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吉野弘(1926-2014)「元日の夕日に」(1992年、66歳):元日の夕日に、呼び名を贈った者が、もしいたら、何と名付けたか、詩人は知りたい!元日の夕日に吉野弘一九九一年十二月三十一日の夕日が一九九二年一月一日の朝日になって東の空に昇ったときその朝日を私たちは「初日」と呼びました――しかし今、目の前で赤々と西の山に入りかける元日の夕日を、どう呼んだらいいか私はわからずにいます元日の朝日には「初日」の名があるのに同じ日の夕日には親しい呼
今年、2026年は吉野弘の生誕100周年にあたります。今年は私にとっても一つの節目になる年かもしれません。今年の6月末には、青土社より「父、吉野弘」を出版します。これは昨年7月ごろから執筆に取り組んできました。吉野弘の一生を、娘の視点から書いたものですが、父がなぜ「奈々子に」「夕焼け」「生命は」「祝婚歌」のような詩を書いたかに繋がる、父の人生を辿っています。過去にも何度か書きましたが、父は20代半ばまで何度も「生と死」に直面してきました。その経験もその後の詩作に大きな影響を与えていま
〈きのうの詩〉の〈きのう)は、詩をを読み始めた10歳のころから70年ほどの今日までの中の「ある詩」を読んだ「ある日ある時」のことである。これまで読んだ詩集を読み返して、まだ感動が続いているようなら抜き出しておこうと考えた。これも、私の終活のひとつである。夕焼け吉野弘いつものことだが電車は満員だった。そしていつものことだが若者と娘が腰をおろしとしよりが立っていた。うつむいていた娘が立ってとしよりに席をゆずった。そそくさとと
🌙詩と思想ー吉野弘IwasbornをめぐってIwasborn:吉野弘Iwasborn:吉野弘www.matatabi.netIwasborn吉野弘確か英語を習い始めて間もない頃だ。或る夏の宵。父と一緒に寺の境内を歩いてゆくと青い夕靄の奥から浮き出るように白い女がこちらへやってくる。物憂げにゆっくりと。女は身重らしかった。父に気兼ねをしながらも僕は女の腹から眼を離さなかった。頭を下にした胎児の柔軟なうごめきを
私が詩集を借りる日が来るとは...。なんとなく詩には苦手意識があり、率先して読むことがなかったのだけれど、田村セツコさんの本に出てきた、吉野弘さんに興味が湧いて借りてみました。今回読んだ詩集は、身近な日常の出来事や風景が詠まれていて、親近感がありとても読みやすかったです。詩ってよくわからないと思い込んでいたけれど、読まず嫌いだっただけね。時には詩集を借りて読み耽るのもいいかも吉野弘詩集著者吉野弘発行者角川春樹発行所株式会社角川春樹事務所装丁鈴木久美装画
生命は自分自身だけでは完結できないように作られているらしい・・・・しかし互いに欠如を満たすなどとは知りもせず知らされもせずばらまかれている者同士2008年7月12日朝日新聞天声人語吉野弘さんの詩よりの引用一緒にいても一緒にいる実感が持てず離れていてもその距離が問題にならないこともあるように人との距離は自分の中のこころが作り出したフィクションに思えてくる。喜べても苦しくても、自作自演、マッチポンプに近い。気持ちを生むのは自分の中から。そこ以外に出てくる口はない。地球生命体の因果関
「詩」というものの良し悪しなんて私には全くわからない。好き嫌いなら多少はあるが。だから一人の詩ばかり読んでいると苦しくなる。そんな時はこんなのを読むのもいいね。「教科書で出会った名詩100」名詩だからね、自分でいいか悪いかなんて悩まないで済む。どれどれ、吉野弘「Iwasborn」谷川俊太郎「二十億光年の孤独」萩原朔太郎「竹」あったねあったね。土井晩翠「荒城の月」これは音楽の教科書にはあったけれど❓今回の発見💡北原白秋「海雀」海雀海雀銀の点々
