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よく家に置いてるお菓子は?▼本日限定!ブログスタンプヨメさんがお茶菓子としてナッツ類が置いてありますね…🥜「お菓子の日」(毎月15日)お菓子の神様を祀る神社(橘本神社・中嶋神社)の例大祭が15日に行われることから由来しているそうです。「春一番名付けの日」「春一番」という言葉が初めて使われたことを記念した日だそうです。春一番は冬の北風とは逆風で、その年に初めて南から吹き付ける強風のことです。僕の春一番はキャンディーズの「春一番」か、「元気ですか〜」の春一番ですね…「中華の日」(毎
昭和43(1968)年4月。東京で2度と絶対見られぬ開幕カード――。日本プロレスの第10回ワールド大リーグ戦の新聞広告。開幕戦(4月6日、蔵前国技館)と前夜祭(4月5日、後楽園ホール)のほぼ全対戦カードが掲載されているという、珍しいタイプの広告だ。必ずしもリーグ公式戦がメインイベントというわけではなく、蔵前大会のメインはアントニオ猪木&大木金太郎vsフレッド・ブラッシー&ターザン・タイラーのタッグマッチとなっている。公式戦の目玉である優勝候補同士の対決ジャイアント馬場vs
拙者が昭和プロレスの話題を書くとアクセス数が⤵ですが、4月12(土)大阪のLoftPlusOneWestで行われた「昭和プロレス復活祭」マイティ井上選手追悼&昭和100年記念興行馬場戦記2について、書きたいんだなぁ、これが、、、あっ、興味のない方はスルーしてくださいね、、、4月12(土)「昭和プロレス復活祭」マイティ井上選手追悼&昭和100年記念興行場内は満席モハメッド・アリとプロレスラー(バディ・ウォルフなど)との試合映像マイティ井上さんの熱い6人タ
よく家に置いてるお菓子は?▼本日限定!ブログスタンプあなたもスタンプをGETしようヨメさんが何かしらのお菓子を置いてますね、珈琲タイムで頂いてます…全国菓子工業組合連合会が毎月15日を「お菓子の日」に制定しています…🍿毎月行事ですね…「春一番名付けの日」…🌬️「春一番」という言葉が初めて使われた事を記念した日だそうです…🍃諸説あるそうですが、1963年(昭和38年)2月15日の朝日新聞に「春の突風」という記事があり、これが「春一番」という語が新聞で初めて出たそうです…📰還暦世
馬場、猪木、坂口征二の先輩「名バイプレイヤー」吉村道明。全日本プロレス、新日本プロレスに分裂する前の「日本プロレス」時代、後輩格の馬場や猪木、坂口征二とタッグを組み、プロレス界の名バイプレイヤーとして人気をはくしました。血みどろになっても外国人レスラーに向かっていく姿から「火の玉小僧」、「突貫小僧」とニックネームがつきました。その試合スタイルは先ずは吉村道明が外国人レスラーと対戦。回転エビ固めで攻勢に出る。その後、外国人レスラーの反撃を受け、血みどろになったところでタッグを組んだ後輩格
昭和44(1969)年12月3日(水曜)。夜9時から放送ワールドプロレスリング(NETテレビ)の番宣広告。この日の放送は、11月29日に静岡・駿府会館にて収録された試合を放送。当時、日本屈指のテクニシャンであったアントニオ猪木、吉村道明、ヒロ・マツダがトリオを結成し、初来日のNWA世界ヘビー級王者、ドリー・ファンクJr、その父であるドリー・ファンク・シニア、ハーリー・レイスを迎え撃つという6人タッグ戦(60分3本勝負)だ。世界王者のジュニアは、11月28日の来日第
