ブログ記事10件
記紀に記載されている吉備の高島宮の伝承候補地となった8ケ所を2018-11-10~2021-10-18に訪れました総集編です。古事記、「ー-筑紫の岡田宮に1年坐しき、亦その国より上り幸して阿岐国の多祁理宮に7年坐しき、亦その国より遷り上り幸して吉備の高島宮に8年坐しきー-」日本書紀、「--11月8日筑紫の国の崗の水門に着いた、12月27日安芸の国のえの宮に滞在した。即位前6年乙卯の年春3月5日吉
神武天皇の東征途上の吉備の高島宮の伝承地の内、昭和13年(1938)から15年にかけて時の文部省が学会総力をあげて調査の結果、「神武天皇聖蹟伝承地」に認定した岡山市南区宮浦(備前国児島郡宮浦)の高嶋神社を訪れました。吉備の高島宮訪問は8ケ所目で今回が最終になりました。写真⑯、「高島」の対岸にある「宮浦の高嶋神社」写真⑰、宮浦の高嶋神社の遥拝所より児島湾に浮かぶ「高島」を望む写真⑱、遥拝所の海岸より「高島」写真⑲、「高島」にある高嶋神社の拝殿を遥拝所の海
神武東征の吉備の高島宮の伝承地の一つの岡山市中区賞田(備前国上道郡)にある賞田の高島宮を訪れました。写真⑦、賞田の高島宮址の背後の山波(奥中央が龍ノ口山257m)写真⑧、賞田の高島宮の山麓を流れる、備前の大河旭川から分水された農業用水路(江戸初期からのものを改修)写真⑨、農水路の橋を渡るとすぐ高島宮の登り口がある。写真➉⑪、高島宮への登り道、比高差は約30m写真⑫、参道を登った処の「吉備高島宮址」の碑写真⑬⑭、賞田の高島宮
備後、福山市田尻町は、日本有数の「杏の里」で約3,000本の杏がある。--写真①②①杏杏は、バラ科サクラ属の落葉小高木で梅やスモモ(李)とは近縁種で3月下旬から4月上旬に桜よりやや早く咲く。②杏下図は、福山市田尻の周辺図です。田尻町は、JR福山駅から南約9km、鞆の浦まで4kmの地点にあり、現在の人口8,000人、850世帯の町で吉備の高島宮の候補地の一つである武の宮八幡宮はこの町内にある。写真③は、「杏の里」から武の宮八幡宮と田
5番目の吉備の高島宮の候補地は、前回の神島神社から海を隔てた2km南にある岡山県笠岡市の笠岡諸島の高島(旧備中国小田郡)です。写真①は神島の最高峰の栂の丸山(306m)から見た瀬戸内海に浮かぶ笠岡諸島の一部で手前から高島、白石島そして北木島です。今日は天気が良く肉眼で四国の山々がみえました。①高島全景高島は、面積1.2km2、周囲5.9km、最高峰は神卜山77m、現在は48所帯人口82名のしまです。昔は小学校があったが校舎は取り壊されて二宮尊徳像だけ残っている。高島へは笠
吉備の高島宮の候補地の4番目は、備後国武の宮八幡宮から東に海路約12kmの地点にあるのが、備中国小田郡神島(現・岡山県笠岡市)の神島神社です。写真①は島の西側の高台から神島神社方向の神島外浦港を見た処で神社は海に面した右端にあります。①外浦港写真②は外浦港の東より神島神社の鳥居を見る。②鳥居写真③は、神社の入口の道路から神社を見る。③神社入口④は拝殿と本殿④拝殿と本殿祭神は、神武天皇と興世姫で創建は726年、延喜式内社である。興世姫
備後の3番目の吉備の高島宮の候補地は、田島、皇森神社から東へ12kmの所ににある広島県福山市田尻(旧、備後国沼隈郡)の武の宮八幡宮です。ここは、瀬戸内海のほぼ中央に位置し古代より汐待湊として栄えた鞆の浦から東へ5kmの地点にある。社伝によれば、八幡神社て゛応神天皇、神功皇后および仲哀天皇を祭神としてあるが、大正4年に神武天皇を祀る橿原神社を合祀したとし、高島宮の碑がある。写真①は境内入口の階段(121段)でこの階段の最上部の左に高島宮の跡の碑がある。ーー写真②①入口
尾道の王太子神社の次は、約7.5km東にある広島県福山市内海町の田島(備後国沼隈郡)の皇森神社です。写真①は王太子神社のある浦崎の東海岸から東方の千年湾と田島(奥の中央の島、左側のクレーンが沢山見ある所は造船所)を見た処です。①千年湾尾道水道から松永湾、千年湾を経て阿伏兎観音下の瀬戸を通り鞆の浦に至るこのルートは平安時代においても平清盛、後白河法皇を初め平安貴族が安芸の宮島(厳島神社)に参詣した航路であり、江戸時代は備後福山藩の敷名船番所があっ
古事記によれば、後の神武天皇が長兄の五瀬命と九州から東上される際に、安岐(あき)の多祁理(たけり)宮から吉備の高島宮に移り8年間(日本書紀では3年)滞在されたと記されている。その高島宮の候補地は、十数カ所あったが昭和15年(紀元2600年)に時の文部省が備前・児島郡の高島に設定している。今回、古代の吉備(備前・備中・備後)の主な高島宮の候補地を訪れました、先ず最初は安芸国から一番近い尾道市浦崎(旧・備後国沼隈郡)にある王太子神社とその周辺からスタートします。下図は、尾
いよいよ、今回から、古事記の「中巻(なかつまき)」、所謂、人代編をスタートいたします。神代編にも、まだまだ多くの課題や、このブログを書き始めてはや1年と2か月が立ちましたが、この間におきましても、色々と修正点も出てきておりますので、そのあたりは以前に述べましたように、「古事記神代編のポイント」というコーナーを設け、俯瞰的に考え導き出した内容を述べていこうと思います。つまり、こちらはこちらで先に進み、振り返りは別で...そのようにしていきたいと思います。(現代語訳)