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今日はつくば市の教養講座「考古学から見たつくばの戦国」の第1回を受けてきました。2月~3月に受けた「文化財の歴史と見方」に続いての受講で、全3回です。場所は同じ、つくば市ふれあいプラザ。講師は、郷土史家の”大関武”さんです。先生は冒頭テキストを配る前に、戦国時代はいつからいつまででしょうか?という質問を受講生に投げかけられました。始まりは難しいので終わりはどう?っとなって、それぞれの回答は徳川幕府の開闢、大坂夏の陣、信長の上洛、などの回答、私は秀吉による小田原征伐で終了、と回答。
名称:古河城別名:古河御所城郭:平城築城年:1180年頃築城主:下河辺行平改修者:小笠原秀政、松平康長、土井利勝主要城主:足利成氏(古河公方)、土井利勝所在地:古河市古河本丸跡諏訪郭
この桃の花の小径はどこへ?史跡古河公方足利義氏墓所ですか。その近くの可愛らしい白い花は?スノーフレイクでしたか。ファンタジーの世界の花みたいです。
2024年1月1日埼玉・茨城・栃木・群馬の県境周辺のパワースポットを巡ってきました。その②雀神社・③満福寺・④三県境です。古河公方公園から渡良瀬川沿いを北上した先に雀神社があります。この神社も古河公方とゆかりがあるということで寄ってみたのですが、前の道路は石畳になっていて、道路に面して立つ御神木のケヤキも神々しく、古社の風格があります。延喜式の編纂より前に創建されたと言われています。道路からまっすぐ入って鳥居をくぐると、参道は直角に曲がります。そこには静岡の東口本宮
2024年1月1日埼玉・茨城・栃木・群馬の県境周辺のパワースポットを巡ってきました。その①古河公方公園です。今日は天気もいいので、どこかへ出かけるか、朝遅く起きてから考えて、三県境とその周辺を回ることにしました。古河市内で昼食中に色々調べて、古河公方の関連史跡に行ってみることにしました。古河総合公園の中に史跡があるということで、行ってみると名称が古河公方公園となっていました。公園の入口付近に有料駐車場がありますが、「桃まつり」期間中だったこともあって付近はだ
今年も古河総合公園に行きたいなぁ(ღˇ◡ˇ*)♡古河は僕が青年時代を過ごした街です。茨城県の大きな都市はその殆どが県庁所在地である水戸市と鉄道か国道6号・50号・51号などの主要道路で結ばれていますが,古河市は地図を見れば明らかなように水戸市と直結された鉄道も道路もありません。それどころかJR宇都宮線や国道4号の沿線であり,久喜・大宮方面に向かう列車の発着するJR古河駅や幸手・春日部・越谷方面に繋がる日光街道(国道4号)を最初に目にした際には「ここはまるで埼玉県の都市のようだ」という印象を
2020年3月下旬に、仕事で、埼玉県久喜市に出かける用事があったので、仕事の前に、いつもの歴史散策をして来ました!JR久喜駅に到着後、西口を出て、真っ直ぐに延びる大通りを北西に進み、市役所通りの一本手前の右手の路地を入ると、「御陣山児童遊園」があるのですが、公園内の一角に、古墳のような高まりがあるんですよね。こちらは、「久喜藩陣屋跡」になるそうです…公園名が「御陣山」と言いますから、その名残なのでしょう。=============================
※こちらの記事は、令和2年9月17日に書かれたものです。皆さんこんばんは。今回は「ビジネスに活かす戦国合戦術」第29弾として、以前言及した「第一次国府台(こうのだい)の戦い」について、ビジネス的視点で見直していこうと思います。※記事下部に人物の読み仮名をのせています。この戦いの動員人数の考察が読みたい方は、下記リンクをタップしてください(参考記事に飛びます):各合戦の動員人数について(4)第一次国府台の合戦関連記事:『関八州古戦録』【ビジネスに活かす戦国合戦術シリーズの過去記事】
