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この年の墳活納めということで、柏原市にある平尾山古墳群のうち、一番よく知られていると思われる平尾山第67支群2号墳をめざして、柏原市歴史資料館から、新興住宅街を抜け、かしわらウォーキングコースと書かれた看板を目印に民家の横をすり抜けて山の中へ。軽く藪こきをしながら進むと廃棄されたブドウ畑を横目に山道に出る。そこからは山道をひたすら前に歩いていく、道の右手に小さな沢を挟んだ尾根の上に古墳らしき岩の露出が見られる場所がいくつかあった。その後、道が二手に分かれるよ
一昨日、千葉県柏市にある神明社裏山古墳についてアップしました。神明社裏山古墳を堪能後レンタル自転車で移動、国道16号線近くの古墳を見に行ってきました。↑塀の向こう、大島田古墳の墳頂が見えます円墳です。あまりに住宅地ですし、完全に民家の敷地内なので、詳細な場所は掲載できませんが、「おれんち、古墳あるよ!」というパターンです。↑角度を変えて反対側に回ると、小さな社殿のようなものがったので、やはり屋敷神として大切にされてるようです。↑柏市のとある場所この
先日、ブログのネタが尽きてしまったので、発見できなかった古墳についてアップしました。『神明社裏山古墳(未発見)千葉県柏市塚崎』古墳ネタがなくなってきたので、訪問したものの古墳を発見できなかった内容をアップします↑まずは千葉県柏市塚崎にある神明社の参道入口から立派な神社ですいかにも…ameblo.jp↑発見できなかった千葉県柏市塚崎の神明社裏山古墳やっぱり見つけてみたい!という気持ちになり、9月24日、再度行ってみました↑まずは神明社で参拝↑文化財総覧We
9月18日に訪れた千葉県柏市にある城之堀(じょうのほり)古墳群、続きです。城之堀古墳群:3基の円墳からなる古墳群、うち1基は消滅↑一昨日アップした国道16号線、藤ヶ谷交差点にある1基から南西へ移動してすぐ、もう1基の古墳が見えてきました場所はこちら:35.813746,140.029644↑城之堀古墳群に属する円墳、北東側の様子↑北側から墳頂の様子破片でもないかと探してみましたが、見当たらず。↑西側の様子来月(10月)、
奈良に所在する馬見古墳群に関するブログが増えてきたのでまとめてみました。「万葉の旅」をたどる⑩~城上の墓~馬見丘陵の古墳①~牧野古墳~馬見丘陵の古墳②~池上古墳ほか~馬見丘陵の古墳③~乙女山古墳・文代山古墳~馬見丘陵の古墳④~一本松古墳・倉塚古墳~馬見丘陵の古墳⑤~佐味田石塚古墳群・ナガレ山古墳~馬見丘陵の古墳⑥~佐味田宝塚古墳~馬見丘陵の古墳⑦~別所下古墳・カタビ古墳群~馬見丘陵の古墳⑧~北今市1号墳・2号墳~馬見丘陵の古墳⑨~佐味
前回まで千葉県柏市にある藤ヶ谷十三塚をアップしてきました。「塚」も見たら「古墳」も見たいということで、十三塚から自転車で5分ほどの場所にある城之堀(じょうのほり)古墳群へ。『ちば情報マップ』によると円墳3基からなる古墳群、そのうち消滅1基とのこと。↑城之堀古墳群その1、北側の様子〇号墳なのか?は、わかりません。国道16号線、藤ヶ谷交差点にあります。場所はこのあたり:35.814091,140.029931↑東側から手前の道路で削平されているようで、こちら側か
「岸和田の古墳を歩く」がいったん完結したのでまとめておきます。「岸和田の古墳を歩く①~貝吹山古墳~」「岸和田の古墳を歩く②~無名塚古墳~」「岸和田の古墳を歩く③~風吹山古墳~」「岸和田の古墳を歩く④~光明塚古墳・久米田寺・久米田池~」「岸和田の古墳を歩く⑤~摩湯山古墳・馬子塚古墳~」「岸和田の古墳を歩く⓺~観音寺山遺跡~」
別の日になるが、叡福寺にお参りに行った際に境内の東隣にある太子・和み広場に置かれている松井塚古墳の石棺を見学してきた。昔は、叡福寺の多宝塔の横に置かれていたのだが、太子町により太子・和みの広場が整備されたと同時にこちらの場所に移されてきた。松井塚古墳は、1958(昭和33)年名前の通り、松井さんの家から、井戸の掘削工事の際に偶然に発見された古墳で、同年大阪府により発掘調査が行われており、その際に、ここに移転展示されている石棺(横口式石槨)も発見されている。松井塚古墳は、一辺16
