撮りにくいことこの上なしって感じでした(^O^;タハハッ!道標の表面には「従是子神道」の文字が刻まれ、これはここから道なり距離で1.5kmほどの所にある「子之神大黒
午前中は過ごしやすい気温でした午後になり気温が上がり予報通りの31℃超えました暑いです👒前回には完成していましたがアップ遅くなりました💦SSさんの吊るし飾りですお仲間さんのちりめん布を利用して完成かわいい吊るし飾りになりましたね吊るし棒は黒竹だそうです太さがちょうどよくて雰囲気もピッタリ完成おめでとうございます👏💐5月中端午の節句のレイアウトになってるそうで行ってきました安藤家住宅江戸時代中期以降は西南湖村の名主を務めた旧家だそうですご覧いただきあり
2021年膝が壊れる前に実家を引き払うために帰省したり、父方母方の墓参をしたくなったたりと妙に望郷の念にかられた時期であった以前に載せたこちらの記事から御縁が生まれたのか?曾祖母の本家筋の方からご連絡を頂けたまた、ありがたいことに以前訪ねたときは40年の時を埋められず、見つけきれなかった墓所の写真も頂けた。この写真があれば次に帰省した時には墓参も出来る有り難い限りである🙇こう言う時はSNSによる情報伝達と繋がった縁に心から感謝したい今年こそは膝を治して車ではなく、GTRで再び下関に
読み終えて「ああ、良い物語を味わったなー」という静かな感動が残る小説でした。決して派手ではないのですが、平易でありながら深みがあって、何より”本”がキーになっているところが良いですね。さすが青山文平さんです。江戸期の富の源泉は農にあり――。江戸期のあらゆる変化は村に根ざしており、変化の担い手は名主を筆頭とした在の人びとである、と考える著者。その変化の担い手たちの生活、人生を、本を行商する本屋を語り部にすることで生き生きと伝える“青山流時代小説”。(BOOKデータベースより)
ミスドのモーニングミスドにホットドッグのモーニングがあったんですね😳おはようございます☀東京は大雪⛄️のもよう。怪我のないよう、ゆっくり歩いて下さいね🙇♀️新居探しですが、お墓の件は直接家から見えなければOK🙆♀️ということになりました。目的のアパート周辺を歩いていると、すごい豪邸を見つけました。住所って、〇〇1丁目◎番⚪︎号ですよね。その豪邸さま、〇〇1丁目◎番で終了(多分)武家屋敷によくある板塀がならび、屋根付きの門構えは✨(イメージ、金沢の武家屋敷です)板塀の端か
2023年09月27日。都立小金井公園内にある「江戸東京たてもの園」を見学してきました。高橋是清邸。この邸宅が園の中で一番大きかったです。ニ・二六事件で、この自宅二階にて決起青年将校たちの銃弾6発を胸に受け、ここで亡くなられました。ここに来ると色々と考えさせられます。是清さんの能力や実績を僕は大変尊敬しておりますが、邸宅がでか過ぎるのもちょっと気にかかるところ。江戸時代に生まれた方ですから、庶民と日本のトップとの間に貧富の差があるのは違和感がなかったでしょうが、現代人からすると少々
“市議会議長の息子”を殺人容疑で逮捕長野・中野市立てこもり事件警察官ら男女4人死亡長野県警一番の謎は「動機」、現時点では判明していないので止めておこうと思ったんだけどね。ホリエモンが、一つの説を言ってるもんだから、「これはアリ」かなと参考までに。長野県立てこもり事件の真相が分かりました。これは本当に闇深いですよ…ただこれも一つの説なんで、あまり真に受けないほうがいいかと思います。ホリエモン、よほど実家が嫌いだったんでしょうし、たしかさほど田舎でもない気がしましたが・・・私、都会
西暦の元旦以来、色々と考えるところがあり、投稿が止まっておりました。考えはまだまとまっていないのですが、それはしばらく置いておくことにして、軽い話題の投稿をすることに。真暦の二十四節季の雨水の頃にいち早く楽しませてくれるのが早咲きの桜たち。関東地方だとカワヅザクラが有名。名所はいくつかあるけれど、混雑が嫌いなので、毎年場所を変えている。テレビなどで報道されたら大概は混むので避ける。しかし、最近はテレビを全く見ないため、報道されたか否かすらわからない。この時は前日にニュースで流れてしま
ともだち開業医亡くなったほんと精査されるのきらいだつたな学生時代から検査ぎらい検診もなるようにしかならないと自然に受け入れるだから抗がん剤も拒否したんだよな抗がん剤入れたらあと5年生きれる説得したのに自然をのぞむからなビタミンミネラルアミノ酸抗がん剤など工業製品拒否なんだよね途中ともだち開業医ほんと自然ど田舎育ち代々ど田舎の名主の家系都会の下町で開業医地域医療ほんといい先生だつた投薬もすくない手術がとく
遠足お勉強編二つ目は先ほどの奈良時代から時は進んで江戸時代後期の物件をご紹介(って、不動産屋さんじゃぁありません)。「旧本多家住宅長屋門・倉」です。位置的にはこの写真の手前右に先ほどお邪魔した「おたカフェ」があり、ここで入館料100円のチケットを購入するシステム🎫こちらが「長屋門」で、ここの入門の係りのかたにチケットをお見せして入館します。中に入ると2階建ての長屋❔ご当主の隠居所として建てられ、後にご当主分家のかたがここを拠点に村医者を開業なさり、同時に教育の場にもされていたそう