※こちらの記事は、平成30年3月4日に書かれたものです。皆さんこんばんは。今回は「各合戦の動員人数について」シリーズの4回目で「第一次国府台(こうのだい)の合戦」についてです。今回は『歴史と旅』増刊「日本合戦総覧(昭和63年1/10臨時増刊、秋田書店)」の長谷圭剛氏の記事を参考にしています。※記事下部に武家や公家の人物名の読み仮名を載せています。合戦の経緯について詳しく知りたい方は、下記リンクをタップしてください:第一次国府台の戦いに学ぶ―「~はずがない」は失敗フラグ関連記事:各
関東における戦国時代の戦いの舞台へ行ってきました。以前、バラで紹介した里見公園です。『【千葉県市川市】バラがキレイだった里見公園』今年は尋常なく暑い日々が続きましたが10月からやっと城めぐり・歴史めぐりを再開しました。歴史めぐりで出掛けた千葉県市川市の里見公園。思いがけなく美しいバラに…ameblo.jp古河公方の跡目争い四代目古河公方足利晴氏vs小弓公方足利義明三代目高基の子供と弟が争います。小弓公方足利義昭を支持したのが里見義堯。軍勢は古河城を目指し
こういう展覧会が開催されているのですね!(。・о・。)!僕は調査不足で全く存じませんでしたφ(・_・”)僕が猿島郡境町で青春時代を過ごしたことは先日もお話致しましたね。境町というのは古くからの交通の要衝でありかつ行政の中心でもあったので,町の人口は決して多くないにもかかわらず沢山のお店が軒を連ね,日常生活を送るには全く不便の無い所です。多くの自治体では「郊外にバイパスが設けられてロードサイドショップが立ち並び,旧道沿いの市街地が衰退してしまう」という問題に悩まされていますが,境町の場合に
攻城日:2023年7月16日↑北東側からの遠景↑磯部館は、茨城県古河市にある居館跡デス♪↑南西側からの遠景↑館跡は、JR古河駅の南東およそ4kmにあり、現在は宅地及び農地、森林になっています。↑北側の堀①(右手が国道354号)↑呼称の"磯部"は地名で、古河公方家の重臣である簗田氏の更にそのまた家臣である岩瀬氏が住んでいたコトから、"岩瀬氏屋敷"とも呼ばれています。↑北側の堀②(東側から)↑館跡には現在も岩瀬氏の"子孫の方がお住い"で、外観からはメッチャ薮を想
攻城日:2023年7月16日いつの間にか梅雨も明けてしまい、毎日暑い日が続いておりますが...先日、埼玉→茨城→栃木→茨城のおシロメグリをしてきましたww4月から週6日で朝5時起きして長女のお弁当作りをしてきましたが、7月半ばの期末テストが終わって以降それが無くなったため、今とっても"フリーダム"なワタシです♪まぁ、夏休み中も補習やら部活やらでお弁当が必要な日も多く、来週は"毎日"作るんですがねww一時的とは言え睡眠時間も増えて元気(というかヤル気)を取り戻したので、さ
北条氏康-河越夜襲篇(単行本)Amazon(アマゾン)1,356〜4,400円富樫倫太郎先生の北条サーガシリーズの続編です。前回は、父の北条氏綱が亡くなり、大戦国大名北条氏の主に氏康がなってしばらくの所でした。前回、今川が武田と接近したのを機に北条家と今川家は、初代・早雲の時代からの友好関係に終止符が打たれます。先代の氏綱の代でかなり広げた北条の領地ですが、北条の動きを牽制すべく今川の軍師・太原雪斎が北条包囲網を形成します。これに対しての対抗がこの本で書かれているところ
