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一葉「たけくらべ」ゆかりの地を歩く=三ノ輪・千束(𠮷原)・竜泉・入谷=その2:𠮷原その1で、遊女の投げ込み寺として知られる「浄閑寺」と江戸五色不動「目黄不動・永久寺」をレポートしました。その2では、𠮷原(跡)をレポートします。「土手通り」を通って𠮷原大門交差点へ、地図上、②~③の区間です。■土手通り永久寺から明治通り(王子千住夢の島線(都道306号、明治通り)を辿ると三ノ輪二丁目で土手通りと分岐します。●土手通りとは:台東区東浅草1丁目(馬道通りと
平日の短い時間でしたが時間が取れたのでふらっと吉原に行ってきました。入谷で降りて三ノ輪までの小旅行スタートです。●入谷鬼子母神まずは恐れ入谷の鬼子母神の地口で有名な入谷鬼子母神雑司が谷には行ったことあるのですがこちらはなかったので駅チカですし折角なので寄ってから吉原に向かうことに!因みに鬼子母神は改心した鬼なので鬼の字の「角」が無いんですよね。●千束のいせやお昼時をちょっと過ぎて入ったいせやさん看板娘のおばあちゃんがいなくなってしまったらこのお店は大丈夫なん
こんばんは〜、土日休みは古希間近の自分の身体を痛めつけてしまいました〜昨日は予告通り南千住から岩淵水門を目指してウォーキング🚶を敢行、午前中はどんより曇っていて昼過ぎには小雨も降ったので、午後1時半ごろにスタートしました。👇のルートではなく、荒川土手に出るまで少し大回り隅田川です荒川土手、ここに来るのは何年ぶりかな❓町屋のシェアハウスに住んでいたころは、休みの日には必ずここに来たものです岩淵水門方面へひたすら土手と河川敷をウォーキング🚶、午後3時ごろから晴天☀️となり強烈な陽射しが💦
アホみたいに暑い日が続いておりますがみなさんいかがお過ごしでしょうか?どうも、月光天使でございます☆梅雨明けもまだだというのにどういう事なんでしょうな?これで梅雨が明けたら・・・なんて思うと先が思いやられます。さて、今回はこんな暑い中ちょっくらお散歩してきたのでその報告です。一見誰も気にすることのないようなヒョロヒョロの木。でもそこに石碑と看板が。「見返り柳」とある。これが樋口一葉の「たけくらべ」にも出てくる見返り柳。かつて吉原という遊廓がこ
こんばんは17時半、奥浅草から帰りました小雨ですがお日さまが出ていない分、少し楽なんで我家の最寄バス停から東駒形橋までは10分そこから浅草の賑わっているエリアを通り抜け、「浅草ROX」を通り過ぎるとわたしの好きな「ひさご通り」浅草ひさご通り商店街浅草ひさご通り商店街asakusa-hisagodori.comそこから更に先が「千束通り」浅草千束通り商店街浅草千束通り商店街には、魅力的な
2020年4月中旬の東京都台東区浅草・今戸・吉原・三ノ輪散策の続き。「熱田神社」をお参りし、「山谷堀公園」を「正法寺橋」「山谷堀橋」「紙洗橋」「地方新橋」「地方橋」と進み、「土手通り」に出た後は、更に「新吉原」に向かいました。熱田神社・山谷堀公園・正法寺橋・山谷堀橋・紙洗橋・地方新橋・地方橋・土手通りのレポ『熱田神社と山谷堀公園正法寺橋・山谷堀橋・紙洗橋・地方新橋・地方橋と土手通り~東京都台東区の街並』2020年4月中旬の東京都台東区浅草・今戸・吉原・三ノ輪散策の続き。
この日のぶらり散歩は・・チンチン電車に乗って三ノ輪からスタート都電荒川線三ノ輪駅。お初です!駅を降りて直ぐに「ジョイフル三ノ輪」大好物の商店街発見!パンのオムオラじゃなくて「オオムラ」フォントが昭和チックでそそられます。惣菜パンチェック。リーズナブル!いい感じ乾物屋趣のある店構えの砂場(蕎麦屋)銭湯なんかもあったり味噌屋さん。この桶懐かしい。昔ながらの量り売り昭和な感じの商店街がここにもありました。住みやすそうな町ですなぁ~商店街の出口にあったジオラマの
