ブログ記事152件
おはようございます吉村龍泉です。今日は、雷水解が出ました。冬の厳しい寒さから解放されて、春雷[上(外)卦の震・雷]が鳴り、春雨[下(内)卦の坎・水]が降り、生物がすくすくと新しい命の成長を始め、また地下に冬眠していた動物が地上に這い出して来る状態を表したものです。だから、新しい希望を持って動き出す機運になっています。解には、とける、解決する、解放するという意味があるように、今まで悩みを抱えていて人な
おはようございます吉村龍泉です。今日は、天火同人が出ました。上(外)卦は乾・天で、下(内)卦が離・火です。どちらも積極性意欲を表した面を持って、同じ方向性を持っています。それで一致団結してやっていけるわけです。ですから、この卦は同人という名称で、協力して、共同してやっていく事が、よいわけです。雑卦傳でも、『同人は、親しむなり。』と云っていて、人と和合しなさい、親しくしなさいと強調して
おはようございます吉村龍泉です。今日は、澤山咸が出ました。咸とは、感ずるという意味ですが、心に感ずるばかりでなく、手や足に物の触れたのを感ずるような官覚的な感じ方をも含めて、咸は“みな”とか“ことごとく”と訓読みするように、目に触れれば目に感ずるし、胸に思えば胸に感ずるなどあらゆる隅々にまでに行き亘った感性、感応作用があると云っています。ですから、男女が恋におちいるのは、理屈や意志を超えた心の動きであり、
おはようございます吉村龍泉です。今日は、地天泰が出ました。泰には、やすらか、通じる、泰平、安泰という意味があります。上(外)卦が坤・地で、下(内)卦が乾・天です。これってあべこべではないのと思いますよね。上にあるべき天が下に、下にあるべき地が上にありますからね。それは尤もで、繫辞上傳の辞『天は尊(たか)く地は卑(ひく)く乾坤定まる。』を借りなくても、天は頭上で、地は足下です。
おはようございます吉村龍泉です。今日は、澤水困が出ました。困とは、困苦、困難、困窮を意味します。上(外)卦が兌の澤で、下(内)卦が坎の水です。これは、澤の水が下に漏れて、水が涸れている状態です。涸渇の苦難です。ですから、困るので困です。また、困という文字は、四角い囲いの中に木をおく形ですから、鉢植えの植木のようなもので、鉢の中では充分に根を伸ばすことがでない状態で、植木が発育しあぐねているこ
おはようございます吉村龍泉です。今日は、兌為澤が出ました。兌は悦ぶという反面、毀折(きせつ)という意味があります。※毀折とは、物事が欠けること。ですから、小さい事は思い通りなりますが、大きいことは途中で挫折するおそれがあります。表面が良さそうに見えても、内情は思わしくないことが多いのです。そして、現状は何事もはっきりせず、正しい判断をくだせないときです。それに、誹謗や中傷・口論・不信行為等が、起き
おはようございます吉村龍泉です。今日は、澤雷隨が出ました。この卦は、時に隨(したが)い、事に隨ってというように変化に隨って行って良い結果を得ます。例えば、勤務先の移転とか、住所の移転とか、または自分の志望が変更するとか、そういう変化が起こり易い、または既に起こり掛けているか起こっている時だとも云えます。そういう事態に直面したら、その新しい事態に従って行くと良いです。この場合、不平不満を言わ
おはようございます吉村龍泉です。今日は、雷風恒が出ました。恒とは、久しく変化しないことですが、その不易(不変)は根底にあって、個々について見るときには変化があるのです。例えば、太陽の動きなどは恒久にして不変ですが、詳細に見れば、1日に於いて変化があります。日が昇って(明るくなり)、日が沈みます(暗くなります)。日は、朝・昼・夕・暮と変化しています。実際にこの卦を得た場合は、願い事は、早急には通
おはようございます吉村龍泉です。今日は、雷山小過が出ました。小さな過ちがある。それ小過です。少し過ぎる。これも小過です。ちょっと出過ぎてしまう。ちょっとやり過ぎてしまう。ちょっと分不相応な望みや考えを持ってしまう。小過は、後に何かを残します。トラブル・災難を残します。妄進しやすいので、行動する前にちょっと深呼吸して「本当にやるべきか」か考えましょう。それから、この卦を得た場合に、
おはようございます吉村龍泉です。今日は、天風姤がでました。卦の辞には、『姤は遇なり。』とありますが、この遇という文字は同じあうと云う意味を持つ逢・会・合などとは違います。思いがけなくあう、突然にあうという意味です。この遇うとは、良い意味なのか、悪い意味なのかというと、悪い意味です。(残念)それは何故かと云いますと、易の思想として、陽を喜び、陰を喜ばないということと、易は多数決ではな
