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塞王の楯Amazon(アマゾン)塞王の楯[今村翔吾]楽天市場${EVENT_LABEL_01_TEXT}ご存知、直木賞受賞作品です。今村翔吾氏の作品は時代小説でありながらも、史実に則りながら巧みに現代の視点が物語の要諦を成している点が秀逸です。どんな攻撃にも耐えることができる石垣と、いかなる防御も破ることができる火器が戦国時代を舞台にあい見えます。まるで現代のどこかの国のミサイルと、それを防ぐシステムの構築と似たものを感じるのは多くの読者
(7)現在は『欧米に開国を迫られて、実際に開国した1850〜60年代』の繰り返しであります。僕は『大東亜戦争に関する司馬史観を/は支持しません』が、「無責任なヤクニンが国を滅ぼす」とした司馬遼太郎さんの歴史認識を支持します。徳川幕府にも人材はいましたし、徳川慶喜も無能ではありませんでしたが、「幕府は〈基本的に〉事なかれ主義で無責任でした。」それ故、薩長が〈一応は〉勝ったのです。もちろん、英国と英国公使パークスと通訳サトウ等の協力があってこそですが。僕はアーネスト・サトウの
ある新聞のメルマガで、司馬遼太郎の著書「この国のかたち」を取り上げていたのを受けて、久しぶりに手に取ってみました。司馬遼太郎の日本史についての考察は、「司馬史観」と呼ばれる独特の視点から描かれたものが多く、そのユニークな取り上げ方は昔から人気があります。雑誌の巻頭随筆として10年間に渡り連載され、全部で100編以上のエッセーで構成されていますが、彼の考え方の土台となる視点は最初の3回分を読めば、ほとんど掴むことができる気がします。📖📖📖📖📖📖📖📖📖ー
最近流行の「明治維新を疑う」「司馬史観批判」系の本を数冊買った。こういうのは玉石混淆だな。怪しげな本も多いな。特に「世界金融資本の陰謀論」で語ってるやつはちょっとかなりイヤ。それから、「幕府は正義」「薩長は悪」みたいに、単に裏返しにしただけなのもねぇ。「明治維新の『嘘』を見破るブックガイド」(河出書房新社)は、書名の怪しさとは裏腹に、冷静、客観的に書こうとしていてわりと好感が持てる。
司馬遼太郎「この国のかたち(二)」(文春文庫、1993年)を読んだ。司馬史観の講義の第25講「紋」から第48講「スギ・ヒノキ」までである。講義の丿ートをとるみたいに、キーワードだけを記しておく。家紋、日本のおもしろさは家紋をもたない家はないということ、中国・韓国には家紋は存在しない、ヨーロッパの貴族社会と日本以外にない。p.13天領の豊かなあと、奈良県、岡山県の倉敷、大分県の日田。p.27武士という形而上学的な価値意識を持つ階層。p.29江戸期は画一的ではなく、うらやましいほど多様で
司馬遼太郎「この国のかたち(一)」(文春文庫、1993年)を読んだ。もともとは雑誌「文藝春秋」の巻頭随筆欄に連載されたものである。文春文庫で全六冊になる。あたかも司馬史観の講義(授業)を聞くようだ。しっかりとノートを取りたい。〇1969年(明治2年)版籍奉還、一夜にして統一国家ができたp13〇日本の場合、思想は書物のかたちをとった、遣唐使の目的、経巻書物を輸入p19〇鎌倉幕府、開拓農民の政権、土着の倫理p28〇徳川幕府、朱子学を官学、江戸中期に、多様な思想、荻生徂徠、伊藤仁斎
ブログスタンプを見て改めて確認してみたところ、東京が観測史上最も寒かったのは1876(明治9)年1月13日。何と-9.2℃迄下がったそうです更に調べてみると、2023年1月25日には、日本気象協会が一時-11℃という最低気温を予測したものの、その後-2℃に更新していたそうで、今尚1876年の記録は破られていないと言うことです。さて・・・・・・、司馬遼太郎の所謂司馬史観によると、日露戦争は国民国家形成のための国民戦争だったそうですが、戦後の列強間の関係を省みると暗澹たる気分に
