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両国界隈を、ブラブラしております。なんとっ!この近くで生まれ育たれました、芥川龍之介の文学碑です。駅前で案内を見ましたから、知ってて来ましたけど。何でビックリしたフリするねん、くそポンコツドアホっね、念のためです。そして、こちら!赤穂浪士の討ち入りがあった、吉良上野介邸なのであります。もちろん、当時は、広大な敷地でしたから、保存されているのはごく一部となりますけど。映画やドラマ、小説でも、常に悪役ですから。何となく、地元の名士的な扱いは受けにくいんでしょうけど。ひっそりとし
「吉良邸の中心で忠臣が勝鬨を上げる」
歌舞伎座十二月大歌舞伎第二部俵星玄蕃赤穂浪士のサイドストーリーです槍の名手俵星玄蕃と夜鳴きそば屋に身をやつし仇討ちの機会を狙う赤穂義士杉野十平次2人の心の交流を描いた物語です玄蕃は十平次と酒を酌み交わすうちに赤穂義士の討入りが噂される吉良家から、仕官の誘いを受けたことを明かします槍の使い手で名を馳せている玄蕃が吉良側に回れば味方にとって非常に不利になるのは火を見るより明らか十平次はその焦る気持ちを必死で隠し同志にこの話しを伝えるべく理由を付けてそそくさと玄蕃邸
近年は、余り年末の今の時期に赤穂浪士が、話題になったりテレビ等で放映も少なくなった気がしますが、気のせいでしょうか⁉️京都の山科や、茨城県の笠間あたりでは、義士祭や行列などなんらかの祭があったのではないでしょうか今冬は今のところ暖冬で、江戸に雪が降り積もっていた日の出来事は、イメージしにくいですね~🌁⛄🌁以前、泉岳寺に行った時の画像をまとめてみました。首洗いの井戸もありました。両国から、此処まで………
今日は赤穂浪士討ち入りの日です。今日は、高輪の泉岳寺では盛大に義士祭が行われるようです。しかし、討ち入られた吉良邸でも同じように義士祭が行われるのですよ。目指すは本所松坂町という台詞の通り、本所松坂町にあります。今は公園になっていますが、今日は午前中から沢山の参拝の方がいらっしゃるのですよ。忠臣蔵と言われたこの物語では吉良上野介は悪者になっていますが、吉良家の納めていた領地ではとても良いお殿様だったそうです。最近は、実際はどうだったのかという検証もなされているようですね
今朝、デイサービスに送り出す前に母の身支度を整えながらおしゃべりをしていた時月日の感覚の無くなってしまった母にカレンダーを見せながら「今日は12月14日ね」と伝えるといつものようにぼんやり頷くだけかと思いきや「ウチイリ」とボソッと母が言うのです私「えっ?」と一瞬考えて私「討ち入り?」と聞き返すと母「そう」と私「吉良邸に?」母、頷く私「大石内蔵助が」母、大きく頷く今日12月14日は「忠臣蔵」の討ち入りの日だったのです寒さ厳しく雪深い世界が目に浮かびこの暖かさで
師走の風物詩といえば「忠臣蔵」で、今日12月14日はクライマックスの赤穂浪士が吉良邸に討ち入った日だよな!プログでもアップしたように今秋「大人の遠足」で大石神社に行った行った!大石さんはじめ四十七士は皆、晴れ晴れとした顔をしてたよね。そして、今日は赤穂では「義士祭」が行われ、四十七士が練り歩くぞ!「おのおの方討ち入りでござる!」
こんにちは🎵医学的エビデンスに基づいた丁寧な手足のケアとまつげの知識の豊富なネイル&アイラッシュサロン【LuzReirルスレイール】森島麻衣です😊コロナ禍で中止になっていた元禄一が3年ぶりに復活サロンの斜め前の道路で大変にぎわっていました12月9日と10日の二日間開催されてます実はこのお祭り、私も小さいころから毎年行っておりまして子供のころは母や祖母に文房具やおもちゃを買ってもらって、いとこ達とふかし芋食べて年末はとっても
