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欧米人に「日本人はウサギ小屋に住んでいる」なんて言われたのは、いつ頃からだったでしょうか?一部にはこれは誤訳だった・・・なんて話もありますが、言われた日本人があまり否定できなかったですから、当たらずしも遠からず?😣そう言われて仕方がないのは、我が国に集合住宅が多いから。その発祥はおそらく『長屋』だと思われますが、もっと近代になってからの集合住宅といえば、アパートでしょう。これは〝アパートメント(apartment)〟を元にした和製英語の積層住宅を指す造語ですが・・・日本
(つづき)●住宅団地と街づくり住宅団地を、住居が集合し、生活関連施設も併設するものと、定義すれば、日本初の継続的な、戸建住宅地は、小林一三の箕面有馬電気軌道(現・阪急電鉄)による、沿線開発の分譲住宅地(1910/明治43年~)、集合住宅は、同潤会による、東京・横浜のアパートメント(1926/大正15年~)といえます。この戦前の両者は、西田幾多郎的にいえば、「多と一との絶対矛盾的自己同一」を追求し、敷地の内と外を、過度に切断しないように計画していたとみられる一方、戦後の量の時
登録有形文化財を有する旧赤羽台団地に、「URまちとくらしのミュージアム」がオープン!建物好きや団地マニアも驚きの仕掛けが満載!↑SUUMOジャーナルに執筆しました。完成を待ちわびていたミュージアムです!八王子のUR都市機構の技術研究所にあった団地の保存住戸がこちらに移設したからです。旧赤羽台団地の中に開設されるミュージアム登録有形文化財4棟とミュージアム棟、オープンスペースが丸ごとミュージアム馬場正尊さんお勧めのミュージアム棟の見どころをじっくり紹介歴史だけでなく、未来
関東大震災から100年ということで、9月になってから防災関連のニュース、特番、展示が目につくようになった。このブログでは過去5回、地震や災害関連のテーマで文章を書いた。なかでも次の3つは読み返して損はない。⇩⇩⇩『福祉避難所って何?』5月に入り、能登半島、北海道・日高、青森東方沖、千葉南部、吐噶喇列島で、震度4~6強の地震が相次いでいる。八丈島や小笠原近海、沖縄周辺をはじめ、伊予灘周辺や…ameblo.jp『起こる前に準備!認知症家族のための防災用品』このブロ
前々回で、「SingaporeNoir」という犯罪小説のアンソロジーを取り上げたのですが、その本を読んであらためてシンガポールの街々に興味を抱き、2017年2月のシンガポール旅行の写真を見直してみました。当時はあまり面白くなく、没にした写真の中で、新しい興味に結び付くものがけっこう見つかったので、だいぶ前に終了したシンガポール旅行記を再開しますね。先ずは、宿をとった街、チョンバルから。チョンバルはチャイナタウンの隣町。便利な割にはローカル感がいっぱい。これはホテル近くの食堂
先週末、久しぶりに表参道へ。目から鱗の発見が幾つか。えー、いつの間に?と思ったのがこの伊東豊雄さんのビル。これってTOD'S表参道のビルじゃなかったっけ??いつの間にかボッテガ・ヴェネタになってた。2020年、ボッテガの親会社に売却されたっぽい。色を薄いピンクにしてまろやかにしたようなものが、銀座ミキモトビル。双方とも伊東豊雄氏作。上述のビルのお隣で目立ってるこのヒューゴ・ボスのビル、今まで知らなかったのだけど、設計を手掛けたのは團伊玖磨さんの息子さんだった。
同潤会江戸川アパートメント取り壊し前(2003年)の見学会で撮った写真です。同潤会江戸川アパートメントは「東洋一のアパートメント」と言われてた建物でした。竣工1934年(昭和9年)鉄筋コンクリート造、地下1階、地上6階。当時は規模設備共に東洋一と言われた建築です。敷地面積2,061.15坪。設計・監理:同潤会建築施工:錢高組地下1階に共同浴場と理髪店、1階に食堂、2階に社交室などの共有施設がありました。また、世帯向け住戸の他に独身部屋と呼ばれるワンルームの部屋も用
