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2001年12月2日、筑豊電鉄線筑豊直方駅にて。2000形2003号。24年前のきょう。ちくてつ2003号で筑豊直方までやってきていた。この3連接車体の2000形が、まだまだ普通に走っていた頃だった。早いもので、2000形の最後の1本となった2003号の引退から、3年が経過した。『筑豊電鉄2000形がついに全車引退、2003号ラストラン』2002年3月23日、筑豊電鉄萩原電停にて。2000形2003号。西鉄の福岡市内線・北九州線から転じて3連接車体化され、筑豊電鉄で活躍して
宮城電気鉄道(仙石線の前身)の車両は琴電へ払い下げられた後も、随分と長い間現役で走っていました。ただ後年、買収国電時代の木造車両は車体更新されましたが・・それでも、67号(1965年剛体化)は木造車時代の寸法で更新したため、側窓に昔の面影が残っていました。230号(1957年剛体化)は、当時としては斬新なノーシル・ノーヘッダーのバス窓車両で、模型化したい好ましいスタイル。それにしても、古色蒼然とした67号の車体よりも、8年も早く車体更新をした230号の方が軽快なスタイルとは・・・琴電のや
新潟交通の燕駅は、駅舎は独立しながらもホームは国鉄と共用で、3番線を間借りしていました。昨今、3セク鉄道ですらJRと線路が途切れているのが当然の中、当時は国鉄線路としっかり繋がっていました。(1982.12.28新潟交通燕駅構内)10年後の1992年、燕〜月潟間の廃止間近に再び訪れました。新宿駅23時発の快速「ムーンライト」に乗車し、東三条経由で早朝の燕駅に到着。部分廃止により、小田急1400形の車体を流用したクハ45形は1両を残して廃車。この時点でも車体の痛みが目立っていました
1997年、昇圧の直前になって普段は日中に走らない旧型車が運用に就いていました。とりわけ、愛知電気鉄道を出自とする重厚な1800系に乗車できたのはラッキーでした。右の1750系(元.名鉄3730系)は、高運転台を低運転台に改造した変わり種で、600V車両で唯一の転換クロスシートでした。こちらは、最後まで乗車の機会が無かった1700系(元.西武モハ200形)、山形交通から琴電に来た860形も元を辿ると同じ形式でしたが、琴電とは随分と印象が違います。
今回は、「○年前の今日」シリーズから、6年前の今日(2019年7月18日)撮影した箱根登山鉄道の103+107編成を撮影に行っていました。この日は103+107編成の定期運行終了日でした。自分は行けませんでしたが、翌日7月19日にラストラン、7月20日にサヨナライベントが実施され、2両は引退、103は日本工業大学で、107は鈴廣蒲鉾本店で、それぞれ静態保存されています。なお、箱根登山鉄道は2024年4月に社名を小田急箱根に変更しておりますが、記事は当時の名称で記載させて
当時の志度・長尾線はオール釣り掛け車両の「旧型電車パラダイス」・・もちろん全車非冷房で、夏の日に窓から入る風が心地良かったです。志度線の沿線は開けた場所が少無なく、レトロな木造駅舎が背景となる琴電屋島駅は、好みの撮影スポットでした。この頃、全国のローカル私鉄のワンマン化が進む中、琴電全線が車掌乗務でした。当時、駅員・乗務員の横柄な態度への風当たりが強い時期でしたが、2001年の経営再建を機に、職員の接客が飛躍的に向上した印象を得ました。
(Wikipediaの写真を使用)このコーナーでは今まで乗車・撮影した列車・車両・塗色の中で、今では見られないモノを紹介いたします。第103回目は、名古屋鉄道(名鉄)の本線系や瀬戸線で活躍していたHL車の車体更新車の決定版とも言え、問題児でもあった3780系電車です。1966年、後期の半鋼製車両で、低出力旧型HL車の車体更新と、支線区のサービスアップを目的に、2両編成10本、合計20両が製造されました。前回紹介した3700系や3730系・3770系と同じく1M1T編