毎月18日は「白猫てんてんさま」の月命日(=T_T=)この写真は2006年11月の「てんてんさま」3か月目。まだ頭に「てんてんてん」があった頃なんですけど、結構大人びた感じで、すでに凶暴なにゃんこさまでございました(^^ゞちなみに保護した時、全身カビだらけだったので、この3ヶ月間何度も病院に通い、抗菌シャンプーなどしていただいていましたが、この時は尻尾の毛は先っちょだけ残して剃ってました(≡^∇^≡)...ということで、今月も「両国回向院」さんに行って参りました( ̄▽ ̄)b今日
先週の火曜日、久しぶりに駅からハイキングに参加しました♪自分を貧乏人と呼ぶ「貧乏女子」と6月に昭和記念公園⛲️を歩いた以来で4ヶ月ぶりのウォーキング🚶♀️両国〜錦糸町〜本所吾妻橋のコース両国って、国技館と江戸東京博物館くらいしか行った事ないから楽しみ〜♪10時に両国駅で地図をもらって出発〜まずは「旧安田庭園」入場料無料だって♪素敵〜!と叫ぶ貧乏女子😱なんたって、1日2000円以内で遊ぼう!って事だからねwww😂だからいつもウォーキング🚶歩けば1日遊べるもんね🙆
今日は曇り☁️のち晴れ☀️朝は雲が多かったですが今はお日様出てます両国は国技館があるので相撲の聖地ですが最近もう一つのスポットが脚光浴びてますこちらの近代的建物北斎美術館中は殆ど撮影不可美術館の目玉は最近海外で発見された北斎の巻物しかしながら展示物は見応えあるのですが殆どレプリカやっぱり本物が見たいですね美術館の前は公園にこの辺りで北斎さんは生まれたんですね北斎の赤富士がタイル画で再現マンホールも北斎両国は色々見所満載江戸を感じられる街ですね前に来
内蔵助と瑶泉院(浅野内匠頭未亡人)というと、「南部坂雪の別れ」の名シーンを思い出す方が多いのではないでしょうか。討ち入りの前日、内蔵助が南部坂(東京都港区)の屋敷に暮らす瑤泉院を訪ねたものの、屋敷内に吉良方の間者(スパイ)が潜入している可能性を恐れ、「西国の大名に召抱えられた」と偽りを言って別れを告げます。「忠義の心も忘れたか」と怒って席を立つ瑤泉院ですが、やがて、内蔵助が置いていった旅日記が浪士たちの討ち入りのための連判状だと知り、別れの意味を初めて悟った彼女が心の中で内蔵助
山科義士祭りが今年は開催されたという山科へ行くと大石神社前を🚌が通過する降りてお参りしたいと思いながら実現できずにいる最近は余り、この時期に話題にならなくなった気がするのは私だけか⁉️赤穂浪士討ち入り大騒ぎするものではないのだろうが、歴史の1頁沢山画像はあるが、一部をアップまた、ゆっくり両国から歩いてみたい
※2012年訪問※(記事内容は10年前に訪問した際の画像・情報となります)吉良邸跡の案内板そしてその奥には井戸が残されていました「みしるし洗いの井戸」と呼ばれるこの井戸は、名前の通り、吉良上野介の首を洗った井戸と伝わっていますそして、みしるし洗いの井戸の隣には、この屋敷の主人である、「吉良上野介義央」の座像が安置されていますこの座像は愛知県吉良町に有る華蔵寺に現存する、「吉良上野介木像」をモデルにしています木像の制作に際には、上野介が自ら彩色したと言われています当初、吉
本日は、T5編成によるのぞみ検測2走が下っています。本日は、いつもの愛知県刈谷市の境川からです。(笑)本日は、「討ち入りの日」です。赤穂浪士の吉良邸討ち入りから320年かと思います。他人からの恨みを感じている人は、今夜は特に気をつけてください。(笑)8月から仕事を行ってきたT5編成ですが、明日、大井に戻ると冬休みに入るかと思います。4か月半もの長い間お疲れさま。ゆっくり休んで、よい正月を迎えるんだよ。では、また。
