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プーチン大統領は「戦国武将」?顧客は「生娘」?人はなぜ例え話をしたがり、そして失敗するのか東京新聞ロシアによるウクライナ侵攻を巡り、安倍晋三元首相が講演した際、各国から非難を浴びるプーチン大統領をこう例えた。「力の信奉者。戦国武将み...極悪プーチン大統領は織田信長と同じなのか?織田信長は戦乱の時代の人である。プーチンは平和な時代の人である。信長は不正を許さない男である。プーチンは不正を許しまくる男である。信長は私欲では戦っていないのである。プーチンは私欲で戦っているとしか
前回まではこちら⬇️目次天下を競望せず…わしは吉川元春(きっかわもとはる)の三男、広家(ひろいえ)です。天文19年(1550年)、吉川興経(きっかわおきつね)は隠居し、安芸深川に妻子と共に幽閉された。興経が幽閉された館興経さんは元就さんの策で吉川家の家臣に半ば強制的に隠居させられたんだよ興経の隠居により、吉川家は元春が継ぐことになったのだ。元春は元就(もとなり)に興経との面談を願い出た。元春「父上、わしは吉川家を継ぐなら、興経殿と話しとおごさいます。」元就「興経はわしを恨んで
こんにちは、城跡で日本を元気にする「城跡地域活性活用専門アドバイザー」であり「日本マイナー歴史研究専門家」の原一六四(ひろし)です。本日は「謀反・反逆・裏切るから見る戦国史」シリーズです。前回の「応仁の乱」の続きです。東岩倉の戦いを経て、応仁の乱で最大の激戦と呼ばれた相国寺の戦いへと発展して戦闘が激化していく応仁の乱の戦ですが、将軍が東軍についた事で、西軍が不利となるかと思われた応仁の乱ですが、周防の守護・大内政弘が西軍に組したことで西軍の勢いが優勢になってきます。将軍
愛馬の出走ラッシュ(でもなかったか)が終わってしまい、ついに福島に行く機会も訪れず・・・。よって、城巡りアーカイブスネタでまいります。前回に引き続き広島県のお城跡になります。広島県山県郡北広島町にあります小倉山(おぐらやま)城跡です。岩国→桜尾(廿日市)→小倉山(北広島)と移動してまいりました。ここは駐車場も完備され、整備も十分行われていますので、登城にはうってつけ山城です。応仁の乱で「鬼吉川」の異名をとり、中国地方で精強で鳴った吉川氏。あの毛利元就の正妻はこの吉川氏の出。