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※こちらの記事は、平成19年6月26日に書かれたものです。まぁこの本は一般書とかではなく、普通に学術論文なので歴史史料の引用があって当たり前なのだが(ないと説得力を得るのが難しく、普通は論文として認められません)、それほど小難しい内容ではなく、在野(ざいや)の歴史ファンにも充分読める内容(そもそも僕自身も「在野の歴史ファン」だしwただし、この手の本が学術論文であるということは認識しておいてください)。笠谷和比古氏の『関ヶ原合戦(せきがはらがっせん)』。徳川家康についてもっと知りたい方は、下
今、築山殿の本を読んでいるのだけど。当然のことながら、本を書いてる先生や学者の方々は、いろんな史料を読んでるんだよなぁと、感心する。自分でこういうのが読めるようになったら、楽しいだろうなぁ。古文書、読めるようになるといいなぁ。かつて、通信講座や市内の講座で、古文書を勉強したことがある。初めは、全然読めない。でも、少しずつ少ぉしずつ読めるようになるのよ。続けていれば。講座が終わって、古文書を目にしなくなると。たちまち読めなくなる。年齢で頭が新しいことを覚えられなくなって
※4年前の写真資料書庫からです🙇♂️企画展示第3弾「村上信夫史料や写真で綴る『人生はフルコース』」を開催【参考】https://www.imperialhotel.co.jp/j/tokyo/event/imperial_times_once_and_future_legacies.html
NHK大河ドラマとはまったく違う…史料に書かれている2代執権・北条義時の本当の死因-PlentyofqualityNHK大河ドラマとはまったく違う…史料に書かれている2代執権・北条義時の本当の死因ドラマでは後妻・のえによる毒殺と描かれたが…|PRESIDENTOnline(プレジデントオンライン)[(function(b,c,f,g,a,d,e){b.MoshimoAffiliateObject=a;b[a]=b[a]||function(){argume…plenty
関ケ原合戦(1600年)で敗れて、敵中突破し退却した西軍の島津義弘らにちなんだ企画展「島津家の関ケ原」企画展「島津家の関ケ原」が、岐阜県関ケ原町の岐阜関ケ原古戦場記念館で開かれています鹿児島県から集めた貴重な史料が並んでいました12月4日までです。鹿児島県にある史料を中心に、33点を集められたそうです。関ケ原合戦前の島津家の勢力範囲を示した絵図や肖像画、合戦の敵中突破後の道中で、弓を引こうとした人を捕らえた事を示す証言もあります島津義弘が愛用したとされる縦笛「一節切(ひとよぎり
ずっと積ん読状態だった本を、ようやく1冊読み終わりました。戦況図解・古代争乱。いろいろ訪れた先のことを調べていると、様々な時代の歴史に出会います。よくわからない、というかピンとこないことも多く、さらっとでも流れを勉強したいな、と思いまして。・・・購入してから約10ヶ月ほど放置していました。活字を追い始めると眠気に襲われ、全然読み進められなかったんですよねこの本の内容ですが、縄文・弥生時代~奈良・平安時代にかけてどんな戦があったのかが、簡単に解説されてい
10月15日、福島市のAOZで行う講演「新選組と会津藩」、募集開始から2日にて60人の定員オーバーとなったそうです。現在は、キャンセル待ち状態だとか。
※三国志銭記~魏蜀通貨戦争~「三国志(演義)」は日本では最も有名な外国の古典作品の一つと言ってもいいでしょう。原作だけではなく、翻案作品、新解釈など数えきれないほど発表されています。これはその中でも特に感心したものです。半ば歴史の解釈、半ばそれをもとにした創作といった感じの作品です。わたしも文献学をやっていましたからこの作品では当たり前のはずだったことでも気づかなかったと思うことがいろいろ出てきます。この作品を思いついたきっかけとして『三国志の中で一番弱い蜀が、ど
※この記事は平成20年9月21日に書かれたものです。こんにちは。今回は松本清張の「清張通史」シリーズの1『邪馬台国』についてです。推理小説作家で、史学の造詣も深い松本清張が書いた歴史書です。僕は古代史学界の事情は知らないので、学界での松本清張の評価は知りませんが(ご在命時には学説としては認知されていなかったようです)、内容は面白かったです。古代史に興味のある方は、下記リンクをクリックしてください:水野祐『大和の政権』関連記事:佐伯有清『古代の東アジアと日本』関連記事:安本美典
【エジプトの歴史-48第1中間期-9】ケティ3世が王太子メリカラーに対して与えた教訓であると伝えられる文書があります。これは現在『メリカラー王への教訓』と呼ばれており、かなりの部分が現存しています。この文書は当時の王の責務など、王権観に関する記述や、倫理、政治的な問題に関する記述が多くある他、第10王朝が置かれた状況下で取るべき政策について論ずる記述も含まれており、当時の歴史を知るための第一級の史料です。文書の形式としては『カゲムニへの教訓』などの文書と同じ形式に従っています。