昭和37(1962)年8月10日(金曜)のテレビ欄より。夜10時30分からのプロレス中継は渋谷にあったリキ・パレスからのカラー放送(録画)。対戦カードにある吉村道明vs猪木完至は、ぜひ見たい試合だが、この夜に、この試合が行われたという記録はない。おそらく急きょ、対戦カードが変更されたのだろう。メインイベントこそ、表記通りに「豊登&遠藤幸吉vsフランク(ゴリラ)・マコーニ&スカル・マーフィー」が行われている(2-0で日本組が勝利)が、セミファイナルは吉村道明が
10月10日火曜日〜その25時に眠る。7時25分、目が開く。ねじめびわ茶、キリンのやわらか天然水、のむヨーグルトで喉を潤す。『プロレス専門誌GSPIRITSVol.64特集"王道"全日本プロレス/佐藤昭雄/吉村道明/ロス・ブラソス』(R4年8月5日辰巳出版)を読了。8時半から12時まで二度寝。(写真)『プロレス専門誌GSPIRITSVol.67特集BI−馬場と猪木新間寿/佐藤昭雄/舟橋慶一/沖識名/鈴木修』(R5年5月5日辰巳出版)を読み始めました。
10月9日月曜日〜その412時半より15時まで三度寝。『プロレス専門誌GSPIRITSVol.64特集"王道"全日本プロレス/佐藤昭雄/吉村道明/ロス・ブラソス』〜「短期集中連載"最強の営業マン"大塚直樹が振り返る昭和・新日本プロレス繁盛記第九話」を読む。P087、ハルク・ホーガンのアックス・ボンバーでアントニオ猪木がKO負けについての詳細が記されている。(写真)菊水丸コレクションのハルク・ホーガン選手のスナップ。
10月9日月曜日〜その23時25分、オンセンス・パインバスを使っての入浴。水分補給に、Skal。4時に休む。8時55分、目が覚める。ねじめびわ茶、キリンのやわらか天然水、のむヨーグルトで喉を潤す。9時半から11時25分まで二度寝。『プロレス専門誌GSPIRITSVol.64特集"王道"全日本プロレス/佐藤昭雄/吉村道明/ロス・ブラソス』を読む。P078に、坂口征二がUN王座とインターナショナル・タッグ王座のポジションに座った日本プロレス末期の裏話が書かれている。(写真)菊水丸コレク
10月7日土曜日〜その5次に「評伝"火の玉小僧"吉村道明後編」のP074、日本プロレス喉を猪木追放事件に触れている。(写真)菊水丸コレクションのアントニオ猪木選手のスナップ。
10月7日土曜日〜その48時半から11時25分まで二度寝。『プロレス専門誌GSPIRITSVol.64特集"王道"全日本プロレス/佐藤昭雄/吉村道明/ロス・ブラソス』を読む。P062では、天龍源一郎の躍進について綴られている。(写真)菊水丸コレクションの天龍源一郎選手のスナップ。
10月7日土曜日〜その24時45分に休む。7時、目覚める。ねじめびわ茶、キリンのやわらか天然水、ピルクル400で喉を潤す。『プロレス専門誌GSPIRITSVol.64特集"王道"全日本プロレス/佐藤昭雄/吉村道明/ロス・ブラソス』を読む。P050〜055の「考証−昭和・全日本×NWA3〜スタン・ハンセン&ブルーザー・ブロディ74年にルイジアナ地区で実現していた"ミラクルパワーコンビ"の一騎打ち」は、なかなか驚きの内容。(写真)菊水丸コレクションより、スタン・ハンセン選手のスナップ
10月6日金曜日〜その34時半に休眠。8時55分、目覚める。ねじめびわ茶、キリンのやわらか天然水、ピルクル400で喉を潤す。9時半から12時まで二度寝。『プロレス専門誌GSPIRITSVol.64特集"王道"全日本プロレス/佐藤昭雄/吉村道明/ロス・ブラソス』を読む。「回想−王道マットを彩ったテーマ曲の秘密小川彦一元日本テレビ技術統括局音楽効果担当」のP043では、ブルーザー・ブロディのことが出てくる。(写真)菊水丸コレクションのブルーザー・ブロディ選手のスナップ。
