ブログ記事11件
平成29年2月6日じげ風呂リブログ版(2017年2月6日)吉備津彦命の足跡訪ねていっぽんしょうりょうきびつぐう、しんぐうほんぐううちのみや、はやとざき、きたやみなみのかみまろうど、うしとらみさきはおそろしや。(一品聖霊吉備津宮、新宮本宮内の宮、隼人崎、北や南の神客人、艮御崎は恐ろしや。)<制作:岡山の風
1月3日実家にお墓参りへ行ったついでに倉敷美観地区へお正月ということでまずは阿智神社へ参拝現在の倉敷市の中心部であり、神社のある鶴形山一帯はかつては、吉備の穴海と呼ばれる浅い海域でしたが、16世紀後半から始まった新田の開拓事業で陸地が広がりました。その後、幕府直轄の天領となり、物資輸送の一大集散地として繁栄することになりました。そういう歴史的な経緯もあり、現在は海から遠く離れた場所なのに、主祭神は、海上交通の安全を守る宗像三女神長い長い行列皆さ
小野龍海’s歴史塾五代目の小野小町(小野吉子)の末裔が先祖である小野小町の実在性を証明する為に始めた歴史研究の成果を公表する為のホームページになります。ono-no-tatsumi.amebaownd.com今は、九州を作業中ですが、瀬戸内海と違って島から陸続きになった所が少なく(ほとんど無い)ので、作業そのものに意味があまり無いことから(全く無い訳では無いのですが、要するに飽きたのです……)、残りは「島名」から作業する方が早いと判断したものです。(モチロン飽きた事が一番の要因です!)
ウオークの途中お昼ごはんは牛長で焼肉〜歩いていてお腹空いたね〜って時計見たら13時過ぎてたのでお昼にすることに丁度近くに焼肉屋さんがさっそくお店に入り〜焼肉大好き〜アルコールはNGなのでサワーと同じ内容のサイダー美味しくいただきましたこの後も元気に歩いてトータル24400歩〜ほんまにはっぴ〜な一日でした
今日のウオークでいっぱい美しい花をみましたオオデマリ?ネモフィラ〜国境の川沿い〜筍の芽がいっぱい〜藤〜八重桜〜この他にも歩きながらいっぱいお花見できました🌸良い季節のウオークでした
本日A澤さんが吉備の穴海(妹尾)の下見に行くって聞いて参加させてもらいましたウオークするのは1年以上ぶりなのでついていけるかドキドキ幸にもお天気に恵まれて備中箕島からスタートまずは駅から見える正福寺〜箕島(三島)の一つ亀島〜備前、備中国境標石〜汗入用水沿を歩いてたらすごい亀の数〜〜〜浄泉寺〜高尾厳島神社〜道中数々の井戸〜栗村神社〜当日はここの広場でお弁当らしい御前神社〜ここからスタート地点に〜歩くこと17km24400歩久しぶりいっぱい歩きました〜
今回はYouTubeチャンネル「DreamersTV」より「阪神淡路大震災の真相【都市伝説】」を文字起こししました。みなさんは人工地震説を信じますか?私は絶対とは言わないけど、信じてる派というか、疑っている派です。阪神淡路大震災の真相【都市伝説】~誰か太郎さんに聞いてみて~今回はYouTubeチャンネル「DreamersTV」より「阪神淡路大震災の真相【都市伝説】」を文字起こししました。みなさんは人工地震説を信じますか?私は絶対とは言わないけど、信じてる派というか、疑っている派です
児島湾干拓七区竣功記念碑(岡山市南区)奈良時代より干拓が行われてきた児島湾は、昭和38年(1963年)第七区の竣工をもって干拓が完了しました。同年、完工を記念し碑が建立されました。碑にはどのような言葉が刻まれているのでしょう。少し長いですが、読んでみることにしましょう。「児島湾干拓七区竣功記念碑農林大臣重政誠之篆額渺茫たる児島湾沿岸一帯の美田は旭・高梁・吉井などの河川の沖積作用による低湿地や浅海面を、古くは奈良時代に、近くは江戸時代から昭和
皆さんは「海水準変動」という言葉をご存じでしょうか?私も知らなかったのですが、フェアブリッジ教授という方の研究だそうですが、簡単にいうと「世界の海水面の変動を調べた結果」という事になります。私は岡山県に住みますが、「吉備の穴海」と呼ばれていて、内陸部まで海だった事が分かっています。↑は10mまで海とした地図です。しかし「海水準変動」のグラフを見ると変動幅は大きくても、2m程度で吉備の穴海になるには最低でも10m以上は欲しいところです。あれれ?これでは古代の伝承はウソ!?にな
邪馬台国吉備説で思い出しましたが、倉敷市玉島の「穂井田」という地域は天穂日命の養田だったことに由来する事を何処かで読んだか聞いたかした覚えがあります。穂井田は備中高松城の戦いに於いて毛利元清が穂井田元清として猿掛城で迎え撃ったことでも知られていますが、行政区分もコロコロ変わったりして何かと曰くのある地域だった様に思います。また真備町の「妹(せ)」も宗像三女神の一人に由来する伝説があった様な…、吉備が邪馬台国かどうかは別としてもヤマトとの関わり方の研究はあまり聞かない気がします。考古
福山市新市町上安井(旧備後国品治郡上安井村)にある日本武神社です、10年前にウォーキング(遠足です)した時に、地方にしては珍しい祭神と2本の大きな杉の木が記憶に残って再訪しました。写真①は、日本武神社の鳥居で大正15年(1926)の奉納です。下図は、日本武神社の位置で、JR福塩線の新市駅の北約5Kmの神谷川左岸の山麓に有ります。先日訪れました、品治別神社は、ここより北2kmに有ります。関連写真①~⑤写真②
こんばんは、祈祷師の孫ひろのりです。前回の投稿に引き続き、岡山桃太郎伝説ツアーの第3回です。前回までのあらすじユースホステルを出発し、吉備津彦神社、吉備津神社と巡って、桃太郎伝説の結末を知る。その後、吉備津彦が防戦のために石楯を築いた楯築遺跡と、吉備津彦が鵜となり、温羅を仕留めたとされる鯉喰神社を巡る。デジカメの電池は、残りわずか。。。そして、おなかも空いてきて・・・時間も12時になり、腹が減って、もうフラフラだ。早く飯を食わなければ・・・(*_*)そんな時、とあ
2016夏ひゅう~。。。。運転の連続で、ちょっと疲れたねぇ~。。ちょっと一息。。そして、もうホテルに行こうかな。。(次の日‼️…長い帰り道‼️に備えて。。)そうして。。。。『駐車場』に停めて。。↑↑このカフェに入り。。もう帰ろう‼️。。と、『駐車場』に向かって行ったのだが⁉️…あれ?…。。方向が‼️…分からなくなってしまった‼️(こんなことは‼️…珍しい‼️。)『駐車場』が‼️…どこか分からない。。。と。。よく分からないまま…歩いていくと⁉️「あ⁉️…神社だ‼️
どーも※2017/6/25のお話です。最後にやってきたのは岡山市の隣の小さな町、早島町。ここに穴海が消えた理由の最後の鍵があります。龍神社。検索してもあまり情報も出てこないような神社の一画にこんなものが建てられています。“宇喜多堤起点之地”宇喜多堤とは宇喜多秀家が当時の児島湾(岡山南部に広がっていた海=穴海)にあった干潟を干拓し、新田開発する為に築かせた汐止め堤防。その堤防は瀬戸内海に浮かぶ島々を繋いで築かれていました。