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◆「祝詞新講」次田閏著(~22)長々と続ゐた「祈年祭」も今回が最終回。「祈年祭」が一番長いのかな?やうやくここまで來たかといつたところ。当ブログにお越し頂く方々には退屈なものでせうが、私にとつては大變に栄養となる企画物記事。どんどんと進めて參ります。*此の企画物記事は「祝詞新講」(次田潤著)を教科として~*~*~*~*~*~*~*~*~*~■過去記事一覧『◆【過去記事一覧】「祝詞新講」次田閏著』「祝詞新講」次田閏著昭和二年発行。近代において最高の「祝詞」研究者である
「神代文字」の存在を肯定する齋部廣成・著『古語拾遺』……『古語拾遺』(齋部廣成・著/大同2年=807年初版)には【神代文字】文書にしか記載が無い部分(ホツマ7章)、つまり、天照大御神が磐戸(岩戸)から出現した時の様子を漢字に変換し記述している。然し、神代文字的仮名に直せば~「アハレ、アナオモシロ、アナタノシ、アナサヤケ、オケ、サヤケ~」(後文略す)となる。…齋部廣成の文言(前文略す)~「上古の世、未だ文字有らざるとき、貴賤老少、口々に相伝へ、前言往行、存して忘れず」(後文略す)と言う意味
[摂津国]生國魂神社■表記*生嶋神(イクシマノカミ)・生島神・生産日神(イクムスビノカミ)・生國魂神(イクタマノカミ)・生霊神(イクタマノカミ)*足嶋神(タルシマノカミ)・足島神・足産日神(タルムスビノカミ)・咲國魂神(訓み不明)■概要◎「延喜式神名帳」に記される、宮中の式内社三十六座に含まれる二座。「生島御巫祭神二座並名神大生島神足島神」(いくしまみかんなぎ)とあります。いずれも月次祭・新嘗祭の幣帛の供進社。現存はせず、宮中三殿のうちの「神殿」に継承されたと考えられています。
3月25日は平安時代の歴史書『古語拾遺(こごしゅうい)』が成立した日です。807年、斎部広成(いんべのひろなり)によって編纂されたこの書は、日本の神話や古代の歴史を知る貴重な資料の一つとされています。『古語拾遺』の特徴は、斎部氏(いんべし)という神事を司る一族の視点から、日本の神々や伝承が語られていること。同じく神話を記した『古事記』や『日本書紀』とは異なり、正史に載らなかった斎部氏の伝承が多く残されています。伊弉諾(いざなぎ)・伊弉冉(いざなみ)の国造り神話や、神々
古事記、日本書紀を編纂したのは、藤原不比等です。中臣=藤原編纂から100年後、忌部氏から朝廷に『古語拾遺』が献上された歴史書です。『古語拾遺』は偽書扱いされているが、朝廷のバイブルとなっている。大嘗祭の時、徳島の三木家が御殿人として天皇が着る麁服を作り献上している。三木家は阿波忌部とされているが忌部氏より位の高い血脈だとされる。古事記に興味のある方は、ぜひ動画をご覧ください。
現代に出版される歴史書は、執筆者として一人ないしは複数人の研究者の方がおられて、その執筆者の研究成果が書き下ろされ出版される場合が多いようである。しかし、古代の史書はそれとはまったく異なる方法で編纂されたのである。『大倭神社注進状』裏書の「齋部氏家牒」は最後に次の様に記す。「豊御食炊屋姫天皇(推古天皇)御世、豊聡耳太子(聖徳太子)・曾我馬子大臣に詔(みことのり)して先代旧事本紀を撰ばせし時、玉櫛命九世孫子麻呂、命(みことのり)を承(う)け、家記・祝詞等を献(たてまつ)る」。即ち
『『玉前神社』出張の合間の神社巡り千葉編~渡ってきた海神の娘~』『『阿波洲神社』出張の合間の神社巡り西東京編~アワシマヒオキベオキノシマ~』『『堀之内貝塚神社』出張の合間の神社巡り千葉編~市川市縄文ロマン~』『『意富…ameblo.jp↑のつづき。さて、早朝の上総国一宮を参拝した後、最寄りの上総一ノ宮駅から電車で南へ30分。勝浦駅に降り立った。千葉県勝浦市のホームページによると~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~いにしえの時より漁業が盛んな港町・勝浦。かつては桂浦
