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干支の音の続きです竜年から倭迹迹日百襲姫命(やまとととひももそひめのみこと/やまとととびももそひめのみこと)と吉備津彦命(きびつひこのみこと)すみません、存じ上げません。七福神コーナーですね狛犬獅子禊への輪神道での摩尼車でしょうかね。手水舎続く
備後一宮吉備津神社福山市にある吉備津神社の公式サイトです。大同元年(806年)創建で、厄除開運・家内安全・交通安全の神様として崇敬されています。本殿は国の重要文化財、境内全域は国の史跡に指定されています。bingokibitujinja.com備後一宮吉備津神社(いっきゅうさん)|新市町観光協会www.k-shinichi.com広島県の文化財-吉備津神社本殿-広島県教育委員会www.pref.hiroshima.lg.jp備後一宮吉備津神社:中国エリア|おでか
おすすめの御朱印スポットじゃ_詳細岡山県内にあるおすすめの御朱印スポットの詳細です。go-to-kofun.jp吉備津彦神社当神社は古代より背後の吉備の中山に巨大な天津磐座(神を祭る石)磐境(神域を示す列石)を有し、山全体が神の山として崇敬されてきました。皆様の平穏無事と弥栄を二千年に渡って見守り続けてきた神域は神オワス杜、鎮守のやすらぎの杜として、今なお皆様の祈りとともに守り継がれています。www.kibitsuhiko.or.jp吉備津彦神社|Okayama-shiOkay
おはようございます、沙久良です昨日は下関へと出張しておりました。今日は休みを取りますので、メール等の返信は30日より行いますお待ちくださいませ。今日も昨年の神社ネタですまたお楽しみくださいませ~◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆多根神社の次は、まだぽにょちゃんの参拝した事の無い飯石神社へここの神社は日向系の神様を祀っているので、出雲の地において独特な雰囲気なのですそれがまた別の清々しさで心地良いんですよね小川のせせらぎを聞きながら境
4月10日、遺産保存部のメンバーで、古代吉備文化財センターに、中津井土井2号墳出土の『頭椎太刀(かぶらつちたち)』の見学に出かけました。本物を目にするのは初めてで、非常に感激しました。次に『楯築古墳』に出向き、収蔵庫に収められている亀石の説明を受けました。その状況です。続いて、吉備津彦命と温羅との伝説の決闘の歴史の『鯉喰神社』そして、『矢喰神社』に赴きました。それから、総社の『秦の里』へ向かいました。最初に『大𡉕古墳』を視察続いて、『金子石塔塚古墳』では、家形石棺に圧倒されました
岡山県岡山市に鎮座。『吉備津彦神社』備前国一宮。桃太郎のモデルとなった吉備津彦命を祀る神社。三門社流造りの本殿は元禄元年に再建された。御朱印いただきました~
備後国一之宮広島県福山市吉備津神社■御祭神大吉備津彦命■御由緒(HPより)吉備津神社本殿内陣中央には、主祭神を大吉備津彦命、本殿向かって右側には相殿神に大日本根子彦太瓊命(孝霊天皇)と、細比売命を、左側には稚武吉備津彦命をお祀りしています。大吉備津彦命は、またの名を五十狭芹彦命(いさせりひこのみこと)といい、第七代孝霊天皇の皇子で、四道将軍の一人で山陽道を平定され、吉備津開国之神として崇敬されています。大日本根子彦太瓊命は、第七代孝霊天皇で、大吉備津彦命や稚武吉備津
黄金の布袋尊布袋(ほてい生年不詳〜917年頃?)は、唐代末から五代時代(後梁後唐後晋後漢後周)にかけて明州(中国浙江省寧波市)に実在したとされる伝説的な仏僧。水墨画の好画題とされ、大きな袋を背負った太鼓腹の僧侶の姿で描かれる。日本では七福神の一柱として信仰されている。本名は契此(かいし釈契此しゃくかいし)。常に頭陀袋(ずだぶくろ)を背負っていたので布袋という俗称がつけられた。四明県の出身説もあるが、出身地も俗姓も不明。太鼓腹の姿で、寺に住む訳でもなく、処処(あちこち)を泊まり歩