JamesSetouchi2024.11.29原田伊織・森田健司『徹底討論明治維新司馬史観という過ち』悟空出版2017年10月1原田伊織1946年~作家、歴史評論家。京都生まれ。彦根東高校(井伊直弼の彦根藩の藩校弘道館の流れ)を経て大阪外語大卒。著書『大西郷という虚像』『明治維新という過ち』『官賊と幕臣たち』『三流の維新一流の江戸』『官賊に恭順せず新撰組土方歳三』など。森田健司1974年~社会思想史家。神戸市生まれ。京大経済学部、人間環境学研究科博士課程を経て大阪
JamesSetouchi原田伊織・森田健司『徹底討論明治維新司馬史観という過ち』悟空出版2017年10月1原田伊織1946年~作家、歴史評論家。京都生まれ。彦根東高校(井伊直弼の彦根藩の藩校弘道館の流れ)を経て大阪外語大卒。著書『大西郷という虚像』『明治維新という過ち』『官賊と幕臣たち』『三流の維新一流の江戸』『官賊に恭順せず新撰組土方歳三』など。森田健司1974年~社会思想史家。神戸市生まれ。京大経済学部、人間
史実では「坂本龍馬は大したことしてない」「実は織田信長は常識人」という話をSNSで時々見かけますが、最新の歴史学では実際はどういう説になっているのか気になって調べてみたので聞いてください。結論から言うといわゆる「司馬遼太郎史観」が「課長・島耕作」的世界観に立脚していたからこその歪みがこのギャップに繋がっているのだと私は感じました。1●龍馬伝説はなぜ生まれたのか?坂本龍馬が史実以上に脚色される流れは実は明治時代から始まっていて、当時薩長藩閥政府への反感
塞王の楯[今村翔吾]楽天市場${EVENT_LABEL_01_TEXT}塞王の楯(集英社文芸単行本)Amazon(アマゾン)${EVENT_LABEL_01_TEXT}ご存じの直木賞受賞作品です。今村翔吾氏の作品は時代小説ではあるが、史実に則りながらも巧みに現代の視点が物語の要諦を成しています。どんな攻撃にも耐えることができる石垣と、いかなる防御も破る火器との戦い。まるでどこかの国のミサイルと、それを防ぐためのシステムの構築との関係
久しぶりに独りの夜、ふと、以前、新聞に紹介されていた渋谷のお一人様バー🍸にでも行ってみようかと思ったが、気分が盛り上がらず🙄そうだ、読書月間スタート!秋の夜長の読書としよう!と本屋に立ち寄る。文庫本の棚の背表紙にぐるぐると目をやり👀、いくつか手に取ったが、結局『検事の本懐』等、過去読んだ読後感の良かった柚月裕子さんの本に決め購入した。今回の主人公は、定年退職した警察官である。それにしても小説家って、スゴイなぁと思う。僕なんか、高校生が主人公の青春モノを書けと言われても、高校
https://www.nicovideo.jp/watch/so42786135小室直樹先生、渡辺昇一先生著、封印の昭和史、戦後日本に仕組まれた歴史の罠の終焉。国際法上、侵略の定義が明確になされていない状態で謝り続ける日本政府小室直樹先生、渡辺昇一先生著、封印の昭和史、戦後日本に仕組まれた歴史の罠の終焉https://www.amazon.co.jp/dp/B08BWSHXPB/
このまま暖かくなったら気持ち悪いな・・・そう思っていたら、案の定寒い日がやってきた。気温の上下もそうだが、雨が多いとテンションが下がるこれは春先の身体にこたえる。節分、立春、彼岸・・・梅が咲き桜を待つ日々。春は一見希望に満ちた日々だが尤も油断ができない日々でもある。私は木に咲く花が好きだ。艶(あで)やかな気がするからである。散り方から、桜は潔いとされだから日本人はこの花が大好きなのかと思う。ところで、今日Youtubeでびっくりするような、脳天を
以前どこかに理系や文系というフレームはもう不要というか意味を持たぬようになるのではないかというような意味のことを書いた。文系・理系の違いは数学と社会・理科に大きく出る。文系を希望しても国立を目指すなら数学も理科も必須である。逆も然りで理系だって英語と社会を避けて通るわけには行かない。そういう意味では中学入試段階ですでに社会を捨ててしまうのは後々に大きく影響すると私は思っている。歴史の分野は文献のあるなしで境界線が引かれている。日本人はどこからやっ
