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2ヶ月ぶりに百人一首の会に参加してきました。吉田山荘も秋景色になってきていました。2022年10月から始めたこの習い事も、今回ついに完結です。97〜100番の解説でした。後鳥羽院は、安徳天皇に対立する形で、三種の神器が揃わない状態で京都で即位された方。そのため、余計に自身の正当性を証明しようと精力的に動いた天皇であったそうです。藤原定家の才能を認め、自らの歌会では判者を勤めさせ、新古今和歌集でも主編者に選んでいます。鎌倉幕府の倒幕を企み、承久の乱を起こし、敗北して隠
3ヶ月振りに、吉田山荘での百人一首の会に参加してきました。93番の源実朝と94番の藤原雅経の和歌についての解説でした。平家が倒れ、鎌倉幕府が始まった時代の人たちです。平家一門がたいそう仲睦まじかったのに対し、源氏は一門で血で血を洗う諍いをしていて、知れば辛い時代です。実朝は源頼朝の次男で、権力争いを嫌い、和歌の世界に自らの世界を求めました。世の中は常にもがもな渚こぐあまの小舟の綱手かなしも穏やかな漁師と渚の風景を詠み、「世の中よ、変わらないでおくれ」と願う。若くし
龍桜音のブログへようこそあなたは天の愛おしい存在です祇園の山玄茶さんでランチをいただいた後吉田山荘へ向かいました行き方を調べていなくて祇園からタクシーで行こうと思っていたのですがよしもと祇園花月前のバス停で(よしもと祇園花月さんは8月中に閉館)シルバーのボランティアさんにお尋ねするとこのバスに乗って行って百万遍のひとつ前のバス停で降りなさいとご教示くださったのでその通り行ってみると一つ前のバス停は京大正門前でした祇園
龍桜音のブログへようこそあなたは天の愛おしい存在です2年前の2023年8月16日、五山の送り火(大文字焼き)を人力車から観ようと新幹線、宿泊、人力車と予約していましたところが台風の影響で新幹線が運休となり東京駅から各方面へ連絡してすべてキャンセルしました昨年(2024年)も人力車のお誘いはいただいたのですが、、前年のように各方面へキャンセルの電話するの面倒だな〜と思い、断りました後でニュースを見て2024年8月16日も東海道新幹線が止まった事を知り
夏の旅3日目の朝も三条木屋町で迎えました。朝の珈琲は三条大橋西詰のスターバックス、川床席は11時からなので地下の席へ、川床の支柱がちょっと邪魔だけど、禊川越に鴨川と三条大橋を眺める絶景ポイントです。三条木屋町のホテルをチェックアウトして、友人とランチする娘とここで別れ、私は下宿時代の町左京区浄土寺に向かいました。下宿の前から見上げると目の前に如意ヶ岳、近所におめん銀閣寺本店や洋館カフェGOSPELがあります。昼食は久しぶりに「おめん」に入りました。銀閣寺近くにおめんが創業したの
朝から雨だったので洗える着物で、吉田山荘での百人一首の会に参加してきました。4月は病院での検査、5月は台湾旅行でお休みしたので、3ヶ月振りです。今回は89番の式子内親王の歌の解説を中心に、その時代背景や藤原定家との関係を説明頂きました。90番の大輔が仕えた殷富門院とは姉妹の関係にあたり、平家の討伐を命じ失敗した以仁王は二人の弟でした。妹弟共に不運だったのに対し、姉は強運の持ち主だったらしく、後鳥羽天皇の准母になり皇后となり、女性として最高位を極めます。妹は病がちで、自らの住
本日もご訪問いただきありがとうございます。つつじの花が美しい吉田山荘のお庭。今日は、月に二回の書のお稽古の日です。この2週間は、壬生忠見(41番)『拾遺集』「恋すてふ(ちょう)わが名はまだき立ちにけり人知れずこそ思ひそめしか」を半紙に練習しました。なかなかうまく書けず悪戦苦闘しましたが・・・・お清書したものを持参して、先生に見ていただきました。本日の吉田山荘の床の間です。今日もたくさんのお仲間がお稽古にいらっしゃいました。お仲間の1人が骨董屋さんで見つけた龍