桃太郎縁の吉備津神社にも参拝させて頂きました参拝前にお昼を少し回ってたので、神社前のお食事処で腹拵えをしました折角ですし、ここでしか食べられない物を…と、桃太郎蕎麦をいただいてみましたが、写真に取り忘れた山菜蕎麦に甘くない蕩けた吉備団子とキジ肉のつみれが乗ってて、つゆはいつも食べてるのよりかなり濃いめでしたが美味しかったですさて、腹拵えが終わったら本命の吉備津神社の参拝ですきびつじんじゃ吉備津神社【主祭神】大吉備津彦大神釜の鳴る音で吉凶を占う鳴り釜の神事、桃田のモデルとして
今日は、2022年9月3日から一泊二日で行ったサムハラ神社~岡山の旅の続きを書いていきますね~前回の記事は、岡山駅からすぐのミシュランガイドに掲載されたお店に行った様子でした~『ミシュラン・グリーンガイド・ジャポン掲載店「鳥好」@岡山市』今日は、2022年9月3日~一泊二日で行ったサムハラ神社~岡山の旅について書いていきますね~サムハラ神社奥の宮ののち、ホルモンうどん食べて。『サムハラ神…ameblo.jpおたかさんは、以前、岡山に六年ほど住んでいたことがあるので、どこの
仕事で香川県高松市に行って来ました。帰路、ちょっと寄り道で訪れた旅行記をブログで綴っています。琴電塩江線廃線跡『ガソリン道』散策『琴平電鉄塩江線(旧塩江温泉鉄道)廃線跡ガソリン道【前編】』仕事で香川県高松市に行って来ました。香川県を代表する神社は「金刀比羅宮(通称:こんぴらさん)」ではないでしょうか?かつて「金刀比羅宮」は、「金毘羅大権現(…ameblo.jp『琴平電鉄塩江線(旧塩江温泉鉄道)廃線跡ガソリン道【後編】』琴平電鉄塩江線廃線跡【前編】ことでん仏生山
笠岡市から倉敷市への旅の続きです。倉敷の美観地区を後にした私。次に向かったのは、岡山市北区にある吉備津神社。ここは今まで来てみたいと思いつつ、まだ来たことが無かった場所で。今回初来訪でした。北側の入口から入りました。この神社には大きな回廊があります。そして拝殿へ。こちらの御祭神は、吉備津彦命。第7代天皇孝霊天皇の皇子です。本殿と拝殿を横から拝見。参拝を済ませて御朱印を頂に行きました。参拝者が多いからだと思いますが、なんと、ここでは銀行や市役所などで順番待ちの
吉備津神社の廻廊(重要文化財)。終点には本宮社(内宮社等を含む)。かつては内宮社が背後の山頂に鎮座。(2012年5月撮影時のもの)◆土蜘蛛三十三顧(「温羅」伝説~7)第33回目と中途半端なところですが…この辺であらためてこの「土蜘蛛」記事の主旨を。ご覧頂く読者もかなり入れ替わっていますし。記紀、その他文献や伝承等には、神武東征時及びヤマト王権に対して「まつろわぬ者」たちが多く登場します。もちろんそれらを成敗したのですが…。彼ら(彼女ら)は「土蜘蛛」という呼び方をされています。た
吉備津神社「御竈殿」(2012年5月撮影のもの)◆土蜘蛛三十二顧(「温羅」伝説~6)吉備津神社・吉備津彦神社へは過去に2度参拝しています。最後に参拝したのは2012年。この時は「吉備の中山」の中山茶臼山古墳にまで歩いて行きました。山中の磐座やその他の神社、史跡等、漏れなく…のレベルで拝したいのですが、悉く計画は挫折。愛車の故障もあったな…岡山からレッカーで引っ張ってもらったことも。他にも巡りたい地は山のようにありますが、先ずは人生の復活をかけて今を頑張らねば!…
温羅(うら/おんら)岡山県南部の吉備地方に伝わる古代の鬼。温羅とは伝承上の鬼・人物で、古代吉備地方の統治者であったとされる。「鬼神」「吉備冠者(きびのかじゃ)」という異称があり、伝承によると吉備には吉備津彦命(きびつひこのみこと)が派遣され退治されたという。伝承は遅くとも室町時代末期には現在の形で成立したものと見られ、文書には数種類の縁起が伝えられている。また、この鬼退治伝説は桃太郎伝説の原型に当たるとの説もある。