スゴイ雨ですね今日は大人しく家にいます『山岡家と藤ヶ谷十三塚その1』今年の4月23日、長野県須坂市の古墳を巡って以来、墳活に出かけていません『米持天神第1号古墳(再訪)長野県須坂市米持』4月23日、日帰りで長野県須坂市に…ameblo.jp↑前回の記事古墳欠乏症に蝕まれていたため、「古墳」に似た「塚」を見に行った9月18日、千葉県柏市にある藤ヶ谷十三塚の続きです↑西側より藤ヶ谷十三塚に近づいて奥に写る大きな塚を含めて、写真には7基も塚が写っています。↑
今年の4月23日、長野県須坂市の古墳を巡って以来、墳活に出かけていません『米持天神第1号古墳(再訪)長野県須坂市米持』4月23日、日帰りで長野県須坂市に行ってきました。1年前のGW後にも須坂市で古墳巡りをしているのですが、その際に行けなかった古墳を見てみよう!という考えです…ameblo.jp↑4月23日に訪れた須坂市の記事古墳を見ることなく5か月が経過重度な古墳欠乏症に蝕まれております↑9月15日、山岡家鎌ケ谷店で食べたプレミアム塩とんこつこの日、茨城県の古墳
この日のラストは、はびきの中央霊園内にある切戸1号墳。同じ霊園内にある鉢伏山西峰古墳が霊園の西端にあるのに対して、切戸1号墳は、北東端に所在する。そのため、霊園内を横切っていき、樹木葬エリアの階段を登ったところの上にある。もしかしたら霊園内のモニュメント的な位置づけになっているのかもしれない。切戸1号墳は、飛鳥千塚古墳群に属する古墳の一つで、飛鳥千塚F11号墳とも呼ばれている。飛鳥千塚古墳群は、6世紀後半から7世紀中ごろまでに築造された羽曳野市の東部、寺山・鉢伏山から派生する
お亀石古墳から、今度は外環状線、さらに石川を越えて、駒ヶ谷の東にある鉢伏山西峰古墳に向かう。鉢伏山西峰古墳は、はびきの中央霊園の中にあり、途中、霊園までの急な坂道を登っていくことになる。以前、来たときには、自分の足でふうふう言いながら、登っていったのだが、自動車だとあっという間。めざすべき鉢伏山西峰古墳は霊園の管理事務所のすぐ西側の芝生の中にあった。古墳の前には鉢伏山西峰古墳と刻まれた石碑が置かれており、古墳もきちんと整備されているため、これまで見てきた古墳と
しばらく古墳巡りに出かけられず、ブログの更新が止まってました近場の古墳でも見に行こうかとも思ってたのですが、最近は雨ばかりですしね↑2023年1月に訪れたものの、ブログにアップしていなかった千葉県柏市の中島古墳群に属する1基です。東武アーバンパークライン(旧東武野田線)高柳駅から北北東へ300メートルほどの墓地の中。『ちば情報マップ』によると円墳8基、うち3基消滅となっているので、現存5基なのでしょうね。5基もあるなら・・・・と見に行ったものの、墓地の中に小さな古墳が数基・
小口山古墳のある峯塚公園から外環状線を南に走る。さすが、文明の利器、速い速い。10分走るって、外環状線から西に少し入り、府営住宅内にあるコインパーキングに自動車を止め、いよいよお亀石古墳へ。お亀石古墳は、スポーツグラウンドの奥の丘陵の上にあり、野球の邪魔にならないようにグラウンドの端を通っていくと、池の辺りから、古墳への登り道がある。登り道は、かなり傾斜があり、思ったよりもきついとはいうものの、10分もかからないうちにお亀石古墳についた。古墳の前には、最近に立て
野中寺を出て、南へ1kmほど下って、四つ辻を東へ入る。この道は、日本最古の公道と言われる竹内街道である。坂を下ったところの右側に峯塚公園がある。公園の中には、全長96mもある峯ヶ塚古墳があり、近年も発掘調査で、日本最大の木製埴輪の石見形木製品が見つかって話題になっている。今回は、さりげなく、横目に見ただけで、峯ヶ塚古墳の西側の丘陵を登っていく。階段の途中、振り返ると峯ヶ塚古墳の全景が視野に入ってくる。思わず写真をパチリ、パチリ。なかなか無視することはできないも