10月6日金曜日〜その2『プロレス専門誌GSPIRITSVol.64特集"王道"全日本プロレス/佐藤昭雄/吉村道明/ロス・ブラソス』を読む。P036〜039の「考証−昭和・全日本×NWA2〜ジャック・ブリスコ&ハーリー・レイス&ドリー・ファンク・ジュニアベルトを巡る"現・前・元王者"の物語と新春NWAチャンピオン・シリーズ」には、まさに華麗なる昭和プロレスの黄金期について記されている。(写真)菊水丸コレクションより、ドリー・ファンク・ジュニア選手のスナップ。
10月5日木曜日〜その23時半に眠る。5時25分、目が開く。ねじめびわ茶、キリンのやわらか天然水、カルピスL−92で喉を潤す。6時から8時55分まで二度寝。『プロレス専門誌GSPIRITSVol.64特集"王道"全日本プロレス/佐藤昭雄/吉村道明/ロス・ブラソス』を読む。P033〜034に、ハーリー・レイスの活躍が描かれている。(写真)菊水丸コレクションのハーリー・レイス選手のスナップ。
10月4日水曜日〜その38時半から11時25分まで二度寝。『プロレス専門誌GSPIRITSVol.64特集"王道"全日本プロレス/佐藤昭雄/吉村道明/ロス・ブラソス』を読む。「回想−引き抜き戦争後の全日本プロレス〜佐藤昭雄」を読む。P029、大仁田厚の売り出しの背景が綴られている。(写真)菊水丸コレクションの大仁田厚選手のスナップ。
10月4日水曜日〜その24時半に休眠。7時45分、目覚める。ねじめびわ茶、キリンのやわらか天然水、ヤクルト1000で喉を潤す。『プロレス専門誌GSPIRITVol.64特集"王道"全日本プロレス/佐藤昭雄/吉村道明/ロス・ブラソス』を読む。「考証−昭和・全日本×NWA1〜ドリー・ファンク・シニアなぜジャイアント馬場はアマリロ地区をビジネスパートナーに選んだのか?」P023には、ドリー・ファンク・ジュニアと馬場との出会いが書かれている。(写真)菊水丸コレクションのドリー・ファンク
10月3日火曜日〜その510時より12時まで三度寝。『プロレス専門誌GSPIRITSVol.64特集"王道"全日本プロレス/佐藤昭雄/吉村道明/ロス・ブラソス』を読む。P016、スタン・ハンセンの新日本からの引き抜きについて触れている。(写真)菊水丸コレクションのスタン・ハンセン選手のスナップ。
10月3日火曜日〜その47時45分から9時半まで二度寝。ヒーターを消して『プロレス専門誌GSPIRITSVol.64特集"王道"全日本プロレス/佐藤昭雄/吉村道明/ロス・ブラソス』を読む。「回想−担当記者が語る馬場と鶴田がいた時代川野辺修元・東京スポーツ第二運動部記者」P011には、キラー・トーア・カマタがPWF王座を奪取した裏話が綴られている。(写真)菊水丸コレクションのキラー・トーア・カマタ選手のスナップ。
10月3日火曜日〜その33時、休む。6時に目が覚める。気温は16℃。ヒーターを入れる。ねじめびわ茶、キリンのやわらか天然水、ヤクルトミルミルで喉を潤す。(写真)『プロレス専門誌GSPIRITSVol.64特集"王道"全日本プロレス/佐藤昭雄/吉村道明/ロス・ブラソス』(R4年8月5日辰巳出版)を読み始めました。
10月1日日曜日〜その21時半、オンセンス・パインバスを使っての入浴。水分補給に、WakayamaGingerAle桃ほのか。2時に休眠。7時55分、目が覚める。ねじめびわ茶、キリンのやわらか天然水、のむヨーグルトで喉を潤す。8時半から9時25分まで二度寝。『プロレス専門誌GSPIRITSVol.63特集ノーTV時代の新日本プロレス/藤波辰爾/初代タイガーマスク』を読む。評伝「"火の玉小僧"吉村道明〜中編あの日、リングの下に角材を用意したのは誰だ?」には、若き日のジャイア