「鬼ノ城」にある温羅旧跡碑*画像はWikiより◆土蜘蛛三十一顧(「温羅」伝説~5)「温羅」伝説が記される文献は数多く存在しますが、その中から「備中誌」の中に記されるものをピックアップしています。失敗したかな…長い…。ここまでやったからには、最後までやり遂げます!~*~*~*~*~*~*~*~*~*~◎【過去記事一覧】はこちらに!『◆「土蜘蛛」過去記事一覧』大和国葛上郡高天彦神社参道の「蜘蛛窟」■過去記事一覧*一顧(概要)【記紀編】*二顧(長髄彦・名草戸畔・丹
おはようございます昨日の続きです。備中高松城の見学を終えて吉備線に乗車。次に降りたのは、備前一宮駅。最初は吉備津駅で降りて吉備津神社に詣でようとしていましたが、吉備津神社は前に行ったし、行ったことのない吉備津彦神社に行ってみたくて。吉備津彦命は桃太郎のモデルなんですね〜。なんか聞いたことありますね温羅という鬼は、よく岡山のお祭りで聞く『うらじゃ』と関係があるのかな?備前一宮駅も長閑な駅でしたそれにしてもお天気が残念だったなーでもこの頃
吉備津彦神社背後にある吉備の中山の3箇所で、急ぎ粒をおとすよう促された気がして1月7日に現地ではじめた粒はこんな風になりました。龍神社まえで…『火のひと』火のひと、火人をうごかす・・・・・・・環状石籬のエリアで…『和合』すべてのことはリンクする・・・・・・・御陵前で…『地をひらく』さぁはじめよう・・・・・・・
「鬼ノ城」から麓を。*フリー画像より◆土蜘蛛三十顧(「温羅」伝説~4)☆☆☆「謹賀新年」☆☆☆体調不良により連日激痛にみまわれ、仕事もろくにできず収入無し。年越しできんのか?人生最大級のピンチに陥りましたが何とかかんとか無事に年越しはできました。慶ばしきこと…かな?どうやら豊受大神はもう少し生きとけ!と思し召されたようです。はい!お意(こころ)の随々(まにまに)致します。31日に風邪をひいてしまい21時で早退。正月早々から自宅療養。本日は早朝4時過ぎ起きで
吉備津神社*写真は2012年5月に撮影したもの◆土蜘蛛二十八顧(「温羅」伝説~2)前回の記事は途中でぶった切ったような格好となったため、2日連続にてUPします。2日では終われそうにないので、3日…ひょっとしたら4日…続くかもしれませんが。~*~*~*~*~*~*~*~*~*~◎【過去記事一覧】はこちらに!『◆「土蜘蛛」過去記事一覧』大和国葛上郡高天彦神社参道の「蜘蛛窟」■過去記事一覧*一顧(概要)【記紀編】*二顧(長髄彦・名草戸畔・丹敷戸畔)*三顧(兄猾)
吉備津彦神社*写真は2013~4年頃に撮影したもの◆土蜘蛛二十七顧(「温羅」伝説~1)記紀や各国風土記等に登場する「土蜘蛛」を一通り紹介し終えました。ところがこれですべての「土蜘蛛」を網羅したとは到底思えず、その他の文献や伝承等にはまだまだ存在しているのだろうと思います。しばらくは自身の思い付く限りに、また必要に応じてその他文献の探索を行っていきたいと思います。完全版というまでにはほど遠いのでしょうが、そこそこの集大成にしたいと考えています。~*~*~*~*~*~*~*~
町並み保存地区の終点辺り、旭川を渡る神橋のふもとに道しるべがある。播磨国姫路から勝山宿を経て、新庄ー板井原ー根雨ー二部ー溝口ー米子ー安来ー出雲郷へと通じる出雲街道の道標。そのほとんどが現在の国道181号線(津山から米子)を辿っている。唯一、二部がそのコースを外れているが、二部宿はその昔和名類聚抄(10世紀編集か)には古い郷名が「野上」と云われている辺りでもある。南左雲伯往来と標してある。(雲伯とは出雲伯耆です)東大仙倉吉道ともある。かつて樂樂福神社
☆孝霊天皇片丘馬坂陵大和国葛下郡奈良県北葛城郡王寺町本町3丁目(詳細住所不明)(進入路は県道201号線より)(P有るものの閉じられ進入不可、西へ歩いて5分ほどの「王寺健民運動場」P、もしくは道路向かいに停め置き)第七代孝霊天皇の治定墓。丘そのものが樹叢に覆われ、御陵であるために全容を把握できないものの、自然の丘を利用した「山形墳」であるとのこと。それ以外の情報は一切無し。孝霊天皇と言えば「桃太郎」伝説に深い関わりのある天皇ですが、宮は黒田廬戸宮とされ、桃太郎退治の出発地などとも。