今年2月12日に訪れた栃木県壬生町にある藤井東古墳群、続きです。↑おそらく藤井東古墳群3号古墳ひでりんさんの「古墳なう」によると直径8メートル、高さ2.3メートルの円墳。↑3号墳、角度を変えて↑たぶん藤井東古墳群6号古墳もし6号墳であれば直径7メートル、高さ1.4メートルの円墳とのこと。↑藤井東古墳群、1・2・3・6号墳はすべて県道の北側にありましたが、県道の南側にも墳丘が周囲はソーラーパネルになっている、おそらく藤井東古墳群7号
今年2月、電動アシストがないレンタル自転車で痛みと体力の無さでヒーヒー言ってる時にみつけた藤井東古墳群、続きです。↑昨日アップした1号古墳を堪能後、自転車を押し歩きしたらすぐ東隣りに、もう1基古墳がこちらは藤井東古墳群2号墳、西側の様子。↑藤井東古墳群2号墳、南側からひでりんさんの「古墳なう」によると直径6メートル、高さ2メートルの円墳。手前の道路は「笹原街道」という県道。↑南東側からう~ん、この藤井東古墳群、再訪して(体力がある状態で)ゆっくり見学
いよいよブログの古墳ネタがなくなりましたばらく1日おきの更新となります。『藤井1号墳栃木県下都賀郡壬生町藤井』2月12日にレンタル自転車を使って訪れた栃木県壬生町にある古墳、続きです。昨日までアップしてた稲荷内古墳群から南西へ500メートルほどの場所、消滅した上坪古…ameblo.jp↑今年の2月11日、JR小金井駅前で電動アシストがない自転車を借りたところ、普段運動をしていない体重80キロオーバーの50代半ばのオジサン・・・・サドルが当たるお尻の部分がムチャクチャ痛くなり、足も
2025年1月に再訪してきた栃木県益子町にある小宅(おやけ)古墳群、続きです。『栃木県芳賀郡益子町小宅7~11号墳』3月29日に訪れた栃木県益子町にある小宅古墳群、続きです。↑小宅7号墳(円墳)かなり小さいです。看板がないと見つけにくいかも。墳丘の南側は盗掘孔かな?大きく…ameblo.jp↑2021年訪問時の記事↑小宅9号墳、北東側から左側が後円部、右奥が前方部の前方後円墳。全長約36メートル、後円部径約17メートル、後円部高さ約3メートル、前方部幅約15メートル
2025年1月に訪問した栃木県益子町にある小宅(おやけ)古墳群、続きです。↑小宅7号墳直径約13メートル、高さ約1.5メートルの円墳。↑7号墳はこちらの盗掘孔が目立ちます。写真だとイマイチ伝わりませんね。↑看板がないと気がつかない小宅8号墳。直径約4メートル、高さ0.7メートルの円墳?『益子町史』によると「古墳ではない」との記載です。『栃木県芳賀郡益子町小宅7~11号墳』3月29日に訪れた栃木県益子町にある小宅古墳群、続きです。↑小
2025年1月に再訪してきた栃木県益子町にある小宅古墳群、続きです。地味古墳ばかりが続きますが、小宅古墳群の見学におススメなのは、間違いなく菜の花や桜が咲いている時期です↑小宅4号墳直径約16メートル、高さ約1.5メートルの円墳。↑こちらは小宅5号墳4号墳と5号墳は隣接しています。直径約12メートル、高さ約1.3メートル。『益子町史』には「盗掘痕あり」との記載。↑写真左奥に小宅4号墳、右手前が小宅5号墳。↑オリエンテーリング用?の看
栃木県益子町にある小宅(おやけ)古墳群について、続きです。小宅古墳群は2021年に初めて訪問。公園として整備された区域の古墳を見学。その後、『益子町史』第一巻考古資料編をゲット。あらためて2025年の1月に小宅古墳群を訪問、公園化されていない区域の墳丘を見学。現在、しばらく古墳巡りに出かけていないため、ブログに載せる予定がなかった2025年1月訪問時に写真を撮った、公園化された区域の小宅古墳群の墳丘をアップしていきます『栃木県芳賀郡益子町小宅1~6号墳』『栃木県芳
古墳ネタがなくなっておりますお蔵入りになってた古墳の写真をアップすることにします『小宅22号墳・小宅23号墳・小宅24号墳・小宅25号墳・小宅26号墳栃木県芳賀郡益子町小宅』1月8日に訪れた栃木県益子町にある小宅(おやけ)古墳群、続きです。『栃木県芳賀郡益子町小宅1~6号墳』『栃木県芳賀郡益子町小宅古墳群の桜と菜の花』栃木…ameblo.jp↑2025年1月、栃木県益子町にある小宅(おやけ)古墳群の10~29号墳を見に行ってます。この日、2021年に訪問した1~9号墳も見学