昨日2月23日は「富士山の日」でした静岡県富士市では富士山婚式がありました2月23日は語呂合わせで「富士山の日」です。富士市では結婚23年目の夫婦を祝う「富士山婚式」と名付けられたセレモニーが行われました。「富士山婚式」は、富士市がまちおこしの一環で毎年2月23日に行っていて、市役所のホールには県内外から訪れた結婚23年目の夫婦、14組が集まりました。セレモニーでは富士市の金指祐樹市長が、「お二人の未来がいただきに向かって末永く幸せでありますようお祈りします」などと書かれた特別証明書
〈詩歌拾遺〉わが冬の丘噴水は疾風にたふれ噴きゐたり凛々(りり)たりきらめける冬の浪費よ葛原妙子『現代短歌全集第十四巻』(筑摩書房、1981年)p.44。ひとは獄にわれはぬくとき如月の冬のきららの陽だまりの中道浦母都子『道浦母都子全歌集』(河出書房新社、2005年)p.425。太郞を眠らせ、太郞の屋根に雪ふりつむ。次郞を眠らせ、次郞の屋根に雪ふりつむ。三好達治「雪」『定本三好達治全詩集』(筑摩書房、
オルフェです。2026年から毎週、水曜日の夜8時から、8時20分まで、「安眠のためのラフターヨガ」を始めています。「安眠のためのラフターヨガ」は、静かな、精神を落ち着かせるラフターヨガです。開催のプログラムは毎回こんな感じ・・・1、ただ意味もなく3分間笑う2、3行ポジティブ日記3、詩の朗読4、瞑想マインドフルネス今月の詩の朗読は、吉野弘さんの「祝婚歌」です。ご存知の方もいらっしゃるでしょうか?結婚式のスピーチでよく引用されますが、結婚生活とは関係なく、人間関係の基
もうすぐ中学を卒業する生徒さんと受身形の復習をしているとき、ふと浮かんだのが吉野弘さんの散文詩「Iwasborn」でした。be動詞+動詞の過去分詞で受身形。「〜される」「〜された」ですね。私が中学で教えていた頃は、中2の終わりか中3の最初に出てきた文法です。Iwasborn-Wikipedia“born”はbear(産む)の過去分詞。直訳すると少し不自然ですが、「Iwasborn」は「私は生まれさせられた」という受身
昨日この記事を書きながら、『会話レス夫婦とAI』うちの夫は数年前から仕事が忙しくて、出張も多く平日はほぼ不在。元々寡黙な男だったのが、忙しくて口もききたくないくらいしんどいんでしょうね、ますます口数が減り、…ameblo.jp大好きな詩を思い出した。吉野弘さんの祝婚歌。祝婚歌吉野弘二人が睦まじくいるためには愚かでいるほうがいい立派すぎないほうがいい立派すぎることは長持ちしないことだと気付いているほうが
こんにちは!!!昨日は本当に疲れましたが、今朝は回復!やはり睡眠とか休息は必要ですね!「疲れた時は休むのが一番です!」って今朝悪魔先生に言われたけど、本当です!だけど、私のこの病気は肝臓が悪いせいもありますが・・・同じ病気の人は倦怠感があり、いつも疲労感がある人が多いのです!この専門の薬を飲んでも私は正常数値から程遠く、肝臓の数値はどれも悪いものばかりなのですが、それでもこうやって動けることに感謝しかありません!動けけてまた筋トレができる!動けてまたヨガに行
こんにちはまさに、「乾麺みたいにまっすぐな」日差し自然のなす技
1/10の稽古報告を担当します。寺島です。1/10は今年初の稽古となりました。稽古の内容は声出し準備運動から始まり初見の課題を行いました。今回の課題はRimでは珍しい課題となっていました。駆け込み訴えという作品を使った課題で怒りの表現をするというものでした。今回の稽古では、見学者の方もいらっしゃたので全員初見の課題となりました。各々50分程度で内容を読み込んで一度発表するという流れでした。やはり人によって、同じ課題なのに全然違う表現となっていてとても面白かったです。短い時間で
