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前回の記事‐中国こそ現代の『周王』であるその3(中華主義に恋い焦がれた日本)‐・もっと「歴史」に関心を持とう英語ブロガーのMichikoさんより、興味深い記事が挙がっていた。浩瀚な知識を保つ方でも、中国との「関係」を日本人が意識した場合、それは『比較』やら『競争』の観念を生み出してしまう。純粋な経済分野においては、それが「正しい」のかもしれないが、もっと大きな視点で、この北東アジアを捉えた場合、先の西洋主義的な物差しだけでは測れないものがある。この数千年間を俯瞰
↑死ぬ直前、珍珠を見つめて微笑む可汗↑ただただ涙する珍珠絶対好きだったよね。可汗は珍珠を愛してたはず。最後の最後まで、愛のキューピット役に徹したけど…大人で、冷静で、包容力があって、友情や義理に固い男。それにしても、第76話は思い出し場面が3分の2を占めてたんじゃないか⁉️
始皇帝嬴政(wikiより)前述に引き続き、「中華主義」のカタマリである「皇」という文字は、「中華律令体制」導入以後、つまり日本が中国に冊封され、その「見返り」としてたっぷりと先進文物を受け取り、その中で先に冊封されていた朝鮮半島と同様に、漢字文化圏(中華文明圏)の一員として、その国家運営をスタートさせました。そうした意味で、漢字を通じて中国の国家体制や外交政策の手法を学んだこれらの国々は、殊に日本において、中華的な律令体制を整えたあたりから、それ以前は「大王(おおきみ)」だった人間が、
神武天皇(wikiより)月岡芳年「大日本名将鑑」より「神武天皇」明治初期の版画今回シリーズ記事とは関係ないものですが、ある種「ネット言論」を賑わすもののひとつとして「韓国の『日王』呼称問題」について論じてみたいと思います。まぁ、「問題」というほどではありませんが、例えば韓国と「対立」している北朝鮮においては、殊に朝鮮学校に通っていた友人に至っては「普通に授業や勉強でも天皇(チョヌァン)と呼んでいた」としています。つまりこれを「韓国限定の問題」として捉える上で考えていきたいと思います。