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「橘諸兄」新たなスタートを「11月17日」「橘諸兄」新たなスタートみなさん、おはようございますサッカー日本は強かったです若い選手がどんどん出てきます日頃の鍛錬の結果でしょう若い人にために若い人もご一緒にさあ、今日「11月17日」の國史を学びましょう「葛城王、橘諸兄下賜」天平8年(736年)奈良時代の皇族である葛城王が臣籍降下し橘の姓をもらいやがて正一位まで出世しました葛城王は美努王(みぬおう)と橘三千代の子です四姓、源平藤橘(=源、平、藤原
■-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+■深堀囲碁教室〒852-8118長崎市松山町4-45☎095-845-6809(ホームページ)https://fukahori15kyoushit.wixsite.com/fukahori15■+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+■
おはようございます。OJIRIピアノ・エレクトーン教室です。地域のお仕事や、町内のお仕事など。。。呉妹地区は老人の割合が高い地域ですがお年寄りの方から皆さんに支えられて地域がなりたっているんだなあと感じます。いる場所によって、ベテランだったりまだまだひよっこだったり🐤私もがんばらなければ!地域に愛される教室になるぞ!!呉妹地区には吉備真備公を称える「弾琴祭」があります。吉備真備公は、遣唐使として中国に渡り囲碁を初めて伝えた人です。その真備公が座って琴を弾いたという場所が
秋めいてきて今日は動きたくて髪をカットに行から広峰神社に行きたくなって行ってきました今日は本殿の牛頭天王さまにお詣りしてから吉備真備さまの吉備社の方まで行かせていただきました。こちらは始めてだったのでワクワクしながら山道を登りましたいよいよお社に到着本殿までは何度も行ってるのになかなかこちらにはお詣り出来てませんでした。到着した途端、力強い太鼓が鳴り響き出し歓迎されてるみたいで嬉しかった帰りには鳥居を出る辺りまで蝶々がお見送りしてくれましたこのまま善寿寺
夏に、RNC「特選うどん遍路」で放映された、矢掛町東三成の「館址亭」へ。吉備大臣宮・吉備真備公園内にあり、この左右が駐車場に。吉備真備公館があったと伝えられるのを記念した休憩所内で11時~14時、うどんが食べられます。左後方には、巨大な真備公の像が。うどんのほかにおにぎりも。8月を除く毎月15日には、ざる、きつねうどんが半額のようです。五目うどん(大)700円を注文。あげ、ちくわ、かまぼこ、こぶ、卵の具。卓上の、ご
吉備真備公弾琴祭に行って来ました。😊吉備真備公が晩年に官を退いて帰郷され琴弾岩の上で琴と尺八の演奏が行われるのが琴弾祭小田川の清流を望む巨岩の上で琴を弾いたという言い伝えがありますお祭りのフィナーレに花火です。😊
術後1ヶ月が経過し、埼玉県より長女が帰郷しておりましたので久しぶりの遠出です。(遠出と云っても片道60kmほどですが)写真①は岡山県矢掛町にある吉備真備公園の真備公園の立像とその前に植樹されている2本の槐の木です。中国周時代の太師、太傅、太保の3公が宮廷に植えられた槐に向かって着座した事から三槐と称され、日本では昔、太政大臣、左大臣、右大臣が三槐とも称されていた。真備公は右大臣に就任していたことから、この公園の造園に当って、立像の前に槐が植樹された。写真②吉備真備
ふりさけ見れば〈上〉巻楽天市場ふりさけ見れば〈下〉巻楽天市場「ふりさけ見れば」このフレーズだけで、望郷の念を感じることができます。留学生として唐に渡り、帰国の叶わなかった、「阿倍仲麻呂」。ですが、帰国できなかった理由が通説と異なる…?なんとスパイとして、唐が把握している日本国の成り立ちを確認するという密命を帯びたという設定です。スパイの先輩は他にもいて、任務を全うするために宦官にまでなります。ただその密命の目的は、唐に朝貢すること。冊封のためだというのがなんとも
みんな元気ですか奈良平安の高等数学・・・昨日の記事のフォローです。奈良や平安時代における日本人が持っていた科学技術には大きな謎がいくつかあります。例えば以前触れましたが阿倍仲麻呂は留学生として唐の国にいました。吉備真備が唐人の陰謀にあってとらえられていた時に「日月を封じた」ことにより吉備真備を助けたとあります。つまり日食月食を起こしたということです。これは起こしたというよりは予測してそれのことを不吉な予兆として利用したと思われます