世に「司馬史観」なる、、、、共感をもって語る向きから苦々しく思う向きまで左翼的史観からすれば、洗脳的著作物が売れなくなるし、己れの学問的立場を全否定されるようななんとも許し難いだろうが、日露戦争は帝国主義に対する防衛戦争だと、素直な歴史文脈の読みならそう思う筈だ。十年ばかり前の国営放送のドラマスペシャル動画配信サイトのサーフィン中にたまたま遭遇、他意はなくなんだが、一気見をやってしまった。【FULL】坂の上の雲オープニング続編(第三部ver.)をアップしました。https://yout
今年2023年は、司馬遼太郎(1923.8.7~1996.2.12)の生誕100年なのか…。司馬遼太郎「生誕100年」秀吉、信長、龍馬…司馬史観で心つかまれるも偉人の「好き嫌い」が多かった?〈AERA〉(AERAdot.)-Yahoo!ニュース『戦国武将を診る』などの著書をもつ産婦人科医で日本大学医学部病態病理学系微生物学分野教授の早川智医師が、歴史上の偉人や出来事を独自の視点で分析。今回は、歴史小説家の司馬遼太郎氏を「診断」する。news.yahoo.co.jpウォルフガング・サヴ
日本をこんな呼び方で呼ぶのは、司馬遼のせいだ。私はこのことをずっと前からあちこちで書き散らしている。大好きな安倍さんですら、“この国”と言っているのを聴いたことがある。この、すごく上から目線の呼び方をする人は、本来の日本民族ではない!と私は確信している。ちゃんと、『我が国』とか、『ニッポン』と呼びましょう。自分のことをこの人間、この男、この女って呼ぶ人はいないでしょ?呼称は大事。言葉には魂が乗る。さらに。日本史という呼び方にも気持ち悪さを覚える。なぜ『国史』じゃな
NHKの歴史探偵を見てて、ずっと「こうぎょう」って言ってた。「公暁」昭和の教育では「くぎょう」だし、変換もくぎょうでないと出ない。最近、読みが変わってるモンが増えた。その中で一番衝撃を受けたのが「フランシスコ・シャビエル」もうザビエルじゃないのか。。。あの誰もが一度は見たことがある、胸に手を当てた人。神戸市立博物館所蔵の逸品、レプリカは常設で展示してあるよー。ちょうど大河ドラマでやってるけど、鎌倉幕府の成立が違う。1192じゃないんだよね。征夷大将軍
ああいう会津の女はあまり見ないし、脱藩しなくても…会津藩なら八重さんとかに言って西洋医学学ぶことができたんじゃないの?まーるろ剣はあまり好きじゃないからね。https://bushoojapan.com/historybook/historycomic/2021/07/26/150270『るろうに剣心』高荷恵~色っぽい大人の女設定は会津女性としてどう?維...bushoojapan.com司馬遼太郎嫌いだし、ワイは。アイツのせいで軽薄な日本史が教科書になってんだよ。寧ろ会津藩は
令和4年8月2日宗教団体一般と政治家というレベルの問題ではなく、「旧統一教会の様な宗教団体」の、お得意の詐欺的手法(多彩なフロント組織を使う。献身的なボランティアを装う等)に「引っかかっちゃたのね」。レベルの問題がまず一つ。(組織)票は欲しいし、ボランティア支援は有難いし、だからってこの先、積極的に便宜をはかる程の「義理」も湧かないだろうし、「世界平和」「家庭の平和」や「勝共」「反ジェンダー」等々結構共有できるスローガンもある。利用できるものは利用した方が良いに決まってる。て。
今日から大阪で形成外科学会です。朝9時スタートなので、前泊しました。最近のホテル選びは「場所」+「大浴場」です。ほとんど日中はホテルにいませんので、学会場から近くて大浴場があれば十分です。今回はホテルインターゲート大阪梅田という会場の隣にあるビジネスホテルに泊まりました。普段は食べない朝食もいただきました会場はリッツカールトンホテル、会場費はやたら高そうです。テーマは「形成外科とテクノロジーの融合」ですお弁当食べながらPRSS社主催のランチョンセミナーを聴きました(朝食食べたので
メトロポリタンミュージアム♪うちら世代のトラウマ曲乃木坂にある国立新美術館でメトロポリタン美術館展がやってるって言うんでちょっくら行ってきました。乃木坂と言えば乃木希典!!美術館は10時開館なので、先に参拝することに。おーりっぱりっぱ。森泉殿のイラストも飾ってありました。宝物殿は入場無料乃木将軍の評価は・・・司馬遼太郎によるとthe!無能!!日露戦争時の旅順要塞攻略が有名よね。近代要塞に正面突破の肉弾戦。日本軍の投入兵力は延べ13万名、