昭和46年12月に行われたアジアタッグ選手権。以前に一度アップしましたが、こちらはフルバージョン。全てのプロレスの試合の中でこれが最高だと思われます。坂口ファンからすると坂口吉村のコンビこそ馬場坂口以上の最高タッグかもしれません。とにかく吉村がほぼやられっぱなしなんで坂口1人でドリーとマードックを相手にしてるところが凄い。また坂口がロープをタイガーマスクのようにジャンプして飛び越えるのも見れます。恐ろしいまでの身体能力とパワーが随所に見られます。これを見ると坂口のプロレス人生で新日
日本プロレスの末期、つまりジャイアント馬場が抜けた後の真のエースは誰だったのか?坂口征二という声が圧倒的ですが、少数ながら大木金太郎という意見もあります。また坂口と大木の二枚看板だったと言われることもあります。本当は誰だったのか?これは昭和48年正月の東京スポーツです。表紙は前世界チャンピオンジンキニスキーと戦う坂口。2枚目は広告で日本プロレスの新年の記念撮影。前列に注目。左に吉村右に大木を従えて坂口が真ん中じゃないですか!これで坂口征二が大エースだとハッキリしました。前年のワールドリ
数回に渡り、自分がリアルタイムで見たジャイアント馬場さんのタッグパートナーを書きました。ジャンボに始まり、ハンセンまでだったね馬場さんのタッグパートナーというとリアルタイムでは見ていませんが、アントニオ猪木さんが最高だったと思います。この2人がタッグを組んでいたと思うだけでゾクゾクワクワクしてきます。過去の動画でも猪木さんのタッグは見ましたが、見たことないのが、吉村道明さんとのタッグ。インタータッグを最初に取った日本人タッグが馬場さんと吉村さんのタッグだったのです。馬場さんと吉村さん
誕生日ウルトラマンロビン(1965/58歳)吉田万里子(1970/53歳)ムニェカ・オリエンタル(1975/48歳)藤田愛(1976/47歳)インリン様(1976/47歳)猪熊裕介(1977/46歳)守部宣孝(1982/41歳)イデア(1983/40歳)KUBITO(1987/36歳)忌日仲田龍(2014/51歳)吉村道明(2003/76歳)出来事2019長松浩二がデビュー<大阪・城東KADO-YAがもよんホー
昭和39年の日本プロレスから。力道山死後一年経過してますが、豊登と馬場をエースとしてプロレス人気を維持していました。この頃の馬場はまだいい体してますね。
キラーバディーオースチンハンスシュミットVS吉村道明キムイル(大木金太郎)。レフリーユセフトルコ。日テレジータスというCSテレビでやっていました。この映像は昭和42年ぐらいのもの。吉村が引退した昭和48年までは毎週金曜日に見ることができましたが、それ以来。感動しました。それにしても大木金太郎、この頃滅茶苦茶でかいですね。
大阪府知事吉村知事↓↓↓※大変失礼しました。画像とテロップが間違っておりました。お詫び致します。え~なんですか~大阪65歳以上の外出自粛要請ですって…そんなこと言うたら、劇場にお客様がけえ~へんやろう~👹👹👹なめとんのか~👹👹「えっなんです~大衆演劇観に行く方は特例。として認めて頂ける~😄吉村知事おありがとうございます~(※おこもとちゃうぞ~👹)絶対来月厳しいやんけ~だいたい知事すいませんが、大衆演劇知らんやろう~これね~65歳以上差別でしょう?それやったらなんや~64歳1
海外で大活躍しているヒロマツダが日本に一時帰国し、日本プロレスの社長豊登と営業部長の吉原功さんが会いに行きました。ヒロマツダさん、NWA世界ジュニアヘビー級のチャンピオンになったんだよねヒロマツダはここで日本プロレスに復帰を宣言。日本プロレスは早速オファーをかけ、翌年の1966年5月にヒロマツダは日系レスラーのデュークケオムカと参戦しました。デュークケオムカこの頃、豊登は日本プロレスを退社して、新団体東京プロレスの旗揚げの準備をしており、日本プロレスとしてはヒロマツダを取られないように