ふりさけ見れば上Amazon(アマゾン)ふりさけ見れば下Amazon(アマゾン)奈良時代に遣唐使として渡唐し、・玄宗皇帝に近侍するまでに出世した阿倍仲麻呂と、・鑑真上人を招聘し、朝廷の天智派と天武派の争いに終止符を打った吉備真備の、朝廷および日本国を第一に考え行動した生涯を描いた作品です。唐の文献と相違があると唐から「国史たりえず」と認められなかった日本書紀。阿倍仲麻呂が唐の文献を探る密命を担うことに。日本書紀って、そもそも唐への冊封の条件の1つとして
「藤原広嗣」運次第みなさん、おはようございます夏の疲れはでていませんかお休みの人は運の補給をしてくださいさあ、今日「9月3日」の國史を学びましょう「藤原広嗣の乱」天平12年(740年)広嗣は藤原不比等の三男、宇合(うまかい)の息子です聖武天皇の時代に天然痘が大流行し不比等の4人の息子は亡くなりますその後、右大臣となったのは橘諸兄(もろえ)です諸兄の母、橘三千代の後の夫である不比等に引き立てられまた、不比等の娘の多比能を娶りました
続きです。夫とともに紫香楽の宮とか、恭仁宮にいったり、その間に大仏建立の詔を出した聖武天皇。光明皇后はそんな夫を支える生活をしてました。一方で異例の女性皇太子となった阿倍内親王に対してもちゃんとした帝王学を学ばせてました。遣唐使の経験ありの吉備真備とかを娘の家庭教師にしたりしたのです。そして光明皇后自身はというと、悲田院とか施薬院を造ったのです。どちらも法華寺内にかつてありましたけど。そして夫の聖武天皇はというと、大仏建立に勤しんでたようで(;´∀`)他にも全国に国分寺、国分尼
この漢は「祖国」、「望郷」という言葉をいつも心に噛み締めて生きていたのに違いない。異国の土になろうとも、魂は故郷に帰らんことを願う。天の原ふりさけ見れば春日なる三笠の山に出でし月かもこの歌に、この漢、阿倍仲麻呂のすべての思いが込められている。安部龍太郎著「ふりさけ見れば」下巻を読了した。
その漢は遣唐留学生に選ばれ、唐の国に渡った。唐の言葉を流暢に話し、書物を読み、文章を書くことが出来た。そして、驚くべきことに科挙の進士科に及第したのだ。その後、権力の中枢に登って行った。その漢の名は、阿倍仲麻呂といい俊英だと言われた。私はこの漢の名前を知っているだけだった。今、この漢の生き様を追いかけている。安部龍太郎著「ふりさけ見れば」上巻を読み終わった。下巻へ急ごう。先に日本に帰った吉備真備も待っている。
この夏、帰省の際に少し足を伸ばし、岡山へ行って参りました今夏で引退する事になった、かつて関西近郊で新快速として活躍した117系電車にラスト乗車するのが目的でしたが、今や全国最後となった"国鉄型集結地帯・岡山"をこの機会に改めて味わっておこうと、猛暑の中行って参りました次作以降では、今作の117系ラスト乗車で往復した、広島県福山市にスポットを当てます3作シリーズとし、今作①では岡山駅中心に、倉敷市真備地区の街ブラも入れます。②&③では、福山市の見所を街ブラと、福山から分岐する
6泊7日で香川県へ行ってきました。屋島神社をお参りしたら、家康公と囲碁について書かれているのを発見。すぐお隣にある山祇神社に囲碁の祖神「吉備真備命」が祀られているのを見つけて、お参りできてすごく嬉しかったです。
2023年7月14日7月の京都と言えば……………『祇園祭(ぎおんまつり)』京都に職場が変わって、2年目の夏『京都勉強会市営地下鉄四条編②〜出雲の阿国〜』さてさて…………【先斗町(ぽんとちょう)通り】京都市中央区に位置し、鴨川と木屋町通の間にある花街および歓楽街だ。鴨川寄りに面したお茶屋、料亭、レストラン、バー…ameblo.jp昨年の同じ時期のココロ過去ブログはこちらはい今年も『祇園祭』を体感しに京都に出てきました。ココロが降り立ったのは、京都市営地下鉄烏丸線『丸太町駅』…………
・「文庫本が出たら読もう・・」と決めていたが、店頭で単行本の新刊を手に取ってやはり、面白そうなので、購入して早速読了してしまった。・阿倍仲麻呂、吉備真備が中心的な登場人物だが、以下が、(安部氏の手になるフィクションと史実が入り混じっているが)それなりにわかってくる;(1)日本の国際的位置(2)天皇家の悲願(3)そこでの藤原氏の台頭と、それを防ごうとの勢力のぶつかりあい(4)遣唐使の位置付け(5)唐代の出来事(玄宗皇帝の時代)(6)鑑真和上の来日の背景・仲麻呂が玄宗
