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音楽を聞いていて名曲というのは飲み食いしながらが一番楽めるのではないかと思うのであるが、陶器や絵などで名品と呼ばれるものもそうであって、精神が刺戟されるだけで腹も空くし、喉も乾いて来て、それでその場で飲んだり、食べたりするものが一層旨くなる。(吉田健一「金沢、又」平凡社ライブラリー)
(新潮社、1994.6.10/1995.8.25.第2刷)ただ今、吉田健一にハマっています。今ごろ、ないし今さらという感はありますけど平凡社ライブラリー版の『余生の文学』を新刊で買って読みその後、塾の仕事の帰り武蔵溝ノ口駅ビルで『本が語ってくれること』を初版オビ付で見つけて買ってしまいさらには新宿の紀伊国屋書店にて小口にヤスリがかかっている『吉田健一随筆集』初版オビ付を見つけ買うに至ってのち収集癖に火がつきました。( ̄▽ ̄)新潮文庫版の『シェイクスピア
先月の日経新聞「春秋」欄に、吉田茂を父に持つ文学者・吉田健一のエピソードが載っていました:作家の吉田健一は毎週木曜日の昼ごろ、神田神保町のビアホールに必ず顔を出していたという。窓ぎわの席でタンブラーを4杯、5杯と空け、帰りがけには熱い紅茶にウイスキーのダブルを注いで飲んだ。しかるのち、近くにあった大学で英文学の講義に臨むのである。・・飲酒後に教壇に立つ、なんてSNS拡散社会の今ならご法度、といった話が続きます。それこそ「ふてほど」(不適切にもほどがある)の世界になっちゃう、ということ
昔の駅弁(中略)の中に欠かさずに入っている卵焼きや、魚の照り焼きや、カツレツの切れっ端や、蒲鉾や、漬けものが所狭しと押し合っている様子は、自分の家で食事をする時の数倍はある感じがして、どれを一口齧って次にどれに移るか思案するのが尽きない喜びを味わせてくれた。(吉田健一「食べもの遍歴」光文社文庫)
モーツアルトを聴いているとき作家の吉田健一は「ヨオロッパの世紀末」の中でヨーロッパが完成したのは18世紀である。と言っている。その時代モーツアルトが登場しその音楽が証明していると思う。MozartQuintetforPianoandWindsinEflatK452-WhittingtonFestivalCasparFrantz(piano)ChrisRichards(clarinet)JoostBosdijk(bassoon)Katy
どうも、道草をして、旅に出ている気分になるには、飲んだり、食べたりに限るようである。駅の売店でかけ蕎麦を食べていても廻りの眺めは眼に入って、弁当売りの声を聞いているだけでも、自分が旅をしていることが感じられる。(吉田健一「道草」平凡社ライブラリー)
御馳走は、食べれば旨いのに決っている。しかし我々が知っている御馳走の数は多寡が知れていて、それでも別に不自由はしないのと同じ理由から、本もそう無暗に読む必要はない。(中略)そして読む積りで手に入れて本棚に並べて置いても、妙にそれを開いて見る機会に恵まれない。(吉田健一「本」番町書房)
嘗ては馴染んだ右岸に来ても(中略)変りはなくてコンコルドの広場に立った時も昔と同じ場所に同じホテルがあると思った程度だった。或は好天に恵まれ過ぎていたのかも知れない。昔のパリは灰色の空の下に幾世紀もの煤で黒くなった建物が並んでいたように覚えている。(吉田健一「パリ再訪」平凡社ライブラリー)
その店で出すのは樽の酒で水に近い味がし、蟹が食べ頃だった。これも本場でなければと勿体振った所で灘の酒も日本海の蟹も東京に来れば東京での味がする。(吉田健一「絵空ごと」講談社文芸文庫)
併し(中略)変らないのは銀座の横丁や裏通りの夜で、これは仕事が終って今晩はどうして過そうとさ迷い歩くものの群が銀座というものが出来て以来少しずつ作り上げて来た一つの佇いなのかも知れない。(吉田健一「絵空ごと」講談社文芸文庫)
吉田健一にとって余生とは何かが終わった後の時間である以上に、むしろ何かが始まる時間のことだった。「余生があってそこに文学の境地が開け、人間にいつから文学の仕事が出来るかはその余生がいつから始まるかに掛かっている」「文学の境地」が私の前に本当に開けるのはこれからだと信じたい。(松浦寿輝「台南」新潮社)
