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『令和7.10.16.民主党政権の悪夢を忘れるな!』『令和7.10.13.時空を越えてin平城宮いざない館』『令和7.10.15.JR木津駅・鹿・鶏・市民農園物語』『令和7.10.13.平城宮跡』『令和7…ameblo.jp『令和7.10.13.時空を越えてin平城宮いざない館』『令和7.10.15.JR木津駅・鹿・鶏・市民農園物語』『令和7.10.13.平城宮跡』『令和7.10.14.納豆お食べ』『令和7.10.13.伏見稲…ameblo.jp平城宮いざない館in平城宮跡
近鉄生駒線平群駅で下車。長屋王、吉備内親王の墓へ。長屋王(676または684~729)。父親は、天武天皇の皇子、高市皇子。母親は、天智天皇の皇女、御名部皇女。ということは、長屋王は、天智天皇と天武天皇の孫。サラブレッド中のサラブレッド。しかし、長屋王と、藤原四兄弟の対立が激化し。729年。長屋王に、国家転覆の計画ありとされ。長屋王は、自殺に追い込まれ。吉備内親王も、子どもたちと自殺して。吉備内親王(?~729)は、父親は、草壁皇子。母親は、元明天皇。やがて、長屋王は、
阿修羅像が戦闘神なのに首飾りをしていたり細い腕でとても戦闘の神には見えない。不思議な造なので、「阿修羅の涙興福寺八部衆の謎を解く」(著者:日下草平)というタイトルの本を買って読んでみた。以下は忘備録として、私が要点と思ったことを書きまとめたものである。興福寺(の国宝館)に八部衆像が安置されている。八部衆像を作ったのは、彫刻部門のリーダーは将軍万福(しょうぐんはまぷく)、彩色部門のリーダーは秦牛養(はたのうしかい)に率いられた工人たち。八部衆像の名前と簡単な説明(
近鉄奈良駅の改札階でせんとくんとシカの親子にご挨拶。朝、キャリーケースを宅配便に頼んで、リュックひとつを背負って出発しました。両手が自由だと歩くのに疲れないんですよね。ただ、リュックはお財布やスマホの出し入れに手間取るんですよ。西ノ京駅を降りて、薬師寺さんに入って、ここで、荷物の出し入れを難儀しながらすませました。こちらから入ったのは初めてだったのですが食堂のなかには、お土産処がありました。いつかタクシーの運転手さんが、高田好胤さんはお金儲けが上手だからと言ってたのを思いだしました。で
しつこくてすみません市民農園物語さんのブログリブログします長屋と吉備は偕老同穴じゃないのか・・・藤原の陰謀かこの時代が好きすぎてつい入れ込み過ぎてしまいました最近、鬱気味の私の目をキラキラさせてくださるような素敵な奈良の古代ブログ市民農園さん、しつこい私をお許しください🙇
長屋王の墓から北西へ数分。奈良県生駒郡平群町梨本字前773番地住宅に囲まれてます。地面には法螺貝天武天皇皇孫長屋王妃吉備内親王墓。草壁皇子と元明天皇の次女。元正天皇の妹で、文武天皇の姉または妹。長屋王の妃。長屋王の変で自殺に追い込まれました。結構な階段。空間が広がってます。神亀6年(729年)2月、長屋王の使用人であった漆部造君足と中臣宮処連東人の密告により、長屋王が国を傾けるため「左道」を行ったとして、彼は自刄に追い込まれた。吉備内親王も、3人の息子達と共に縊死した。前
奈良県生駒郡平群町を散歩しまーす。近鉄生駒線で平群駅下車。カリヨン時計塔。国道168号線。後方は矢田丘陵。脇道を西へ折れます。後方は生駒山地。鳥居⛩️が見えます。第40代天武天皇皇孫長屋王墓。綺麗に整備されてます。何やろ?身の引き締まる雰囲気?~729.2.12天武天皇の孫で,高市(たけち)皇子の子。母は天智天皇の子で元明天皇の姉御名部(みなべ)皇女か。文武天皇の同母妹吉備内親王を正妻とし,親王に準じる高い待遇をうけた。元明天皇の信頼あつく,720年(養老4)の藤原不比