『吉野弘のこころを詠む朗読コンクール』本選出場のため、富士市へ……秋の家族旅行では静岡県側の富士山は見れませんでしたが、今日は綺麗にお顔を見せてくれました〜『毎年恒例、親孝行家族旅行一日目ー山梨編ー』毎年恒例、親孝行家族旅行山梨編毎年恒例の親孝行旅行今年は「休暇村富士」に泊まりたいという希望があったので、それに合わせて予定を組みました9/29(月)〜1…ameblo.jp『毎年恒例、親孝行家族旅行二日目ー静岡編1ー』毎年恒例、親孝行家族旅行静岡編1毎年恒例の親孝行旅行
日本の詩人、吉野弘の魅力と、心に響く人生の格言こんにちは!皆さんは、日常生活の中でふとした瞬間に心に響く言葉に出会うことはありませんか?今日は、戦後日本を代表する偉大な詩人の一人、吉野弘(よしのひろし)先生の魅力と、人生の道標となる格言をご紹介します。吉野弘とは?「生活の詩人」と呼ばれた人吉野弘先生は、1926年(大正15年)に生まれ、2014年(平成26年)まで活躍された日本の詩人です。彼は、華々しい出来事よりも、日常のささやかな出来事や感情をテーマにした詩を多く残しました。代表作
たぶん、雑誌「致知」のどなたかの寄稿文の中で見つけたと記憶している。詩人吉野弘の詩すでに12年前に亡くなられた故人であるが、少し前から、その詩にハマっている。本を読んでいると、その中に別の作家の本が紹介されていることがよくある。気になると読んでみたくなり、スマホで図書館を検索して、所蔵されていれば、すぐに予約する。すると、借りたその本の中にも別な作家の本の紹介があり、また図書館で予約して、、、、こんな連鎖がよく起こる。そこから、その作家の世界観のようなものに触れることが出来て、縁
https://www.instagram.com/reel/DTEsEiJiWyV/?igsh=Nm9meTdheGc5dmJl守屋陽子onInstagram:"🔖初読み2026年読み初めは吉野弘「祝婚歌」今年もよろしくお願いいたします📖#2026読み初め#吉野弘#祝婚歌#ゆめみるひとプロジェクト"1likes,0comments-yumehito.yokoonJanuary3,2026:"🔖初読み2026年読み初めは吉野弘「祝婚歌」今年もよろしくお願いいた
今年も残すところあと1日。一年を振り返ると、今年も朗読三昧の楽しい一年でした…実は、2025年の目標というのがありまして…昨年の11/23に、ありがたいことに『こえのしらべ朗読コンテスト』本選に出場させて頂いたのですが、人前での朗読の機会がほとんど皆無ということで、緊張しまくり、見事に本番で同じ文章を繰り返して読むという失敗をやらかしました・・・・緊張で唇がからからに…(笑)とにかく、滅茶苦茶落ち込みまして、これは人前で朗読する
〈きのうの詩〉の〈きのう)は、詩をを読み始めた10歳のころから70年ほどの今日までの中の「ある詩」を読んだ「ある日ある時」のことである。これまで読んだ詩集を読み返して、まだ感動が続いているようなら抜き出しておこうと考えた。終活である。Iwasborn吉野弘確か英語を習い始めて間もない頃だ。或る夏の宵。父と一緒に寺の境内を歩いてゆくと青い夕靄の奥から浮き出るように白い女がこちらへやってくる。物愛げにゆ
お前にあげたいものは。香りのよい健康とかちとるにむづかしくはぐくむにむづかしい自分を愛する心だ。~吉野弘「奈々子に」より~
2人が睦まじくいるためには愚かでいる方がいい立派すぎないほうがいいの、始まりが大好きで、ラジオの朗読を聴いてから詩集買ってしまったそして同時に、私は結婚に恵まれたとも思った。その時思ったのが、疲れた時ほどアホになろうでもそれもまた、難しい🤨😓
