芝増上寺にあった六代将軍家宣の父:甲府宰相綱重(清揚院殿)が最初に葬られたのが伝(傳)通院である。三代家光の次男、四代将軍家綱の直ぐ下の弟で、生きていれば三男の綱吉ではなく、この綱重が五代将軍になっていた。その綱重の跡継ぎの綱豊が六代将軍となり、将軍実父という事で増上寺に改葬。それも戦災でおおかたを失い、現在は増上寺の徳川将軍家改葬墓所内の合祀墓(月光院の宝塔を使用)の中に。上物の巨大な五輪塔は狭山の不動寺(増上寺の一部は昭和33年西武鉄道に売却され二代将軍秀忠の霊廟にあった『台徳院』と記された