春の青春18きっぷ4回目。小山評定の地をめぐった後は古河駅へ。古河公方公園へ行ってきました。その日は古河桃まつりが開催されており祭りの様子は紹介済み。『【茨城県古河市】第47回古河桃まつり~ようこそ日本一の花桃の里へ~』青春18きっぷ4回目を使っています。4回目で行った先は古河桃まつり古河公方公園にて3月18日~4月2日まで開催されています。ブロ友さんが古河公方公園を紹…ameblo.jp美しい桃で大興奮でしたが当初の目的は北条氏康を裏切った古河公方の館跡を見
なぜ『らんまん』のヒロインの寿惠子(渡辺美波)が南総里見八犬伝が好きなのか、とういう脚本になっているのかが本日の放送でわかった。宝井馬琴馬琴のこの本は「享徳の乱」(1455~1483年)に起こった鎌倉公方とそれを補佐する関東管領上杉家との争いで、関東の武士たちが双方に加担、長い闘いになった。あの戦国時代の始まりといわれる「応仁の乱」の起こった(1467~1477年)より早く起こり、遅く終結した闘い。戦国時代はこの享徳の乱から始まったと近年ではいわれている。馬琴
今日は最近図書館で借りた本で意外に面白かった”享徳の乱”のご紹介です。戦国時代は応仁の乱から始まるという説が一般的ですが実は”享徳の乱”という関東で起きた30年戦争こそが戦国時代の始まりだ!という内容の本です。室町幕府発足当初は鎌倉府が治めていた関東地方ですがやがて関東管領の上杉氏との対立が顕在化します。その結果として室町幕府と鎌倉府という権力の二重構造による矛盾が露呈し、途中から上杉氏内部の混乱が紛争に輪をかける結果となりました。やがて鎌倉公方が古河(以降は古河公方)に移って利根川を境界線とし
2023.4.4この日は休日を利用して埼玉県幸手市立図書館へ出かけてみました。取手から電車を乗り継いで1時間半ほどで到着。歴史を調べてみると、いろいろなことが見えてくるものだが、どうも曖昧なところも多々あるもの。ひとつには、古文書や史料などが残っていないと、学術的には「こうだった」と言えない部分があるが、いわゆる伝説的に残っている情報というものもある。そこで以前から調査している「幸手一色氏」に関する情報収集のために突撃したわけです。
我らが滝川恒昭先生率いる友好団体の里見氏研究会の総会・記念講演会が開催されます。ご興味のある方はぜひ足を運んでください!また同会では入会者も募集中です!ご検討ください。2023年4月22日(土)14時~15時30分(受付13時30分~)講師黒田基樹氏(駿河台大学教授)講演内容「古河公方足利義氏の軍事行動(仮題)会場千葉経済大学2号棟101教室参加費300円詳細はリンク先へ
去年9月、茨城県古河市の古河城のあと、同じく古河市の古河公方(くぼう)館を訪れました古河城からはとても近いです古河公方館は古河公方・足利成氏(しげうじ)によって築かれた館で、鴻ノ巣御所とも呼ばれます成氏が関東管領・上杉憲忠を謀殺したことによって、関東の戦国時代の幕開けとなる「享徳の乱」が起こり、その際に鎌倉を追われた成氏は古河へ退去して、この館を築き、のちに古河城へと移りました1590年(天正18年)、豊臣秀吉の関東征伐の際に最後の古河公方・足利義氏の娘である足利氏姫の居館として使われ
まだまだ暑さの残る去年の9月上旬、山城や土の城はまだ行けない(ことはないがヤブや虫もツラい)ので、街中の城を訪れました今回の城は茨城県古河(こが)市の古河城です古河城は、平安時代末期〜鎌倉時代初期に、下河辺行平が築いた城館とされ、室町時代には、鎌倉を追われた鎌倉公方・足利成氏が古河公方として本拠とし、以後、戦国時代の関東における重要な場所となりました江戸時代には近代城郭として整備され、大老の土井利勝・堀田正俊、老中の永井尚政・松平信之・本多忠良・土井利厚・土井利位など、多くの譜代大名が入
