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明治36年(1903)古地図鳥瞰図「奈良名所早見図」1点/筒井梅吉/古書です。27cm×39cm。【書名】奈良名所早見図【巻冊】1点【著者】筒井梅吉【成立】明治36年(1903)
幕末~明治期古地図鳥瞰図「豆州賀茂郡手石弥陀窟之図」1点/古書古文書/木版摺りです。32cm×41cm。木版刷り。【書名】豆州賀茂郡手石弥陀窟之図【巻冊】1点【成立】幕末~明治期
明治11年(1878)古地図「信濃国細見全図」1舗/樋畑正太郎/銅版摺りです。35.5cm×50.5cm。銅版刷り。元題簽。奥付あり。【書名】信濃国細見全図【巻冊】1舗【著者】樋畑正太郎【成立】明治11年(1878)
『小江戸川越のらり蔵り11年目に向けて〜のら蔵セレクション〜』おはようございます。どんよりとした空で明けました2024年4月23日㈫の小江戸川越です。本年4月29日で、小江戸川越のらり蔵りは10周年を迎えます!そこで今週は、立上げ以前の上から目線記事を再度リンク!夏頃には何かイベントを考えておりますので、ゆるりとお待ち下さいね(^o^)今回は2013年の記事から…『小江戸川越のらり蔵り~古地図を眺めてタイムスリップ・一番街あたり…~』『地図は発行して三年も経過すると古地図になる
美倉橋に着き上流方向を見ようと思ったら…うわ~ん、太いパイプが目の前にこれじゃ何も見えないわ。橋のたもとには武家屋敷お蔵かと見紛う凄く立派な公衆トイレあり。ま、外国人観光客も多いことだしトイレを整備してくれるのは有難いですけど。トイレばかり見ていても仕方がないので橋を渡ってみました。端から乗り出して橋を見る。反対側に渡ったら「清洲橋通り」の表示板あり。ここから
江戸切り絵図を入手して以来、古地図にハマって。だって、面白いんですよ。実家の前の通りとか、近所の寺とか、全部、江戸時代からそのまま。で、その延長線上で、昨日、こんなのが届きました。江戸時代の古地図。全体像は、こちら。長野県は、こちら。全国、と言っても、さすがに北海道はなくて、わずかに松前藩あたりの海岸線のみですが。南は、屋久島が最南端。当時、沖縄は、琉球国でしたから。色々時代が感じられて、眺めていると面白いです。古地図でみる諸国不思議めぐり(めぐりシリーズ)
明治期ぐらい古地図鳥瞰図「相模国大山全図/大山全図/相模国大山阿夫利神社大御神楽之図」3点/伊勢原市/銅版摺り/石版摺りです。相模国大山全図が39cm×27cm。銅版摺り/石版摺り。【書名】相模国大山全図/大山全図/相模国大山阿夫利神社大御神楽之図【巻冊】3点【著者】安田小平太ほか【成立】明治期ぐらい
明治期古地図鳥瞰図ほか「大雄山奉納額面縮図/大雄山最乗禅寺絵道了大薩埵霊境図」2点/南足柄市/木版摺り/銅版摺りです。大雄山奉納額面縮図が38cm×51.5cm。大雄山奉納額面縮図が木版刷り。もう1点は銅版摺り。【書名】大雄山奉納額面縮図/大雄山最乗禅寺絵道了大薩埵霊境図【巻冊】2点【著者】青山豊太郎ほか【成立】明治4年と33年
幕末~明治期古地図鳥瞰図「上州草津温泉之図」1点/版元一井屋/古書古文書/木版摺りです。36cm×54cm。木版刷り。【書名】上州草津温泉之図【巻冊】1点【著者】版元一井屋【成立】幕末~明治期
昨日の地図の日記を書いてて何か懐かしく大変なものを忘れてる様なあれから頭をフル稼働して、おもいをめぐらせていた。そうだそうだ‼️私の地図好きのルーツは小4の時に読んだジュブナイルの「八つ墓村」だった事を!当時、日本を恐怖の渦を巻き起こした奇妙な格好のおじさんのCMは、今でもまざまざと思い出せる。その日から、学校の友達に会うと、みんなが口々に「タタリじゃータタリじゃー!」と朝起きて情報番組をなんとなく見てみるとそのCMで頭に懐中電灯🔦を2本挿したかたつむりのような格好した白塗りのおじさんが桜