◆「祝詞新講」次田閏著(~14)最近は1日2記事UPする日も増えておりますが…何しろ3ヶ月以上遅れで記事を上げているものですから。早くどんどん上げていかないと忘れてしまうことも多々あるでしょうし、季節感すらもなくなるかも。夏の終わりに新緑の写真記事がUPされてますし。そのうち冬に上げる記事が夏に撮った写真を…なんてことになりかねないので。主要社、主要史跡、企画物記事等以外はなるべく1日2記事UPにしようと。かつては1日3記事UPしてたな…あの頃は頑張ってたな…~*
以下、大和岩雄『神社と古代民間祭祀』(白水社、2009年)から引用です。ーーーーーーーーーー一目連[いちもくれん]神社――天目一箇神と関連氏族天目一箇神と伊勢忌部p.329『新撰姓氏録』は、天目一箇神を天津彦根命の子とするが(山背忌寸条)、天目一箇神は忌部[いんべ](斎部)氏にかかわる神でもある。斎部広成が編纂した『古語拾遺』(大同2年〔807〕成立)には、斎部氏の始祖天太玉命が率いる神のうち、天目一箇神を「筑紫・伊勢両国の忌部の祖」と書き、天石窟の条では、「天目一箇神をして雑[くさ
以下、大和岩雄『神社と古代王権祭祀』(新装版、白水社、2009年)から引用です。ーーーーーーーーーー熱田[あつた]神宮――草薙剣と尾張氏と八岐大蛇神話草薙剣の伝承p.169『日本書紀』も、景行天皇51年8月4日条で、次のように書く。日本武尊[やまとたける]の佩[はか]せる草薙横刀[くさなぎのつるぎ]は、是今[これいま]、尾張国の年魚市[あゆち]郡の熱田社に在り。p.169〜170『古事記』と『日本書紀』本文によれば、宮中にあった草薙剣は八岐大蛇[やまたのおろち]の尾の
忌部氏の再興を願って奏上された古語拾遺には、天照大神の天岩戸開きの際の喜びを表す言葉が次のように記されている。あはれあなおもしろあなたのしあなさやけおけ現代風に言えば、あっぱれで面白く、楽しく、明るい。そして最後の「おけ」はこれしかないだろう。オッケーだ。O.K.はallcorrectの頭文字を音で置き換えたものといわれるが、はっきりしない。ここで世界唯一の説を言えば、O.K.は日本語ではないのか。誰かが天岩戸開きのエピソードを、特に古語拾遺からヒントを得
大和国葛上郡葛木御歳神社のご本殿■表記御歳神、御年神、歳神、年神■概要◎父神である大歳神とともに穀物神。いわゆる「歳神(年神)」とは、両神に当てはまるとされます。◎祀られる総本社は大和国葛上郡の葛木御歳神社。また飛騨国一宮である水無神社のご祭神であることも広く知られます。◎朝廷の「祈年祭」では、祝詞で最初に読み上げられるのが御歳神。また「延喜式」の「祈年祭祝詞」では「御歳皇神等(みとしのすめがみら)の前に曰さく」として、本題が奏上されます。また「祈念祭」は年の始めに五穀豊穣を祈
◆「祝詞新講」次田閏著(~6)テキストとしている「祝詞新講」が発行されたのは昭和二年のこと。今からおよそ百年前。使われる漢字は画数の多い旧字体。そして歴史的仮名遣いがなされています。いわゆる「漢文読み下し文」。古文ほどではないものの、なかなか難解なものです。当時はこれが普通のこと。ということは…平易になった現代語に慣れてしまっている我々は、どんどん国語力が退化しているということ。我々日本人は戦後から、どんどんアホになっていってるんですね~当記事においては「祝詞」「祈禱」「神祈」
古事記p.77曰、「麗しき美人曰、「大山津見神女、名は、神阿多津比賣、亦名は、木花佐久夜毘賣と謂ふ」-注曰、薩摩阿多(鹿児島県日置郡)-a氏曰、「イクメ〔垂仁〕大王の母は阿多津姫である」すると、古事記は、<みまき>姫とするpre-textes(諸家の持たる帝王日継)と<阿多津姫>とするpre-textes(諸家の持たる帝王日継)の混同か??古事記曰(p.111)、「亦、大毘古命女、御眞津比賣を娶して、生みませる御子、伊玖米入日子伊沙知命(漢風諡號:垂仁天皇)」-a氏曰、
走書1.1.2.2.17ほつまつたゑ秀眞伝御機三拾弐三拾三ゐそにゑ(諱)父:わかやまとねこひこ(諱ふとひひ)(漢風諡號開化天皇)母:いかしこめ祖父:やまとねこひこくにくる(漢風諡號孝元天皇)祖母:うつしこめ-母「いかしこめ」祖母「うつしこめ」とも「やまとねこひこくにくる」(漢風諡號孝元天皇)のうちめ-「やまとねこひこくにくる」と「うつしこめ」との皇子:上:やまとあえくに(諱「おおひこ」*)次:わかやまとねこひこ(諱ふとひひ)-「やまとねこひこくにくる」と