12月14日。宮崎の銀鏡神楽も気になるのだけど、まずは、本所松坂町の吉良邸へ。隅田川。。。吉良まんじゅうは買わなかったの😅由緒書き吉良上野介良央さま松坂稲荷大明神が敷地内に祀られ、多くの方が参拝されていた。吉良邸を護った小林平八郎さん。葛飾北斎の曽祖父でいらっしゃるとのことで、この絵。して、泉岳寺へ。年に一度のかきいれどき。門前。本殿。赤穂浪士47義士墓所入口は、入場制限。ならんでるねえ。外国人観光客も大勢いました。高島嘉右衛門さんと奥さんの庫さんのお墓が、47義
※2012年訪問※(記事内容は10年前に訪問した際の画像・情報となります)小口から公園内へ公園に入ってまず視界に入るのが小さなお社このお社は『松坂稲荷大明神』と呼ばれており、徳川家が江戸に入ってから建てられた物で、赤穂浪士の吉良邸討ち入り後に、地所清めの為にこの地に遷宮された物だそうですお社の隣には『追慕吉良上野介義央公』という吉良上野介の領地、愛知県吉良町によって建てられた石碑が【忠臣蔵の敵役】という悪いイメージを持たれがちな吉良上野介ですが、地元三河では善政を敷いた名君として
12月14日前後は忠臣蔵の番組が多いので今年も相変わらずあれやこれやと視聴に忙しく過ごしております(笑)今年は役所広司・佐藤浩市が出演した2010年公開の映画『最後の忠臣蔵』を鑑賞しました。(※画像お借りしました※)ザクッとあらすじ大石内蔵助率いる赤穂浪士が吉良上野介の仇を打ってから16年。生き証人として討ち入りの真実を後世に伝えそして残された浪士の遺族の元を一軒ずつ訪れ援助金を渡せと討ち入り直後に大石内蔵助から任命された寺坂吉右衛門(佐藤浩市)はようやく全国各地に散らばった最後の遺族
日本三大仇討の一つ「赤穂義士吉良邸討入り」。大石内蔵助以下四十七士が主君の仇を討つため吉良邸に討ち入ったのが元禄15年(1703年)12月14日です。今までにこの事件の遺跡を訪ね、自分で写してきた写真をまとめて紹介します。↓事件の発端、江戸時代中期の元禄14年3月14日(1701年)、江戸城中の松之大廊下で赤穂藩主浅野長矩(内匠頭)が高家肝煎吉良義央(上野介)に刃傷におよんだ場所、江戸城松之大廊下跡です。↓事件を知らす江戸からの早駕籠が赤穂城に着く直前、使者がこの井戸で息継ぎをして大石邸へ駆
※2012年訪問※(記事内容は10年前に訪問した際の画像・情報となります)さて、裏門跡からかつての屋敷内部へ進んで行きますすると住宅街の中に突然現れた【海鼠壁】ここが、『本所松坂町公園』、通称『吉良邸跡』です海鼠壁は、身分の高い物にのみ許された特権で、高家筆頭・吉良家の格式を良く表していますね以前訪れた際は平日の早朝だったので、もちろん観光客は誰もおらず、近所の方が朝のジョギング中に、吉良邸跡の神社にお参りするというほのぼのとした光景を見る事が出来ますちなみに、かつての吉良邸は、
※2012年訪問※(記事内容は10年前に訪問した際の画像・情報となります)東側に位置する正門跡から、今度は西側に有った【裏門跡】へ向かいます正門から裏門へ歩いているだけでも当時の吉良邸がいかに広かったかを実感出来ますさて、マンションの壁面に立て札を発見ここが、『吉良邸裏門跡』です討ち入りの際には、大石内蔵助の長男、大石主税率いる24名の浪士が担当した裏門裏門は、正門程頑丈には造られておらず、叩き壊して邸内に侵入したそうです忠臣蔵の舞台や映画などで、大石内蔵助が陣太鼓を叩いているシ
煙突に隠れていたサンタくろーずの介を赤穂浪士が討ち取る映画「吉良邸の中心で忠臣たちが勝鬨をあげる」