2023年1月14日、土曜日、曇り。降っていませんが、雨の予報です。日本ウオーキング協会の、新春初歩き2023、15kmに参加しています。上野公園を、9時03分に出発しました。浅草通りを東へ進み、雷門前から、隅田公園に入り、すみだリバーウォークを渡り、三ツ目通りを北へ、言問通りとの交差点、言問橋東交差点まで来ました。4km過ぎの地点、10時になりました。言問橋東交差点を過ぎて直進すると、三ツ目通りから、水戸街道に呼び名が変わります。しばらく進んで、向島三
噺に登場する若旦那は遊びが過ぎて勘当されて、ということが多いのですが、この噺の主人公、時次郎は堅物で、それが父親の悩みの種でした。いずれは店を継ぐ時次郎。付き合いもあるから少しは遊びを覚えて欲しいというずいぶん話の分かる(?)父親でした。そこで、町内の札付きの遊び人である源兵衛と太助に時次郎を吉原へ連れて行ってもらいたいと頼む。お稲荷さんのお籠もりということで二人に連れられて出かけた時次郎。お茶屋で「お巫女さん」にご挨拶をしたものの、見世に上がって中の様子を見れば、さすがにこれはお
昨日、ホテル寿陽で一泊した私は、今日のライブまでの時間暇なので、浅草まで歩く事に和室の部屋は、共同トイレ🚽、共同風呂🛀まぁ、寝るだけですからね❗でも、チェックアウトの時間が遅いホテルを予約しなかったのが、失敗やったなぁ😅それに、チェックインも0時迄❗タクシー🚕飛ばして来いと言われたから言う通りにしましたよ😰日暮里から清川迄、1620円💸なんとか間に合いましたがね😒朝10時に追い出され、14時00分迄暇です☝️まずは、吉原に❗初めて行きます。吉原大門があれば良かったのにな
浅草名所七福神めぐり石浜神社参拝の後は吉原神社へ向かいました食べることが大好きな私がいまさら何を言うのかとオマエがそれを言うのかと呆れられるかもしれませんが食事を摂らないほうが仕事のパフォーマンスは上がるんですよ~だから歩いている時はお腹がすいているほうが身体が動かしやすいんですよ~説得力ないけどね橋場二丁目からアサヒ会通りを通り吉原大門交差点をそのまま中之町通りへ抜けますこの時刻真っすぐ西に伸びる日
吉原神社から不自然にS字カーブしている仲之町通り(五十間道)(今回は吉原から外に出る方)これは将軍や大名が街道を通る際吉原遊郭の中を見渡せないようにするための配慮だったそうです現在は両脇に柱があるだけですが江戸の頃は黒塗り木造のアーチ門があったとのこと吉原遊郭の正面玄関だった、吉原大門(よしわらおおもん)(だいもん)だとおもってました現在はただの交差点、名前はしっかり残っています当時、吉原への出入口は大門ひとつだけだったそうで治安の為だけではなく、遊女の逃亡を防ぐ事が
鬼滅の刃遊郭編の7話はついに堕姫の兄である妓夫太郎がようやく出現しますね。最初鬼化した禰󠄀豆子にぼこぼこにされる堕姫。その後人間の血の匂いで人間が食べたくなる禰󠄀豆子を炭治郎が抑え込む。そしてそこに戻ってきた堕姫だったが宇髄に首を斬られる。その後炭治郎はなんとか子守唄で禰󠄀豆子をおとなしくさせることに成功する。その後妓夫太郎と宇髄とのバトルになるがさすがに妓夫太郎は堕姫より強い。血を飛ばす変わった攻撃をしてくる。その後2体合体?したところで次回に持ち越し。この鬼は2体で1体なので