昨年の奈良日記、近鉄奈良と色々編です。実は初めての正倉院展に行っていました。(仕事で色々あった時期ですごくしんどかった残念な思い出が…)お昼に博物館併設のカフェでカレーライスを食べたようです。ビール飲んでた。笑今年も行く予定なので楽しめたらいいなあ…お次は長屋王関係。元正天皇展と吉備内親王展を見たそのままの勢いで平群町に向かいました。長屋王と吉備内親王のお墓がある町です。まずは吉備内親王陵。岡宮天皇(草壁皇子)皇女となってますね。民家の中にあります。安らかにお休みいただき
もう一年半前になりますが、長屋王と吉備内親王の軌跡を辿る平群ツアーに参加しました。あまり墓崚には興味の湧かない私ですが、やはり、知ることは大事で、このツアーに参加したことをきっかけに歴史を振り返るときは、藤原氏の隆盛がもたらした影響力を意識するようになりました。長屋王は血筋も確かで、賢く、人望も厚かったとされますが、藤原不比等の子供たち4兄弟の謀略に遭い自害され、正妃であった吉備内親王も後を追い自害をされます。藤原4兄弟はその後、四人とも疫病にかかって病に伏した後に亡くなるわけですが、これ
6月末〜7月頭に通った平城宮跡とならまちの日記を。平城宮跡いざない館で開催されている元正天皇展(氷高内親王編)のスタートが6/25だったので、初日から行ってきました。物販や関連講座含めた日記は別途…現在は元正太上天皇編が開催中なので是非多くの方に行っていただきたい。元正天皇展開催が嬉しくて、初日は平城京うまし館にある「トキジクキッチン」でランチのコースを食べました。(ビール笑)お魚好きだー朱雀門を見ながら食事ができるので、より美味しく感じる。元正天皇展初日の日に、なら100年記念
22.07/17sun.15:05-17:20近鉄平群駅から線路沿いに駅踏切を過ごし北の踏切を渡って左折北に突き当たる右に、吉備内親王墓南東に、長屋王墓長屋王墓の手前に長屋王御陵公園あって天武天皇の孫ながら藤原四兄弟の陰謀?長屋王の変で自害…ほか解説を得られる南東に、上庄バイパスを渡って辻を左折道なりに、三里古墳前方後円墳墳丘長35mor円墳直径22m両袖式横穴式石室築造6世紀後半-末石棚付石室、吉備内親王墓の北側に平群坐紀氏神社もあって、紀氏に繋がる?
近畿地方も昨日より梅雨入りしました(・・;)例年より10日ほど遅い梅雨入りだそう。そのまま10日短縮したまま梅雨明けして欲しいところです。今日も午前中は小雨がチラつく中、午後に近づき徐々に雨雲も東の空に移動して、時折青空も見れるくらいに回復しました。午前、北大阪での仕事を午前中で済ませ、午後奈良まで戻ってきました。当ブログでも何度か取り上げているコミュニティバスの乗車レポを書きたいと思います。<過去4回の乗車記>2021年4月13日天理市コミュニティ
こんばんは。今回は天武天皇孫長屋王妃吉備内親王墓です。馬鍬淵の散策をしてから移動しています。今回の記事は短めで編集しております。奈良で暮らしていると写真のような看板を至る所で目にするので珍しさよりも安心感を感じられます。階段を上ります。掲載している写真をご覧いただければおわかりかと思いますが、古墳の周囲は住宅街です。また、古墳そのものも小規模で南側と西側から古墳の様子を見学できます。道路に上記のものが設置されていましたが、ホラ貝のようなものに見え
