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○2020年の新年を迎え、二日には枕詞「天降付く」風景を見に出掛け、四日は試筆、昨日の五日には初登山として、霧島山高千穂峰に登るなど、慌ただしい。ブログもそれに合わせて書いているので、本来の話が等閑にされたままになっている。○ここまで、長々と日向国に存在する神代三山陵の話を続けてきている。現在、神代三山陵に比定されているところは、どう考えてもおかしい。まるで根拠の無い話である。確認のため、現在の神代三山陵の比定地を案内しておく。初代・彦火瓊々杵尊の御陵=可愛山陵=鹿児島県薩摩川内市の新田
○文化庁の世界遺産:文化遺産オンライン「紀伊山地の霊場と参詣道」について、・『霊場「吉野・大峯」(よしの・おおみね)』・『霊場「熊野三山」(くまのさんざん)』・『霊場「高野山」(こうやさん)』・『参詣道(さんけいみち)』のそれぞれを見てきた。これで一通り、文化庁の世界遺産:文化遺産オンライン「紀伊山地の霊場と参詣道」の案内を見たことになる。○見てみて、判るように、文化庁の世界遺産:文化遺産オンライン「紀伊山地の霊場と参詣道」の理解は、何とも浅薄なものであると言わざるを
○世界文化遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」とは、何とも意味不明のものと言うしかない。何しろ、霊場は吉野・大峰、熊野三山、高野山と三カ所もあって、それらの霊場がどういうものであるかもはっきりしないものなのだから。○因みに、文化庁の世界遺産:文化遺産オンラインの「紀伊山地の霊場と参詣道」には、次のように載せる。紀伊山地の霊場と参詣道紀伊山地は本州最南端、太平洋に張り出す紀伊半島に位置し、標高1,000m~2,000m級の山脈が縦横に走り、年間3,000mmを超える豊かな降水量が深い
○神代三山陵を追い続けると、真実の神代三山陵は、次のようだとするしかない。初代・彦火瓊々杵尊の御陵=可愛山陵=鹿児島県肝属町内之浦甫与志岳(叶岳)二代・彦火火出見尊の御陵=高屋山陵=鹿児島県肝属町内之浦国見山三代・彦波瀲武鸕鷀草葺不合尊の御陵=吾平山陵=鹿児島県鹿屋市吾平町上名の吾平山陵○江戸時代、薩摩藩の国学者である白尾國柱は、懸命に神代三山陵の研究を行っている。その結実したものが彼の名著「麑藩名勝考」である。その白尾國柱の神代三山陵の研究を継承することに拠って、真実の神代
○これまで、内之浦三岳とされる、国見山・黒尊岳・甫与志岳を縦走したのは、3回になる。最初は2008年1月4日で、この時は国見峠から甫与志岳までを往復した。朝の7時30分に国見峠を出発し、黒尊岳を経て、11時30分に甫与志岳の山頂に立った。国見峠から甫与志岳まで4時間を要したことになる。○ただし、この時、大変だったのは、それから先のことだった。甫与志岳から、再び、黒尊岳を経て、国見峠まで引き返さなくてはならなかった。国見峠に車を置いていたからである。○国見峠に帰り付いたのは、午後5時30分ころ
○前回、2016年の『肝付町合併10周年記念「三岳まいり」』について、述べた。引き続き、2017年の『肝付町合併10周年記念「三岳まいり」』について、述べてみたい。○2017年の『肝付町合併10周年記念「三岳まいり」』は、5月21日(日)に開催された。昨年に続けて、当古代文化研究所は参加させていただいた。『肝付町合併10周年記念「三岳まいり」』は、完全な山岳縦走コースである。普通の登山とは違って、登山口と下山口がまるで違う。したがって、個人で縦走すると、交通の便が相当良くないと、大変な目に遭う
○鹿児島県肝属郡肝付町内之浦には、古来、内之浦三岳参りと言う風習がある。それを知ったのは、白尾國柱の「麑藩名勝考」を読んだ時のことであった。「麑藩名勝考」巻之七大隅國部第三、肝属郡内浦郷小串村の項目に、黒園嶽が存在し、次のように、案内している。黒園嶽(同郷北方村國見嶽の午未方一里余に在り。)土俗相傳て、火々出見尊遊行玉ひし所也と云ふ。是に一神石山上に屹立す。高壹間三尺餘。圍壹間三尺餘。街道より南に丁る。奇しき巌にて、石の下に火々出見尊を斎ひ祭る。毎年四月三日を以