おはようございます吉村龍泉です。今日は、離為火が出ました。離とは、火難、対立、離別、情熱、明知、柔順などの意味があります。この中で、離なのに、火の象なのに、なぜ?従順なのかと一番疑問に持たれると思います。火は単独では燃えません。単体では、火はつきません。何か物がないと火はつきません。でも、どんな物でもよいわけではありません。石塊や濡れた木などは燃えません。燃えて火としての力(役割)を
おはようございます吉村龍泉です。今日は、震為雷が出ました。震には、奮動する、発奮するということから、大事を成し遂げるという良い方の意味と妄動するとか声あって形なしというような悪い方の意味もあり、吉凶二面しています。ですから、その時の占事に於いて、判断していきます。例えば、事業などは奮励し挑んでいけば、発展しますが、勢いに乗じて妄進するとよくないです。震の吉の面と凶の面があります。
おはようございます吉村龍泉です。今日は、山天大蓄が出ました。大蓄には、蓄止と蘊蓄の意味かあります。蓄止は、下(内)卦の乾が力を以て進もうとするのを上(外)卦の艮が腕ずくで止めるからです(艮には止める意がある)。止まりながら、力の充実をはかっているというのが、蓄止と蘊蓄を融合した大蓄の見方です。大蓄は、力を蓄えるのが、目的ではありません。その力を発揮するのが、目的です。また、蓄えた力
おはようございます吉村龍泉です。今日は、山雷頤が出ました。この卦を得た時に考えられること。(一例)○前後に気を配ることか。○物事が調うも成立しない状況であるのか。この卦の中に坤為地(互卦)がありますから事が早く進まなくなり、埓が明きません。○己を労して人に従うの時であるのか。等。毎週火曜日は、エチカ池袋で鑑定です。毎週水曜日と木曜日は、マルイファミリー志木5階で
おはようございます吉村龍泉です。今日は、雷地豫が出ました。易では、(頑丈な)門を構え、或いは拍子木を打って(今では防犯装置)、侵入者に備えることを豫と云っています。豫とは、あらかじめです。前々から準備しておけば、大抵の事は支障もなく運んで良い結果をもたらします。好結果を得れば、それは誰でも悦びます。ですから、豫は、悦びという意味も持ちます。逆に言えば、悦びを得るには何事も豫(あらかじ)め備えてお
おはようございます吉村龍泉です。今日は、風澤中孚が出ました。卦の辞の中に『中孚。豚魚吉。』というのがあります。豚魚(とんぎょ)というのは、イルカのことです。豚魚は風に対して非常に敏感だそうで、北から風があれば豚魚の口は北に向き、西から風が吹けば西に口が向くそうで、舟人はその豚魚を見て風の有る無しと方向とを知ることが出来るというのです。まことにこれは、下(内)卦の兌の口が、上(外)卦の巽の風に向かって開
おはようございます吉村龍泉です。今日は、山地剥が出ました。剥ははぎとる、もぎとる、削りとるという意味です。上(外)卦の艮・山の山が崩れて、下(内)卦の坤・地の地となってしまう象です。しかし、易というものは、運命は循環するという思想の上に成立しています。崩れるところまで崩れれば、また新しい機運も生じて来るものです。こんな話があります。飛行機が速度を失うと、墜落することは、科学的に必然の現
おはようございます吉村龍泉です。今日は、山澤損が出ました。損とは、損得の損ですが、ただ無駄に損する、損害を被るという意味ではありません。失うのではなく、与えることなのです。他人のために尽くしたり、自分の物を与えることなのです。損がマイナスではない、必ず、かえって来る損なのですと以前、お話しました。ですから、損は損を以て終わりません。「極まれば、反転す」という言葉がありますが、損は盛ん
おはようございます吉村龍泉です。今日は、巽為風が出ました。雑卦傳(卦名の意義の説明)では、巽の綜卦(倒にみた卦)である易経の順番でこの卦の次の兌と対照して『兌は見(あらわ)れて、巽は伏す。』と云っています。これは、一陰がニ陽の上にある兌を現れていると見て、一陰がニ陽の下にある巽は、伏入したものだということです。これは、巽の解釈には重要な一焦点です。伏入とは、見(あらわ)れて上にあるのでもなく、中位に
おはようございます吉村龍泉です。今日は、火澤睽が出ました。睽とは、風火家人の卦を倒(さかさま)にした卦です。家人には、女が順(つつま)しく家を有(たも)つことをみましす[男には家が付く漢字はありませんが、女にはあります嫁という文字がね]が、睽はそれとは反対に、角突き合わせて乱れている象意を見ています。睽は、普段あまり見慣れない文字です。目扁に癸(みずのと)を書いて、“ケイ”と読み、“そむく”と訓じます。目