浅草は戦争中に全焼してその後に何もかも建て直されたのであるから今の浅草の仲見世ならば仲見世を写真に撮って三十年前のと比べるならばその二つが同じ場所であると考えられる訳がなくても浅草に実際に行って仲見世を歩けばそこは紛れもない浅草の仲見世である。(吉田健一「絵空ごと」講談社文芸文庫)
2023年12月19日発表記事文芸読本シェイクスピアにおいて書けなかった吉田健一論文『「リヤ王」の嵐の場面と「嵐」』感想を記したい。WilliamShakespeareウィリアム・シェイクスピア1564年イングランドストラトフォオド・アポン・エイボンにジョン・シェイクスピア&メアリイ・アアデンの息子として誕生した。同年4月26日に洗礼を受ける。グラマアスクウルを経て、俳優として舞台に立ち、後に多くの戯曲・詩を執筆する。
JulesLaforgue,1860~1887『モーパッサンの小説論』『小林秀雄『ドストエフスキイの生活』』昭和20年代~50年代に多く刊行された各社の「日本文学全集」類で、批評家で1巻を占めているのは小林秀雄(1902~19…ameblo.jp冬が来るジュール・ラフォルグ感情の封鎖、東風の襲来。……ああ、雨が降り、日が暮れて、風が吹いている。……聖霊祭、降誕祭、お正月、ああ、煙突は雨の中に霞み、……それも、工場の煙突だ。公園のベンチは濡れていて、もう腰掛けることが
『文芸読本シェイクスピア』1977年5月25日初版発行1982年6月22日5版発行シェイクスピアの面白さ中野好夫「マクベス評釈」の諸言坪内逍遙シェイクスピアの芸術西脇順三郎われわれのシェイクスピア福原麟太郎『マクベス』について福田恆存ハムレットとラスコオリニコフ小林秀雄ハムレット大岡昇平嵐中村真一郎「リヤ王」の嵐の場面と「嵐」吉田健一今日的シ
翌朝、大変に行き届いた洋風の朝食が部屋に運ばれたのを覚えている。愈々何だか田舎の一流のホテルに泊っている感じがして来た。しかし食事が終った頃はもう「つばめ」で東京に帰る時間で(中略)だから名古屋の思い出と言えば駅と広い道と立派なコンクリート建ての大学である。(吉田健一「駅と広い道と」ちくま学芸文庫)
要するに広くて窓も大きく取つてある割に卓子が詰め込められるだけ詰め込むといふ具合に並べてないといふことで、その方が飲んでゐて気持がいいから昔はそれが普通だった。そこは二人が飲む卓子も決つてゐてその卓子から店の主人が生ビールを注ぐ台とその反対側の往来の両方が眺められた。(吉田健一「繪空ごと」中公文庫)
旅では、食べながら、仕事のことでなしに、前に同じ料理を食べた時のことを思い出したりするのである。例えば、水の味が地方によって違うのが解るのも、旅をしていれば余計なことで頭が一杯になっていないからではないだろうか。家にいれば(中略)水の味などには気が付かない。(吉田健一「生活の場所について」番町書房)
10月23日。今夜も、英文学者吉田健一好みの「今代司」。今やタンク仕込みがほとんどだけれど、まだちょっとだけ造っているという、限定木桶仕込み、を呑んでみる。新潟といえば、甘海老も旨い。そして、吉田健一氏は、珍味で辛口の日本酒を呑むのを好んだ。タラの胃袋の塩辛なんかをアテにしてみる。で、この「今代司」は、こんな、銘柄も書いていない箱に入っている、本数も出ないからかな。。材木を薄く削ったようなラベルだ。巻きつけて、背ラベルで貼り合わせてある。こんな感じだ。昔ながらの木桶仕込みなので、昔ながら
丼ものは、さあ、これから食べましょうという気にさせるところが大事なのであって、それを重箱に入れ(中略)るのならば、その味を余程よくしなければならない。通が何といおうと、親子だの、鰻だのというものは、どこのでも蓋を開ける時からわくわくさせるのでなければ意味がない。(吉田健一「食べもの遍歴」光文社文庫)