サツマイモのおすすめスイーツ教えて!サツマイモ。鹿児島県出身の友人は「カライモ」と呼びます。たぶん『唐芋』と言う字を当てると思います。江戸時代末期、薩摩の芋侍と罵られたことがいまだにトラウマになっているのかもしれません。(先月、庭で育てていたサツマイモを収穫しました)太るのを覚悟で、焼き芋にバターをつけて、冷たい牛乳とともに戴くのが大好きです。▼本日限定!ブログスタンプあなたもスタンプをGETしよう薩摩の国というと・・・・。いわゆる「司馬史観」で描
おはようございます!のいです。116年前の今日、世界史上有名な日本海海戦が起こりました。日本海軍の連合艦隊とロシア海軍の第2・第3太平洋艦隊(通称バルチック艦隊)が激突、日本は神懸かり的な大勝利を得た代わりに、これ以降海軍上層部がこの栄光に思考を引きずられることになりました。バルチック艦隊に甚大な被害を与えた初撃から30分間を称して、秋山真之中佐が「ペリー来航以来50余年、ひとえに海軍力の充実を図ってきたのはこの30分間のためであった」と言ったそうです。同時に私に言わせれ
執拗は天才の条件、これは、著書の中での司馬遼太郎の言葉、信長をあらわした一文で。(負けても執拗にアキラメナカッタ)信長が負け戦が多かったことも描かれている!!信玄を恐れ、信玄のご機嫌をとっていたことも。謙信にも同様。(当然、司馬遼太郎の解釈がすべてではナイ)~信長がたびかさなる苦杯をなめながらもその都度しのぎ、勢力を伸ばしていったことのほうに驚嘆の思いをいだく。一見、天才性とは無縁と思える忍耐力や粘り強さを、彼は合わせ持っていたのではないか?(まず、天才イコール努力と
1923年8月7日に歴史小説家の司馬遼太郎が生まれました。中学生や高校生の時に、司馬遼太郎や吉川英治の小説を夢中で読んだことを覚えています。通っていた県立高校は県内では進学校でしたが、歴史小説を読んだためか読解力がつき、特に勉強せずとも国語は学年で1位であったこともあります。司馬遼太郎の歴史観を司馬史観と言ったりします。その歴史観は日露戦争までは日本は合理的に考え良かったが、その後は精神主義の軍隊になり道を間違えたというものです。司馬遼太郎も徴兵されて中国に派兵されていたことがあります
司馬遼太郎の作品『燃えよ剣』と『峠』が2作同時期に映画化される運びとなった。ここでは、現代の歴史観に影響を与えているという「司馬史観」という概念を考えてみたい。司馬文学は概して学者よりも庶民に優しい目線で、民衆重視を説きながらも武士中心の歴史ロマンであり、通俗文学以上の価値を認められている。司馬遼太郎は脚色の許される小説だけでなく、1970年代から死没まで刊行された全国紀行『街道をゆく』を筆頭にノンフィクションも著しており、歴史への所感はそこで古今東西にわたり小説よりも鮮明に表現されている
予告が解禁になったそうで、見て、うーむ……。スルーしよう!とあっさり決めた私でした。小説はもちろん嫌いじゃないし(むしろ大好き)、大河ドラマもそれなりに受け入れられたけど……。私にもそれなりに好みがあるし、今は昔よりも史料を読んでるし、いろんな作家さんの小説を読んでいるので、今回は見なくていいかなと。(映画もそれなりにお値段がお高いから)個人的にもう司馬先生の作品を映像化してくれるよりも、新しいものへ注目をしてほしいかなぁということなんですよね。映画会社も採算をと
BESTTIMESさんの記事↓↓https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20191112-00010884-besttimes-life田舎の名士出身にすぎない新選組局長:近藤勇が政治参画できたのは、当時すでに草莽の者でも参画できる土壌が出来ていたそうです。自分の中の新選組は、司馬遼太郎先生の「燃えよ剣」。だから司馬史観というものでしょうか??あくまで歴史小説だから、そのまま当てはまらないですね・・・どれが史実か分からないので、新選