久々に訪れたマイフィールドです♪11月ももう今日で終わり明日から12月が始まりますまた空気がガラッと変わりますね皇帝ダリアが咲いていました花に突進するホシホウジャクハチに追い払われながらも何度も花の蜜を吸いに来ていましたまだ頑張っているんだなぁと姿をみると嬉しくなりました(⁎˃ᴗ˂⁎)これからは冬に向かい、昆虫たちの姿も見られなくなるのかと思うと少し寂しいですが…今を生きること生きることは日々大変だけどあしたのことなんてわからないからただ今という日を生きるだけ
職場のバスの先生と老化現象について話すことが一番気楽な今日この頃。夫婦の話しになりました。「最初は、良いところしか見えないですよね…」「どうして、時間が経つと悪いところしか見えなくなるのか…」「良いところがなくなる?のか…」「こんなはずじゃなかなったけど…」「噛めば噛むほど味が出る…スルメのようには…なかなかなれないもんですね。。。」「笑笑!」どっちがどっちのセリフかは、読者の方のご想像にお任せしますが。まー、ふざけて見える私にも、生き
吉野弘さんの詩「夕焼け」のなかの、やさしい心の持ち主は他人のつらさを自分のつらさのように感じるからということばを思い出すときがあります。日々の忙しさのなかで心がざらりとしがちなときに…数秘2の今日はそんな繊細な心のはたらきに意識を向けてみましょう。よい一日になりますように。2思いやりやまごころを大切にLINE公式アカウントでは数秘にまつわるお役立ち情報を発信しています。下記バナーよりご登録くださいまたは@131ufbzmで検索
Amazonプライムで映画を見ましたタイトルは2022年公開の小雪さん主演の「桜色の花が咲く」です実話です昔ほど映画は見なくなったので久しぶりです子供の心の葛藤も母親の心の動きも家族それぞれの思いも胸に応えました最後に流れた言葉、とても心に響きました【生命は|吉野弘】生命は自分自身だけでは完結できないようにつくられているらしい花もめしべとおしべが揃っているだけでは不充分で虫や風が訪れてめしべとおしべを仲立ちする生命はその中に欠如を抱きそれを他者か
小学校からの友人出演の朗読会のご案内です吉野弘の詩を奏でる2025年11月15日(土)14:00〜15:20本庄レンガ倉庫朗読の会「奏」+宮澤達也後援:本庄市入場料:1500円吉野弘さんと言うと「祝婚歌」や「菜々子へ」が有名ですが私は合唱団で歌った「心の四季」が1番馴染み深いです恩師田島英子先生主宰の混声合唱団で数回女声合唱でも歌った記憶があります心の四季の中の「雪の日に」がとても心に残っていて好きな歌です私の仲良しさんが吉野弘のお嬢さんの菜々
こんにちは施術+カウンセリング+セルフケアで痛み・不調を改善中野区沼袋の女性専門整体院院長の川原です。ある日の夕方、長男が居間にどたどた入ってきて、「ママ、空がすごいよ!」とカーテンを開けてくれました。見ると・・・夕焼け空の雲がすごいことに!!!「うわ~!!!」と、次男も一緒に歓声を上げていました。だんだん暮れていく様子も美しく、しばらく空に見とれていました。ベランダから下を見ると、通りを歩く人はこの空に気づいている様子もありません
まずは私自身の七五三ストーリー。私の2度目の七五三は、3歳差の妹が3歳の時にまとめられたので、7歳ではなく6歳の時だった。私の着物は祖母が買っていたのか、あらかじめ準備されていたので、貸衣裳屋に行ったときは妹の分しか選ばなかった。そのお店には着物だけでなく、かわいいドレスもいくつかあって、私は着物よりそっちが良いと言ったが、当然聞き入れられることはなく、私は赤、妹は緑と黄で、3人並ぶと信号カラーの着物になった。記念写真を撮る時に、妹がふざけて写真屋さんを大いに困らせたのが