佐藤あかねです✨初めての方はこちらをどうぞ⭐︎自己紹介⭐︎メッセージやコメントはなるべく返信しようと思います🎵いきなりですがみなさんはシュールなものはお好きですか❓私は昔からシュールなものが大好きです❣️それが最近顕著に起きた出来事が2025年に大阪万博がありますねこれは1970年の大阪万博55年ぶりの万博なんて超絶胸熱ーーー‼️絶対行きたいっコロナ、それまでに絶対鎮まれよ(真顔)そしてこの大阪万博の公式マスコットが決まりましたね❣️これこれ(笑)むちゃんこ可
3連休前から予報が出ていた今朝の雪。気温が低くなったタイミングで降り始めなかったので、霙混じりで済みました。お庭にはうっすら積りましたが、バス通りに積雪無し。思い切って普段の靴で出掛けましたが、通行量の少ない場所では路肩に霙が溜まっていたので、小股で歩きました。出掛けにまだ暗いお庭に回って犬小屋の中を確認したところ、そらが身体を丸めて眠っていたので一安心。お家に入れてやりたいところですが、積った霙の上にも何箇所かをしていましたので、その侭朝迄過ごして貰うことにしました。ところで
加筆・修正がある事をお許しください(^^;);☆2021年・令和3年9月2日木曜日午後1時集合いつもの某カルチャーセンター毎月1回の午後だけ・食事なし「建築史&街歩き」のクラス今期は練馬区が課題その二回目雨傘が手
急に涼しくなってというか、寒いくらいですが、いかがお過ごしでしょうか?気分転換に、ウォーキング、いや散歩ですね、、ウォーキングなどというスポーティーなものではないのですが、気分転換に近所を歩くことは、よくあります。。自宅のすぐ近くに大規模な団地があるので、給水塔も晴れやかにそびえ立ちます。。天気の良い日は、気持ちよく、こうした花々を撮影しながら、歩きます。。古い住宅街も多いのですが、極めて新しいクルマが置いてあったりもしますね、、最近、近所で新車ラッシ
8月28日(土)に、以前の鹿骨街道歩きの時に見つけてとても気になっていた「同潤会通り」を歩いた散歩記事のその4です。歩いたルートは↓。寄り道も含めて歩いた距離は6kmちょっとくらいだと思います。その3では、中央二丁目交差点の南で素晴らしい住宅を見た後、看板建築の周りに押し寄せる更地化の波に人知れず胸を痛めたところまでをご紹介しました(↓すべて再掲)。これは一軒の看板建築を左右で居酒屋「串一」とお好み焼き「プーさん」に分けて使ってるんですね。右端の豆タイルはタイル風の
8月28日(土)に、以前付近の鹿骨街道を歩いた時から気になっていた「同潤会通り」を歩いた散歩記事のその3です。歩いたルートは↓。寄り道も含めて歩いた距離は6kmちょっとくらいだと思います。その2では、同潤会通りの中でも元々同潤会が建てた住宅のあったエリアで、元は違う種類の店であったろう中華料理屋をしげしげと眺め、関東大震災後に復興のために建てられた同潤会の住宅からこの店舗にまで至る歴史を想い、世の無常に感じ入ったところまでをご紹介しました(↓再掲)。今、ふと気づきましたが、前
8月28日(土)に随分前から地図で気になっていた「同潤会通り」を歩いた散歩記事のその2です。歩いたルートは↓。寄り道も含めて歩いた距離は6kmちょっとくらいだと思います。その1では、同潤会通りに入り、早速いぶし銀的な平屋の看板建築店舗を見かけテンションが上がったところまでをご紹介しました(↓再掲)。その先にもシブい看板建築の旧店舗がありますが、こちらは建物を見ても左側の庭をみても密林化が進んでいて、廃屋のようです。こちらは大きな住宅の右端に平屋看板建築の店舗?会社?がく