普段、5700系が走る時は日光線の奥地まで遠征するのですが、この日は天気が悪く近場で撮ることにしました。当時、姫宮駅を過ぎると宅地が消え一面の水田地帯で、一度は訪れたいと思っていました。この撮影から35年が経ちましたが、姫宮周辺で撮ったのはこの日だけ・・今でも、たまに車窓から沿線を眺めると、僅かに水田が残された場所でカメラを向ける人々を見かけます。
こちらのブログにお立ち寄りくださり、ありがとうございます。以前乗車したとさでんの路面電車の光景より。皆さんこの駅名って読めるでしょうか。なかなかの難読駅だと思うのですが。ちなみに正解はこちら⬇️読めたでしょうか。
みなさんこんばんは。発売中の「鉄道ファン」(交友社)2025年3月号にて、連載記事が掲載されています!「シリーズ知見乗写今もっとも輝いているベテラン車両たち」15回目の連載内容は、江ノ電1000形です。掲載ページは、P74~79です。江ノ島電鉄の1000形は,1979(昭和54)年に登場し、2024(令和6)年に誕生45周年を迎えた江ノ電の看板とも言えるベテラン車両です。初期の編成は現在では珍しくなったつり掛け駆動方式でありながら、全編成が主力として活躍しています!主な内容は、10
モ161形の正月臨時輸送を撮影中にモ351形も撮ることが出来ました。撮影出来たのは351号車・353号車・354号車の3両です。吊り掛けモーターの駆動音が良いですね。モ351形といえば撮影地付近での脱線事故で352号車が廃車となりましたが、他の4両は現存しています。モ161形と共に吊り掛けモーター駆動の貴重な存在ですね。モ351形を住吉電停付近で撮影した動画です。(2025年1月3日撮影)にほんブログ村
皆さんこんばんは。YouTube動画をアップしました!【江ノ電1000形】特集です!R03「おすすめの鉄道路線や車両を紹介【江ノ電1000形】特集」江ノ電の主力車両1000形特集、動画更新しました!1000形誕生45周年祝い!そして、今後の江ノ電1000形の動向について等・・・私の考えなどをお話しさせて頂きました。ぜひご覧下さい。https://youtu.be/KFREULrrVQM#江ノ電#江ノ島電鉄#1000形#江ノ電1000形#鎌倉#藤沢#江ノ島
(Wikipediaの写真を使用)このコーナーでは今まで乗車・撮影した列車・車両・塗色の中で、今では見られないモノを紹介いたします。第101回目は、名古屋鉄道(名鉄)の本線系や瀬戸線で活躍していたHL車の車体更新車・2代目3700系電車です。1957年、木造車体の低出力旧型HL車の車体更新を目的に、2両編成20本プラス1両、合計41両が製造されました。はじめの2編成は低出力をカバーするため全電動車編成でしたが、経費削減などを理由に残りの編成は1M1T編成になり、低
広島電鉄といえば動く路面電車博物館と呼ばれ、他都市で活躍した歴代車両を走らせているのだけど、市内線にこそ旧型「吊りかけモーター車」は残っていても、郊外路線となる宮島線はほぼ「現代の車両」に独占されている。そんな中、昭和36年から登場した2500型を改造した、3両連接の3100型が宮島線唯一の吊りかけモーター車として残っている(2024年の今もまだ残っているよね!情報に疎くて)。ただし古い車両ゆえ主力ではなくなり、予備車として極たまに動くレベル。広島に最後に
二週間先まで晴れマークがない!すごいですね、さすがは北陸の冬だ。これでは当分バイクを出す気にもなれない。北陸の冬って雪だけがネックなのではなくて、この「雨」「アラレ」「雪」「風」「雷」のうち何かしらがあるからバイクに乗りにくくなるのだね。東京や広島に住んでいる頃には想像がつかなかった事実。こんな日は電車の話題でも書こう。このブログを書きはじめて三ヶ月。タイトルにある吊りかけモーターとは旧型電車の象徴で、ほんとうは並行して電車ネタも書きたいと思っている。