○ブログ『枕詞「天降付く」が教えること:其一百七』で案内したように、内之浦には内之浦三岳参りと言う行事が存在する。確認のために、再度案内すると、三岳参り江戸時代から肝属地方に伝わる岳参り(タケメイ)で、三岳参りは肝属山地の「国見岳」「黒尊岳」「甫与志岳」を縦走するロマンを秘めた登山大会。春たけなわの4月3日(シンガサニッ)が例祭日で、地元高山町、内之浦町を始め遠くは大崎町、串良町、東串良町、吾平町などの老若男女が夜中立ちして群詣したという。三岳の
○『肝付町合併10周年記念「三岳まいり」』は、2014年に始まり、2017年まで続いたことになる。4回計画され、そのうち3回が実施された。当古代文化研究所では、2016年の第3回と、2017年の第4回に参加させていただいた。○「三岳まいり」そのものがたいへんな難行である。国見峠(750m)から国見山(888m)までがおよそ2㎞。国見山(888m)から国見峠(750m)まで、引き返すのがおよそ2㎞。国見峠(750m)から黒尊岳(909m)までがおよそ2、5㎞。黒尊岳(909m)から甫与志岳(96
○前回、ブログ『枕詞「天降付く」が教えること:其一百七』を書いたが、字数制限に引っ掛かり往生した。まだまだアメーバブログに慣れていないことを痛感した次第である。その際、内之浦三岳参りを案内したが、結局、字数制限で、国見岳の案内を載せることができなかった。ここに、載せておく。【国見岳(886.5mくにみだけ)】神話伝説の「海幸彦・山幸彦」物語の山幸彦(彦火火出見尊)の山陵といわれ、国見権現の名で親しまれている。尊を祀る祠があり、文化14年9月吉日の銘がある石灯籠をはじ
○2016年1月ころに、インターネット検索で、肝付町合併10周年記念「三岳まいり」が開催されると言う話を聞いて、驚いた。『肝付町の三岳参り』自体がどのようなものであるか。ご存じの方が少ないと思われるので、まず、そちらから案内したい。○甫与志岳への登山口である姫門登山口に、旧内之浦町・内之浦町観光協会が建てた「三岳参り」の案内板が存在する。「三岳参り」と三岳について、次のように案内している。三岳参り江戸時代から肝属地方に伝わる岳参り(タケメイ)で、三岳参りは肝属山地の
○真実の神代三山陵は、次のように案内される。初代・彦火瓊々杵尊の御陵=可愛山陵=鹿児島県肝属町内之浦甫与志岳(叶岳)二代・彦火火出見尊の御陵=高屋山陵=鹿児島県肝属町内之浦国見山三代・彦波瀲武鸕鷀草葺不合尊の御陵=吾平山陵=鹿児島県鹿屋市吾平町上名の吾平山陵○それに対して、神代三山陵の先坣僑位が次のようであることが判っている。・吉野山=可愛山陵・高野山=高屋山陵・熊野本宮=吾平山陵○つまり、神代三山陵の先坣僑位の発見に拠って、真実の神代三山陵が本物であるこ
○真実の神代三山陵は、次のように案内される。初代・彦火瓊々杵尊の御陵=可愛山陵=鹿児島県肝属町内之浦甫与志岳(叶岳)二代・彦火火出見尊の御陵=高屋山陵=鹿児島県肝属町内之浦国見山三代・彦波瀲武鸕鷀草葺不合尊の御陵=吾平山陵=鹿児島県鹿屋市吾平町上名の吾平山陵○それに対して、現在、宮内庁が神代三山陵として管轄しているのは、次のものである。初代・彦火瓊々杵尊の御陵=可愛山陵=鹿児島県薩摩川内市の新田神社二代・彦火火出見尊の御陵=高屋山陵=鹿児島県霧島市溝辺町麓の高屋山
○現在でも、日向国には神代三山陵しっかりと存在している。その様子を伝えることも、日向国に存在する当古代文化研究所の責務である。しかし、残念ながら、現在、宮内庁が神代三山陵に比定しているのは、真実の神代三山陵とは、まるで別物であることに驚く。○そういうふうに、自信を持って言えるのは、真実の神代三山陵が本物であることを、神代三山陵の先坣僑位が証明してくれるからである。それに、江戸時代の国学者、白尾國柱の神代三山陵の研究を継承することによって発見されたものが真実の神代三山陵だからである。現在の神代三
○前回話したように、畿内には次の神代三山陵の先坣僑位が存在する。・吉野山=可愛山陵・高野山=高屋山陵・熊野本宮=吾平山陵○もちろん、それを発見したのは、当古代文化研究所である。結果、真実の神代三山陵は次のようになることが判る。初代・彦火瓊々杵尊の御陵=可愛山陵=鹿児島県肝属町内之浦甫与志岳(叶岳)二代・彦火火出見尊の御陵=高屋山陵=鹿児島県肝属町内之浦国見山三代・彦波瀲武鸕鷀草葺不合尊の御陵=吾平山陵=鹿児島県鹿屋市吾平町上名の吾平山陵○神代三山陵の先坣僑