※2012年訪問※(記事内容は10年前に訪問した際の画像・情報となります)さて、早速吉良邸跡に向かいましょうJR両国駅を降りて、徒歩5分程の住宅街へ向かいます住宅街の中にあるマンションの玄関に、何やら案内板を発見『吉良邸正門跡』と書かれていました吉良邸への討ち入りに際し、赤穂浪士は2手に分かれ、正門は大石内蔵助らが担当したようです門の横にはしごを掛け、大高源吾と間十次郎が邸内に侵入閂を引き抜き、門を開けた所で、内蔵助以下正門部隊が邸内に侵入しましたこの時に、【浅野内匠頭家来口
※2012年訪問※(記事内容は10年前に訪問した際の画像・情報となります)元禄15年(1703年)12月14日、大石内蔵助率いる赤穂浪士四十七名が吉良邸に討ち入った、【元禄赤穂事件】日本人にとっては《忠臣蔵》として有名なこの事件今回、この討ち入りの舞台となった吉良邸跡を巡りますさてこの元禄赤穂事件、今更説明する程でも無く、多くの皆さんはご存知かとは思いますが、簡単に時系列を追って行きたいと思います事の発端は、元禄14年3月14日、江戸城内で起きた刃傷事件です江戸幕府5代将軍・徳川
東京時代に撮った「下町ぶらり写真」。先日の京島付近に続いて、その(2)として「清澄~両国界隈」です。なお、写真は撮影当時のもので、現在とは変わっていることがあるかもしれません。スタートは名橋「清洲橋」。隅田川の橋の中でも特に格好よいので好きです。ここから降りて「隅田川テラス」もよく散歩したものです。清澄側に渡るとすぐに「清澄公園」があります。隣には「清澄庭園」。松尾芭蕉「古池の句」の碑。由来の説明があります。近くには相撲部屋がたくさんありま
7月26日火曜日〜その11(写真)7巻組カセットテープ『浪曲忠臣蔵列伝五』〜「義士伝吉良邸涙の本懐・泉岳寺輝く墓前」初代春日井梅鶯(H6年ワールドファミリー)の音源はモニター済み。
2022-04-12ブロ友ヒロミさんが、仲良しご主人と吉良邸に討ち入りに…いえ、観光に行かれました討ち入りの様子『討ち入り❗️吉良邸から泉岳寺へ♀️』〈4月10日〉ついにこの日がきました❗️忠臣蔵が大好きなぼくは泉岳寺には何度となく訪れていますしかし吉良上野介さんの吉良邸にはまだ行ったことはな…ameblo.jpヒロミさんのブログ『赤穂浪士の足跡をたどる「WHILL」お散歩』今日のお天気🔆🔅娘は大阪です。キンプリのコンサート🎤🎪今日の夜🌃🌙*゚の分も当選したので終
隅田川の左岸両国界隈を散歩ちなみに川の右岸左岸とは上流から下流を見て左側が左岸右側が右岸ですこの場所では隅田川の東側の両国が左岸です国技館のすぐ北にある旧安田庭園東京スカイツリーがよく見えます右側の塔は横綱公園にある関東大震災と東京大空襲の犠牲者を悼む慰霊塔隅田川の遊歩道に降りて見える総武線の鉄橋奥に見える両国橋まで行ってから遊歩道から上がってすぐ大相撲に縁のある回向院に建つ力塚回向院から東に行くとすぐ
千葉の歴史、名称、旧跡アドバイザー・尼木資之さんのブログリブログご紹介です❄️❄️❄️❄️❄️❄️ブログ訪問いいねコメントフォロー宜しくお願い致します***『尼木資之さんのブログ』記事一覧☆千葉の歴史、名所、旧跡アドバイザー・尼木のブログ千葉歴史アドバイザー・尼木資之さんのブログです。最近の記事は「赤穂浪士討入りから来年で320年となります。(˘ω˘)(画像あり)」です。ameblo.jp❄️❄️
なんでも1911年のきょう、ノルウェーのアムンゼン大先生とぉ…4人の隊員さんたちが、人類で初めて南極点に…到達マンボぉ!ちなみにきょうは…いやーん!もちろん忠臣蔵の日…でちゅー!1702年のきょう…あの赤穂浪士47人が、本所にある吉良邸に…討ち入り仮面!からのぉ、主君の仇討ちを…成し遂げマンボぉ!気温マイナス何度まで体験したことある?▼本日限定!ブログスタンプあなたもスタンプをGETしよう