かやく飯、粕汁、それに精進、いずれをとっても別に胸がときめくような食べ物ではない。それがひとたび吉田健一の筆にかかると、この世にこんなうまいものはないとった、絶妙な趣を帯びてくるから不思議である。(篠田一士「解説」光文社文庫)
少し前の作家の書籍を探し求める時、図書館に行けば期間限定で入手できますが、ゆっくりと読みたい時は、大型書店に有りや無しやということになります。最近の大型書店は、一言で表すなら『すかした』書店が少なくありません。すかした書店では、少し前の作家の著作はなかなか見つかりません。先日は、吉田健一の著作を求めて銀座界隈の書店を散策したのですが、吉田修一は数多く棚に並べられているものの、吉田健一の著作は一冊も目にすることができません。
ニュウ・ヨオクにゐるとき、殆ど毎日行つた酒場があった。(中略)生憎、直ぐ傍にあるので名前を覚える必要もなかつたから聞きもしなかつたのは残念である。併し場所はよく知つてゐるから今度ニュウ・ヨオクに行つたら、又あすこの戸を開けて台に向つて腰を降す積りである。(吉田健一「アメリカの酒場」角川春樹事務所)
知らない間に、小銭入れに、「1銭銅貨」が入っていた。10円銅貨のやや小ぶりなサイズなので、10円と間違えて渡されたのだろう。最近、クレジットや電子マネーでの買い物が増えているので、「あそこか、あそこで、釣り銭に入っていたのだな」と、相手は数件に絞られるのだけれど、正規の貨幣価値は1,000分の1、とはいえ、希少性から、実質価値は高いだろう。これは文字通り、奇貨、というやつだろう。さて、この「大日本昭和11年」、とある1銭。当時はどの程度の価値があったのだろうか。宮脇俊三氏の「時刻表昭和史」(角
一体に人間はどういうことを求めて一人で飲むのだろうか。(中略)飲んでいれば適当に血の廻りがよくなって頭も煩さくない程度に働き出し、酒なしでは記憶に戻って来なかったことや思い当たらなかったことと付き合って時間が過せる。(吉田健一「飲む場所」中公文庫)
吉田健一著新潮文庫『シェイクスピア』昭和三十六年(1961)五月十日発行平成六年(1994年)一月十五日五刷WilliamShakespeareウィリアム・シェイクスピア1564年イングランドストラトフォオド・アポン・エイボンにジョン・シェイクスピア&メアリイ・アアデンの息子として誕生した。同年4月26日に洗礼を受ける。グラマアスクウルを経て、俳優として舞台に立ち、後に多くの戯曲・詩を執筆する。1616年4月23日死去。1564年4月2
尤も集ると言っても銀座もその頃は(中略)人が集る場所ではなくて道の両側に店が並び、その前を人が行ったり来たりする程度の人通りだった。ただその店とその並び方がどこということはなしに他所と違っていた。(吉田健一「東京の昔」ちくま学芸文庫)
尤も、昔の「はせ川」は窓の外が河で、日が暮れる頃に行くと夕日が向う岸に並んでいるトタン板の壁の倉庫に差して奇妙な色に光り、出雲橋を新橋の方に行く人力が何台も通って、そういう景色を眺めているのが酒の肴になった。(吉田健一「酒宴」中公文庫)
久しぶりに、菊正宗の、ちょっといい酒を買った。灘のメジャー、菊正宗。普段、判官贔屓の私は、メジャーは好まないのだけれど、久しぶりに買う気になった。「純米大吟醸百目」。💯点満点、といきますかどうか。兵庫県、吉川町の特A地区産、山田錦を39%に精米した、原料米は文句なしのスペック。お値段も、3,140円+税と、高すぎず、安すぎず。久しぶりに、菊正宗なぞを、高い対価を払って買おうかという気になったのは、久しぶりに銀座に呑みに行ったから。そう、銀座7丁目交差点筋で呑んだのだけれどその近くの、今は画
吉田健一著『コンテナ野菜栽培』という本を眺めています。こういう本が出る事情、よく分かります。この頃建つ戸建は、ネコの額ほどの地面も駐車スペースになってしまって、お花だってポットでしか置けませんから。野菜なんて「とんでもない」と誰もが思うと思います。「いえいえ、そんなことないですよ!あなたのお宅のベランダでちゃんと野菜ができます」という親切な指南書がこの本です。イラストたくさんで、分かりやすいです。で、この本で「ほほう!」と思ったことが、今回の表題なんですが、「