古典は音読が大事・・・というお話をしましたが、社会その他の教科も同様です。社会の入試問題、ことに大学入試において資料問題が増加の傾向にあります。高校入試でもそれに影響されているようです。そうした傾向への対策・・・ということだけではありませんが、特に大学受験で日本史を選択する生徒には、重要事項に関係する「史料」文の音読にチャレンジしてもらいます。古典文読解の練習にもなりますし、なにより歴史に密着した文章に触れることにより、リアリティが増してきます。歴史をみるには全体を俯瞰する視
1600年の「関ケ原合戦」で勝利した後、戦後処理を担った江戸幕府二代将軍の徳川秀忠が大名に天下平定を伝えた書状を、岐阜県関ケ原町の岐阜関ケ原古戦場記念館が、2階展示室で公開しています4月17日までです岐阜関ケ原古戦場記念館では、徳川秀忠が佐竹さたけ常陸ひたち介のすけ義よし重しげに家康が天下平定を果たしたことを知らせた書状(実物史料)の一般公開を開始します。本書状は、近年その功績が再評価されつつある江戸幕府二代将軍・徳川秀忠の数少ない書状であり、関ケ
「古代史は頭脳、近代史は体力。」この言葉の意味を知ってる、そこのアナタ!アナタ、きっと歴史学玄人にちがいありません!一方で、知らないアナタは...。大丈夫!ちょうど今から、それを書くところです!そもそも古代史・近代史とはさて、冒頭の標語「古代史は頭脳、近代史は体力。」は、歴史学界隈でよく耳にするものです。私も、大学に入学し研究室に配属されて初めて聞きました。さて、この標語が意味するのは、ズバリ古代史と近代史の研究手法の差です。そもそも「古代」とか「近代」と
問題です。歴史学論文を執筆する上で、最も重要な要素は何でしょうか?正解は「史料」です。歴史学における史料史料とは、公文書・日記・回想・新聞などなど、過去の出来事を現代に伝えてくれるもののことです。(「資料」ではなく「史料」!)歴史学において何かを主張する際には、必ずこれらの史料に基づいてないといけません。史料という根拠を基にして、研究者は自らの主張を構築してく必要があります。歴史学の論文は研究者によるフィクションであってはならないのです。事例1:自分の過去の発言は
サンタにプレゼントもらえるなら何欲しい?時間を遡り、高校生に戻って本当に好きな歴史関係の勉強をする。大学でも歴史を専攻し、発掘や史料の解読をしてみたい。書道も続けて、古文書が読めるようになりたい。
ニッポン城めぐりに口コミを掲載しました(参照史料を記載すれば良いとの事)。だて歴史文化ミュージアムの学芸員さん、ありがとうございました~∠(>_<)館山チャシだて歴史文化ミュージアム
原始から中世までの、愛知県岡崎の歴史や文化を紹介する特別展「至宝燦(きら)めく岡崎の文化財」中日新聞社主催で、「至宝燦めく岡崎の文化財」が10月9日、愛知県岡崎市高隆寺町の市美術博物館で始まりました二部構成で、第一部は11月7日までです。第二部は、11月20日〜12月19日です。第一部は、原始から鎌倉、室町時代の貴重な史料や文化財を見られます矢作川周辺から出土した須恵器をはじめ、鎌倉時代に運慶らが、源頼朝を弔う為に岡崎市滝町の「滝山寺」に作ったとされる「聖観音菩薩立像(しょう
キューバ危機回避に大きな役割を果たした「運び屋」を描くカンバーバッチ主演『クーリエ...Yahoo!ニュース政治史の闇に葬られた男たち、同時に女たちのヒューマンドラマとしても感動のスパイ・サスペンスだ。(増井孝子)※ラジオ関西『ばんばひろふみ!ラジオDEしょー!300個の赤い風車鮮やかに麒麟獅子舞イメージ新温泉・宇都野神社-神戸新聞NEXT神戸新聞...られるなど親しまれているという。中島宮司は「過ごしやすい季節になり、境内の自然と一緒に楽しんでもらえれば」と話して
最近、大学の講義、カルチャー講座や、SNS古文書講座では、意識的に自宅所蔵の文書を使うことを実践しています。保存・管理だけではなく、利活用を、ということで。なかなか良い史料が多いのですが、惜しむらく散逸した史料を買い集めているだけあって、例えば~村文書、~家文書と一括した文書はない。あっても部分(30~100点程度)だから、一家、一村を再現することはできない。街道沿いではどんな役が課せられていたのか、名主の職務の一端は、村の争論の様子、など一端を垣間見せるに過ぎない。
以前訃報を紹介したジャーナリスト作家半藤一利氏の書籍が今ブームとなり売れているようだ、と今朝の新聞に掲載されていた。半藤氏は作家ではあるが、元々は文藝春秋の記者だった。戦前の体験から先の戦争「太平洋戦争」または「大東亜戦争」と呼ばれる戦(いくさ)はなぜ始まり、どういう経過をたどり、敗戦にいたったかを生涯追及した人である。そして昭和という時代が、この戦争を産み出した土壌であると看破、一つの事実から様々な事実を手繰り寄せる手法を駆使した。東京下町で空襲を受けたのが旧制中学生