薬師寺シリーズ今回は東院堂です。回廊の裏にあって、見逃してしまいそうな場所にあります。《薬師寺東院堂》国宝の東院堂は吉備内親王が母である元明天皇の冥福を祈るために建立されました。現在の東院堂は1285年(鎌倉時代)に再建されました。東院堂に安置されているのは国宝の聖観世音菩薩像です。白鳳時代の作です。優しいお姿の観音様です。吉備内親王は在りし日の母の姿を思い浮かべながら手を合わせたのでしょうか。吉備内親王の父は草壁皇子、兄と姉は天皇という家系。時代に翻弄された一族の姫です。夫は謀
3泊4日の滋賀・奈良の旅もいよいよ最終日です。最終日は薬師寺からスタート。特別公開の拝観券もつけちゃいました。薬師寺は天武天皇が持統天皇(鸕野讃良皇女)の病気回復を願って発願されたもの。東塔は建築当初から現存するらしく、最近?修復が終わったみたいです。(そういえば数年前の歴史秘話ヒストリアのときに絶賛修復中だったな…)あとは東院堂!こちらは元明天皇のために吉備内親王が発願されたもの。吉備内親王も悲劇的な運命を辿ったお姫様ですね…おみくじがあったので懲りずに引いてみる。中に縁起
10月27日(水)四条烏丸実施しました。吉備内親王をご存じでしょうか。長屋王の奥様ということも知らない呼びかけ人でしたが、不遇な最期を知ると、その無念を偲ぶことしかできません。系譜図のほかに読み取れるほかに吉備内親王はどのような方だったのか、多くの方に知っていただけたならと思うのです。12月5日までやっていますので、ぜひ平城京へ。水族館の舞台裏といえば「水族館ガール」ですが、働いている方それぞれの気持ちも綴られているこちらもおすすめです。ほか「桜疎水」が改題されて文庫となったり、
国営平城宮跡歴史公園、平城宮いざない館休憩コーナーで開催中の「吉備內親王展」のチラシです。平城京に遷都をした元明天皇の娘であり、元正天皇の妹、聖武天皇の叔母にあたり長屋王の妻でもあった吉備内親王残る痕跡の少ない皇女の生涯をイラストや写真で紹介、パネル展示します。(チラシより)10/6に行ってきました。まだ他にも平城宮跡でイベントがあるので、ここも何度かいくかな。昨年の「元明天皇展」に続くパネル展示による、奈良時代の人物紹介。今回は吉備内親王です。ちょっと意表を突かれた人選と思
☆岡宮天皇皇女吉備内親王墓大和国平群郡奈良県生駒郡平群町梨本字前773(P無し、墓前近くに路駐しました)*長屋王墓とのセット記事にしていたものを分離独立させました。「生駒山地」と「矢田丘陵」に挟まれた「平群谷」内の古墳。夫の長屋王の治定墓(長屋王墓)のすぐ近くに築かれ、岡宮天皇皇女吉備内親王墓に治定されています。岡宮天皇とは草壁皇子のこと。天武天皇と持統天皇との間の御子。次代天皇として「吉野の盟約」により、政争を起こさせないようにと確約までさせたのに、天皇にならぬまま若くして薨
☆長屋王墓大和国平群郡☆長屋王墓奈良県生駒郡平群町梨本字前758(P無し、隣の公園前に停め置きました)「生駒山地」と「矢田丘陵」に挟まれた「平群谷」内の古墳。妻の長屋王の吉備内親王墓(後ほど記事UPします)がすぐ近くに築かれています。「続日本紀」には、長屋王とその正妻である吉備内親王を「生駒山に葬る」とあります。「現在の生駒山」とこの墳墓がある平群の地がどれだけ離れているのか、奈良県民なら分かる人は多いかと思いますが、ざっと10~15kmほどでしょうか。古代の「生駒山」とは、現
昔のことは分かりません!だって、直接見聞きした訳じゃないのだから・・。胡散臭い雑誌なんかで、「歴史の真実を教えます!」とか言う見出し(コピー)を見かけることがありますが、怪しいですね!一番信頼できる歴史研究者の言は「歴史は分からん」でしょ!今日は、日本史の1ページについて、長~く且つつまらない‘独り言’です。はじめにお断りしておきますが、私は、歴史学や考古学の研究者でも何でもありません。学生時代、そう言った分野(歴史)を専攻した訳でもありません。趣味で、絵画や彫刻(仏像)をちょっと“か