おはようございます吉村龍泉です。今日は、山風蠱が出ました。皿を汚したまま、長く使用しないでおくと虫が湧く、蛆(うじ)が湧くと云います。見たことありますか?自分は一回だけ蛆が湧くのをみたことがあります。蠱は三匹の虫ですが、三匹どころではありません。小さいのたくったものがウジャウジャ大量に発生する。まさに湧くでした。話を戻しますと、この卦は、下(内)卦の巽・風の風が吹きわたり、あらゆる物に清々しい感触を与えるものと
おはようございます吉村龍泉です。今日は、火地晋が出ました。晋は「すすむ」という意味ですが、六十四卦の中には、他にも二つ「すすむ」という意味に取るものがあります。それは、風山漸と地風升です。火地晋を三つあるわけですが、それぞれどんな相違があるかというと、升は、木の種から芽が出て伸びいていく進み方で、漸は、生え出た若木が大木へと育っていく進み方で、この晋は、光を伴って盛んに進んでいくという形
おはようございます吉村龍泉です。今日は、風地観がでました。『風が地上をゆくは観』と辞があるように風が地上を吹き清めてゆけば、在る物のすがたが顕かになるので、これを観ると名付けたと云われています。卦辞には、『観は盥(てあら)いて薦めず。孚ありて顒若(ぎょうじゃく)たり。』とあります。盥とは、神様へお参りするときは、口と手を洗って、身を清めることです。薦とは、酒食を神様にすすめて祭ることです。顒若とは
おはようございます吉村龍泉です。今日は、水地比が出ました。地の上に水があるということは、水を得て物を滋育して行くことが出来ますし、水を地に注げば浸み込み、何処から何処までが水か土か解らない程交じり合います。地と水との間には、少しの隙間もありません。もしそこに洞や溝を作っても、水は必ず低いところへ流れて入って、何処までも親しさを忘れません。しかし、比が親しみ交じるといっても誰とでも親しくしろと言っているの
おはようございます吉村龍泉です。今日は、坤為地か出ました。坤とは、土が申(かさ)なったという意味の字です。巽為風の彖辞に『重巽はもって命を申(かさ)ぬるなり。』とあるときの申が坤の字のつくりになっています。旧約聖書の申命記は、漢訳は上記の辞から来ているようです。この書の題名の直訳が、「第二の律法」または「律法の反復」ということだからだそうです。また、重は申と生の合字で申(かさ)ねて生まれると意味にもとれます。
おはようございます吉村龍泉です。今日は、山水蒙が出ました。山水蒙という卦は、坎下艮上で、内卦は坎の水、外卦は艮の山です。山の下に水のある象です。前にどっしりとした山があり、その麓に水気が霧となって立ち込め、峰も谷もはっきりとわからないほど蒙々煙っている風景が蒙の象です。蒙とは、幼くて道理をわきまえていないことを表しますが、そういうもの(童蒙)でも先天的に性質を持っていますから、それを発揮させるよ
おはようございます吉村龍泉です。今日は、天山遯が出ました。遯とは、逃れる、退く、隠れるなどの意味があります。立場にめぐまれないと思ったら、どんなに正論を説いても通らないと思ったら、そこから逃げることです。三十六計逃げるに如かずです。一時退いて次の機会を待つべきです。見栄や外聞を気にしている場合ではありません。何とかしようと頑張っても無駄です。再起の芽や奮起の心を摘むだけです。但し、些細な事な
おはようございます吉村龍泉です。今日は、水雷屯が出ました。“すいらいちゅん”と読みます。易の六十四卦のうちの四難卦、四つの難(なや)みの卦の一つです。他に、坎為水・水山蹇・澤水困があります。これらは、いづれも内外卦のどちらかに坎の卦を持っています。易経において四難卦で一番始めに登場するのが、屯です。ですから、屯(ちゅん)は、事を始めるための生みの苦しみの難みだとみることも出来るのです。例えば、学生の就職
おはようございます吉村龍泉です。今日は、離為火が出ました。離とは、太陽(日輪)、火、麗(つ)くなり、付着する、上る、炎上する、離別、対立、叡智などの意味があります。ちょっと昨日の坎と本日の離を比較して考えてみましょう。離は火ですが、火が炎上するには、火そのものの力というよりも物に付いてそれを燃え上がらせることによって、はじめて火というものが生まて来るわけです。一方、坎・水は、どんな
おはようございます吉村龍泉です。今日は、坎為水が出ました。坎とは、苦難、困難、衰退、水難、病難などの意味があります。本当に苦しい状態におかれます。但し、艱難苦労の中にあっても自分の信(誠)を変えない。そういう事であるならば、必ず、その一心は通じるものです。けれども、こころが通じるとは、必ずしも利益や報酬がもたらされるわけではありません。誠な心が通じること以外は、何も求めていないことです。これは、坎が