まだ猛暑が思い切り残っていた8月28日(土)、以前から地図でその名前を見てどうにも気になっていた「同潤会通り」を歩いてみました。同潤会通りは、プチ街道歩きで歩いた鹿骨街道のごく近くにありますが、詳細はおいおい紹介します。歩いたルートは↓。寄り道も含めて歩いた距離は6kmちょっとくらいだと思います。鹿骨街道の近くってくらいですから、今回も出発点はJR新小岩駅南口から。その南口から見て東側の五叉路。前回はここを左方向に進みましたが、今回は「川上不動産」の看板のあるビルのすぐ左にあ
あっという間に週末も終わりました。とりあえず、緊急事態宣言下ってこともあり、元々どこかに行く予定もなかったので、今日は正真正銘に巣籠生活。。普段、あまりTVをじっくり見る時間もないのですが、今日はお家にいたこともあり、見る、見ない・・というより付けてましたわ。まぁコロナコロナの報道ばかりですけどね。そんな中、父から電話があり、親戚のおうちのご近所が番組になっているから見て。。って。叔母のおうち、実は東京の郊外、同潤会が昭和初期に建て売りした住宅地に住んでおりまして・・すっか
同潤会アパートの成り立ちをウィキペディアを参考にしながら、紹介しましょう。同潤会は1923年(大正12年)に発生した関東大震災の復興支援のために設立された団体である。そして当時、関東大震災後に内務大臣兼帝都復興院総裁として東京の帝都復興計画の立案・推進にも従事した後藤新平の尽力もある。後藤が目指したのは復旧ではなく、復興であり、耐火に強い帝都を構築することこそ後藤の目的であった。同潤会アパートは耐久性を高めるべく鉄筋コンクリート構造(RC造)で建設され、現在では当たり前の工法であるが、当時
GoogleMap使って自転車で出発。偶然にも公園に到着する前に嬉しい再会。再会したのは「路地裏」地図を見つつ公園に向かっていましたら見覚えのある通り。少し歩いてみて、いくつかの風景を見て確信。そこは20年以上も前に迷い込んだ空間。そのときは空間の歪みが何か、隙間に迷い込んだのかと感じたことを覚えています。不思議な空間。同潤会が手がけた住宅群、みたいなところらしいです。また、行ってみたいです。誰かご一緒しませんか。
お立ち寄りありがとうございます表参道ヒルズ。2006年竣工。以下、「」の文は、公式HPより抜粋。「設計者である、安藤忠雄氏は、歴史ある表参道の景観と環境との調和、を第一に考え、建物の高さを、表参道の、ケヤキ並木と同じ程度、にすることで、街にとけ込ませました。さらに、本館中央の、6層の吹抜け空間には、表参道と同じ傾斜と長さを持つスロープを配して「第2の表参道」を創出し、商業施設をレイアウトしました。表参道ヒルズは、日本
Amazonさんにて購入の本消えゆく同潤会アパートメントという本を読みました20年前専門学校でインテリアの勉強をした頃からこのアパートメントの存在を知っていて憧れのアパートメントでした。同潤会アパートメントで有名どころだった場所は青山同潤会アパートメントだと思います。今回の本は江戸川アパートメントを中心に書かれています。筆者筆頭さんがこのアパートメントにて産まれ、30数年間を江戸川アパートメントにて育った方だそうで。筆者筆頭(建築家)と筆
今日は廃墟系?のお話でも。10年くらい前でしょうか。私は東京都荒川区東日暮里2丁目にある、「同潤会三ノ輪アパートメント」が解体されると聞いて、撮影に出かけました。(同潤会三ノ輪アパートメント)同潤会についてあまりご存じないかも知れませんが、ざっくり言うと、同潤会とは大正12年の関東大震災を契機に、東京や横浜で住宅供給等を目的として大正13年に設立された内務省の財団法人のこと。こちらの同潤会三ノ輪アパートメントは、昭和3年に竣工。訪問した時に