どんな旅をしてみたい?▼本日限定!ブログスタンプあなたもスタンプをGETしよう地図の日なんだ~。知りませんでした(^^)。どんな旅、ですか~。今、行きたいところは、ここんところずーっと「奈良」。それは変わりません。行程で使ってみたいのは「客船」。これも憧れでございます♥️。かといって…。昨今の物価高、低所得の私では無理なお話しでして(* ̄∇ ̄*)。旅行なんて近場でも悩ましい状況ですぅ。もうひとつ。面白そうなのは、地図の日っていうこともありますし、これも試してみたいかな
江戸期古地図「美濃国郡県人跡路程図説」1点/更地堂蔵/岡田啓識/古書古文書/木版摺りです。52.5cm×66.5cm。木版刷り。【書名】美濃国郡県人跡路程図説【巻冊】1舗【著者】更地堂蔵/岡田啓識【成立】江戸後期
和本江戸後期世界地図「地球万国山海輿地全図説」1点/長久保赤水/古地図/古書古文書/木版摺りです。34cm×44cm。木版刷り。【書名】地球万国山海輿地全図説【巻冊】1点【著者】長久保赤水【成立】江戸後期
10日ばかり前になりますが、千葉県佐倉市に行ってきました。11万石の城下町です駅舎もいい感じ北口には城址公園があり城下町を散策する人も多いようです。あちこちに古地図が私も散策してきたわけですが今日の目的はサムライの古経ひよどり坂江戸時代、この道を歩いて武士がお城に通ってたそうです。ひよどり坂の手前は武家屋敷が清々しい竹林に囲まれてます。振り返ってみました誰もいなーい。古い道の匂いを吸い込み深呼吸途中にベンチひよどり坂は全長100メートルくらい。ゆるやかな下り
2022年12月30日に敢行した、東紀州徘徊。この日のネタで記事にしているのは…っていつものように書き始めたが、なんと初めてだった!マジか。今回のネタは、地理院地図を見ていて「!」ってなった、その現場を確認しに行ったって話である。まずはこれを。なにこれ?マピオン地図だとこちら。三重県道70号賀田港中山線から分岐する行き止まり林道(たぶん)に、謎の隧道表記。いやいやいやいや…。わたくしもこの趣味を始めてそれなりになるが、こんなところに隧道があるなんて聞いたこともな
明治13年(1880)古地図鳥瞰図「金刀比羅山全図」1点/高阪岩太/古書古文書/銅版摺りです。36cm×49cm。銅版刷り。【書名】金刀比羅山全図【巻冊】1点【著者】高阪岩太【成立】明治13年(1880)
幕末~明治期古地図鳥瞰図「伊香保温泉名所一覧」1点/古久屋蔵版/古書古文書/木版摺りです。24.5cm×33.5cm。木版刷り。【書名】伊香保温泉名所一覧【巻冊】1点【著者】古久屋蔵版【成立】幕末~明治期
明治期古地図引札「京都名所案内略図」1点/京都ぶんごや友七/古書古文書/木版摺りです。25.5cm×34cm。木版刷り。【書名】京都名所案内略図【巻冊】1点【著者】京都ぶんごや友七【成立】明治期
こんにちは、吉岡美術目黒店です。昨年手に入れました目黒周辺の古地図。額装して店内に飾ろうと考えてます。恵比寿駅周辺!!渋谷駅周辺!!残念ながら今目黒店の場所辺りは切れています・・・(ノД`)シクシク…とはいえ、この古地図を見ながらご近所にお住いの常連様とタイムスリップ。昔のお話を聞いたりと、楽しい時間を過ごすこともできました。この地図はどこに飾ろうか・・・まだ悩み中。入口から目に付くところに展示したいとは思っていますので、是非是非興味があ