日立電鉄は、車両区のある久慈浜駅が手狭ゆえ、終端の常北太田駅と鮎川駅に多くの車両が留置していました。常北太田駅は水郡線の常陸太田駅の真向かいにあり、3線のホームに留置線のある比較的規模の大きな駅でした。当時は営団2000形に統一される前で、雑多な旧型車が集まる路線でしたが、Hゴム化された前面は趣味的には残念でした。まあ、今となれば個性的な顔なのですが。
リバイバルカラー200形(旧.三重交通)との相性は悪く、2回続きで走行の撮影が叶わず・・それでも北大社車両区に留置中の車両を公道から撮れたので、まぁ良しとしました。(2019.9.2北勢線北大社車両区)帰路、西桑名まで乗った270系に非冷房車が編成に組まれていました。炎天下で、吊り掛け駆動の非冷房車の窓から風を浴びたのは、むしろ楽しかったです。4ヶ月後「青春18きっぷ」で再訪問、冬晴れを快走する200形をようやく撮ることができました。(2020.1.9北勢線穴太〜東員)
江ノ電に乗るのは昨年の9月以来となる。この一年で鎌倉高校前駅近くの『スラムダンク坂』の聖地化がさらに進み大騒ぎになっていることは良く知られるところ。宿に向かう途中騎乗から見た人の群れ・スマホを構える人の多さには閉口した。だからちょっと不安もありながら和田塚駅へと歩いて行ったのだが、貴重な旅先での時間なのだから、私は私で集中して江ノ電に乗るとしよう。江ノ電に乗る際には必ず吊りかけモーターの1000型を待つ。そう「ウオーン」と低く唸るあの旧型モーターの車両。もの
横浜にあるモトグッチ専門店モトラボロそのショップ主催のツーリングは10月の連休での一泊。初日の集合地から参加をするため、前日のうちに神奈川県入りをすることにした。単独行動できる時間があり、その場所が神奈川となれば、ここは迷いなく「江ノ電」を楽しむことに考えがいく。はいそうなのですよ、私は電車好き。このブログのタイトルにも吊りかけモーターの単語が入っています前泊地は江ノ電の和田塚駅から歩いて3分のゲストハウスに決定。さて当日。金沢からすぐ高速を使うな
早朝の南栗橋発東武宇都宮行に5050系が充当され、高速区間での釣り掛けサウンドが堪能できました。(2006.7.9東武宇都宮線安塚駅付近)南栗橋から5050系に乗り安塚で下車、次の西川田までの直線区間は、北関東らしい平坦な田園風景の連続・・(2006.7.9東武宇都宮線安塚〜西川田)この頃になると、(2007年までのごく短期間でしたが)6050系が走り始めていました。朝の宇都宮線は運転頻度が高く「早起きは三文の徳」とばかりに1時間ほどの滞在で充分に満足!
20年前、東武野田線に吊り掛け駆動の5070系が走っていました。見かけは8000系と同じ新製車体、走るとツリカケ音が轟く、いかにも東武らしい更新車でした。(2004.4東武野田線江戸川台駅)先日、20年ぶりに江戸川台駅に来ました。ホームから柏方に広がる樹々は健在で、沿線に20年の変化は感じられません。(2024.9.16東武野田線江戸川台駅)江戸川台駅から春日部よりに、線路の両サイドに植樹が並ぶ撮影ポイントがあり、此処でも5070系を撮っています。(2004.4東武野田
毎月18日は「谷汲山の命日」にあたり、日中の谷汲線はモ510形が増発の運用に就きました。前夜、横浜駅から「ムーンライトながら」に乗車、岐阜駅前から岐阜市内線に乗り継ぎ谷汲線へ。長瀬駅で下車、赤石駅との中間地点にある菅瀬川橋梁に着き、対岸を走る樽見鉄道の汽笛とジョイント音を聴きつつモ510形を待ちました。普段は単行のモ750形のワンマン運転が、多客時はモ700形とク2320形の2両編成で対応。この頃は廃止の兆候も無く同業者も見かけず、ノンビリした沿線でした。