今回は、かつてこんな乗り物が走っていた街道沿いのお話です♪東京都江戸川区の区役所がある松江地区・・・江戸川区の区名由来は区の東側を南北に流れる江戸川にちなみますが、当初、当時の東京市では区役所設置予定地を区名として採用することを原則としており、旧松江町が区役所設置予定地であったことから、区名としては「松江区」が検討されていたそうです。ところが、松江の名前があまり知られていなかったことから、最終的には区の東端を流れる江戸川にちなんで「江戸川区」と命名されてしまい現在に至ります。
6月30日の「わたくしの本棚」で紹介した三上延著「同潤会代官山アパートメント」一年前の今日違う形で紹介していました。我が心の名著西井一夫著平嶋彰彦写真の「昭和二十年東京地図」でも紙数を割いて紹介されていたので文章は一年前、画像は前著から改めてご紹介します。
紙兎ロペ背景撮影場所ロケ地現場訪問2969前回。平成30年8月26日。新杉田駅からの旅その2です。#傘景#ハンガー#傘景#高架下#高架下#傘景#傘景#傘景#傘景#靴#錆柱#カガリさん#カガリさん#工場#傘景#同潤会#物干し#いい配管#装テン#骨#シャッター#装テン#エアコン配管つづく。
こんにちは~♡ここは無国籍。裏道をいく。同潤会喉が渇いた!何にしようかな~?これアンチエイジングだって!マンゴーが入ってる♡これも食べよう♡にほんブログ村
田作氏の東京下町探訪2016昔はよく来た原宿のまち▲2016年5月30日毎年5月には東京へ出向いて昔懐かしい下町を中心に歩いています。学生の頃(どれくらい昔のことだ?)はよく来ていたけれど、今はどんな風になっているのだろう。原宿駅前の交差点です。左に見えるのが明治神宮の森で、国立代々木競技場や代々木公園もこちらへ行くのですが、当時は何の興味もなかったので行ったことはありませんでした。ところで、あの独特の趣を持つ原宿駅も建替えられるようですね。JR東日本は保存するつもりはな
改めまして、今回は訪れた場所別に少しずつ分けて書いて行きますね。と、いっても記事にできる数といえば知れていますので、数回で終了になると思います(笑)順番は前後しちゃうと思います(^^;)今日は表参道のことを書きます♪昨日、なぜかインスタを貼り付けてしまったこととかぶる部分もあります。表参道ヒルズに行ってきました。と言っても、メインはこちら『同潤館』です。表参道ヒルズは、元は『同潤会アパート』という、趣のある建物がありました。大正末期から昭和初期にかけていくつか建てられた集合住
暖かな朝。西高東低の気圧配置にも拘らず、南風が入って朝から気温が高く、前日迄の服装で電車に乗ったら汗をかきました。午前中、久々に所用で区内を歩き回りましたが、コートをロッカーに置いて来て正解。ツイードの背中に太陽を感じるぽかぽか陽気でした。所用が済んで、荏原文化センター通りを通って荏原中延駅に向う途中、通りを挟んで中延小学校の反対側で施工されている《中延二丁目旧同潤会地区防災街区整備事業》の進捗状況を見てみました。前に此処を歩いたのは2年前。事業が実施されている区域の中
お知らせ「教科書の研究」シリーズは、電子書籍になりました。どうかこちらをご覧ください。よろしくお願い申し上げます。http://ebooks.shueisha.co.jp/detail.php?book=sg948459野島博之先生制作:りかりかりん番外編野島先生が出来るまで(๑˃̵ᴗ˂̵)❤️❤️
「食洗機」を代官山にあるショールームに見学に行った際に周辺のオシャレな街並みも見て歩きました・・・右下にチラッと映り込んでいる・・・黄色のスクーターが(haru)さんのリード110です。今回は・・・天気も良くて気持ち良かったので・・・二人乗りでショールームの隣には・・・ポップな色調の「DentalOffice」(歯医者さん)が・・・キッズルームも併設しているようです。お酒が飲める・・・「Bar」だと思ったら・・・とんだ「バー」違いで・・・オープン直後