以前、鬼滅の刃占いに関して書いたことがある。その時は、どのキャラに自分が当てはまるか、触れなかった。どうしてかって?名前を出すと、妙に納得されそうだしね。。。実際、HIROさんのブログは、遊郭編の話題が多いからさ❤・・・って、コラーっ!?ヾ(。`Д´。)ノキミの『鬼滅の刃』キャラタイプは…宇髄天元(うずいてんげん)o( ̄ー ̄)○☆パンチ!<おまけ>
吉原の料亭で廓噺が聴けるとあって、出かけました♪落語もですが、吉原の跡地を見てみたい気持ちもあったので。〔江戸切絵図〕今戸箕輪浅草絵図の一部(国立国会図書館デジタルコレクション)↑江戸切絵図の真ん中にある囲み(お歯黒どぶ)の部分が「新吉原」です。左下が浅草寺です。「観音さんの裏っ手」=浅草田圃の中につくられたのです。三ノ輪駅から吉原大門の交差点まで歩いて、まずは「見返り柳」さん喬師匠が年々小さくなっているとおっしゃっていましたが、期待したより小さかったです・・・江戸
吉原散歩しましょうかね!ツー訳で、上野からめぐりんバスで吉原へ。江戸時代からの名残は一切ないが。台東病院で降りて弁天神社から大門辺りまで歩き、天丼も桜鍋も定休日で→事前に調査済み。ジョーに挨拶して吉原をあとに。伊勢屋前からめぐりんバスで、浅草へ。今半でランチして、都営に乗って浅草橋へ。
<回想シーン>※また着物を直してるのか買わないとだめだな新しいのをいいよいいよ大丈夫この着物気に入ってるのそれよりも下の子たちにもっとたくさん食べさせてあげてよこんな子がウチの子だったら・・・(。ŏ﹏ŏ)ウル※炭治郎と禰豆子の会話です。。。鱗滝左近次Σ(・ω・ノ)ノ!
私が住んでいる横浜にも明治時代になって大規模な遊郭が造られました今あるヨコハマスタジアムの地に大火事の度移転し殆ど痕跡が無いようです遊郭と言うと吉原ネットで調べてみました今は吉原と言う地名はない吉原と新吉原があった法律で禁止されるまで存在していたのは新吉原である事・・・今はと思い訪れてみました結論からそこは何処にでもある町でした土手通り吉原大門交差点GS前に復元された見返り柳くの字に曲がる道山谷堀は埋め立てられました
本日の美味しいお散歩は東京下町、吉原大門にほど近い土手の伊勢屋さんでの食事だよ。土手の伊勢屋は明治22年に創業、老舗の天ぷら屋さんです。創業当時から、吉原土手に店を構えていたそうです。かつての時代は、昼間の一般客をはじめ、吉原(遊郭)への帰り道に立ち寄る人や遊女への出前もしていたそうです。あしたのジョー↓現在の店舗は昭和初期に建てられた木造2階建で登録有形文化財に指定されているそうですよ。名物の天丼、頂きました。新鮮な朝ジメの穴子、海老、イカ、野菜と盛りだくさんです。サクッ
お天気が良いとじっとしてられなくて、どこへ行こうかと探してたら、「恋愛成就のパワースポット」を発見しかも、「招き猫発祥の地」しかも、出会えると幸せになれると言われている白猫の「なみちゃん」がいるらしいこれは行かないわけにはいかんでしょって事で、行ってきました場所は浅草浅草寺には目もくれず、隅田川のほとりをスカイツリーを眺めながら歩いてると到着猫の置物がいっぱい招き猫もいっぱいでした絵馬を書くためのテーブルがおしゃれなみちゃんに会えると良
先日、CSの旅ch『林家正蔵の四時から飲み』を観てから、ネットを弄くってたらこんな画像が出てきた☝️☺️この座敷...江戸風のいわゆる『入れ込み座敷』そしてあの真ん丸の大きな時計とその下の...あれ熊手なんすけどね...もう既視感満載🎯で直ぐ💡ピンと来たワケで、はい😄。ご存知かどうか知りませんが、一昨年の急性膵炎で膵臓がトロける寸前にまでなった吾輩は残念なことに🍶🍺🍸が一切😢🆖⤵️ダメになって、なかなか行く機会が少なくなった上に、このコロナ禍では「3密」どころの騒ぎではない江戸風入れ込み座