2月の節分祭に吉田神社へお参りに行きました。最後は、吉田山荘へ、お茶🍵をしました。吉田神社の中にあります。今宮社は、四神の型をした石が、3つあります。朱雀🐦🔥がいないので、たまたま宮司さんが側におられたので尋ねてみると、真ん中のお宮さんの真下に朱雀がおられるそうです。いつも読んで頂きありがとうございます🙇♂️
吉田山荘・真古館アニメーション「京都寺町三条のホームズ」第11話を見ていてこちらの真古館が描かれていましてほんとにあるなら行って見たいといろんな形のテーブルが置かれていますよく晴れていて、窓から比叡山の山頂迄見える席を選びました🩷コーヒーをお願いしましたコウモリ🦇型のビスケットとクッキー付き吉田山荘、大女将の書が添えられていました。土曜・日曜と大女将とお弟子さん方の展覧会をなさるのだと伺いましたコーヒーを飲み終わる頃ご予約の方が見えられましたのでお席を立
吉田山荘で百人一首の会に参加してきました。2月の会はお休みしたので、2ヶ月振りです。今回は84-86番の歌の解説でした。白河天皇と鳥羽天皇、崇徳天皇と近衛天皇と、権力争いやそれに伴う盛衰があった時代を生きた人たちです。従妹に比べてやや不遇をかこった藤原清輔朝臣の歌は、なかなか深いです。ながらへばまたこの頃やしのばれむ憂しと見し世ぞ今は恋しきこの先もっと生きていれば、今の辛いことも懐かしく思い出すのであろうか辛く苦しかった過去の日々が恋しく思い出されるのであるか
吉田山荘で百人一首の会に参加してきました。まだ松の内ですから、おめでとうございます、からスタートです。今回の印象的な歌は、藤原顕輔の作でした。秋風にたなびく雲の絶え間よりもれ出づる月の影のさやけさ鮮やかに静かな秋の夜の情景が浮かぶ、美しい歌です。藤原顕輔は、崇徳院の勅撰和歌集である詞花和歌集の選者として、重用されていました。崇徳院は保元の乱に破れて悲運の末路を辿ります。また雲が切れて光が差し込むように、と崇徳院を月光に重ねて、その復活を願ったとも。定家が
【母娘で着物でおでかけ💖】吉田山荘カフェ真古館へ☕いつもお読みいただき、いいねやメッセージをありがとうございます♥【着物で推し活】歴数年で、いまや〈『着物で推し活』のエキスパート〉として、「着物で推し活」したい方を、全力でサポートさせていただいています♥着付け教室ゆき椿川島幸子(かわしまゆきこ)🌹国家資格1級着付け技能士です。着物で推しグッズを身につけて、ライブやコンサートに行けますよ♥ラクで美しい着物の着付け方はもちろんのこと、推しTシャツでお太鼓の作り方や、着物のままラ
昨日、百人一首の会に参加しました。10月、11月と欠席したので、吉田山荘の季節も、すっかり晩秋の雰囲気に変わっていました。↓香道家の早川先生とのツーショットや、美味しいおやつも楽しみです今回は崇徳院の歌が印象的でした。瀬をはやみ岩にせかるる滝川のわれても末に逢むとぞ思ふ保元の乱に敗れて、讃岐に流される前に詠んだ歌だとすれば、単純な恋の歌ではないと思われます。その出生の秘密から、鳥羽天皇にうとまれたという生い立ち。いつの日か許されて、都に帰りたいと願いながら叶
宮大工棟梁西岡常一の表唐門の前は、紅葉満開です。吉田山荘の、紅葉でした。
あっこれ知っているとかこれ見たことあるそんなものに出会えた時の喜びと驚き假屋崎省吾さんのブログで京都吉田山荘のことを見つけた私の好きなブロガーの「クールにin着物京都」さんのブログにも度々登場する吉田山荘と書道教室あー同じ処のこと書いてあるおもわずウフフ假屋崎省吾さんが書かれていた美味しいティータイムが楽しめる真古館本物ものの美に触れることのできたすばらしいひとときでした吉田山荘ぜひお立ち寄りくださいませうーん行きたいカフェ真古館は