讃岐国一宮田村神社金刀比羅宮へお参りした後、琴電琴平駅から高松琴平電気鉄道琴平線に乗車琴電琴平駅はパッと見たところ、駅に見えないので、一度通り過ぎてしまった。一宮駅から線路沿いを2、3分歩くと参道に。参道に人がいないと思っていたら、境内は七五三参りで賑わっている様子。御祭神は倭迹迹日百襲姫命(やまとももそひめのみこと)、五十狭芹彦命(いさせりひこのみこと)別名を吉備津彦命)、猿田彦大神、天隠山命(あめのかぐやまのみこと)別名を高倉下命(たかくらじのみこと)、天五田根命(あめの
こんばんは今日は朝から氏神さんへ秋祭り長い参道にはたくさんの露店だんじりが宮入りしてお祓いをしてもらいお稚児さんが入って来てだんじりが勢揃い九台のだんじり彫り物が凄いでしょ綺麗でしょ氏神さんにご挨拶御神輿綺麗です御神木のカマキリさんランチは王将へさぁ岡山の旅吉備津神社さんの続きです拝殿でご挨拶をして拝殿の左側へ正面に御祈祷受付がありここで御朱印が授かれます右側には大きな御神木さん樹齢600年いちょう神木今頃は綺麗に紅葉してるかな?御
おもりの日今朝の我が家への登園は少しゆっくりらしい私も少しゆっくりした朝を迎えようと思いましたが…朝からこんな❗️(とっくにお日様は東の空でご活躍)昨日の夜窓という窓全部閉めて寝ましたからこんな暑い日にこちらうらじゃ2023が開催されています昨日と今日2日間市内のあちこち演舞場を開設して踊っておられます温羅伝説をベースに1994年から始まった市民参加型のお祭りで結構歴史も長いですね👹鬼となった温羅と吉備津彦命との闘いを描いた伝説この鬼をやっつけた吉備津彦命🟰桃太郎🍑
前回と関係したお話です。『桃太郎の犬と雉!』昔話に登場する桃太郎。フィクションと思われる方が多いのかも知れませんが、実在の人物のようです。その正体は、吉備津彦命(きびつひこのみこと)との伝承がありま…ameblo.jp今回は、桃太郎のもう一匹の眷属である猿についてご紹介します。桃太郎の眷属が犬、猿、雉であるのは、十二支の中の3種類の動物が選ばれたと言って善いでしょう。十二支というのは、動物の中でもより高い地位に入る存在だと考えています。動物類の中でも、精霊や神の魂を持
昔話に登場する桃太郎。フィクションと思われる方が多いのかも知れませんが、実在の人物のようです。その正体は、吉備津彦命(きびつひこのみこと)との伝承があります。吉備津彦命-Wikipediaja.wikipedia.org吉備津彦命とは、「命(みこと)」が付いて神のようですが、「命」とは神レベルの魂を持った人物と考えて善いと思います。3000年前に神代から人間中心文明に移行しましたが、それでも2000年くらい前までは神の能力を持った人間が少数ながら存在していた
御前(オンサキ)神社⛩岡山市南区妹尾897-1吉備津神社の摂社72社の一つで西磯村(現岡山市妹尾)の鎮守社。通称西の宮。御祭神大吉備津彦命[五十狭命芹彦(いさぜりひこのみこと)]・前玉命・伊弉諾命御神徳・交通安全・学業成就・災難除け・五穀豊穣・商売繁盛・健康長寿・武運長久・慈愛摂社・大綿津見神社(豊玉彦命)俗称/龍王宮末社・恵比寿神社(事代主命)・天満宮(菅原道真公)・厳島神社(市杵島姫命)茅の輪がありました両社宮と呼ばれ、二つの社を一つ
さてさて……………前回(2019年10月)参拝時には、【吉備津神社】から【吉備津彦命墓】へと車で移動する際に、チラっと見えた銅像。後日、その意味が分かりココロは驚愕したのだったその銅像の人物とは……………【犬飼木堂(いぬかいぼくどう)先生銅像】【犬養毅(いぬかいつよし)】1855年〜1932年日本の政治家。号は木堂。内閣総理大臣(第29代)、文部大臣(第13・31代)、内務大臣(第50代)などを歴任。犬養毅(木堂)は、安政2年(1855年)備中国賀陽郡庭瀬村(現:岡山市北区川入