2011年7月、「とうてつ電車祭り」のイベントで数年ぶりに旧型電車が走りました。まずは、七百駅で旧型電車の出庫を待つことに。(2011.7.16十和田観光電鉄七百駅構内)旧型電車の出庫前、凸型電機が2両のトラを牽引して構内をデモ走行。木造貨車を見るのは久しぶりでした。今回の主役、モハ3401(自社発注車)とモハ3603(元.東急デハ3655)が入換中。この編成を見るのは初めてです。三沢駅に向けて出発前の数分間はプチ撮影会でした。このあと三沢駅まで乗車するのですが、どちらの車両を選
2018年11月18日、筑豊電鉄線楠橋~筑豊香月間にて。3000形3007号。筑豊電鉄が昨日3日付で、九州運輸局へ運賃上限額の変更申請(今後の運賃引き上げを前提としたもの)を行ったが、そのプレスリリースのなかで、現在運用中の3000形車両を置き換えるため、2026年度から低床型の新型車両を導入することを明らかにした。筑豊電鉄3000形は、かつての西鉄北九州線で走っていた路面電車1000形(→筑豊電鉄移籍後は2100形)の下回りなどの機器を流用し、車体を新製したもの。1988年~89
2006年1月、まだ「三が日」だというのに東武桐生線へ出掛けました。北千住駅から特急「りょうもう」に乗り、新桐生駅で降りて吊り掛け駆動の5050系を撮影した後、赤城駅へ移動しました。(2006.1.3東武桐生線新桐生駅付近)せっかく赤城まで来たのに、並走する上毛電鉄の電車には目もくれず、5050系だけを撮っています。この訪問から2ヶ月後、群馬ローカル線区がワンマン化され同線から5050系が消えました。(2006.1.3東武桐生線赤城駅付近)過日、東武博物館で企画展「東武鉄道
1978年、久しぶりに本線を快走する230形。先頭のデハ276は琴電に譲渡され、晩年は長尾線を走っていました。下り線にチラッと見える都営5200形は1976年製造で当時は最新鋭でした。現在、JR川崎駅方面を仰ぐと高層ビルが建ち並び、背景が随分と変わりましたね。(2024.4.27京浜急行線六郷土手駅)架線柱の構造、ホーム上屋の配置など46年前と変わっていません。(2024.4.27京浜急行線六郷土手駅)「六郷土手」という場末感漂う駅名が良いですね〜同じく、東京駅丸ノ内口で
東武の古豪5700系が消えたのが1992年、その翌年に5700系を店舗にしたパスタ店が開業し、さっそく訪問しました。今回、1日分残った「青春18きっぷ」の消化を兼ねて31年ぶりに訪問しました。先頭車両は最近になって再塗装されたようで、新たに白帯が施されています。(2024.4.10行田市マスタードシード)シックな雰囲気の店内にモダンジャスが流れ、むしろコテコテの鉄道ムードでないのが落ち着きます。注文したランチパスタは、スープ、サラダ、飲み物が付いて860円と至って良心的。今まで
1990年は大学を卒業して5年目、まだ大学のサークルでの同期との交流が盛んで、私が「バーベキューついでに東武のゴーナナに乗らないか」と声を掛けたところ、5〜6人が集まりました。バーベキュー会場に選んだのが、下小代駅の手前にある河川敷でした。ここだとバーベキューをしながら、57型の下り臨時快速が撮れるためです。臨時快速の通過時刻が迫る中、一行はバーベキューに興じており、私だけが築堤を駆け登り「たびじ」のヘッドマークを付けた57型をカメラに収めました。
2003年3月、業平橋駅地上ホームの廃止に合わせて、「5050系最後の釣掛けフルノッチツアー」のイベント走行がありました。業平橋駅への送り込みは、新栃木検修区から延々と回送でやって来るのですが、この回送列車を堀切駅ホームで待ちました。(2003.3.15東武伊勢崎線堀切駅)堀切駅には同業者ゼロ!ホームにも乗客ゼロ!堀切駅ホームの緩やかなカーブは、目論み通り4両編成が上手く収まりました。赤字の方向幕がいいなぁ。(2003.3.15東武伊勢崎線堀切駅)私の知る限りでは(軌道線