8月の休みを経て2ヶ月ぶりに、吉田山荘での百人一首の会に参加してきました。↓まだ34度超えの夏日ですが、栗の実が育っていました。雑談中、「光る君へ」中の一条天皇の美男子ぶりが話題になりました。定子中宮の悲恋も美しかったですが、これから彰子中宮とも心が通っていくのでしょうね。今回は権中納言定頼と相模の歌の解説でした。相模は清少納言の息子と初婚し、相模守と再婚。一条天皇の皇女に出仕し、定頼ともちょっと良い関係の時もあったとか。定頼は藤原公任(きんとう)の息子で、血筋もよく
38年来の笑顔の師匠福田純子先生のご紹介でご縁が繋がり昭和天皇の義弟君、東伏見宮家の別邸、吉田山の中腹に位置する吉田山荘へ出張アロマ✨🙏✨吉田神社⛩️一ノ鳥居から入らせて頂きました✨🙏✨ご縁が更に繋がり癒しのお時間のお手伝いが出来れば…嬉しい事です。すべては流れにお任せです✨🙏✨帰りに…足を伸ばして銀閣寺や哲学の道を散策して帰りました✨🙏✨#Samadhi
本日もご訪問いただきありがとうございます。今日は、午前中夫の治療のために大学病院受診でした。大学病院の院内の顔認証カードリーダーを使って、マイナンバーカードを保険証として使える手続きができてびっくりしました。お昼は、焼きたてトースト・ローストチキン・タルタルソース・バナナヨーグルトブルーベリージャム添え・アールグレーのミルクティー。昨日のフジテレビのポカポカという番組に華道家の假屋崎省吾さんが出演していらして、森泉さんなどと一緒に、その中で【私の思い出の宿】というコーナーで、なんと吉田
吉田山荘での百人一首の会に参加してきました。今回ご説明頂いたのは、三条院、前大僧正行尊、左京太夫道雅の歌三首でした。三条天皇は一条天皇が崩御したあと即位しますが、藤原道長との関係が悪化し、退位を迫られます。三条院の推しは東宮を辞退し、道長の娘彰子の産んだ皇子が東宮、天皇となっていきます。前大僧正行尊は三条院のひ孫に当たりますが、若くして出家し修行します。長生きして、四代の天皇の側近として仕え、僧侶としては最高位の大僧正となります。左京太夫道雅は、道長との権力争いに敗れ
吉田山荘での百人一首の会に行ってきました。今回は清少納言の歌一首を解説、そして紫式部から見た清少納言像なども説明頂きました。夜をこめて鳥のそら音ははかるともよに逢坂の関はゆるさじこの首は、藤原行成との会話のような一連の歌からの抜粋だそう。函谷関の中国故事を引き合いに出し、粋な言葉遊びをした、中宮定子のサロンの活気が感じられます。紫式部が彰子に使えるのは、定子が亡くなってから。8年以上が過ぎてなお、枕草子は評判高く、語り継がれていたのです。「光る君へ」でも、中宮定
お疲れ様です💕吉田山荘さんのお庭拝見もう萩の花が咲いてました早いっここは別世界です手入れの行き届いたお庭に建物、ほんとに気持ちがいい品のいいしつらえが素晴らしいセンスを感じさせます真古館二階の小窓から母屋の入り口を格式と歴史を感じさせる素晴らしいたたづまい今年の3月に京都二条城の個展にもわざわざいらしてくださった、オーナーファミリーのみなさますべて私の美意識と一致今度はみんなでお食事をしにこよう楽しみがまた増えました〜っ円覚寺・佛日庵個展会期:
さて、3日目の夕方、夕食前に真古館(しんこかん)という喫茶店で過ごそうとあらかじめ予約しておいた、ここは完全予約制、時間は17時から。(入っていいのかな、と思わせる吉田山荘の門構え)この真古館は吉田山荘の敷地内にある。吉田山荘は、東山三十六峰の一つ、吉田山の中腹に位置し、昭和天皇の義理の弟君、東伏見宮家の別邸として昭和7年に建てられた。戦後は料理旅館となり、宿泊や宴席ができる施設になり、さらにお茶をお楽しめるようカフェ真古館を作り、季節ごとのイベントなど、文化的な催しも多数行っている