○ブログ『枕詞「天降付く」が教えること:其九十九』で話したように、「日本書紀」巻三十、持統天皇紀が記録する吉野山行幸は、尋常の数字ではない。何しろ、九年間に、三十一回もの吉野山行幸を繰り返しているのだから。何がそれだけ持統天皇を駆り立てたのか。それが気になって、いろいろ調べた。○結果、導き出されたのは、それが天皇家に於ける祖霊信仰だと言うことであった。2019年の今年は、令和元年となって、元号が改まった、記念すべき年となった。つい先日も、大嘗祭が催されたばかりである。その後の天皇の足跡を辿ると
○現在、宮内庁が神代三山陵比定地としているのは、次の通りである。初代・彦火瓊々杵尊の御陵=可愛山陵=鹿児島県薩摩川内市の新田神社二代・彦火火出見尊の御陵=高屋山陵=鹿児島県霧島市溝辺町麓の高屋山陵三代・彦波瀲武鸕鷀草葺不合尊の御陵=吾平山陵=鹿児島県鹿屋市吾平町上名の吾平山陵○しかし、そんなところに神代三山陵がバラバラに存在すること自体、あり得ないことである。神代三山陵とは親子孫の三代のお墓のことである。当然、その三者には密接な繋がりがあると考える方が自然だろう。現在の神代三
昨日は実家に帰る前に可愛山陵(えのみささぎ)と、新田神社へ参拝。ここは私の産土神さま。まずは裏山の可愛山陵から。天気も非常に良くセミと鳥たちのさえずりとなんともいえない静けさにしばし時を忘れてぼーっと。ここも光がよく入る神さま本読まない私も桜井識子さんの和の国の神さまが気になり買って読んで本当か嘘かわからないけど信じてみようと思い、ここに祀られてる方々に話しかけてみました。私はよく自分の思いを語るんですがあちらの声は聞こえません。昨日は一昨日吾平山陵に
みなさん、こんにちは❗(*^O^*)しろじに紅く~♡♡ごうちゃん&みいこちゃんです💝京都に暮らして4年目に成りますが、4年前にみいこちゃんが初めて鹿児島に別件で来たときは、まだ単なるFacebook仲間友人だったんです(笑)ちょうど4年前の5月17日🍀の今日、みいこちゃんと訪れた、鹿児島最大の上古代の聖地、吾平山陵(あいらさんりょう)です⛰️✨⛩️🍀吾平山陵(あいらさんりょう)可愛山陵(えのさんりょう)高屋山陵(たかやさんりょう)の三山陵は、神代の三山陵と呼ばれ、鹿児島県に在
プロジェクト|LINKSTARTGREENFUNDINGユネスコ無形文化遺産・博多祇園山笠飾りと同制作手法による最古級人形宇賀神社「お馬さん」を、みて、知って、伝えて、プロジェクト.芸術工学会会員・大串誠.神話の地「日本遺産に」有志ら連携ツアーやPR神代三山陵・笠狭宮跡南日本新聞神代三山陵」の可愛(えの)山陵(薩摩川内市)、高屋(たかや)山陵(霧島市)、吾平(あいら)山陵(鹿屋市)と南さつま市の笠狭宮跡(かささのみやあと)を日本遺産.ユネスコ無形文化遺産「
ムフムフ♡の83回宮内庁公認新田神社さんで不思議写真④🐼ムフムフ♡今日は、メインイベントの可愛陵社(えのみささぎしゃ)参拝だよ~👼何それ。。。❓🐼ニニギノミコト様のお墓。。。👼宮内庁管轄の正式なお墓だよ~👼へ~。。🐼墓参りって、楽しいの、、❓🐼あのねぇ。。。👼楽しいとか楽しくないとかじゃないでしょ!神様に参拝するのって!👼日本国民の義務だぜ~👼ふ~ん。。🐼僕、パンダ国の国民だから関係ないね。。。🐼わかった。。。じゃ、一
ご縁あって、鹿児島県内に鎮座されておられる神代三山陵に、参拝する機会がありました。ひとつは薩摩川内市にある可愛山陵ニニギノミコトさまの御陵です。新田神社の敷地と隣り合わせにあります。緑のトンネルがかかったような階段。見た目よりも、一段の段差があまりないためしんどくありません新田神社もちろん御祭神は、ニニギノミコトさま。御陵は、神社社殿のお隣の方にあります。(左側にすこーしだけ本殿が見えてるのですが、わかるかな??)御陵側の階段もずっと立派な木が生い茂っていて、癒される空間です
おはようございます前回のブログで熱が出たと書きましたが次の日には微熱まで下がり現在は鼻水と声枯れが凄まじいですあとなぜか寝起きの目やにがスゴイダルさんには『聞き取れない。もうしゃべるな』って言われる始末本当に長引いておりますだいぶ過ぎてしまったんですが今年のお正月の過ごし方の記録です1日長い階段を登り可愛山陵と新田神社に獅子が子どもを抱いていて頭を撫でると子宝と安産にいいと聞いて両手でしっかり撫でてきました思ったよりも人がたくさんいましたねパワーも感じられて