大正9年(1920)古地図「福岡博多及郊外地図」1点/帝国都会地図の9です。54cm×78cm。帝国都会地図の9【書名】福岡博多及郊外地図【巻冊】1点【成立】大正9年(1920)
大正15年(1926)古地図地誌「八丈島概覧」1点/東京府八丈支庁/古書です。39.5cm×63.5cm。【書名】八丈島概覧【巻冊】1点【著者】東京府八丈支庁【成立】大正15年(1926)
昨年亡くなったじぃじは物持ちが良く断捨離には程遠い人だった雑多に保管されたものがたくさんあり今回は古めかし地図が数点出現したよ1978年の東京地図新東京とはなんぞ?東京暮らしでない母ちゃんはピンと来ません地元の方なら分かるのかな?古いものは作り出せない大切に保管していたじぃじに感謝だわ『昭和の教科書』先日夫の実家を片付けに行って来た7月に義父は亡くなり高齢の義母がひとり暮らしている何十年も手付かずだったのだろうホコリだらけの書棚を片付けたら義父が大事にし…ameblo.j
明治20年(1887)古地図鳥瞰図「下総国成田山全図」1点/古書古文書/銅版摺りです。38cm×54cm。銅版刷り。【書名】下総国成田山全図【巻冊】1点【著者】伊東武左衛門【成立】明治20年(1887)
幕末~明治期古地図鳥瞰図「多武峯之図」1点/四方春翠/古書古文書/木版摺りです。37cm×50.5cm。木版刷り。【書名】多武峯之図【巻冊】1点【著者】四方春翠画【成立】幕末~明治期
幕末~明治期古地図鳥瞰図「信濃国木曽御嶽山全図」1点/古書古文書/木版摺りです。39cm×29.5cm。木版刷り。【書名】信濃国木曽御嶽山全図【巻冊】1点【成立】幕末~明治期
幕末~明治期古地図「京都絵図引札(仮題)」1点/三条大橋東詰御宿茶屋久右衛門/古書古文書/木版摺りです。28.5cm×41cm。木版刷り。【書名】京都絵図引札(仮題)【巻冊】1点【著者】三条大橋東詰御宿茶屋久右衛門【成立】幕末~明治期
幕末~明治期古地図鳥瞰図「秩父札所順礼神社仏閣古跡独案内」1点/秩父三十三番菊水寺蔵板/古書古文書/木版摺りです。38cm×54cm。木版刷り。【書名】秩父札所順礼神社仏閣古跡独案内【巻冊】1点【著者】秩父三十三番菊水寺蔵板【成立】幕末~明治期
もうずいぶん前の話です萩に帰省中近くの東光寺に出かけた時のこと山門入ってすぐに甲子殉難十一烈士のお墓がありました何気なく見ていた末娘が突然「ママ、この人の名前すごい!大和国之助って、ザッ日本男子やん」大和国之助のお墓何故ここにお墓があるのか?そもそも何をした人なのか?全く、全然知らないのに大和国之助さんは私達に強くインプットされました多分こんな感じの二十代後半のお兄ちゃんなぜにこんなにツボったのか⁈大和国之助、その名前から大きな志を父から受け継ぎ自らも生
(旧)如月八日古地図には難波御蔵と書かれのち大阪球場、なんばパークス雲端なんばパークスの北東角なんばCITY南館入口前に「難波御蔵難波新川跡」の碑がある。古地図を見れば難波新川の突き当りが難波御蔵だったことがわかる。ここに備蓄された米を搬出するために掘られたのが難波新川なのだ。現在、その難波御蔵は「なんばパークス」という商業施設になった。その前は南海ホークス(現ソフトバンクホークス)のホ
大銀杏は義兼が植えたと言われていますが1310年の寺の古地図には載っていません樹齢約650年周囲約10m校倉(宝庫・大黒堂)は江戸時代の建物です蛭子堂(時姫堂)は足利義兼の妻北条時子(源頼朝の妻北条政子の妹)を祀り時子の法名から智願寺殿とも言われています北門(薬医門)は江戸時代の門鐘楼は1196年足利義兼の建立です梵鐘は元禄時代の再鋳。戦時の供出では歴史的資料として免れています