昨日は栃木県真岡市根本にある能仁寺をアップしました。この日、詳細な資料は全く持っていないのですが、能仁寺の裏山にある古墳も見に行ってきました車で登り道を少し走って「根本山自然観察センター」を通り過ぎてすく、墳丘が見えてきましたよ。↑大根山古墳群15号墳、北東側から訪問したのは昨年の大晦日、当時は古墳の名称も知らなかったんですその後、古墳巡りの大先輩、昇寛様がブログにアップ。大根山古墳群15号墳という名称を知りました真岡市大根山古墳群13_14_15号墳–埼群古墳館_改sg
野中寺は、四天王寺大学を出て、途中聖徳太子の弟、来目皇子の墓として宮内庁が管理している埴生塚穴古墳を横目に見ながら、ほぼ一直線に北上した突き当りにあり、別名、中の太子とも呼ばれ、聖徳太子が建立したと伝えられる46寺院の一つと伝えられるが、実際は、この辺りを拠点としていた渡来系氏族の船氏の氏寺ではないかと言われている。この野中寺の境内、本堂の横にある覆屋の下に、ヒチンジョ池西古墳から出土した石棺(横口式石槨)が置かれている。ちなみにこの石棺が出土したヒチン
今回は、南河内の横口式石槨墳を見て回ろうということで、古市駅に集合、珍しく自動車で移動することとなった。横口式石槨というのは、横穴式石室の玄室にあたる部分が一体のみを埋葬する石槨となり、その一方に出入口が取りついているようなものをいい、6世紀末から7世紀、8世紀にかけて造られていた、いわば古墳の最終形態の一つである。この日の手始めに徳楽山古墳の石棺(横口式石槨)を見学しに、羽曳野市にある四天王寺大学へ。四天王寺大学には、事前に連絡を入れたうえで、石棺の所在地を記した地図
今日も昨年11月19日に訪れた長野県佐久市にある幸神古墳群、続きです。↑畑の向こうにある幸神4号古墳、南側からやはり標柱があるのですが、どこから近寄ることができるのか・・・・。場所はこちら:36.202225,138.495385↑同じく畑の向こうにある幸神5号古墳↑畑の向こう側。見た目は石積みの祭壇のような外久間(そとくけん)3号古墳?↑どの場所で撮ったか?覚えていない1基。幸神古墳群に属する1基のはず。やっぱり幸神古墳群、再訪しな
昨年11月19日に訪れた長野県佐久市にある幸神(さいのかみ)古墳群、続きです。↑幸神2号墳、南西側からこの日、幸神古墳群の詳細・・・・全く知らずに訪問しています東西6メートル、南北9メートルの円墳。↑幸神2号古墳、南側から(民家がドーンと写っていますので、ぼかしを入れました)こちら側からだと畑の向こう側だし、北側にはすぐ民家があるしで、かなり困惑していました墳丘裾には標柱もあるので、近づいて見学できそうなのですが・・・・↑幸神2号古墳、東側からすぐ奥に
しばらく古墳巡りにも行けておらず、いよいよブログネタも無くなってきたな~と考えてたら、ふっと「そういえば長野県佐久市の幸神(さいのかみ)古墳群、アップしてなかった!」と思い出しました『明法寺古墳長野県佐久市田口下町』昨日アップした龍岡城五稜郭から北西へ400メートルほどの場所にある古墳を目指しました。↑明法寺古墳、北西側から天井石かな?デーンと見えてますが、どこから近寄…ameblo.jp↑こちら、明法寺古墳のあとに訪れた古墳群です。↑幸神1号古墳、南東側から今日から3
だらだらとブログが続いた福岡県福津市の新原・奴山古墳群の探訪記、今日で最後です↑公園化されている新原・奴山古墳群の南端、展望台となっており、解説板もあります。この展望台での写真を撮っていた時が一番風が強くて、持っていた折り畳み傘の骨組みが折れていまい、もはやただの布切れ状態になっちゃったんですよこの傘が壊れたあとに25号墳~43号墳を見学しています↑さてさて、こちらは新原・奴山古墳群40号墳径17~18メートル、高さ4.6メートルほど、6世紀中頃~後半築造の円墳。須