雨の吉原大門、見返り柳がしょんぼり😞
天丼が旨いと聞き、行ってみたくなった特に朝〆の穴子が旨いんだとかなにやら店主によるとその穴子は中国黄海産で江戸前の穴子なんて比ではないまさに世界一の極上穴子で天ぷら屋さんで仕入れることができるのは当店のみと…うん、もういてもたってもいられないどこなんだそこは?土手の伊勢屋?吉原大門の近く?よし行こう、すぐ行こう三ノ輪駅から明治通り、明治通りから土手通りあしたのジョーまで来たら、ゴール間近創業は1889年だそうだメニューがイロハって格好いいせっかくなのでハを注文
遊郭の吉原は田園地帯にあったようだ。京都の島原とか神戸の福原などにも遊郭があったようだが、原の地名からして、人家が疎らな野原に遊郭を作ったと想像させる。吉原大門から吉原内部へ黄四角内が吉原、赤丸の中心が凌雲閣参考①遊郭あった吉原、街全景の写真発見全焼前の明治に撮影朝日新聞(2018.7.26、参考)江戸最大の遊郭があった吉原(東京都台東区)の全景を収めた1枚の写真がみつかった。明治時代半ばごろに撮影されたとみられ、専門家は、1911(明治44)年に全焼する前の吉原の街の全貌(ぜ
ようやくたどり着きました。吉原大門。この信号機の表示を目標に歩いてきたんです。頭の中の地図帳では北東に歩くイメージだったのに、実際に歩いた感じでは東南にむかっていた気がする。変だな、変だな、と思いながら歩いてたんです。別に太陽の位置を意識したわけでもないし、磁石で調べたわけでもない。なんとなく体に感じた違和感でした。帰宅後に地図帳で確認したら、東南にむかって歩くので正解でした。私の体感、すご~い♪本能が野生的だ(笑)で、いよい
#御朱印532印目#吉原神社#東京都#台東区#鼠穴など、#吉原が出てくる#古典落語によく出てくる、#吉原大門付近は現在、ガソリンスタンドに。#見返り柳は現在も案内板つきであるみたいです。そこから吉原のお店や案内所などを抜けたところにあります。
吉原弁財天から仲之町通りを歩いて、吉原神社にやって来ました。遊郭の四隅にあった稲荷社四社と地主神の稲荷社、そして弁財天の計六社が合祀された神社です。遊女達にとっての守り神ですね。鳥居の前に立つ逢初桜。明治四十四年(1911)に大火で焼失した桜が、平成二十五年(2013)に百年の時を経て復活しました。逢初めとは、「恋焦がれている人に初めて会う」という意味です。こんな桜が御神木の神社って、ロマンティックですね。現代で日常生活を送っていても、神頼みしたくなるような事は多々
吉原散歩の続きです!「見返り柳」の付近にあったのが、「衣紋坂」。このあたりで、お客が身なりや襟を整える。つまり、衣紋を直すところから「衣紋坂」という名前がつきました。そして、五十間通りを進みます。五十間通りは、日本堤から吉原大門入口までの五十間を繋ぐ道のこと。くねくねした道です。ちなみに五十間とは、今の100m。日本堤のところを通る大名行列や将軍に、吉原の大門が見えたら畏れ多いので、道をくねくねさせて、大門が見えないよう配慮されました!さあ、
さんぽ番組の収録で、吉原界隈を歩きました。江戸・東京最大の遊郭といえば、「吉原」。今は、吉原という地名はありませんが、バス停と信号に、「吉原大門」の表記がまだ残っています。吉原の入口には、「見返り柳」が植えてあり、今でも碑と柳が残っています。古典落語の「明烏」にも出てきます。当時吉原で遊んだ客が帰るとき、名残惜しく、この柳の辺りで吉原方向を振り返ったことから、「見返り柳」という名前が付けられました。「明烏」の噺の中のどこに「見返り柳」が出