数ある料紙のうち、もっとも権力者の尊大さを示す料紙は大高檀紙。法量はおおよそ、約47㎝×約65㎝。通常の紙よりも大振りで、厚く、奇麗な白地で、表面には、しぼ(しわ目みたいのもの)がある。一見して感じることができる、威厳ある圧倒感こそが、天下人の料紙と評される所以である。実際、近世では、豊臣秀吉が盛んに使用し、それを息子秀頼、そして徳川将軍家も継承した。徳川将軍家で大高檀紙を使用している文書には、領知宛行状と三季御内書などが良く知られるところである。この料紙は、中世以来、檀紙といえば「備
おはようございます世間はもうじきゴールデンウィークじゃねぇ羨ましいわしは普通に仕事です。不動産業界は土日祝日が稼ぎどきだもの最近その不動産からもそろそろチェンジしようかなって思ってるけど。。。さてぇ〜春期に予定してた残り1科目の日本史がどうやらレポートが書けそうもなくて。色々調べたり試行錯誤したんだけど、課題内容に対する答え(レポート)が明確に出せる自信がなくて。出された課題に対して適切な内容のレポートを出さなければ不合格になってしまうしそんなリスクは負いたくないなと。
先日、仙台での「生殺与奪の権」の発言云々に関わる一連記事を書きました。「おまけ」として「史談会速記録」における「新選組関連の記録」をまとめた本がある、とご紹介しましたね。『生殺与奪権と節刀おまけ』長々と一連の記事を書いてきましたが、あと一回おまけ編です。「新選組史」本編でも当時書いていたのを、再度繰り返して私がくどくどと書いたのは、いくつか理由があり…ameblo.jp久しぶりにその本をパラパラと読み直ししてみたのですが、安部井磐根の発言の前項目に、人見寧の談話が載っていました
長々と一連の記事を書いてきましたが、あと一回おまけ編です。「新選組史」本編でも当時書いていたのを、再度繰り返して私がくどくどと書いたのは、いくつか理由があります。きっかけは再放送番組だったのですけれどもね。歴史を勉強してゆくと、「史料」を読むことはとても大事なことだというのは、皆さま方も実感なさっていると思います。そしてその「史料」を読む時に何が大事になってくるのか。その史料の性質とか、書かれた時期とか、書いた(あるいは言った)人の立場とか、当時の風習とか。。。頂いたコメ
土佐藩では、(のちの)写文書を「跡書」と呼んでいる。それは、家老家文書中で、披露状の写をその家では「跡書」と呼んでいる事例からも明らかにできる。更に加えると、土佐藩では、披露状のことを「言上書」と呼んだりもします。他藩の事例がよくわからないので、なんとも言えませんが。たとえば披露状など、ひとつの文書をめぐって、各藩で呼び方が違うのだとすれば、各藩ごとに比較検討することは、それぞれの個性を明らかにする上で、大切な研究と言えそうです。そしてそれは、現代における適切な文書利用にとっても、極めて
毎度ありがとうございます。このところやっと寒くなってきました。梅雨明けが1ヶ月遅れてからずっとひと月遅れていますね。夏は夏でちゃんと暑く冬は冬でちゃんと寒い。こうなってくれればいいんですが……ま、仕方ありませんね。さてさて。『私のシナリオ創作法』も第4回となりました。楽しんでくださっていますかね?で、前回は『資料集めと取材』についてお話ししました。(取材に関してはほとんどお話ししていませんが……そのうちお話しします)資料を図書館で借りてコピーするところまで
こんかい出版にこぎつけました三浦宏明先生による『戦後療術史法制化運動と身体均整法』は、2001年に身体均整協会設立50周年の記念事業の一環として企画された『亀井師範と身体均整法』の新装版です。>>ご購入はこちらから以前のものは会員配布ということでしたので、当時より会員だった先生がたは内容をご覧になられているかと思います。また、2017年6月まで月刊『手技療法』に連載されていた「身体均整法と運動系の医学」とは別物ですので、そのあたりもご注意ください。変更点といたしましては、「はじめに」と
朝から史料調査に向かう今回は、明治期後半の史料が多いそれでも和紙に墨で書かれたものがほとんどで虫食いの物もありそのままの状態を保つのに神経を使う何が書かれていて自分の論文に使える史料になりえるのか読める字をたどって一枚一枚を丁寧にみる。丁寧に書いてあればけっこう読めるけれど流れるように書いてあるものは読める字を探すのに苦労するあっ、これはこの字かとわかると少しは慣れてきたかなとちょっとホッとしたり全くわからないのもあってまだまだだなと思ったり
只今、ヤフオクに出品中です。大日本古文書正倉院編年文書全25冊昭和57年復刻版全巻函入。外函には多数のシミやヤケがございます。(16巻以降ヤケにより変色しています)中の書籍には天にシミのある書籍がございます。グラシン紙のカバーは一部の本にはついていません(8冊カバー無し)書き込みは無いように見受けられますが、頁数が莫大な為、書き込みの有無のチェックは完全ではございません。大宝2年11月-天平7年12月東京大学史料編纂所編ISBN978-4-13-09