~本日は日野市を散策してみました~日野駅はJR中央線の中でも最小クラス。ホームの幅も狭く一二番線しかない。ご当地出身と言えばこの方。また地元の都立日野高校は三浦友和、忌野清志郎、アンジャッシュ、佐々木千隼などが出身です。問題の日野自動車もあります。歩けばすぐに田園風景しかしこんな所にもきぬた歯科の看板が!都民なら誰でも知っている。すげえな!アオサギ君は逃げない・・♂♀は不明。水路が多いです。アルマジロだったら背中が曲がっちゃうじゃないの~戻ってきたらア
集落を代表する民家江戸時代末期の建築。和田家は名主を務めた家柄。白川郷の合掌造り民家として最大級。桁行=12間、梁間=7間。一重三階の大きな主屋です内部見学予想していた以上に広々と感じます最上階からの眺め青空のもと素晴らしい景色でした。この部屋で生活してみたい^^…ー(白川郷最終章へつづく)ー
青梅街道を東へ歩いています。西武新宿線の踏切を渡りました。北側へ延びる土の道を発見。奥に何かあるようです。道の入口にはお地蔵さんがいます。あまり訪れる人はいなさそうな感じです。途中には廃業したと思しき喫茶店。「珈琲ふじ」の看板が残されています。街道沿いではないので、あまり目立たない立地。嘗てはこの道の往来も賑やかだったのでしょうか。突き当りは墓地でした。明治維新前後に野中新田の名主だった高橋定右衛門という人のお墓があり、案内板が立っていました。御門訴(ごもんそ
南大橋を下りて、ちんちん山児童遊園にやって来ました。ちんちん山というのは、嘗てこの地を走っていた軍用鉄道が東北線を跨ぐために築かれた盛土のことです。電車がチンチンと鐘を鳴らして走っていたので、ちんちん山と呼ばれていたんですね。今でも路面電車をチンチン電車って呼ぶ人いますよね。そのちんちん山をくり抜いていたトンネルの入口が、モニュメントとして残されています。実際の向きとは90度異なっています。写真で言うと、南大橋の高架がちんちん山で、左右にトンネルが掘られていました。戦争
国分寺市の地元野菜たっぷりの昼食の後、史跡の駅おたカフェの目の前に武蔵国分寺跡資料館を覗くことにしたわけですが、妙に立派な門構えでありますなあ。実はここ、「代々国分寺村の名主であった本多家の屋敷」であった場所で、これはその入口あたる長屋門だったのですなあ。今では敷地内に母屋は残っておらず、その代わりに市の運営で武蔵国分寺跡資料館があるようす。さりながら、長屋門の方も「見学できます」とあったものですから、ちょいとお邪魔をすることに。ちなみに弘化五年(1848年)に建てられ
2021年12月17日。浪江町大字権現堂について研究中の西村慎太郎です😊前回は近世の相馬中村藩において、妊婦を把握すめため、肝煎から藩に提出された着帯届を見てみました。繰り返しになりますが、権現堂村ではこのような近世文書は、現在のところ確認できておりません😥しかし、藩内の他の地域の資料から、権現堂村で作成・授受された文書を再構築することが可能です。今野美壽氏によって編纂された『相馬藩政史』上・下巻(相馬郷友会、1940・1941年)には多くの古文書が掲載されているので(誤字・脱字・誤植
2021年12月14日。浪江町大字権現堂について研究中の西村慎太郎です😊前回は権現堂村にあった北標葉郷陣屋に詰めた役人を検証してみました。陣屋には藩士である代官・郷目付・吟味役各1名以外に、在郷給人である大頭4名、手代2名、村目付4名が務めていました。また、常時、陣屋に詰めているわけではありませんが、権現堂村を含む北標葉郷25ヶ村に12名の肝煎がいて、彼らが村々の管理を行っていました。なお、北標葉郷25ヶ村とは、現在の浪江町域の津島地域を除いた村々が該当します。ここから分かる通り、1村
川崎市の日本民家園ほどではありませんが、江戸東京たてもの園にも都内にあった茅葺き屋根農家が数軒保存されてました。■天明家(てんめょうけ)天明家は鵜の木村の名主を務めました。天明鍛冶と呼ばれる鋳物師の一族が天明宿(栃木県佐野市)から鵜の木に移り住みました。※天明鍛治は豊臣秀頼が方広寺の鐘の鋳造する際に39人の鋳物師が上洛してます。茅葺き屋根の長屋門寄棟造り茅葺き屋根の主屋は18世紀後半の建築正面玄関には式台があり、屋根の千鳥破風が名主を務めた豪農の格式を表してます。囲炉裏の
旧東海道歩きは「由比宿」を目指します。見た目古そうな、擬洋風建物がありました。「西倉沢公会堂」です。木造2階建、昭和初期の建築と思われますが詳細は不詳です。玄関屋根(庇)に見事な彫刻です。火除けまじない(懸魚)なんでしょうけど、マグロ?カツオ?ひょっとしたら「倉沢アジ?」でしょうか。由比の名物といえば「桜えび」ですが、あまり知られていないもう一つの地元の名物が「倉沢アジ」で、一般市場に出回らない幻のアジだそうです。アジはもともと回遊魚で
旧東海道藤沢宿を散策したあと藤沢駅の南側にある茅葺き屋根の古民家を訪ねました。新林公園には2棟の古民家が移築されてます。■旧福原家長屋門福原家は、藤沢市内の旧家で峯渡内村の名主でした。この長屋門は江戸時代後半の建物です。新林公園には長屋門だけ移築されてます。↑正面から見た門↓裏から見た門長屋門は名主屋敷の主屋な蔵などと一体で保存されますが、ぽつんと長屋門だけが建ってるのはちょっと寂しさも感じます。■旧小池邸小池家は藤沢市柄沢の旧家で柄沢村の名主でした。この建物は天保12