イベント出展情報ALOHA!今日も、みなさんが笑顔になれますように。2023年7月に千葉県館山市にある安房神社さんに参拝しました。うちから、千葉県館山市までは、だいぶ距離があります。同じ千葉県ですが、千葉県の最北端から最南端までの移動なので、もしかすると軽井沢に行くほうが近いかもしれないです。(笑それでも、最近は、高速道路が出来たので、少し楽になりました。ですが、高速乗るのに、千葉県から、埼玉県、東京都を経由したりして、結構、ややこしいです。なので、下道で千葉まで行ってか
今日は、当ブログのこれまでの人気記事ランキングを元に、テーマを整理したり、関連記事があった方が分かりやすいと思ったところには、それをリンクさせたりしていました。相変わらずトップを独走しているのは「泉守道者」ですね。新しく書いた記事の中では吉田神道の三社託宣信仰が上がってきていました。只今、神話のおへそ『古語拾遺』編も勉強中ですが、原文は完全な漢文だから、その現代語訳と簡単な解説を掲載します…って割には分厚い本でございます。『古語拾遺』は、奈良時代から平安時代初期に生きた
『土佐の昔話『大物主×浦島太郎=十三夜の数式』。』『黄泉の国の内緒話①『イザナミが眠る本当の場所』』『出張の合間の神社巡り阿波徳島編『天岩戸別八倉比賣神社①』~箭執神社と松熊神社と天手力男の正体~』『…ameblo.jp『阿波に残る神踊り『十三』の伝承と『イの国』の内緒話』『土佐の昔話『大物主×浦島太郎=十三夜の数式』。』『黄泉の国の内緒話①『イザナミが眠る本当の場所』』『出張の合間の神社巡り阿波徳島編『天岩戸別八倉比賣…ameblo.jp↑のつづき。さて、まずは最近嬉
封印された超古代史「古史古伝」の謎:その25「忌部氏」の本貫は大和であったが、5つの系統に分かれ、さらにその子孫は全国へと拡散していった。その一つに千葉県の「安房」(あわ)がある。要は四国の阿波(あわ)の忌部が、房総にも移り住んだということである。この安房に限らず、伊部(いんべ)・井辺(いんべ)など、三重県や奈良県には忌部氏に関係すると見られる地名が今も残る。『古語拾遺』では、部民である「阿波忌部」による房総の地名起源として「東遷説話」を伝えている。忌部氏の遠祖の「天富命」(天太
封印された超古代史「古史古伝」の謎:その22全72巻からなる『先代旧事本紀大成経』は聖徳太子が記したとされる文書である。研究家の後藤隆氏は、その著書『謎の根元聖典先代旧事本紀大成経』の中で天皇家と吾道、物部、忌部、卜部、出雲、三輪の六家が隠し持っていた秘録を基に、聖徳太子と秦河勝が実用書として再生させた「失われし超古代の叡智」をまとめた文書が『先代旧事本紀大成経』だと結論付けている。つまり、天皇家と物部系5家の歴史と叡智をまとめた「天皇古事記」だということなのであるが、聖徳太子と秦
鏡作麻気神社(かがみつくりまけじんじゃ)大和国城下郡奈良県磯城郡田原本町小阪244(P無し、社前は車進入できず近くの川沿いや国道沿いの商業施設等にて)■延喜式神名帳鏡作麻氣神社の比定社■旧社格村社■祭神天麻比止都彌命かつての城下郡「鏡作郷」に鎮座する社。一帯は鏡作社が密集しており、総本社である鏡作坐天照御魂神社は「寺川」の対岸に、他にも鏡作伊多神社(保津)や鏡作伊多神社(宮古)、鏡作神社(石見)が見られます。◎ご祭神の天麻比止都彌命は天目一箇神(アメノマヒトツノカミ)のこ
今日はネット通販で頼んでおいた神社検定公式テキスト3冊が届きました。神話のいろは要語集祭祀編、神話のおへそ、神話のおへそ『古語拾遺』編です。今まで私がこのブログを書くのにも参考にしていた神話のおへそは『日本書紀』編で、日本神話は本当に広く沢山の各地・各氏族などの伝承があるんだなぁと、この国の歴史の長さをしみじみ感じます。日本書紀と古事記を合わせて記紀と言われ、神話のおへそ日本書紀編の中には古事記での展開はどうか?といった事にも触れられていました。さらに古語拾遺(こごし