北条氏康-河越夜襲篇(単行本)Amazon(アマゾン)1,224〜4,400円北条氏康の3巻目。軍配者シリーズの風摩小太郎、山本勘助、曾我冬之助が登場します。今川の雪斎の策により今川、武田、古河公方、山内上杉、扇谷上杉に包囲され負け必定の氏康。どうにか今川、武田を剥がし、8万の軍勢に囲まれる河越城を救いに8千の軍勢で向かいます。河越夜戦は史実として有名ですが、どのような感情で、どのようにして策を決め、少ない軍勢をどのように使ったのか、臨場感たっぷりでその場にいるかのように分か
室町時代、古河公方足利氏の家臣野田氏の居城で徳川家康の家臣小笠原秀政が最後の城主になった下総國栗橋城(天正10年[1590年]廃城)江戸時代に権現堂川の掘削により分断され現在は五霞町側に堀や土塁の遺構が残るのみ城址遠景個人宅の入口(この奥に遺構が・・・)日蓮宗法宣寺の境内にも遺構があります堀跡土塁跡権現堂川と人工の浮島これも遺構かな(こんもり高くなってる)庚申塔栗橋城址にある法宣寺『正長山法宣寺[五霞町]』栗橋城址東側にある日蓮宗正長山法宣寺ここから堀などを見
以下、享徳の乱(享徳3年・1455年~文明14年・1483年)の主な武将を列挙します。なお、享徳の乱では寝返りが多いため、一部省略しています。
動乱が続いた古代~中世の東国史を総覧する通史として全7巻が刊行されたシリーズの第6巻です。本書で扱う年代は古河公方が成立するきっかけとなった享徳の乱から伊勢宗瑞の晩年に起きた永正の乱までを対象としています。従来言われてきた伊勢宗瑞に始まるいわゆる後北条氏5代の栄枯こそが関東戦国史とする見方を見直し、東西で二分された関東の勢力図を中心にした最新研究を盛り込んだ戦国初期の関東を描いています。ところで、タイトルに反して表紙が太田道灌と伊勢宗瑞の肖像画になっていますが、当初当時の
今日は歴史動画・後北条氏の最新作「古河城の戦い」がYOUTUBEにアップされました。今回は2時間という、まさに映画なみの尺です。古河公方と北条氏の戦いを軸に、10年間の関東の情勢が描かれています。大河ドラマに後北条氏3代とかやってくれないかしらね~。
日光街道の御宿場印を入手する為に訪れた、茨城県の古河市。御宿場印に合わせて、こちらも一緒に入手しました。いわゆる「御城印」ですね。室町時代後期、鎌倉から古河に移ってきた関東足利氏が名乗った「古河公方」。古河を本拠地として、室町時代から戦国時代にかけて、山内・扇谷上杉家や後北条氏などと関東の覇権を争いました。古河に移り住んできた初代古河公方が、現在の茨城県古河市に築いた御所が古河公方館。当初は古河公方館を居館としていましたが、後に修復を終えた古河城へと本
そういうわけでもありませんが、21日(水)、たまたまほんとに久しぶりに、市内の宮原にある宮原御所跡だというお寺の前を通りかかりましたが、たまたま花が見えたので、緊急停止して、恒例でスマホで撮影した次第でした。花が見えたので、スマホで撮影でした。宮原御所跡ですが、現在は、明照院というお寺が建っている。場所は、姉崎~今富~新生~茂原方面に向かう県道の海上農協付近は、下の広大な養老川下流域の平野部からみると高台になっ
今日はYOUTUBEで歴史動画の最新作がアップされました。今回は、後北条氏の河越夜戦です。北条氏の河越城を山内・扇谷の両上杉、古河公方、関東の国人などに包囲された危機に立ち向かう北条氏康。今回も熱い戦いが見られました。この戦いで、扇谷上杉は滅亡、山内上杉は越後へ逃亡、古河公方も古河御所へ撤退となります。もちろん、北条氏も無傷とはいきません・・・。さて、これから先は戦国時代でも有名な時代になってきますので、名前も知った武将が増えてくることでしょう。今後も楽しみですね。