【吉備内親王墓】を出発した我々『墓マイラー』は、次なる目的地を目指した……おっ案内看板があるぞあと0.2kmだ0120-213-………もういいか(笑)あと0.1km天気もいいしのどかな風景に癒される到着ーーーーーーーっ【三里古墳(みさとこふん)】奈良県生駒郡平群町三里958形式:円墳または前方後円墳築造:六世紀後半ごろ入口に石碑が並び建っている【三里古墳】は、竜田川の東岸、矢田丘陵から南東に延びる尾根上の古墳である。墳丘はすでに破壊されており墳
奈良県生駒市の【美努岡萬墓(みののおかまろはか)】を出発した『墓マイラー』となった我々は次の目的地へと向かった………到着したのは…………【吉備内親王(きびないしんのう)墓】奈良県生駒郡平群町梨本字前773奈良時代に無実の罪で自害させられた悲劇の宰相長屋王。生駒郡平群町にある【長屋王墓】から、北西150mほどの位置にともに亡くなった正妃吉備内親王の墓は築かれている。吉備内親王は、草壁皇子(岡宮天皇)と元明天皇の次女であり、元正天皇の妹、文武天皇の姉または妹という高貴な血筋であった。案内
2020/4/25駐日中国大使が読売新聞に寄稿された。とても情に溢た文章です全文を、読んでください。ここでは著作権等分からないので、その一部を画像で。大使は人民日報にも以前に書かれています。http://www.china-embassy.or.jp/jpn/sgxw/t1748741.htm『山川異域風月同天』の8文字も書き込まれていて、これはパンデミック初期に日本が中国に物資を送った時に引用した文字です。引用元は千年以上前に長屋王が書き、鑑真が不屈の意志で来日される契
古代の歴代天皇が、近隣畿内で行幸される事が多かった中、第44代元正天皇は遠方への行幸をされている。元正天皇の父は草壁皇子(天武天皇と持統天皇の第一皇子)、母は元明天皇(天智天皇の第四皇女)、また、同母弟の文武天皇は第42代天皇として在位されている。元正天皇は、母・元明天皇以来二代に亘る「男系女性天皇」(※未だ嘗て「女系天皇」は存在していない)であり、謂わば、次の帝が御即位されるまでの中継ぎ的役割を担われての御即位であった。前投稿の通り、元明天皇の頃から、徐々に藤原氏が権勢を振る
せっかくのゴールデンウィークなので、昨日は近鉄電車主催のウォーキングに参加。場所が生駒郡の平群町周辺とのことで、家から近いし、気軽に参加。集合場所は、近鉄生駒線の平群駅。この日は、年に一度の平群の時代祭があるとのこと。いつもは静かな街がちょっと賑わってます。最初の神社は、白山神社。石川県の白山と関係があるよかな?神社の隣の御堂の中の仏様。こんな素敵な仏様が平群におわしたとは。まさに勉強不足。吉備内親王の稜です。思ってた以上に大きな祠でした。しっかりとお参り。吉備内親王
2019年-平成31年4月29日スタート最寄駅は近鉄・平群駅、本日のマップ、ツボリ山古墳、その様子、藤田家住宅、白山神社、吉備内親王墓、長屋王墓、三里(みさと)古墳、その様子、宮山塚古墳、烏土塚古墳、その様子、西宮古墳、ゴールの近鉄・平群駅へ戻ってきました、約9kmで160分でした。
わが憧れの地である奈良県。この奈良県奈良市西ノ京町にある薬師寺は、天武天皇が皇后である鸕野讚良皇女(後の持統天皇)の病気快復を祈って発願された1300年の歴史を持つお寺だ。道昭により伝来した法相宗(南都六宗の一つ)の大本山であり、世界遺産にも登録されている。すでに薬師寺に関しては、西塔・大講堂・玄奘三蔵院伽藍・金堂について紹介している。今回は薬師寺の東院堂について紹介していきたい。「薬師寺の東院堂」薬師寺の東院堂は、養老年間(717-724)に吉備内親王がその母帝・元明天皇の冥福を祈っ