ほんとうの・このくにのかたちはじめに番外ふじわらのふひらひじかたすいげつ「藤原不比等ふじわらのふひら」と書いて「ふじわらのふひら」とは読まない。「天皇」もそうだが高貴な人ほど名前を呼ばない。「お上」とよぶ。庶民は「お内裏様」と呼んでいた。「征夷大将軍」である徳川将軍は「上様」とか、城主であれば「殿」とか。名前は最も大切な個人情報。敵に知られてはならない。いろんな分析をされる。姓名判断などもあるが、最も大切なのは読み
今回は「古語拾遺」から最高神に関する記述の紹介です。一いは聞けり。夫、開闢くる初に、伊奘諾・伊奘冉の二はしらの神、共爲夫婦たまひて、大八州国、及山川草木を生みます。次に、日の神・月の神を生みます。最後に素戔鳴神を生みます。又、天地割判くる初に、天の中に生れます神、名は天御中主神と日す。次に、高皇産靈神。次に、神産靈神。友清歓真先生の「神道古義」に貸し失はれた稿本の中で特に私が遺憾に思っているのは「古語拾遺伝」と題する六十一冊の非稿である。これは天賦の資料と先生の霊智とによ
本日、12/29(火)PM10:10~KamakuraFM(FM82.8)『HARTBEATSあーる』内“KickMizukoshi歴史の雑談年末年始SP”放送!★今週と来週は、レギュラー放送の日本書紀を離れ、「ノトハラヒデミ世界を歩こう」からノトハラヒデミさんをお迎えして、歴史の中の不思議系のお話を!!※『HARTBEATSあーる』内、PM10:10~すぐの放送になります。★レギュラー放送より、少しだけ長く!(出演)文
『ムスヒの神』といえば!神話に明るい方であればタカミムスヒ(高皇産霊神)カミムスヒ(神産霊神)の二神を思い浮かべるのでは、と思います。※産霊の他に産巣日・産日・産魂などの字が宛てられます。この二神に天御中主神を合わせ「造化三神」と呼ばれますよね。「ムスヒ」とは万物を生み育て完成させる霊力を意味します。神名にムスヒが付くのはこの二神だけではなく宮中でお祀りされていた宮中八神のうちの五神(うち二神は上記の高皇産霊神と神産霊神)玉積産霊神・生産霊神・足産霊神火産霊神(ホム
前回…は、マラドーナだった…。前々回宮地水位師仙が、大穴持神の御法の解読に用いれられたのが、平田篤胤先生の「神字日文傳疑字篇」に収められている「出雲國石窟神代文字」だった事を紹介しました。「古語拾遺」の序に、蓋し聞けらく、「上古の世に、未だ文字有らざるときに、貴賤老少、口口に相伝へ、前言往行、存して忘れず」ときけり。とあります。本当にそうでしょうか。平田先生は、神代文字として伝わる文字を数多く収集し「神字日文傳」に収めておられます。「神字日文傳」は、上下巻疑字篇があり、「出雲
小野照崎神社に来ています。境内社のお稲荷さんと織姫神社。他にも、御嶽神社と三峰神社があります。前回見た富士塚の浅間神社も境内社ですね。動きのある狛狐。こちらは余所見してますね。織物の神を祀る織姫神社。七夕の織姫も織物上手で、古語拾遺(平安時代の神道資料)に登場する天棚機姫(あめたなばたひめ)神と同一視されており、織姫神社とは遠からぬ存在です。天棚機姫神は、天照大御神を天の岩戸から誘い出す為に、神衣和衣を織ったとされています。師匠!慌てて撮ったので
ALOHA!今日も、みなさんが笑顔になれますように。前回からの続きです。洲崎神社の御祭神、天比理乃咩命は、忌部氏の祖神の一柱です。その忌部氏と、房総半島には深いつながりがあります。忌部氏とは、古語拾遺という平安時代の神道資料によると、古代朝廷の祭祀を始めとする祭具の作製や宮殿造営を担った氏族であると言われています。元々は現在の奈良県橿原市忌部町周辺を根拠地として朝廷の祭祀を司っていました。しかし、奈良時代頃から勢力を伸ばしてきた中臣氏によって祭祀氏族の座を占有されたという歴史が
◆丹後の原像【28.謎の大宮売神社にじわりと…~2】前回の記事においては大宮売神社がいかに重要な神社であるかを、概略とともに触れました。今回はもう一歩踏み込んだ内容を。~*~*~*~*~*~*~*~*~*~いったい大宮売神とはどういった神(巫女)なのか。以下、自身が思うままにまとめてみました。◎宮中八神の一座神祇官西院坐御巫等祭神二十三座(並大)御巫祭神八座神産日神高皇産日神玉積産日神生産日神足産日神大宮売神御食津神事代主神「西院」は宮中の祭祀機能を果たす