吉田山荘での月一回の百人一首の会に参加してきました。昨日は青空が広がり最高気温は24度、爽やかな風の通る良い日でした。早く着いたので、吉田山荘の隣の宗忠神社にお詣りしました。↓人のいない静かな境内で、新緑を楽しめました。右上に見えるのは大文字山です本日の百人一首の歌の詠み手は、赤染衛門、小式部内侍、伊勢大輔の女性たちで、一条天皇の后、定子と彰子の時代を生きた人たちです。「光る君へ」は、これから定子の運命が一族と共に傾いていく局面に入ります。やすらはで寝なましもの
望月麻衣/双葉文庫audibleを利用朗読:藤井美波2024年5月6日読了昨日の帰宅途中で聴き終わって、そのまま家飲み突入したんで、スクショしようと気付いた時にはまた頭に戻ってしまってたwちゃんと聴いたんですよ、写真は序章ってなってますけどwあとがきで話が出て来た天使の図書館だったっけ?と、吉田山荘。京都に実際にあるお店等が登場しているので、聖地巡礼とかも多そうですね。今回京都を初めて巡る葵の友達の為にとホームズさんが葵を連れて清水寺等訪れるけれど、その中の八坂の塔の件、塔があるなん
一昨日、吉田山荘での百人一首の会に参加してきました。この日は、紫式部と大弐三位の歌でした。大弐三位は、紫式部の娘賢子だったのですね。めぐりあひて見しやそれともわかぬ間に雲がくれにし夜半の月かな紫式部の歌なのにそうパッとしないなと思っていました。定家がこの歌を選んだのは、光源氏が没する帖「雲隠」という言葉を含んだからではないかと言われているそうです。紫式部が低い位階で終わったのに対し、娘は後冷泉天皇の乳母を勤め、従三位まで出世したそう。(四位以上が公卿)夫の
『衣装は松尾陽子さんに作っていただきました。紫式部の着物の柄で、吉田山荘の雰囲気にぴったりでした。』熊谷真実さんにタグ付けしてご投稿頂き感謝です。5年前の吉田山荘での劇にオーダー頂いた紫式部の色留袖でご出演頂きました。#色留袖ドレス#熊谷真実さん#吉田山荘#着物リメイク小袖
みなさま、こんにちは名建築を訪ねる事が大好きです京都、吉田山にある元東伏見宮家別邸料理旅館吉田山荘へ(((o(*゚▽゚*)o)))宮大工棟梁で文化功労者、西岡常一氏による表唐門総桧造り玄関左手の丸いステンドグラス、直弧文鏡(ちょっこもんきょう)は新山古墳(奈良県広陵町大塚)から出土された銅鏡の背面文様が原形となっています和と洋が見事に融合した建築様式
一昨日、吉田山荘での百人一首の会に参加してきました。2月とは思えない陽気で、着物でのお出かけが楽しかったです。この日の印象に残った一首忘れじの行末までは難ければ今日を限りの命ともがな人生山あり谷ありですが、望み得るなら、若い時に苦労しても、晩年は満ち足りたものにしたいもの。この詠み手の高階貴子は、出自は中流で、仕事を頑張り、女官長までキャリアを昇ったそうです。藤原道隆と結婚し、夫は摂政・関白まで出世し、二人の間の娘定子は一条天皇の后となり、皇子ももうけています。
1月の百人一首の会に出席しました。12月はお休みしたので、吉田山荘も久しぶりです。↓お正月飾りが素敵です。おやつはタルトタタンでした君がため惜しからざりし命さへ長くもがなと思ひけるかなあなたのためなら、この命惜しくはないと思っていたけれど、逢瀬が叶った今はあなたと共に長く生きたいと思うのです詠み手の藤原義孝は21歳で疫病で早逝しています。そのように知ると、この歌も普通の後朝の歌から、違った重みを持ってきます。帝といえども後ろ盾を早くに喪くした場合は、権力を長く