『印章教科書』の折込にある年表には、吉備真備(673~755)が片かなを作るとあり、その隣には弘法大師(774~835)がひらがなをつくるとありますが、どちらも現在は俗説とされています。しかしながら、どちらも漢字から派生した日本独自の音節文字であると言えます。カタカナは漢文を和読するために、訓点として借字(万葉仮名)の一部の字画を省略し付記したものに始まると考えられています。また、カタカナもひらがなも、印章としてデザインするには大変難しいものだと言われています。先達ての個展を紹介していた
広峯神社の牛頭天王さて、広峯神社へ到着です。山の中腹にあって、この日は雨でした。少々参道を歩かなければなりません。到着する前から雰囲気があるのです。牛頭天王の雰囲気です。到着すると牛頭天王は歓迎してくれます。隣まで来てくれて、何というか等身大の友達のような雰囲気に感じます。牛頭天王総本山らしいので、どーんと構えた牛頭天王をははーっともっと敬う感じかと思ったのですが、何か牛頭天王がフレンドリーに隣まで来てくれます。何というかこんなスタンスは不敬な感じがするのですがいいんでしょうかね。と
(ここから6月1日に行ってきた…和歌山県高野山を目指しながらの国道480号線郵貯旅)4080局目:吉備【きび】郵便局(和歌山県有田郡有田川町下津野563-5)47119『吉備』というと…岡山県を連想するけれど…この地にこの地名が残っているのには諸説あるようで…☆古代に水銀採掘事業に携わった尾張氏の出身地が吉備であったから説…☆『吉備津様』と呼ばれる祠があり、昔は吉備真備の領地であった説。どちらもそれらしい感じがする(^^)局印には…『宗祇生
大鳥居伊豆国一宮である静岡県三島市の三嶋大社は、創建時期は不明であるが、奈良・平安時代の書物にも記録が残るなど、古くから人々の崇敬を集めてきた。中世に入ると、伊豆に流されていた源頼朝が源氏再興を祈願し、平家打倒後に社領を寄進し厚く庇護している。以降、武門の神として武将たちが厚く信仰するとともに、東海道の宿場町であり、下田街道の起点で伊豆地方の玄関口でもある三島に位置する三嶋大社は、「三嶋大明神」の名で庶民にも広く知られてきた。三嶋大社の入口である大鳥居は、小豆島から切り出した
馳星周による藤原氏の物語の三部目である。読売新聞オンラインで連載中。読みながらメモる。1.藤原仲麻呂は[叔母にあたる]光明皇后[安宿媛]を訪れ、兄の豊成には藤原氏としての野心が足りないと零す。2.藤原四兄弟亡き後、政権を握った橘諸兄の話がでる。皇后の兄にもあたる。3.仲麻呂は皇后に、式部卿の職[人事担当官のようなもの]が欲しいと言う。4〜6.阿倍内親王が登場。既に皇太子となっているが、前代未聞のことである。阿倍内親王は立太子したため、結婚できない。7.阿倍仲麻
賀茂神社禰宜の岡田さん講演会✨✨先日は大変お世話になっている滋賀の賀茂神社の禰宜の岡田さんとのミーティングでした☺️✨✨7/2820時から講演会を企画させていただくことになりました💡💡賀茂神社は奈良時代、聖武天皇の命により、吉備真備(きびのまきび)が陰陽道によって災封じのため創設された神社で1200年以上続いています岡田さんはなんと吉備真備の直系の子孫にあたられる方ですまた【神社に行っても神様に守られない人、神社に行かなくても守られる人。】の著者でもあります💡命とは何か魂
いらっしゃいませ。Beathaのブログへようこそ。シェアできないので、リンクを貼っておきます。@888uhatsura888onInstagram:"御霊神社(上御霊神社)Goryoshrineご祭神は、崇道天皇(早良親王)、吉備真備、橘逸勢をはじめ、十三柱の神霊を祀っている#御霊神社#上御霊神社#本殿#拝殿#御神輿#崇道天皇#早良親王#吉備真備#橘逸勢#京都#神社#神社巡り#神社仏閣#神社仏閣巡り#神
奈良教育大学内にある吉備塚吉備真備が喪られているとの伝承だけど…この古墳の築上時期は真備の時代からは少しズレているみたいです。真備は陰陽道など中国から色々な文化を持って帰国した大きな功績を残した方だけど敷地内の小学校の子どもに聞いたらココは真備のお墓で幽霊(オバケ)が出る!と噂されているみたい🤣かわいそうな真備さま😞
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